足助の住まいづくり




 昭和59年に住宅マスタープランの前身「HOPE計画」を全国でもいち早く策定をした足助町。HOPE計画では地域産業の活性化をテーマに、足助大工と三河産材を活用した第3セクター「ほるくす」を設立。その後、足助らしさを前面に出した住宅地開発等を進めてきましたが、人口減少に歯止めはかからず、ついに10,000人を割ろうかという勢いの前に、平成10年度、新たな住宅マスタープランを策定しました。今回の中心的課題は定住促進。しかし単なる住宅建設計画を超え、「山里足助の新しい集落モデル」として高嶺下地区フォームビレッジ構想を掲げ、山村からの積極的なまちづくり提案を発信しています。

 あすけの定住者の住まい02 (2006/11/ 4)

 高嶺下ファームビレッジに5軒目の家が完成した。全部で6区画だが、6区画目は購入当初から家庭の都合で住宅建築は少し先になるということだったので、ここで一応の完成を祝って打ち上げの会が開かれた。私も招かれたのだが、あいにく家庭の事情で夜までつきあえなかったので、一足早くお昼前に家を出て、足助の定住者の様子を見て回った。
 家から約1時間、足助渡合地区に着く。にこにこさくせんで分譲した地区を少し東に行ったところに、アイシン開発(株)が開発した「イーハトーヴの里」がある。渡合地区の人たちが長年かかって開発誘致をしてきた土地がようやく日の目を見たものだ。私が足助にいた頃は、企画協力しているエイエヌピー(株)のFさんが(株)連空間設計のKさんとともにコーポラティブ方式で開発しようと、地元開発委員会のUさん共々がんばっていたが、なかなか参加者も集まらず苦労していた。それが、アイシン開発(株)の協力を得て、2年ほど前にようやく造成に着手したと聞いていたが、こうして実際に家々が並ぶ姿を見ると感慨深いものがある。全25区画。現地の看板によれば10区画が契約済み、3区画が商談中、10区画は建築条件付き分譲宅地として分譲中。敷地面積は331.34〜393.61m2。坪約7万円。豊田まで、いや合併してもうここが豊田だった。街中まで40分程度の自然の中の暮らしはいかがですか。
 この後、さらに東に走って、にこにこさくせん小町地区の様子を見に行く。まだ1区画は売れ残っていた。残念。でも先に建築入居したログハウスの前には軽自動車が止まり、ますます田舎暮らしを満喫しているようでうれしい。御蔵の家なども見つつ、百年草で食事。今月から香嵐渓のライトアップも始まったという新聞報道があり、混雑を予想したが、意外に空いていて拍子抜け。香嵐渓を過ぎてここまで上がってくる人は少ないらしい。満腹になり、Zizi工房、ばーばらはうすで美味しそうなウィンナーとワッフルを仕入れて、さあ出発。さらに東へ向かう。
 五反田地区もにこにこさくせんで分譲した地区だ。ここは第1期の3地区の後、あすけ塾を重ねる中で、足繁く通ってくださった熟年夫婦2世帯が購入した地区だ。既に1軒が家を建築し住んでいる。敷地の南には小さな作業小屋が2棟建ち、農作業を楽しんでいる様子がうかがえる。
小町地区五反田地区
 さて、次はいよいよ高嶺下に向かう。国道153号に出て一目散に山を下る。さすがに香嵐渓前は人だかり。わが家の駐車場へ誘導しようとする人たちも人だかり。でも紅葉にはまだ早い。ようやくほのかに色づき始めた程度。役場前をさっと通り過ぎ、足助川を渡る橋の前を左折して、近岡から細い山道を登っていく。途中、新築なった足助保育園に驚き、炭焼き小屋がなくなっていることを悲しむ。狭いながら通い慣れた道をハンドルを握るとわずか15分程度で高嶺下に着いた。
 今日は一番手前道下のIさん宅でお祝い会をやると聞いていたので、差し入れの品を持ってIさんを訪ねた。会うのは実に2年半ぶり。この3月に完成入居したという真新しい家は、入り口が明るく開放的なテラスに抜けて、目前に高嶺下の洞の緑が広がり気持ちいい。4時からの集まりの準備に忙しい中、気持ちよく迎えてもらい、家の中を案内してもらった。薪ストーブもある居間からの景観がすばらしい。雑木の向こうに高嶺下構想を進めてきた作業小屋や炭焼き小屋が見える。窓の外の手すりは開くとベンチに早変わり。屋根裏の子供部屋や1階の作業スペースも楽しそうだ。コーヒーをごちそうになり、足助での生活の様子を伺う。家の中を二人の子供が飛び回る。上の男の子は小学2年生。冷田小学校まで元気に歩いて通っている。下の女の子も保育園年中で元気だ。ちょうど今、読売新聞の地方版に毎日曜日「カウロゲの風」と題して高嶺下地区開発の経緯と定住者の生活ぶりについて連載中なので、詳しくはこちらをごらんください。とにかく、とても元気で楽しそうだった。
 Iさん宅を出たら隣のOさん夫婦が道路脇に止めた軽トラックから薪をおろしていた。Oさんは地元出身で木工細工の達人だ。農作業や山仕事も手慣れたもの。夫婦仲良く手際よく作業する姿がほほえましい。少しあいさつと言葉を交わして、さらに奥に進む。一番奥のMさん宅はあいにくお留守。前に来たときはまだ工事中だったが、もうすっかり完成し、昨年の秋に入居したとのこと。たまたま帰りがけに、今日のお祝い会に駆け付けてきた設計者の水野さんと会い、室内の写真を見せてもらう。壁が少なく、とても開放的な住まいだ。細い柱が周りの雑木と一体となって、自然の中にいるような雰囲気の家に仕上がっている。その上のAさん宅は、この高嶺下で一番最初に完成し住み始めた家だ。急斜面を登った雑木林の中に黒壁が巡る外観は前にも紹介したことがある。2年ほど前に一度上がらせてもらったが、木のテーブルを中心に丸く壁が囲むとても落ち着いた家だ。お子さんがみえないこともあり大人の雰囲気が漂っている。
 各住宅を見て回り、Iさん、Oさんにもあいさつして帰ろうとすると、洞の向こう側、作業小屋の当たりから煙が立ち上っている。人の気配もある。また1つ炭焼き窯でも作ったのかなと歩いていく。途中の畑は高嶺下地区入り口上のYさんが耕作していると聞いた。坂を上ると何やら道端で数人に人が作業をしている。何だろうと覗くと何と鳥の羽をむしっている。げっ! あれ、梶さん!
 高嶺下の開発を地元住民として支え、定住された方を心から支えてきたのが地元野林に住む梶さんだ。その横にYさんの姿も。後で聞くと、翌週の冷田地区のイベント、冷田フェスタに出すべく、田んぼに放っておいた合鴨を締めて羽をむしっていたYさんを手伝い指導をしていたとのこと。まずなんでも身体が動き、自ら手本を示すところがみんなに慕われる最大の理由だ。加えて苦労人らしく人情味に富み、相手のことを深く思いやる。梶さんあっての高嶺下と言われる所以。煙はその横の斜面に作った露天風呂から立ち上っていた。ちょうど居合わせたYaさんちの子供たちが喜んでお湯に浸かっていた。今日が初めての露天風呂開きだそうな。Yaさんは遠く津島市から足助まで通っており、今日は市民農園の駐車場で泊まっていくという。足助の魅力、恐るべし。
 そういえば、町営住宅もとい市営高嶺下住宅の横に大きなログハウスが建築中だった。聞くと、高嶺下のメンバーでいながら最後の最後で家庭の事情で断念したSさんが、それでもあきらめきれずに梶さんに相談し、この土地を手に入れて、みんなに遅れること2〜3年。今ようやく再度みんなに追いつこうとしているとのこと。うーん、足助の魅力、恐るべし。
 今日はあいにくお祝い会には参加できなかったため、以上の方たちとしか会えなかったが、それでも地元で暮らす人たちにはあらかた会え話も聞けたし、なかなか有意義で楽しい1日だった。みんな足助でいつまでも幸せにね。また会いに伺います。

 あすけの定住者の住まい (2005/ 3/ 3)

 2005年のひなまつりの日。久し振りに足助町を訪ねた。いよいよ豊田市との合併もあとわずか1ヶ月となった。合併後の定住施策の方向を考えたい、という趣旨の打合せ。しかしその前に、私が通っている間に定住をされた方たちの住まいを訪ねて回ってみた。
 まずは「2戸2戸(にこにこ)さくせん」で定住された方たち。足助の北部、御蔵地域の渡合地区に2戸、小町地区に1戸。そのうち2戸はログハウス形式で、いずれも薪ストーブを入れて、住宅の横に薪が積み上がっていた。ちなみに小町地区にはまだ1区画空いている。

2戸2戸(にこにこ)さくせん・渡合 / 2戸2戸(にこにこ)さくせん・小町
 同じ御蔵地区には、「みくらの里」という名称で売り出していた1区画に入居された方もいる。少し高台の上に、二つの妻面が並んだ可愛い家だ。御蔵から旭町を回って新盛に出る手前には「扶桑館」と名付けられた地域集会所がある。農水省補助を利用して建設されたもので、隣接した農地では名古屋から若者が通って、地域の人から農作業を習ったりして楽しんでいる。また同じ新盛地域の富岡地区には、空き家を定期借地権付き住宅として町が情報提供と契約支援を行う「スマイルしようかい」により古民家に入居された方がいる。入居する前はかなり古びていたが、入居者が手を入れ、暖かい雰囲気だ。

みくらの里 / 扶桑館 / 富岡の民家
 中馬のおひなさんで賑わう足助の街を通り過ぎ、南部の野林地区高嶺下へ。昨年3月の時点ではようやく1戸が建ち上がったところだったが、すでに3戸の住まいが完成・入居し、1戸は建設中。残り2区画のうちの1区画ももうすぐ設計が終わり着工の予定だそうだ。斜面地の林の中に、それぞれ個性的な住宅が並び、入り口の町営住宅と負けてはいない。また、近くの「2戸2戸(にこにこ)さくせん」国谷地区も完売し、クリーム色の大きな住宅が建っていた。

高嶺下ファームビレッジの住まい

2戸2戸(にこにこ)さくせん・国谷地区の住宅
 これらの住宅地がある冷田地域は、地域の方たちが熱心に定住対策に取り組んできており、合わせて、合併を前に小学校の建設も行われた。旧来の冷田小学校は平屋の木造モルタル塗り校舎だったが、借地部分が多かったこともあり、隣接する土地を新たに購入して、木造平屋建て教室数12室(普通教室6室・特別教室6室)、体育館、ランチルームが一体となった延べ約1,800m2の学校を建設した。天井・壁・床とふんだんに木が使われている。入り口には旧校庭にあった樹齢100年のクスノキが飾られ、幅広い校舎の廊下の両端には同じくクスノキのスライスされたものが張られている。またベンチも旧校庭にあった木から作ったものだ。引っ越しにあたっての児童の様子などがパネルとして廊下に飾られておりなかなか楽しい。施設としてうらやましいのが、外の木々や山を見ながら全児童が一緒に食べられるランチルーム。体育館も天井が高く使いやすそうだ。

ランチルーム


 高嶺下で建て舞い (2003/ 7/26)

 コーポラティブ方式で定住の住まいづくりを進める高嶺下地区で、この4月から着工されていた第1号定住者の住宅の建て舞いがあった。当日は朝8時から地域の定住を進める委員会のメンバーが集まり、木臼で餅つきをし、紅白餅をつくった。赤い餅は普通の食紅を混ぜたものだけでなく、赤米をついてつくった。その他にも漬け物や山菜、赤飯などを持ち寄り、みんな一緒に昼飯を食べる。
 大工さんはクレーン車を使って、朝から柱を立て、棟木や梁・桁を上げるが、斜面地の一番奥で、住宅の形も独特なこともあってなかなか仕事が進まない。ようやく3時頃、大工さんにより神事が執り行われ、斜面地の上から餅まき、お菓子まき。地域から50人を超す人たちが集まって、ビニール袋を片手にお菓子を拾い喜び合う。
 その後、来賓や関係者が集まり、高嶺下第1号の建て舞いを祝って、式典が執り行われた。定住者6世帯の紹介やあいさつ、地元の側で苦労された梶さんの感極まったあいさつなどがあり、ちょっと感動的。その後、懇親の会が催され、定住者家族と地域の人たちが酒を酌み交わして親交を深めた。地域の期待、定住者の夢、喜び、様々な感情が綯い交ぜになり楽しいイベントとなった。
 なお今回、建て舞いが行われた住宅は、設計者の島さんのホームページ「大きな森の小さなギャラリー」「遠くを見る人の家」として紹介されている。

 山里の仲間づくり事業で空き家を改修 (2003/ 6/26)

 足助町では定住施策として「山里の仲間づくり事業」という制度がある。平成13年度からスタートしたもので、40歳以下、又は小学生以下の子供がいる若年世帯が町外から転入して定住した場合に50万円の奨励金を支給する制度だ。平成13年度に第1号として支給を受けた方のことは、「足助のまちづくり−シャングリラ計画/中馬のおひなさん/2戸2戸(にこにこ)作戦 (2002. 2.10〜11)」で既に報告したところだが、その後、14年度には5名の方が受給している。
 しかしこの5名の方は、その全員が「にこにこ(2戸2戸)さくせん」「スマイル(住まいる)しようかい」といった町の定住施策に伴って転入された方ではなく、自助努力によって住宅を求め、定住をしてきている。こうした状況の中で、50万円支給という制度がどれほどの意味があるのか、若干疑問に感じる。
 そんな中、「スマイル(住まいる)しようかい」で空き家を借りた方が、転入にあたって相当に修繕をする必要があるということが明らかになってきた。例えば、前に紹介した摺地区の空き家を借りられた方などは、水道もなく井戸水も乏しい中で、ある程度の工事をしなければ住めないのが実情だ。
 こうしたことを踏まえ、足助町では平成15年度から「山里の仲間づくり事業」を拡充し、「スマイル(住まいる)しようかい」による空き家に転入した方には、その住宅が10年以上借家として利用されることを条件に(転入者の方が退去されてもかまわない、あくまで住宅が利用されることに注目している)、年齢等に関わらず、修繕費かつ50万円以内を補助することとした。
 先日、この制度を活用して空き家修繕補助を受けた方の住宅を訪問する機会があった。その方は46歳。まだまだ若くて元気だが、障害のある子供を抱え、少しでも環境の良いところで暮らしたいと足助に移ってきた。住まいは明治期に作られた立派な民家。かつての土間に床を張って応接間や台所に改修しているものの、10年近く住まわれていない家は、床組みがあちこちで腐ってふかふかする状態。さらに水道は引いてあるものの台所には井戸水が使用されていた。
 シロアリの喰われた柱や土台を修繕し、床を直し、水道を廻し、ついでに暗くて旧式だった浴室と洗面所をリフォーム。これらに110万円近くの費用が掛かった。その他にもゆがんだ建具を直したり、隙間をパテで隠したり、家具の店頭防止対策をしたり、日曜大工が趣味の友人に手伝ってもらって、楽しみつつ、住まいの手入れをされているとのこと。
 耐震性という点も考えればまだまだ不十分だが、こうした捨てられた民家が蘇り、淋しかった集落に人の笑顔が戻るとすれば、山里の仲間づくり事業もなかなか意味があると思わないではない。

 「にこにこさくせん」と「スマイル(住まいる)しようかい」 (2003/ 2/11)

 足助町では昨年の4月から、山里あす仲間づくり「2戸2戸作戦」なる事業を始めた。一言で言えば宅地分譲なのだが、進め方はユニークだ。まず事業名の頭に付く「山里あすけ仲間づくり」という言葉に事業の趣旨が込められている。すなわち、いたずらに宅地を分譲して事足れりとするのでなく、足助を愛し、足助人となって地域に溶け込み、地域の人々とともに様々な活動に取り組んでいこうという意欲のある人「山里あすけ仲間」を増やそう、というのだ。そして「2戸2戸作戦(にこにこさくせん)」という言葉にも事業の内容が表現されている。すなわち、集落にスムーズに溶け込むよう、1地区に2戸程度づつ分譲をすることにしている。さらに「にこにこ」という言葉には、地域の人と一緒になって定住者を迎えようという意味も込められている。
 このことは、山里あす仲間づくり「にこにこさくせん」の3つの方針としてまとめられている。
    1. 山里あすけの暮らしに共感と誇りを持ち、地域活動に積極的に参加する仲間を増やそう!
    2. 山里あすけ仲間に、既存集落に溶け込めるような環境を用意しよう!
    3. 山里あすけ仲間づくりは、地域といっしょになって進めよう!
 また事業の進め方にも工夫がある。通常は、用地買収−宅地造成−宅地分譲の順で進むのを、住宅候補地
説明・地域交流会による市場調査−宅地分譲予約−用地買収−宅地造成−宅地譲渡という手順で進めようとしている。
 昨年6月15日に、第1回の住宅候補地説明・交流会が開かれた。地元新聞に掲載されたこともあり、総勢66組約150人の人が詰めかけ、候補地のある御蔵・冷田の各地区では、ごへいもちやかしわもちを用意し、地域の小学校を案内するなど、大変活気のある1日となった。参加者に対して行われたアンケートでも候補地4地区のうち3地区で、「是非とも購入したい」と答える者が複数を数えるなど、今後の事業展開に大きな希望を持った。
 この結果を受け、事業化を進めることとした3地区7区画で宅地整備や事業収支計画が立案され、地権者・地域区長との覚書締結等を経て、宅地分譲が行われたのが9月15〜22日。ところがここで大きく挫折する。1週間の期間中、役場に訪れたのがわずか26世帯。うち申込者は3区画4世帯のみ。
 もともと申込があってから宅地整備を始めるので、宅地譲渡まで半年以上の期間を要することから、申込者を対象に、山里暮らしのノウハウを伝え不安に答えるとともに、それぞれの宅地でどんな住宅をつくりどんな暮らしを営んでいくかのシミュレーションを行いつつ交流を深める「にこにこ定住セミナー&わーくしょっぷ」の開催が予定されていた。しかし申込者が非常に少なかったことから、参加者の対象を広げ、足助への定住を希望している人を対象にした「セミナー&わーくしょっぷ」として、10月26日から全3回で開催をすることとなった。内容は、1回目は足助に定住し設計事務所を開設する島氏を講師に迎えて、里山の住まいと暮らしの紹介。2回目は、足助の歴史や子育てグループ等の紹介と、地元でイノシシやホタルを育て山暮らしを満喫している方の暮らし訪問など。
 しかし一方で、申込があった3区画のうち、2区画の申込者が辞退するなど、宅地分譲自体はますます低調な状況となっていく。宅地造成もされていない土地は、まだ畑になっていたり、杉が植林されていたりで、造成後の姿が見えない。売れ行き不振の原因はここにもあるだろう。また最初の3地区については、「にこにこさくせん」のモデルとして整備後の姿を見せることも必要だろうという苦渋の決断の末、用地買収・宅地整備工事を行い、現在に至っている。
 一方、交流会、分譲説明会、わーくしょっぷを通じて、定住希望者と接しわかってきたことは、「山里の民家を借りてしばらく体験的に暮らしてみたい」という希望が非常に多いこと。これは逆に言えば、「土地を購入し住宅を建てるという重大な決断を易々と行える、すなわち人生一生の決断を田舎暮らしに賭けることのできる人というのは少ない」ということでもある。「セミナー&わーくしょっぷ」もこの障壁を乗り越える機会と位置付け実施しているが、なにより空き家希望に直接応えることも必要だろうと始めたのが「スマイル(住まいる)しようかい」
 足助町では平成10年に空き家調査を行い、比較的状態がよい住宅の所有者に賃貸意向を聞いたが、「貸しても良い」と答えた方が皆無だったという経験がある。今回は調査から始めるのではなく、定期借家制度を利用した仕組みをまず整え、「貸しても良い」という空き家を、地域区長を通じ推薦してもらい、所有者の理解を得て登録するという方式を採った。この結果、現在までに5件の空き家を登録。希望者に紹介を始めている。
 集まった空き家は、町なかの住宅や山あいの広い民家、プレハブ住宅など多様だが、やはり注目度が高いのが山あいの民家。南面に3〜4室の和室が並び、玄関奥に台所という昔ながらの間取りだが、足助の特徴はこれらが山の斜面に点在すること。その結果、車で寄りつけなかったり、水道がなく昔ながらの汲み取り便所だったりする。これでは現代人にはとても無理だろうと懸念していたところ、なんと一番不便で人気がないだろうと思われた民家で先週の土曜日(2月7日)に賃貸契約が成立。入居者は今度小学1年生を筆頭に3人の子供を抱えるKさん。学校のこと、そして住まいの改修のこともあり、実際に定住するのは夏以降になるとのことだが、契約前から毎週のように掃除に通い、「これからしばらくは、週末ごと住まいの手入れをしていくんだ」と、晴れ晴れとした顔で話してくれた。鳥の声が美しく響く、その民家の庭に立ち、向かい側の山の畑からたなびく煙を見ていると、ゆったりとした時の流れが感じられ、どことなく幸せな気分になってきた。「山里あすけ仲間」の原点はここにあるのかなと感じた。

 高嶺下住宅開発・着々 (2003/ 2/ 6)

 高嶺下住宅開発は定住希望者6世帯で組合を設立したのが5月。さっそく土地の測量に入り、土地購入へと向かったのですが、夏前に1世帯が資金繰りの関係で離脱。離脱者の謝罪と他のメンバーからの暖かい言葉で感動的な一幕ではあったものの、4年近く前から延々と積み重ねてきたものもどうなるかという危機を迎えました。
 幸いなことに、すぐに高嶺下地区に住みたい、仲間になりたいという方の手が上がり、既メンバーとの顔合わせを経て、元の6世帯に復活。しかしその後も、敷地測量とそのための地権者境界確認、国土法の届け出(足助町は首都機能移転計画の関係で、地価監視区域に入っていました)等、通常の土地購入以上に必要な手続きがあり、また、区域内の進入道路を地元組織負担による町施工だった関係の負担金の経理、地権者毎の土地買収・立木補償価格の相違や定住者の区画割り、元土地境界が入り乱れていたことによる土地購入者間の負担割合の調整とその負担方法の決定など、土地購入に係る経理的な課題の整理、さらに共同で設置する乗入れ口の登記名義・地目の問題や両者複数の者が一堂に集まって契約をすることの困難さ等も相まって、土地契約までかなり時間を要しました。ようやくのこと、土地契約ができたのが10月末。その数週間前には、春に植えた米の稲刈りも済ませ、次のステップに思いを馳せました。
住宅地区から洞を見下ろす
 次のステップは各宅地の造成工事。しかしその前に、共同で敷設する雨水排水、汚水・雑排水の処理と配水管について検討する必要がありました。加えて役場から、道路舗装や水道管敷設に係る調整等もあり、これらの課題を整理し終えたのが11月末。いよいよ造成工事が始まりました。
 先日久しぶりに高嶺下地区を訪ねたところ、花崗岩の石積みが積み上がり、あらたか乗り入れ口の工事も終わって、いよいよ住宅工事の着工を待つばかりとなっていました。入居第1号をめざすAさんは、いよいよこの春から夏にかけて竣工・入居する計画です。季節と同様、春が来るのが楽しみになってきました。

 高嶺下で田植え (2002/ 5/19)

 高嶺下住宅開発もいよいよ佳境に入ってきました。取り付け道路が町の補助を得て整備され、入居者6世帯も決まりました。宅地割りも概ね決まったので、今月中にも整備組合を組織し、確定測量を行って、夏にも土地の売買契約を行うこととなりました。
 今日はこうした打合せを行うとともに、最後に決まった新入居者も交えての田植えイベントがありました。埜快委員長の梶さん、息子さんの助けを得て、広い部分は田植機で植えましたが、機械が入らない隅の部分や深い部分を、高嶺下の洞を考える会のメンバーも加わり、みんな一列に並び、手植えです。深い泥に足を取られつつ、みんな楽しく参加しました。田圃にはタニシがいたり、トンボが飛んだりして、子どもたちも網を片手に飛び回っていました。
 ほんの小1時間で田植えが終わると、作業小屋に入ってお昼を食べます。囲炉裏に火を入れ、ビールと酒を飲み交わしつつ、お互いの近況などを話し合っていました。この作業小屋は、高嶺下職員住宅の設計者でもある佐々木さんが、図面を引き、地域の方や学生さんが集まって5日で作ったそうです。素人でもできるようにと、細い部材ばかりを使い、簡単に作った小屋ですが、防腐処理などをしっかりやっているせいか、なかなかしっかりしており、長持ちしそうです。
 途中、雨が降り出したのですが、こうした小屋があると雨が降っても平気です。私も一緒に飲んで、後のことはあまり覚えていませんが、楽しい一時でした。

 高嶺下職員住宅 (2000/ 1/30)

 安住の会の、足助町職員住宅見学会に参加してきました。都合で時間に遅れ、かつ早退したので、設計者の佐々木さんからの説明などはあまり聞くことができませんでしたが、4タイプある各住戸の室内に入り、じっくり観察することができました。
 各住戸ともステップフロアになっていることは屋外からもわかりますが、玄関から土間がそのまま階段状に上へ伸び、それに面してリビング、キッチン、水廻り、そして2階の個室がつながっている構成は面白い。階段室の上部がトップライトのガラスとなり、その上に硬質プラスチックのグレーチングを敷いて、光がふんだんに射し込むほか、屋根面の段違いを利用した窓やトップライトなど、大変明るい空間となっています。
 土間から伸びる階段状の形態を活かして、段々状のボックス型物入れ(下駄箱)や可動階段が設けられ、立体的な楽しさが演出されています。2階の木製の鎧戸や室内の塗り壁などは、当然の遊び心でしょうか。トンボも庭に屋根に飛んでいます。段差を活かして収納は結構豊富に取られています。
 総工費は6戸で約1億円。家賃は月5万円。現在4戸に入居予定者が決まっているとのことです。見学会の際に入居者あての説明書をいただきましたが、この豊かな空間を利用して、さらに想像力あふれる暮らし方が展開されるといいですね。隣地の高嶺下開発のモデルとして、また農ある暮らしの体験の場として活用されることを期待しています。

階段室 上部から / 玄関から


 高嶺下ファームビレッジ構想(その2) (99/12/22)

 その後、高嶺下地区の構想は着々と進んできています。地元組織「洞を考える会」を中心に、新聞に反応のあった人たちに声をかけ、自然観察会やワークショップなどが開かれています。またこの地区に隣接する土地に町の職員住宅が建設されました。斜面型のなかなか素晴らしいもので、これからの高嶺下地区のまちづくりにモデルを提示し具体化に向けさらに拍車がかかるものと期待されます。
職員住宅
高嶺下地区内ログハウス
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 高嶺下ファームビレッジ構想 (99/ 2/ 6)

 足助町が野林地区で進めている高嶺下ファームビレッジ構想。この地区は足助町でも西のはずれ。比較的豊田市、岡崎市には近いものの、幹線からはずれ深く山あいに入ったところです。ゆるやかな谷と山が続く広い谷あいに石垣を積んで立派な家がぽつんぽつんと点在するこのあたりの集落。そんな谷の一つにその土地はありました。休耕田や畑が広がるのびやかな谷筋を雑木が取り巻くこの土地の東肩には、既にワークショップ等を行っているというロッジが建設されています。南下がりとはいうものの、山に囲まれ、日が陰るのは早そう。しかし周囲ぐるりを林に囲まれた桃源郷のようなこの土地に、どんな生活の場が築かれていくのでしょうか。新聞に取り上げられたことからかなりの問い合わせがあるとはいうことで、これからが期待されます。


 桑田和住宅・千野住宅・井ノ口住宅・おおくら台 (98/11/ 8)

右の画像がHOPE計画に基づき、「ほるくす」の最初の仕事としていち早く建設された「町営桑田和住宅」です。戸当たり97m2とゆったりとした1戸建て6棟が緑豊かな広場を囲んで配置され、築後10数年を経た現在、周囲の山あいにすっかり溶け込んでいます。ただ維持管理にあまり手が入っていない様子で、しっくい壁などが汚れているのが少し残念です。
 一方、こちらは桑田和住宅の翌年に建てられた「町営千野住宅」。こちらは川沿いの敷地に2戸連3棟の6戸が雁行状に並び、木造の車庫と対峙した配置となっています。緑が少ない分、こちらの方がきれいに見えたのはどうしてでしょうか。

町営千野住宅 / 特定公共賃貸 井ノ口住宅
 足助の中心地区から奥の山あいに建設されたこれらの団地以外に、豊田市に近い地区では、「特定公共賃貸 井ノ口住宅」も建設されています。こちらは鉄骨造2階建ての共同住宅とし、豊田市へ通勤する若年世帯を意識した設計となっています。
 町が自ら建設する以前に、足助町の西部、豊田市と隣接するエリアでは、民間による建売分譲住宅の建設が盛んに進められています。これらの多くはプレハブや輸入住宅風など、いわゆる足助らしい真壁しっくいの伝統的な建築様式とはかけ離れたものとなっています。
 こうした中で中部地区から北へ離れた大蔵地区に5〜6年ほど前から「町営 おおくら台」団地を開発。建築協定により住宅の型や色彩を規定し、山あいにはっとするような、伸び伸びとした環境の団地ができあがっています。各戸の敷地も十分広い上に、道路脇には家庭菜園も作られ、野菜が青々と茂っていました。
 また、町ではこうした住宅・宅地供給に加え、親と同居のために住宅の増改築等を行う場合に、金融機関からの融資の支払い利息に対し最高10年間・最高5%の補助を行う「定住促進利子補給制度」も近年制度化するとともに、転入・転居希望者の登録・住宅あっせんの事業も実施しているようです。

(参考)