熊野古道を往く

陰の道/陽の道

(2002.10.2〜4)




 職場の仲間と熊野古道を歩いてきた。熊野古道とは、古代から中世にかけて、本宮・新宮・那智の熊野三山に参詣する人々が歩いた道だ。その経路は、大阪から紀伊半島の西岸を下り、田辺から本宮に向かう紀路・中辺路と、伊勢神宮から新宮に向かう伊勢路があったという。さらには、本宮から高野山へ、尾根筋を辿る小辺路もあるが、今回はこのうち中辺路の「発心門(はっしんもん)王子」から「湯峰(ゆのみね)王子」まで、そして伊勢路の「馬越(まごせ)峠」を越えるコースを歩いてきた。いずれも初心者向けコースだが、仲間と歩くには楽しい道だ。
谷瀬の吊り橋 / 野猿
 全体で2泊3日の行程。初日は十津川村谷瀬の吊り橋野猿(谷に渡したロープをたぐって渡る人力ロープウェイ)を楽しみつつ、川湯温泉で1泊。あいにくの増水で自ら河原を掘って入浴することはできなかったが、河原の露天風呂を楽しむ。そして翌日はいよいよ熊野古道中辺路を歩く。まずは、湯の峰温泉「伊せや」の御主人に車で発心門王子まで送ってもらう。
 道中、詳しく案内をいただくだけでなく、地元の住民こそが地域の自然や文化・技術の専門家であるといった話など、会話は多岐に渡る。「陰の道、陽の道」という言葉を教えてもらったのも御主人から。
 大阪から熊野・新宮まで、九十九王子(実際はもっと多いらしい)王子とは道中みちみちに祀られた熊野権現の御子神で、参詣者はこれを巡拝しながら熊野に向かう。こうした神社の機能だけでなく、休憩・宿泊機能も果たしており、30分から1時間半ほどの間隔で次々と並ぶ。発心門王子はこれらの多くの王子の中でも地位の高い五体王子の一つで、ここにあった大鳥居の前でお祓いをして中に入ると記されているそうで、いわば本宮大社の入り口である。
 さて熊野古道が近年注目を集めている理由の一つに、昨年のNHK朝の連続ドラマ「ほんまもん」の舞台だったことが大きい。道中、この「ほんまもん」のロケ地が数多く示されているのだが、ここ発心門王子には「山太郎の木」がある。山太郎とはその山で一番大きな守り木のことらしい。
 発心門王子を出て、次の水呑王子まで小一時間(ちなみにガイドブックでは30分の表示)。周囲は懐かしい山里の集落が続く。足助と違って、山が遠く高くのびやかな感じがする。道は大変良く手入れされており、法面もきちんと草が刈られている。黙々と草を刈り、畑の手入れをする人がいる。中くらいの丸石を積まれた古びた石垣が、花で飾られ美しい歯痛地蔵が鄙びて可愛い。のんびり、のびのびとした気持ちを楽しみつつ水呑王子に至る。元小学校の敷地の一角に石碑が立ち、腰痛地蔵が並んでいる。小学校の校舎は外壁に竹が張られ、ホテルとして使われているようだ。

廃校を利用したホテル?
 ここから道は森林の中に入っていく。山道というより明るい林の中の道だ。しばらく歩いて直に林を抜ける。また集落。そして広い道。道端につるべ井戸がある。きれいに整備され、今も現役で使われている。傍らに野菜が洗われてあった。またしばらく行くと無人の野菜市場。そして牛小屋。のびやかな青空。暑いほどの天気。道中を楽しみつつ、また小一時間(ガイドブックでは40分)「ほんまもん 山中木葉の生家」の看板があった。
 「ほんまもん」で料理人を目指す主人公、山中木葉の実家という設定になっていたのがこの家。ちょうど峠筋にあって前が開け、茶畑を少し上がると裏手も山と集落の視界が広がる。ちょうど通りかかった郵便屋さんにカメラを頼む。「1+1は・・・」って楽しい郵便屋さん。山道を歩いて郵便物を配る。山中木葉の実家は「山中」と大きな表札が掛かるが、小さく本当の名字も。観光客が多くて大変でしょうに。そのすぐ手前にあるのが、伏拝(ふしおがみ)王子。ここからは幾重にも重なった山の端の合間本宮大社旧社殿地「大斉原(おおゆのはら)が見えることから、この名前が付いたとのこと。

ほんまもん 山中木葉の生家/幾重にも重なった山の端の合間に本宮大社旧社殿地「大斉原」が見える
 ちょうど休憩をしていた林野業務のおじさんにしばし話を聞く。「ほんまもん」に取り上げられて以来、人出が急に増え、このGWには6万人もの人で賑わったとのこと。しかしその多くは日帰り客で、なかなか地元に金が落ちる状況にはない。「植林ばかりでがっかりしました」と言い残していく人も多いとか。何でも戦前は雑木の林だったが、戦中戦後の造林植林の時代に精力的にがんばったのが裏目に出て、今や間伐の手間賃も出ないとぼやく。80年以上の大木でないと採算が合わないとのこと。外から来て炭焼きをする人もいるが、備長炭の材料となるかしうばめがしは昔のようにはなく、つてを頼って集めるのも大変らしい。
祓戸王子
熊野本宮大社
大斉原大日越え登り口
湯の峰温泉つぼ湯
 さて、予定よりだいぶ早いけど、ここでお昼ご飯。宿で作ってもらったおにぎりをほおばり、さあ出発。伏拝王子から祓戸(はらいど)王子まで約1時間。下りながら長い山中の道が続く。途中石畳の道もあり、風情を感じる。しばらく黙々と歩くと住宅団地の一角に出る。祓戸王子。本宮のすぐ裏手に、まっすぐ伸びる木に囲まれ静かに祠が祀られていた。そして裏手から熊野本宮大社へ。
 日本一と書かれた幟と三本足の八咫鳥(やたからす)の印が目に付く。ちょうど団体客のバスが到着し、境内は大変な騒ぎに。平入りの本殿に妻入りの2棟の拝殿が並ぶ社殿国の重要文化財に指定されている。三本足の八咫鳥といえば、神武天皇東征の際に、熊野まで道案内をした鳥として知られるが、今では日本サッカー協会のシンボルとして有名。社殿前のお守りなどを売るテントにサッカー日本代表の応援旗が飾られていたのには失笑。この後で行く大斉原で建設中の大鳥居建立に当たっては、6億円もの浄財が集まり、工事費を差し引いても相当の利益が上がったとの噂。その何割かでも日本サッカー強化のために寄付してくれたらと思うのは、サッカーファンの勝手な願いでしょうか。
 熊野本宮前の茶店でもうで餅と抹茶を飲み、おまけにビールまで飲む。この後のきつい山道も知らずに。
 現在の本宮は明治22年の洪水で流された旧社地から上四社を遷宮したもの。残りの中四社、下四社は石祠で旧社地にある。ここの名が大斉原。そして現在大鳥居の建立中。
 いよいよ最後のがんばり、湯峰王子まで、大日越えの難所にかかる。熊野本宮が海抜89m、大日越の峠が304mなので、200m以上の山を登る。登り口は民家の庭先を通る狭い石段。ここから一気に山中に入り、不揃いな石段をひたすら黙々と上る。苔むした石は美しいが、ビールが汗となって流れ落ちる。途中、月見丘神社で一服し、40分ほどで峠を越え下りに入る。ほっとするが急坂で気をつけないと足を滑らす。でも実は私は下り坂が得意で、一気にみんなを抜いて走り降りてしまった。
 夜には早い時間なので(とは言っても、3時間コースを6時間近くもかけて歩いたのですが)、ちょっと道草し、不動滝までちょっと寄り道した後、湯峰王子へ。おかげさまで無事着くことができました。湯の峰温泉の硫黄の臭いを振りまきふつふつと湧き出る湯温95℃の湯筒に生卵を入れて、温泉玉子の出来上がりを待つ。さつまいもやとうもろこしを入れて茹でる人も。待つこと12分。まったりとした黄身ととろけるような白身がとってもおいしかった。
 当夜は、「伊せや」でご主人の歓待も受け楽しく宴会。真夜中に突然の雷鳴・稲光と雨に驚くが、日常茶飯事とのこと。翌日はすっかり快晴。朝6時から始まる岩風呂「つぼ湯」に浸かり、1日の始まりの体調を整える。
 湯の峰温泉といえば、昔、NHKの人形劇「南総里見八犬伝」で、らい(ハンセン病)に苦しむ小栗判官が、照手姫が引っ張る木車に揺られ、湯の峰温泉を目指したことを思い出す。テレビでは毎日毎日延々と揺られる2体の人形の姿が目に焼き付いているけど、そう長い期間同じ場面だったはずもない。でも何故かその場面ばかり覚えている。

尾鷲市内を一望 / 石畳に木の根が絡む / 苔むした石畳と天に向かって伸びる檜
 翌日は新宮市に出て、熊野速玉神社に詣で、尾鷲を目指す。熊野古道・伊勢路「馬越峠」尾鷲神社から始まる。神社横の道を少し行くと、次第に道が急になり、墓地の中に入る。広い墓地を抜けて、ログハウスや山荘風の家が並ぶ住宅地を過ぎると、道は山道に入る。しばらく行くと東屋(あずまや)。休憩所。尾鷲の市内を一望する。喘ぐ身体に活を入れ、また出発。道は次第に石畳になる。石に木の根が絡み、なかなか美しい。が、それ以上に苦しい。苦しい時間を30分以上も続けてようやく峠にたどり着く。峠からは便石山、天狗倉山への登山道が伸びている。峠で休んでいた中高年の一行と言葉を交わす。しばし休憩の後、お先に失礼。鷲毛に向けての下りも石畳が続く。上り以上に急で苔むし、何度も足を滑らせる。景色はこちら側の方がいいかも。しかしいつまでも続く石畳にさすがに飽きてきた頃、ようやく国道に出る。約2時間半。坂はきついが、苔むした石畳天に向かって伸びる檜がきれいな、目に楽しい道と言えるかもしれない。
 「陰の道・陽の道」とはよく名付けたと思う、まさにそのとおりの熊野古道だった。