NAGOYA
文化のみち



旧川上貞奴邸ステンドグラス



愛知県庁舎大津橋分室 (2007.7.24)

 友人を頼って愛知県庁舎大津橋分室を訪ねた。ここは昭和7年に建築竣工した旧愛知懸信用組合聯合会館。その後、愛知県農林会館として利用され、昭和32年に愛知県が寄贈を受け、庁舎として利用している。現在は、法務文書課県史編さん室。愛知県の原始・古代から現代に至る多くの貴重な資料を収集し、県内外の研究者の方々の協力を得て、愛知県史の刊行を進めている。庁舎内は、事務職員が詰める事務室と研究のための研究・作業室、そして貴重な資料が保管されている倉庫として使用されている。
 南隣の伊勢久より二周りほども大きい外観は、茶褐色のスクラッチタイルとバルコニーや庇の装飾、さらには搭状にそびえる飾り柱のついた階段室と丸窓が印象的で、古めかしい中にもやさしさを感じさせるデザインである。設計は愛知県営繕課の技師、黒川巳喜。建築家(最近は政治家として有名?)黒川紀章氏の父。施工は北川組。公式文書には昭和8年竣工とあるが、正確には昭和7年竣工が正しいらしい。
 かつての正面入り口は現在壁で塗り込められ出入りができなくなっているが、上部には「日・月・星」の装飾も並び、なかなか優雅で美しい。かつては立派な街灯もついていたようだ。現在は階段室下の通用門から中に入る。階段室の下から上を眺めると、石張りにスクラッチタイルが多用された螺旋階段に丸窓から光が落ちて、思わずうっとりする。1階はかつて銀行ロビーとして使われており、柱頭の装飾が華やかかりし当時を彷彿とさせる。2階・3階は事務室。アールのついた柱・梁デザインが見られる。また地階には現在も金庫が残り、さらに基礎の一部が露出しているところが見られる。何でも大津橋通りを拡幅するにあたり、完成後、曳き家をしているそうで、新しい基礎の上に古い基礎が乗っている様子が伺える。また、石炭庫に地上から石炭を投げ入れていた投入口なども残っている。

  階段室  /  スクラッチタイル  /  金庫  /  基礎
中庭出入り口
 屋外に出ると増築した倉庫の間に、かつての中庭だった空間が少しばかり残っている。庭に面してアールのついた庇のかかる出入り口が設けられ、当時の優雅さや豊かさが偲ばれる。階段下の換気口の懐かしい。窓台の御影石がかなり風化して角が欠け落ちてきており、早急に手が入れられることが望まれる。施設管理者の方に伺うと、その他の設備(ボイラーや送水管など)もかなり傷んでおり、いつ壊れてもおかしくない状態だそうで、歴史研究という役目にはふさわしい建物ではあるが、貴重な史料の保存という観点では問題も多いとのこと。
 最後は屋上にも上がらせてもらい、周りの景色なども眺めて帰ってきた。古くて良いものを長く使うための経費を惜しむのは、けっして得策ではない。この建物がいつまでも長く良い状態で残っていくことこそが、県史の上でも重要であると感じた。


文化のみち再訪 (2007.3.5)

 平田町にある「まちの縁側MOMO」へ行く機会があったので、再び「文化のみち」を歩く。前回と同様、愛知県庁、名古屋市役所を出発点に、名古屋市公館の南にある三の丸庭園を眺めて、愛知県議員会館へ向かう。三の丸庭園は陸軍偕行社の南庭として、名古屋城二の丸庭園の一部などを移築して、明治15年頃に作庭されたもの。また、愛知県議員会館は、大正年間に名古屋市長を務めた大喜多寅之助が大正9(1920)年に建築した住宅で、和風建築と洋館が並んで建っている。門が開いていたので久し振りにじっくり見させてもらった。少し北上して、名古屋市市政資料館。元名古屋高等裁判所で、大正11年の建築。中には法廷などが保存公開されているほか、喫茶室もあってレトロな雰囲気のなかでコーヒーも飲める。が、先を急ぐので、資料館前を東進。道路を隔てた南側には木造長屋に弁護士事務所などが入っているが、そのまた南に残っていた長屋は既に取り壊されていた。

愛知県議員会館 / 名古屋市市政資料館
 戦災復興区画整理でできたという主税町公園を過ぎ、名古屋高速の向かい側にカトリック主税町教会。礼拝堂の南に回ったらドアが開いていたのでちょっと失礼。一刻、厳粛な雰囲気を味わせてもらった。市内最古のカトリック協会で、明治37(1904)年頃建築とのこと。続いて、北側を回ると、料亭香楽。明治34(1901)年建築で今も現役の料亭として使用されている。その東に、春田文化集合住宅。武田五一設計のコの字形の2階建ての長屋建て集合住宅で、昭和3(1928)年と昭和7(1932)年の建築。95年の7月に初めて見学したときの記録が、白壁・撞木町界隈 ウォッチングの中にあるが、今は立ち入り禁止のロープが張られ中に入れない。このためかネットで探しても画像がない。その隣に、旧春田鉄次郎邸。大正13年地区で、今はレストランなどに利用されている。さらに東が旧豊田佐助邸。豊田佐助は発明王の豊田佐吉の弟(三男)で、大正12年建築の洋館と和館で構成。12年前にはアイシン精機が所有していたが、今は名古屋市が所有し、週に2回一般公開もしているようだが、この日は非公開日だった。
カトリック主税町教会

春田文化集合住宅 / 旧豊田佐助邸
 これらの建物が並んでいるのが主税町筋。この南側の通りが撞木町筋。こちらには、白壁・主税町地区のNPO活動の先駆けとなった井元家住宅、撞木館がある。大正15(1926)年建築で、洋館と和館が一体となっている。先頃、市が購入したということなので、今後の公開、利用が楽しみだ。
 主税町筋1本北の通りが白壁町筋。こちらには、日本料理か茂免の洋館が残っている。旧中井已次郎邸で昭和初期の建築。中折れの銅板葺き屋根と別荘風のスクラッチの塗り壁がこのあたりではめずらしい。また通りの北側にある白壁ハウスというマンションには、豊田佐吉の弟(二男)平吉の息子の利三郎邸の門を保存している。
 この通りを東進すると、金城学院高校の南あたりにとても立派な和風建築が残っていた。かつて歩いたときは、こうしたお屋敷がもっとたくさん残っていたと思ったのだが、ほとんどマンションなどに変わってしまった。残念。この邸宅もいつまでも残っていってほしいと思う。

井元家住宅 / 日本料理か茂免 / 白壁ハウス

モーニングパーク主税町
 南北の通りに出て、東にモーニングパーク主税町を眺めつつ、南進する。モーニングパーク主税町は名古屋市都市景観大賞などを受賞した現代建築で、分節化された白い外観がなかなかいい。2年前には、この有料老人ホームに入所されている方と仕事上のおつきあいがあり、屋内に入れてもらったことがある。入居者が所蔵する本を持ち寄った書斎ルームや食堂などがあり、広々とした中庭を囲んで各居室が明るく窓を開いている。ロビーの一画にはピアノが置かれ、定期的にコンサートの会などが開かれるなど、非常に上質で快適な空間だ。もちろん所内には介護ルームも備わっており、24時間監視サービスも完備していた。
 そのまま南進すると、武家屋敷長屋門が残された旧佐藤家門があり、そして旧川上貞奴邸がある。こちらは以下に前に行った際の記録があるが、今回は外を通り過ぎただけにとどめた。暖冬のためか早くも桜らしき花が咲き、通りの向こう側にきれいにオレンジ色の壁と屋根がまぶしかった。

旧佐藤家門 / 旧川上貞奴邸

旧川上貞奴邸と文化のみち (2004.12.6)

 名古屋市東区橦木町に、名古屋市が旧川上貞奴邸の移築復元工事をしている。その見学会があったので参加した。東区主税町・橦木町といえば、私がこのホームページを開設し始めた頃にまち歩きをし、その様子を白壁・撞木町界隈 ウォッチングとして報告している。1995年のことだ。その際には、東区白壁にあって(株)大同ライフサービスが所有管理をしていたが、名古屋市へ取り壊しの方針が伝えられ、市としてはその対応を検討中、ということだった。その後、名古屋市は、近接する橦木町で(株)JTが所有していた土地を取得し、こちらへ移築復元工事をしていたもので、来年2月8日にはオープンの予定をしている。また、これを機に、名古屋城から徳川美術館などのある徳川園までを、名古屋の近代化の歩を伝える歴史的なみちとして「文化のみち」と名付け、徳川園も11月2日に再整備オープンをしている。今回、県庁・市役所から旧名古屋控訴院地方裁判所である市政資料館を通って、旧川上貞奴邸までの区間を、久し振りにカメラ片手に歩いてみた。
 まずは、愛知県本庁舎と名古屋市本庁舎であるが、これはいつも見慣れている建物ゆえカメラを向けることを失念。市役所は昭和12年、県庁は13年に建築された帝冠様式の建物で、威容を誇っている。県庁の方がより威圧的、市役所の方が優しい感じがする、と思うのは私だけではないだろう。東側のお堀を廻って南下すると市政資料館。大正11年に建てられたネオバロック様式のレンガ造りで、木々に囲まれ寛やかな気分にさせてくれる。内部には談話室もあり、落ち着いた時間が過ごせるので、私のお気に入りのスポットのうちの一つでもある。その南に建てられた現代建築は愛知県女性総合センターのウィルあいちだが、その西側に、弁護士が多く事務所を構える長屋が建っており、いい雰囲気を醸している。ウィルあいちの東側の通りにも、そうした長屋が残っており、レストランやギャラリー等に利用されている。

弁護士が多く事務所を構える長屋 / レストランやギャラリー等に利用されている長屋
 そのまま東進し、復興区画整理事業の成果の一つでもある主税町公園を過ぎるとすぐに国道41号線に突き当たる。上を都市高速が通っており、この地域の雰囲気や景観を台無しにしているが、その下の横断歩道の先には名古屋最古の教会堂である主税町カトリック教会が見られる。礼拝堂は明治37年、司祭館は昭和5年の建築。前に訪問したときは畳敷きの礼拝堂内部にも入らせてもらったが、今回はカメラを向けるだけで通り過ぎた。
 ここで北へ行こうか南へ行こうか迷ったが、南進。山吹小学校の北に並ぶお屋敷をいくつか見て通る。大森家住宅、伊藤家住宅、井元家住宅。いずれも大正期の作品で、井元家は撞木館として、一時、設計事務所やデザイナーらがこの建物を借りて活動をし、この地域の文化・景観保存に一石を投じた。現在は撞木倶楽部として、演劇や演奏会などに利用されている。

主税町カトリック教会 / 橦木町の武家屋敷

撞木倶楽部(井元家住宅) / 橦木町の長屋 / 土蔵
 山吹谷公園に出て北上する。この通りに面する長屋はかつてのまま。屋根神様も懐かしい。でも「この長屋を壊さないで」と書かれた白い紙が貼られている。ここまで来ると弁護士事務所も少なく、長屋のままで不動産価値に見合う収益を揚げるのは難しいのかもしれないが、なんとかこのまま利用し保存してほしいものだ。妙道寺を曲がって再び西進すると、北側に旧豊田佐助邸。白いタイル貼りの洋館とその奥の和館を立派な門越しに見ることができる。毎週、水・木・土は一般公開し、文化のみちボランティアガイドの皆さんが案内をしてくださるそうだが、この日はあいにく間の金曜日で、残念! ちなみに豊田佐助は発明王として有名な豊田佐吉の弟で、佐吉を補佐し実業家として活躍をしたそうだ。平成11年に所有企業から土地建物を市が無償で借り受け、一般に公開・貸出をしている。
 その西隣が故春田鉄次郎邸。武田五一設計の洋館と和館で大正13年建築。こちらは所有者から市の外郭団体である名古屋都市整備公社が有償で借り受け、レストラン等に転貸しをしている。また、その向かいの東税務署の隣にも立派な土蔵があったり、さらにはかつて訪れた春田文化集合住宅料亭・香楽、料亭・か茂免、旧料亭・樟なども健在だが、時間の関係でパス。

旧豊田佐助邸 / 故春田鉄次郎邸 / 旧佐藤家門
 さていよいよ、旧川上貞奴邸である。川上貞奴は「日本の女優第1号」として知られる。川上音次郎と結婚し、音次郎率いる川上一座とともにアメリカ巡業に旅立って、明治32年のサンフランシスコ公演で女優「貞奴」として初めて舞台に立った。そこで好評を博し、ヨーロッパを回ってパリ万国博覧会にも出演、フランス政府から勲章も授かるなど大変な成功をして日本に帰国した。明治44年に夫・川上音次郎が死去後も「貞奴一座」として各地で公演を重ねるものの、大正6年引退を表明。大正7年頃名古屋で生活を始め、大正9年に東二葉町にこの邸宅を建築し、電力王と言われた福澤桃介とともに住み始める。一方、福澤桃介は岩崎家の次男として生まれ、20歳で福澤諭吉の元に養子縁組。22歳でその次女「ふさ」と結婚するが、その仲はあまり円満ではなかったようだ。大正3年に名古屋電灯(株)の社長に就任し、名古屋を拠点に木曽川水系の電力開発に乗り出し、川上貞奴と手を組んで政財界の接客につとめ事業を推進した。しかし二人が名古屋で生活をしたのはわずか6年ほどで、大正15年には二人とも名古屋を離れている。
 その後、二葉御殿と呼ばれたこの邸宅は、昭和12年に貞奴が土地を分割して売却したことから、東半分を取り壊し、西側を増改築。私がかつて見た建物の姿は、この増改築した後のもので、今回の移築復元にあたっては、創建当時の形に戻すということで、円形に張り出した大広間・応接間の方向が90度異なっている。さらに、今回の移築にあたり、敷地形状の関係もあって90度回転させたため、かつて南向きだった面が西向きになっている。前に見た際に印象的だったゆるやかにカーブを描いて流れ落ちる大屋根は今回も残っているものの、見る角度のせいかかつてほどの印象はなく、大広間の円形の張り出しやステンドグラスの方に目を奪われる。
 復元にあたっては、改築時に使用されていた材料は極力使用したものの、創建当時の材料は再利用されたものもあったが、多くは解体時に廃棄されており、それらは当時の図面や写真などを参考に、史実に忠実に再現するよう努力したとのことだった。しかし当時の写真は白黒であり、厳密な色についての資料がなく、想像して造らざるを得なかったと言っていた。
 設計施工は、当時の住宅専門会社「あめりか屋」。内部は東側(復元後は南側)の来客応接用の各部屋は洋館、奥の西側は和室となっている。ステンドグラスが各所に使ってあり印象的で、また電気王らしく電気設備も充実し、自家発電装置が備えられていたという。外観はオレンジ色の西洋瓦が印象的で、外壁は腰から上が投げ付けスタッコ仕上げ、下部はしころ板張りで裾がなだらかにカーブしてスカートのように広がっているのが、屋根のカーブともども面白い。奥には土蔵もあったが、こちらはRC造で当時を似せて復元してある。
 2月8日のオープン以降は、城山三郎を始めとする郷土の文筆家の資料も含め展示、一般公開するそうで、入場料は大人200円子ども100円とのこと。
 復元に要する費用として、土地購入費に約8億円。移築復元工事費に4億円を要した。ただし、工事費は9割以上を宝くじ助成が充当されている。また管理は指定管理者制度により民間企業に委託されている。
 文化のみち整備に向けて、もっと多くの建物にこうした市の助成や支援が差し伸べられるといいと思うが、市の次の目標は名古屋城にかつて存在し、戦争とともに消失した本丸御殿の復元だそうで、その他の復元や保存は当面考えられないとのことで、やむを得ないとはいえ、少しさびしくも感じる。せめて我々が少しでも多くの建物を見て楽しむことで、その良さを所有者に伝え、保存の気持ちを持ち続けてもらうしかないのだろう。
 最後に、この建物の北側に残る旧佐藤家門も見学。こちらは江戸時代建築の典型的な武家屋敷長屋門で、都市機構がマンション建設をする際に敷地の一部に保存をしたもの。こうした取り組みを評価することも重要だ。