足助の住まいづくり | ![]() |
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あすけの定住者の住まい02 (2006/11/ 4) あすけの定住者の住まい (2005/ 3/ 3) 高嶺下で建て舞い (2003/ 7/26) 山里の仲間づくり事業で空き家を改修 (2003/ 6/26) 「にこにこさくせん」と「スマイル(住まいる)しようかい」 (2003/ 2/11) 高嶺下住宅開発・着々 (2003/ 2/ 6) 高嶺下で田植え (2002/ 5/19) 高嶺下職員住宅 (2000/ 1/30) 高嶺下ファームビレッジ構想(その2) (99/12/22) 高嶺下ファームビレッジ構想 (99/ 2/ 6) 桑田和住宅・千野住宅・井ノ口住宅・おおくら台 (98/11/ 8) |
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昭和59年に住宅マスタープランの前身「HOPE計画」を全国でもいち早く策定をした足助町。HOPE計画では地域産業の活性化をテーマに、足助大工と三河産材を活用した第3セクター「ほるくす」を設立。その後、足助らしさを前面に出した住宅地開発等を進めてきましたが、人口減少に歯止めはかからず、ついに10,000人を割ろうかという勢いの前に、平成10年度、新たな住宅マスタープランを策定しました。今回の中心的課題は定住促進。しかし単なる住宅建設計画を超え、「山里足助の新しい集落モデル」として高嶺下地区フォームビレッジ構想を掲げ、山村からの積極的なまちづくり提案を発信しています。
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高嶺下ファームビレッジに5軒目の家が完成した。全部で6区画だが、6区画目は購入当初から家庭の都合で住宅建築は少し先になるということだったので、ここで一応の完成を祝って打ち上げの会が開かれた。私も招かれたのだが、あいにく家庭の事情で夜までつきあえなかったので、一足早くお昼前に家を出て、足助の定住者の様子を見て回った。 |
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この後、さらに東に走って、にこにこさくせん小町地区の様子を見に行く。まだ1区画は売れ残っていた。残念。でも先に建築入居したログハウスの前には軽自動車が止まり、ますます田舎暮らしを満喫しているようでうれしい。御蔵の家なども見つつ、百年草で食事。今月から香嵐渓のライトアップも始まったという新聞報道があり、混雑を予想したが、意外に空いていて拍子抜け。香嵐渓を過ぎてここまで上がってくる人は少ないらしい。満腹になり、Zizi工房、ばーばらはうすで美味しそうなウィンナーとワッフルを仕入れて、さあ出発。さらに東へ向かう。 五反田地区もにこにこさくせんで分譲した地区だ。ここは第1期の3地区の後、あすけ塾を重ねる中で、足繁く通ってくださった熟年夫婦2世帯が購入した地区だ。既に1軒が家を建築し住んでいる。敷地の南には小さな作業小屋が2棟建ち、農作業を楽しんでいる様子がうかがえる。 |
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小町地区 ![]() 五反田地区 |
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さて、次はいよいよ高嶺下に向かう。国道153号に出て一目散に山を下る。さすがに香嵐渓前は人だかり。わが家の駐車場へ誘導しようとする人たちも人だかり。でも紅葉にはまだ早い。ようやくほのかに色づき始めた程度。役場前をさっと通り過ぎ、足助川を渡る橋の前を左折して、近岡から細い山道を登っていく。途中、新築なった足助保育園に驚き、炭焼き小屋がなくなっていることを悲しむ。狭いながら通い慣れた道をハンドルを握るとわずか15分程度で高嶺下に着いた。 今日は一番手前道下のIさん宅でお祝い会をやると聞いていたので、差し入れの品を持ってIさんを訪ねた。会うのは実に2年半ぶり。この3月に完成入居したという真新しい家は、入り口が明るく開放的なテラスに抜けて、目前に高嶺下の洞の緑が広がり気持ちいい。4時からの集まりの準備に忙しい中、気持ちよく迎えてもらい、家の中を案内してもらった。薪ストーブもある居間からの景観がすばらしい。雑木の向こうに高嶺下構想を進めてきた作業小屋や炭焼き小屋が見える。窓の外の手すりは開くとベンチに早変わり。屋根裏の子供部屋や1階の作業スペースも楽しそうだ。コーヒーをごちそうになり、足助での生活の様子を伺う。家の中を二人の子供が飛び回る。上の男の子は小学2年生。冷田小学校まで元気に歩いて通っている。下の女の子も保育園年中で元気だ。ちょうど今、読売新聞の地方版に毎日曜日「カウロゲの風」と題して高嶺下地区開発の経緯と定住者の生活ぶりについて連載中なので、詳しくはこちらをごらんください。とにかく、とても元気で楽しそうだった。 |
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| Iさん宅を出たら隣のOさん夫婦が道路脇に止めた軽トラックから薪をおろしていた。Oさんは地元出身で木工細工の達人だ。農作業や山仕事も手慣れたもの。夫婦仲良く手際よく作業する姿がほほえましい。少しあいさつと言葉を交わして、さらに奥に進む。一番奥のMさん宅はあいにくお留守。前に来たときはまだ工事中だったが、もうすっかり完成し、昨年の秋に入居したとのこと。たまたま帰りがけに、今日のお祝い会に駆け付けてきた設計者の水野さんと会い、室内の写真を見せてもらう。壁が少なく、とても開放的な住まいだ。細い柱が周りの雑木と一体となって、自然の中にいるような雰囲気の家に仕上がっている。その上のAさん宅は、この高嶺下で一番最初に完成し住み始めた家だ。急斜面を登った雑木林の中に黒壁が巡る外観は前にも紹介したことがある。2年ほど前に一度上がらせてもらったが、木のテーブルを中心に丸く壁が囲むとても落ち着いた家だ。お子さんがみえないこともあり大人の雰囲気が漂っている。 | ||
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各住宅を見て回り、Iさん、Oさんにもあいさつして帰ろうとすると、洞の向こう側、作業小屋の当たりから煙が立ち上っている。人の気配もある。また1つ炭焼き窯でも作ったのかなと歩いていく。途中の畑は高嶺下地区入り口上のYさんが耕作していると聞いた。坂を上ると何やら道端で数人に人が作業をしている。何だろうと覗くと何と鳥の羽をむしっている。げっ! あれ、梶さん! 高嶺下の開発を地元住民として支え、定住された方を心から支えてきたのが地元野林に住む梶さんだ。その横にYさんの姿も。後で聞くと、翌週の冷田地区のイベント、冷田フェスタに出すべく、田んぼに放っておいた合鴨を締めて羽をむしっていたYさんを手伝い指導をしていたとのこと。まずなんでも身体が動き、自ら手本を示すところがみんなに慕われる最大の理由だ。加えて苦労人らしく人情味に富み、相手のことを深く思いやる。梶さんあっての高嶺下と言われる所以。煙はその横の斜面に作った露天風呂から立ち上っていた。ちょうど居合わせたYaさんちの子供たちが喜んでお湯に浸かっていた。今日が初めての露天風呂開きだそうな。Yaさんは遠く津島市から足助まで通っており、今日は市民農園の駐車場で泊まっていくという。足助の魅力、恐るべし。 そういえば、町営住宅もとい市営高嶺下住宅の横に大きなログハウスが建築中だった。聞くと、高嶺下のメンバーでいながら最後の最後で家庭の事情で断念したSさんが、それでもあきらめきれずに梶さんに相談し、この土地を手に入れて、みんなに遅れること2〜3年。今ようやく再度みんなに追いつこうとしているとのこと。うーん、足助の魅力、恐るべし。 |
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今日はあいにくお祝い会には参加できなかったため、以上の方たちとしか会えなかったが、それでも地元で暮らす人たちにはあらかた会え話も聞けたし、なかなか有意義で楽しい1日だった。みんな足助でいつまでも幸せにね。また会いに伺います。 |
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2005年のひなまつりの日。久し振りに足助町を訪ねた。いよいよ豊田市との合併もあとわずか1ヶ月となった。合併後の定住施策の方向を考えたい、という趣旨の打合せ。しかしその前に、私が通っている間に定住をされた方たちの住まいを訪ねて回ってみた。 |
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![]() ![]() ![]() 2戸2戸(にこにこ)さくせん・渡合 / 2戸2戸(にこにこ)さくせん・小町 |
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| 同じ御蔵地区には、「みくらの里」という名称で売り出していた1区画に入居された方もいる。少し高台の上に、二つの妻面が並んだ可愛い家だ。御蔵から旭町を回って新盛に出る手前には「扶桑館」と名付けられた地域集会所がある。農水省補助を利用して建設されたもので、隣接した農地では名古屋から若者が通って、地域の人から農作業を習ったりして楽しんでいる。また同じ新盛地域の富岡地区には、空き家を定期借地権付き住宅として町が情報提供と契約支援を行う「スマイルしようかい」により古民家に入居された方がいる。入居する前はかなり古びていたが、入居者が手を入れ、暖かい雰囲気だ。 | ||
![]() ![]() ![]() みくらの里 / 扶桑館 / 富岡の民家 |
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| 中馬のおひなさんで賑わう足助の街を通り過ぎ、南部の野林地区高嶺下へ。昨年3月の時点ではようやく1戸が建ち上がったところだったが、すでに3戸の住まいが完成・入居し、1戸は建設中。残り2区画のうちの1区画ももうすぐ設計が終わり着工の予定だそうだ。斜面地の林の中に、それぞれ個性的な住宅が並び、入り口の町営住宅と負けてはいない。また、近くの「2戸2戸(にこにこ)さくせん」国谷地区も完売し、クリーム色の大きな住宅が建っていた。 | ||
![]() ![]() ![]() 高嶺下ファームビレッジの住まい ![]() ![]() ![]() 2戸2戸(にこにこ)さくせん・国谷地区の住宅 |
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| これらの住宅地がある冷田地域は、地域の方たちが熱心に定住対策に取り組んできており、合わせて、合併を前に小学校の建設も行われた。旧来の冷田小学校は平屋の木造モルタル塗り校舎だったが、借地部分が多かったこともあり、隣接する土地を新たに購入して、木造平屋建て教室数12室(普通教室6室・特別教室6室)、体育館、ランチルームが一体となった延べ約1,800m2の学校を建設した。天井・壁・床とふんだんに木が使われている。入り口には旧校庭にあった樹齢100年のクスノキが飾られ、幅広い校舎の廊下の両端には同じくクスノキのスライスされたものが張られている。またベンチも旧校庭にあった木から作ったものだ。引っ越しにあたっての児童の様子などがパネルとして廊下に飾られておりなかなか楽しい。施設としてうらやましいのが、外の木々や山を見ながら全児童が一緒に食べられるランチルーム。体育館も天井が高く使いやすそうだ。 | ||
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![]() ![]() ![]() ランチルーム |
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コーポラティブ方式で定住の住まいづくりを進める高嶺下地区で、この4月から着工されていた第1号定住者の住宅の建て舞いがあった。当日は朝8時から地域の定住を進める委員会のメンバーが集まり、木臼で餅つきをし、紅白餅をつくった。赤い餅は普通の食紅を混ぜたものだけでなく、赤米をついてつくった。その他にも漬け物や山菜、赤飯などを持ち寄り、みんな一緒に昼飯を食べる。 |
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| 大工さんはクレーン車を使って、朝から柱を立て、棟木や梁・桁を上げるが、斜面地の一番奥で、住宅の形も独特なこともあってなかなか仕事が進まない。ようやく3時頃、大工さんにより神事が執り行われ、斜面地の上から餅まき、お菓子まき。地域から50人を超す人たちが集まって、ビニール袋を片手にお菓子を拾い喜び合う。 | ||
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その後、来賓や関係者が集まり、高嶺下第1号の建て舞いを祝って、式典が執り行われた。定住者6世帯の紹介やあいさつ、地元の側で苦労された梶さんの感極まったあいさつなどがあり、ちょっと感動的。その後、懇親の会が催され、定住者家族と地域の人たちが酒を酌み交わして親交を深めた。地域の期待、定住者の夢、喜び、様々な感情が綯い交ぜになり楽しいイベントとなった。 なお今回、建て舞いが行われた住宅は、設計者の島さんのホームページ「大きな森の小さなギャラリー」で「遠くを見る人の家」として紹介されている。 |
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足助町では定住施策として「山里の仲間づくり事業」という制度がある。平成13年度からスタートしたもので、40歳以下、又は小学生以下の子供がいる若年世帯が町外から転入して定住した場合に50万円の奨励金を支給する制度だ。平成13年度に第1号として支給を受けた方のことは、「足助のまちづくり−シャングリラ計画/中馬のおひなさん/2戸2戸(にこにこ)作戦 (2002. 2.10〜11)」で既に報告したところだが、その後、14年度には5名の方が受給している。 |
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足助町では昨年の4月から、山里あす仲間づくり「2戸2戸作戦」なる事業を始めた。一言で言えば宅地分譲なのだが、進め方はユニークだ。まず事業名の頭に付く「山里あすけ仲間づくり」という言葉に事業の趣旨が込められている。すなわち、いたずらに宅地を分譲して事足れりとするのでなく、足助を愛し、足助人となって地域に溶け込み、地域の人々とともに様々な活動に取り組んでいこうという意欲のある人「山里あすけ仲間」を増やそう、というのだ。そして「2戸2戸作戦(にこにこさくせん)」という言葉にも事業の内容が表現されている。すなわち、集落にスムーズに溶け込むよう、1地区に2戸程度づつ分譲をすることにしている。さらに「にこにこ」という言葉には、地域の人と一緒になって定住者を迎えようという意味も込められている。 |
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詳しくはこちらへ 山里あすけ仲間づくり「にこにこさくせん」 |
高嶺下住宅開発・着々 (2003/ 2/ 6)
高嶺下住宅開発は定住希望者6世帯で組合を設立したのが5月。さっそく土地の測量に入り、土地購入へと向かったのですが、夏前に1世帯が資金繰りの関係で離脱。離脱者の謝罪と他のメンバーからの暖かい言葉で感動的な一幕ではあったものの、4年近く前から延々と積み重ねてきたものもどうなるかという危機を迎えました。

住宅地区から洞を見下ろす
高嶺下で田植え (2002/ 5/19)
高嶺下住宅開発もいよいよ佳境に入ってきました。取り付け道路が町の補助を得て整備され、入居者6世帯も決まりました。宅地割りも概ね決まったので、今月中にも整備組合を組織し、確定測量を行って、夏にも土地の売買契約を行うこととなりました。


ほんの小1時間で田植えが終わると、作業小屋に入ってお昼を食べます。囲炉裏に火を入れ、ビールと酒を飲み交わしつつ、お互いの近況などを話し合っていました。この作業小屋は、高嶺下職員住宅の設計者でもある佐々木さんが、図面を引き、地域の方や学生さんが集まって5日で作ったそうです。素人でもできるようにと、細い部材ばかりを使い、簡単に作った小屋ですが、防腐処理などをしっかりやっているせいか、なかなかしっかりしており、長持ちしそうです。
高嶺下職員住宅 (2000/ 1/30)





高嶺下ファームビレッジ構想(その2) (99/12/22)
職員住宅
高嶺下ファームビレッジ構想 (99/ 2/ 6)

桑田和住宅・千野住宅・井ノ口住宅・おおくら台 (98/11/ 8)
右の画像がHOPE計画に基づき、「ほるくす」の最初の仕事としていち早く建設された「町営桑田和住宅」です。戸当たり97m2とゆったりとした1戸建て6棟が緑豊かな広場を囲んで配置され、築後10数年を経た現在、周囲の山あいにすっかり溶け込んでいます。ただ維持管理にあまり手が入っていない様子で、しっくい壁などが汚れているのが少し残念です。




こうした中で中部地区から北へ離れた大蔵地区に5〜6年ほど前から「町営 おおくら台」団地を開発。建築協定により住宅の型や色彩を規定し、山あいにはっとするような、伸び伸びとした環境の団地ができあがっています。各戸の敷地も十分広い上に、道路脇には家庭菜園も作られ、野菜が青々と茂っていました。