NAGOYA
広小路ルネサンス

(2004.10.23)


旧加藤商会ペーパークラフト

 10月の秋の1日、名古屋の繁華街、広小路を舞台に、建築学会東海支部都市計画委員会主催の「親と子の建築講座」が開かれた。家族そろって広小路のまちなみを探訪し、最後にペーパークラフトで旧加藤商会を作ってみよう、という内容で、娘ともども早くから楽しみにしていた。
 当日、栄の大型書店・情報発信メガストア「マナハウス」の会議室に集合し、まずは名古屋市立大学の瀬口先生から、「C&D 特集『繁華な広小路・懐かしき広小路』 2004 Vol.35」を資料に広小路の発展にまつわる様々な逸話や歴史、建物の変遷などの話を伺った。話は子供にはちょっと難しかったかな。うちの娘はけっこう楽しんでいたけれど、先生の方がとまどっていたみたい。
 30分ほどの講義の後、さっそくみんなそろって広小路へ繰り出そう。ちょうど広小路では「広小路ルネサンス」というイベントを開催中。通りのここかしこでミュージック・ライブやパフォーマンスなどが繰り広げられていた。僕らもスタンプラリーの台紙を片手に、スタンプを集めながらのまちなみ探訪。
 マナハウスの建物を出たすぐ東隣にある栄町ビルは名古屋の百貨店の老舗的ビル。その南向かいに東郷青児の壁画がある村野・森建築事務所設計の丸栄百貨店(1953年築)、その西には丸善名古屋支店と明治屋(1913年築)。通りの北側をぼちぼちと歩くと朝日神社(俗称オシンメサマ)とその隣に交番。

栄町ビル / 丸栄百貨店 / 明治屋名古屋支店
 栄町商店街が開設するホームページを見ると、以下のような紹介されている。
 広小路通は、慶長15年の清洲越しのときに造られた歴史的な幹線道路である。万治の大火(1660年)の後、防火空間確保のために町家を取り払い、堀切筋を3間から15間に拡幅したことから「広小路」の名が生まれた。この道幅は現在もほぼ同じで、当時(江戸時代)はこの広い通りに、大道芸人、見世物小屋、茶屋、縁日が並び、庶民の楽しみの場として賑わったという。

 C&Dには、滝沢馬琴の文を引用して、広小路柳薬師で夜の御開帳があり、これを見に多くの人が集まり、またその人を目当てに出店が出た、と書かれている。その柳薬師は今はもうないという。続けると、

 明治19年には、東海道線開通と笹島停車場開設で、広小路通は西に延伸され、駅前から柳橋の間に大通りが完成した。明治31年には、笹島と久屋町の間に日本で二番目の路面電車が開通し、路上には柳の並木が植えられ、街路灯も設置された。
 大正時代になると、花柳界、カフェ、映画演劇が進出し、広小路はいわゆる「青い灯、赤い灯」の街となり、歓楽、娯楽性も備えた一大繁華街となり、その賑わいは第二次世界大戦の前まで続いた。戦後、いち早く復興した街並みの両側には、屋台が並び、賑わいと活況が呼び戻った。
 賑わいが続いた広小路通に変化が生じ始めたのは、昭和32年11月の名古屋駅と、栄町の間の地下鉄開通の頃からである。この開通と同時に「栄地下街」が造られ、昭和40年に「栄中南地下街」、同44年に「栄東地下」及び「サカエチカ」、同53年に「栄北地下街」と相次いで地下街が造られ、広小路通の人の流れは地下に吸収されていった。この間に、栄と笹島の間の市電が昭和46年に廃止され、名物の屋台も同48年に姿を消した。

 「ここには昔、赤煉瓦の名古屋郵便電信局があった」「ここからは、長谷川時計店の時計塔が見られた」。瀬口先生のこんな話を聞きながら足を進めると、工事中の仮囲いが現れる。UFJ銀行名古屋別館(旧大和生命ビル)の解体工事だ。優雅なカーブを描く外観がなくなるのは惜しい。その隣にUFJ銀行貨幣資料館(旧名古屋銀行1926年築・鈴木禎次設計)。こちらは建築学会の保存請願活動もあり、旧のままの姿を残している。内部には立派な金庫。そして様々な貨幣等が展示され、ひととき楽しむ。

UFJ銀行名古屋別館(旧大和生命ビル)解体工事 / UFJ銀行貨幣資料館(旧名古屋銀行)
 さらに西へ進むと、三井住友銀行名古屋支店(1935年築・曽根・中條建築事務所)がある。白い列柱が印象的。この隣には、名古屋で最初の高層建築、北浜銀行名古屋支店、別名八層閣があったそうだが、今はもうない。向かい側にある電気文化会館は中部電力発祥の地だ。

三井住友銀行名古屋支店 / 電気文化会館
 伏見の交差点からは御園座が見られる。さらに進むと名古屋観光ホテルの裏口。かつては1936年築のビルが建っていたらしい。また名古屋で最初(1914年築)の鉄骨鉄筋コンクリート造建築である共同火災保険名古屋支店の建っていたのもこのあたりのようだ。この南側、ヒルトンホテル(かつては朝日会館(1935年築)が建っていた)の西には、少し前には名宝会館があって私も映画を見たことがあるが、今は納屋橋東地区市街地再開発ビルが最後の仕上げ工事の真っ最中だった。
 と、ここまで歩いて約1,250m。ようやく堀川端、納屋橋に着いた。かつては国盛の看板を身にまとっていた旧加藤商会も、名古屋市に寄贈され、登録有形文化財に指定、修復・改修工事が進められ、外観がきれいに姿を見せている。来年3月にはオープンとのこと。楽しみだ。

旧加藤商会 / 納屋橋東地区市街地再開発ビル
 納屋橋は1610年頃架設されて以来、何度も架け替えられ、1913年には鋼製アーチ橋に改築。現在の橋は1981年に架け替えられたものだが、欄干は先代のものを再利用。堀川を開削した福島正則の「中抜き十文字」や、郷土の三英傑と呼ばれる、織田信長の「木瓜」(もっこ)、豊臣秀吉の「桐」、徳川家康の「葵」の紋が鋳込まれている。また堀川の堀端も整備が進められていた。

堀川の整備 / 納屋橋欄干
 納屋橋から戻って、ATビル2階の会議室で、いよいよお楽しみ、ペーパークラフトによる旧加藤商会ビルづくり。これがなかなか簡単そうで、正面のカーブした外壁部分などに多少の技を必要とし、お父さんの技術を披露する機会もあって楽しく家族で楽しめた。正味1時間半。完成した頃には外もすっかり夕闇が迫り、街灯が灯り始める中を、今来た道を戻っていく。けっこう楽しい半日だった。