三井家と本居宣長と

松阪

(2002.6.21)


まちの駅 松阪『寸庵』

 朝9時にJR松阪駅に降りる。駅前にある観光情報センターで地図を貰い、半日コースを紹介してもらう。コース図どおり、再開発ビル・ベルタウンのある駅前通りを通って職人通りを曲がり、清光寺岡寺山継松寺に寄る。松阪はお寺が多く、立派だ。家の軒先には注連縄が飾られている。観音小路を通り、旧参宮街道よいほモールに出る。コミュニティ道路として整備されている。街路樹がきれいだ。大手通を渡って三井家発祥地に向かう・・・と、きれいに整備された町家があった。ここが旧三井家かな、と思いつつ玄関をくぐった。ここが「まちの駅 松阪『寸庵』」だと知ったのはその後だ。

岡寺山継松寺 / 職人通りの町家 / よいほモール
 町家の中には初老のおじさんが一人何か作業をし、もう一人のおじさんが愛想良く私を迎えてくれた。「この建物は、片桐家住宅と言って、所有者の片桐さんは現在トヨタ自動車にお勤めで、豊田市に住んでいます。」と説明を始められ、建物のこと、これを借り上げ管理している市民団体松阪まちづくりセンターのこと、そして三井家のこと、松阪の町の成り立ち、三井家以外の豪商のこと、本居宣長のこと、などなど。いつしか座敷に上がり込み、なんと小一時間余りもの間、様々なお話を伺った。
 建物は間口わずか2間の狭さに関わらず、奥行きはなんと20間。昭和の初めまで「亀田屋」という屋号で呉服屋を営んでいたという町家は、奥まで続く通り土間に面して、一列に「みせ」「中の間」等の部屋が並び、坪庭が気持ちよい光を運ぶ。松阪は戦国期、蒲生氏郷の居城となった時期もあったが、徳川の時世には、紀州藩の領地として代官が座り、松阪木綿の産地として財をなし、紀州藩の縁で江戸や京・大坂に出店を構え、大いに栄えた。特に三井家は蓄財を生かし両替屋として大きくなり現在に至っている。その三井家の家訓の話。そして古事記伝で有名な本居宣長のこと。商家の子として生まれながら学問に熱中し、京都で医学を学んで、町医者として生計を立て、紀州家に近い松阪の地ゆえ、その才が世間に轟き、パトロンを得て古事記伝を執筆印刷することができたことなど。
 ところでこの松阪まちづくりセンターというグループ、名前だけ聞くと市が関わってできた団体のようだが、全くの市民グループで、退職年代の有志20数名で結成し活動をしているとのこと。気が付くと数名のおばさんやおじさんが集まり、作業をしたり、話の花を咲せたりしていた。楽しそう。その親切さに心が温かくなった。
 「寸庵」を出て、三井家発祥地の前を通り、松阪商人の館に入る。ここは市が公開する施設。しかし受付のおばさんが親切で、この建物の所有者だった小津家のこと、蔵に収まる万両箱のこと、橋のたもとで野宿するおかげ詣りの人々に握り飯を振る舞った逸話などを教えてくれる。

松阪商人の館 / 商家らしい大黒・恵比寿の鬼瓦
松阪商人の館内部長谷川邸
 旧参宮街道の一本北に魚町通りが走る。ここに面する長谷川邸の立派な門・塀構えに目を見張りつつ、本居宣長旧宅跡を通る。建物自体は松阪城内に移築されている。長谷川邸から続く向かい側の町並みが美しい。阪内川畔を歩き松阪城跡に向かう。歴史民俗博物館で伊勢木綿のこと、さらにその前には伊勢おしろいで栄えたことなどを知る。建物は明治45年に建築された飯南郡図書館。城は石垣だけを残すが、本居宣長旧邸「鈴屋」が石垣の間に可愛く鎮座している。

魚町通りの町家 / 歴史民俗博物館 / 本居宣長旧邸「鈴屋」
御城番長屋
 城跡を西門から出るとあるのが、御城番長屋。お城の警護をする紀州藩士のために文久3年(1863年)に建てられた長屋は、明治11年にその居住者により「苗秀社」という管理会社が設立され、今もその子孫の方々が合資会社として維持管理し、12戸を借家として生活が営まれている。石畳に緑濃く厚い生け垣は見事の一言に尽きる。そのさらに西側の殿町旧・同心町として、御城番長屋よりも格式の高い武家屋敷が並ぶ界隈。石垣の奥には立派な植木も見られ、松阪の豊かさが感じられる町並みだ。
 最後はコース図に従い、本居宣長・春庭の墓のある樹敬寺や来迎寺まで足を伸ばし、足を棒にして半日の町歩きを終えた。そうそう、最後に松阪牛のお店「北村」でお昼のランチを食べてね。