津島 お茶室ロードと
天王文化塾

(2002/ 4/13)



日本建築学会東海支部都市計画委員会 春の見学会

 久しぶりに津島を歩いてきました。今回は、津島の数多く残る茶室を調べ、お茶室ロードと名付けた名古屋市立大学の瀬口先生と、地元津島で津島文化の向上・発展に向けて様々な活動を展開している天王文化塾の方々に案内いただき、主に茶室を中心に見学をしました。
 駅前の通りを西に歩き、路地を南に入って宝泉寺の前に出ます。2年半前に来たときは、ちょうど秋祭りの時期で、この町内の山車が蔵から出されたところでした。今回も山車が蔵から出され、多くの人が集まり修理の真っ最中でした。津島には全部で16台の山車があり、年に一度、祭りの時に引き出されますが、秋祭りのポスターを飾る山車は各町内回り番となっているそうです。山車蔵の大きな扉の裏側には、数年前にこの池町の山車が映し出されたポスターが誇らしげに飾られていました。
 蔵の並ぶ通りを抜けると本町通り。まず訪れたお宅はムクリのついた屋根を除けばモルタル塗りの何の変哲もない家です。門をくぐり風格のある玄関を入ると、前室に続いて二間の和室が並びます。丸窓の障子や琵琶の飾られた床がきれいです。この1階の茶室はどちらかといえば普段使いの接客の間であり、懇意な客は2階へ誘います。涵月楼と名付けられた2階の茶室は、開け放たれた障子からあふれる光を窓台に反射して奥まで明るく導き入れます。天井は網代。欄間は波。襖には山が描かれています。波のまにまにゆられながら、北東に開かれた窓から今まさに上る月を見下ろすという風情でしょうか。
 この家は代々の大庄屋を継いできた家系とのこと。この本町通り、別名巡見街道にはこうした歴史と文化を抱えた家々が連なりますが、近年次第に取り壊され、また空き家となっていくのは淋しい限りです。通り沿いの電気屋さんが奥の蔵を改修しギャラリーとして地域に開放する予定とのことで見せてもらいました。新建材で包まれた様はやや淋しいですが、どんな形であれ利用され残されていくのはよいことかもしれません。

敷地が段々となっている
 向かいにある長珍酒造の土間には、三輪神社からおくられたというまだ青々とした杉玉が吊され、新酒ができてまだ間がないことを教えてくれます。通り土間の奥木戸をくぐった中の間は、高く吹き抜けた天井から光が柔らかく落ちてきて、思わず息を飲みます。その横にはこじんまりとした茶室。新酒を求めてきた客の接待用でしょうか。勝手土間を抜けて中庭に回り込んだ一角に、紅葉に彩られたきれいな茶室がありました。中もよく手入れされ見事です。
 この長珍酒造は県道名古屋津島線の計画線域内に、市ではこの建物の保存と道路延長の問題をどう扱うか、今まさに検討をしているところです。津島市では、故・森 平さんが一人、町並保存連盟に参加し、町並み保存を訴えてきましたが、その活動が多くの人に理解されることはありませんでした。3年ほど前に天王文化塾がその意志を受け継ぐ形で結成されてまもなく、森さんは突然息を引き取りました。今、天王文化塾は、まなぶ・たべる・しらす・くらすの4分科会体制で、食べリンピックやごず茶会といったイベント、天王子ども塾の開催、月1回の歴史文化を学ぶ月例会など、多様で楽しい活動を始めました。そして13年度からは町並みの保存再生にも活動の幅を広げてきており、今後がますます楽しみです。

平山学園・三養荘 /       / 野口米次郎邸
 長珍酒造を出て、平山学園・三養荘や野口米次郎邸(詩人・イサム・ノグチの父)、屋根神様などを見つつ、黒塀の美しい邸宅を訪ねます。この建物は、道路拡幅に伴う曳き家により、前にも増して美しい日本家屋と茶室を再生しました。御主人が建築学科出身ということもあり、増築部分に生活空間を収めつつ中庭でつなぐなど、様々な工夫がされています。曳き家による架構の狂いなどもあり、復元には相当な苦労をされたようですが、こうした事例が先達となり、津島の町家の保存再生が一層進むことを願いたいと思います。奥の庭には、仮屋根に覆われた茶室がぽつんと置かれていました。
 さて、最後に交流会は名鉄の線路を渡って、水鶏庵というソバ屋で開かれました。が、ここの庭園にも3棟もの茶室が置かれていました。当主らしき胸像の台座に書かれた碑文によれば、繊維工場を経営し繁栄を誇っていたもののようで、洋館も雰囲気がありました。交流会では森平さんと天王文化塾のこと、楽しいをモットーに活動をしていること、商人町として発展した津島の歴史、そしてお茶室ロードを実現させた今に続く津島の豊かさのことなど、様々な話をさせていただき、大変楽しい1日を過ごさせていただきました。


(参考)
津島市見学(1999.10.2)【中心市街地すまい研究会】