名古屋港・築地
のまちづくり

(2005.11.23)


跳ね上げ橋

 建築学会東海支部・都市の記憶委員会の活動の一環で、地域のまちづくり団体「夢塾21」のメンバーの案内で、名古屋港・築地を見学し交流する機会があった。名古屋港・築地地区の概要や夢塾に結実する住民参加のまちづくりの様子は、都市研究所スペーシアのホームページ築地地区のまちづくりに詳しい。
 明治40年名古屋港開港に合わせ、埋め立てて築造された築地地区は、今で言えばニュータウンの走りと言ってもいいかもしれない。最先端部に名古屋港の埠頭が3つ並び、その背後に倉庫や港湾労働者のための業務施設、さらにより陸地に近い部分に住宅地や商業地が広がっていた。名古屋港まで名古屋中心部から市電も伸び、往時は大変な活況を呈していたと言われる。しかし昭和30年代以降、港湾機能の高度化に伴い、港湾機能が金城埠頭地区へ移転し、築地地区の港湾機能は大幅に低下することとなった。また、産業構造の変化等もあって、往時1万人以上あった人口は半減している。
 名古屋市では昭和50年代頃から、都市構造の変化等に対応するため、地区総合整備事業に取り組んでいる。築地地区はこの中の一つとして、(1) ウォーターフロントの開発などによる魅力ある市街地の形成、(2) 主要な公共施設の整備、(3) 木造住宅密集地の整備改善 を進めるため、街路の拡幅、市街地再開発事業等に取り組むとともに、密集住宅市街地整備事業(現・住宅市街地総合整備事業(密集市街地整備型))も同時施行している。実はこの地区は戦災被害も大きく、戦災復興土地区画整理事業も行われている。また今回見学して回った中では、埋め立てに伴い、戦前の建築線による宅地整備がなされていたという話もあり、名古屋港開港から現在に至るまで、時々の様々な市街地整備が試みられてきた地区であるといえる。
 夢塾21は、地区整備事業の一環として実施された市街地再開発事業の住民組織として設置されたポートタウン1号地街づくりの会が元々の母体である。市街地再開発事業終了後、築地ポートタウン21まちづくりの会と改称し、地区総合整備事業や密集住宅市街地整備事業を進めていくにあたっての住民側のカウンターパートナーとして、港橋公園の提案やラブホテル建設反対運動、まちづくりアンケートの実施などの活動を行ってきた。その後、福祉のまちづくりモデル地区の指定や都市景観市民団体の認定等を契機に、「福祉・景観」の専門委員会として「夢塾21」が発足し、現在に至っている。(夢塾21ホームページから)
 当日は、地下鉄名古屋港駅上の港橋のたもとに集合。港橋は築地地区の業務・港湾施設と後背地とを分ける運河に架けられていた橋でS11年竣工。その後、築地口から港へ至る中心幹線である江川線の拡幅に伴い、架け替えられたが、手すりを高欄下に埋め込んだり、ガス灯を復刻した照明灯を設置するなど、当時のデザイン継承に努めている。港橋の北西に延びる防潮堤には、夢塾21の活動の一つとして、トリックアートや子供の絵が描かれている。港橋の北東の角にある2棟のビルが築地地区市街地再開発事業により建設されたもの。1階に店舗が入り、上階は市公社住宅などになっている。通り庭に突き出た階段下に、再開発前にこの地にあった東海銀行の金庫を残した黒い重厚な扉がついている。ただ言われなければ全く気付かないのが残念だ。


港橋 / 築地地区市街地再開発ビル / 旧東海銀行金庫
 再度、港橋を南に渡り、西に向かう。この南側でマンションの分譲が行われている。このあたりは埋め立て時から大手業者が土地を所有していたもので、それらが少しずつ民間売買されてきているとのこと。一画に、伊勢湾台風最高浸水位の標識が設置されている入船公園がある。また向かい側には長屋建ての店舗があり、電柱には名古屋港水位5mの位置がマーキングされている。
 港湾地区入り口の北西に、1階に郵便局が入る国の合同庁舎がある。外壁タイルの落下による危険防止のシートで覆われ痛々しい。かなり前からこの姿のままとのことだが、玄関入り口のキャノピーが勢いよく跳ね上がっており印象的だ。その北側の中華料理店は、この地区で最古の民間建築物とのこと。外観はすっかり改装されて、言われなければ全くわからない。
伊勢湾台風最高浸水位 / マーキングのある電柱 / 最古の民間ビル 
長屋国合同庁舎・郵便局
ポートビル南極観測船フジ
 港湾地区内に入り、右手に南極観測船フジやその先の名古屋港水族館を見ながら進む。水族館の南側には数本のサイロがあり、今は白く塗られてモニュメントとなっている。港の先端近くまで行き、東に向かう。かつてあった灯台の頭部だけを残したモニュメント。モアイ像。そしてイタリア村が見えてくる。イタリア村はかつて日本通運などの倉庫があったものを、このうちの2棟を残しつつ運河や教会の尖塔など周辺を整備して、イタリアに模した商業地区としてオープンしたもの。今、名古屋では一番のホットスポットと言える。この日も多くの観光客や観光バスが詰めかけていた。港湾地区との境の防潮堤には市内中学校による壁画が描かれている。

サイロモニュメント / 灯台モニュメント / 防潮堤の壁画とイタリア村
 この防潮堤の位置にかつては国鉄の貨物線が走っていた。イタリア村北側の倉庫群との間の空地にはこの鉄道の名残が残っているとのことだったが、最近駐車場として整備され痕跡もない。海沿いに北へ向かった先に、跳上橋がある。天に向けて勢いよく跳ね上がった鉄橋の先に、2本のレールが伸びている。登録文化財の銘板が付けられている。この橋が隔てる運河に沿って、日本製粉と伊勢湾海運の倉庫があり、運河に向けて圧送用のホースが突き出ている。今も現役の倉庫群だ。この運河の佇まいは素晴らしく、おしゃれなレストランなどを並べたい気持ちになるが、トラックが頻繁に出入りしており、当面は難しいだろう。運河は橋を隔てて、船だまりとなって終わる。この先は埋め立てられ、港湾会館などの建物が建築されているが、こちらの活用方策はまだ検討中らしい。ここに面した防潮堤もまた、夢塾の提案で蔦が絡まる緑化がされている。

跳ね上げ橋 / 圧送用ホースとクレーン

運河と倉庫群 / 船だまり
 防潮堤沿いに西進する。通りの奥に長屋が見える。角を曲がりしばらく行くと、通りに面して10軒続く長屋が現れる。題して十軒長屋。その裏手にも4軒ほどの長屋が2棟あり、いずれもまだ人が居住している。十軒長屋の通りに戻り、さらに北進すると、料亭海の家。この地区ではもっとも広く古い料亭とのこと。この正面を東進した先に、稲荷公園がある。この公園の整備を住民参加型で進めることになり、夢塾が大きな役割を果たした。公園には、子供たちが嵌めこんだタイル絵がベンチやトイレの壁に描かれている。遊具も住民参加のワークショップで決めていったとのこと。公園を抜けてさらに東進すると築地神社。S13に地区の有力者により寄進され、S36に戦災・台風災害後の復興を果たしている。東手に三井倉庫のカマボコ型の特徴的な倉庫屋根を眺めつつ、北上。西側に市営宝来荘。古い外観がなかなか風情がある。意見交換会場のデイサービスセンター小鳩ガーデンは、夢塾21の現会長である松本さんが経営している。1階は保育所。

防潮堤の緑化 / 十軒長屋 / 裏手の長屋

料亭「海の家」 / 稲荷公園

稲荷公園 / 築地神社
 意見交換会は、夢塾21でまとめている写真集を見ながら、築地地区の開発の変遷、まちづくり活動の現状、今後の見通しなど様々な話題が出た。最近はマンション建設が進んでいるが、それが人口増加に結びついていない。「労働者の街」というイメージがあるのか転入者が少なく、マンション購入者は地区内の人が多いようだ。地区外の人はマンション価格が多少高くても、また駅からの距離が多少遠くても、より栄・金山に近い地区のマンションを購入してしまう、と嘆いていた。また、商店街の衰退も深刻だ。イタリア村と連携したまちづくりといった提案もあったが、イタリア村自体がいちまで続くか心許ない。最近、中国人経営の中華料理店が複数オープンしたそうで、将来性に対する彼らの嗅覚に期待をしている、といった発言もあった。

コミュニティ道路 / 築地口神社 / 江川線
 その後は、築地口駅まで歩いた。この道路は商店街活性化計画に伴いコミュニティ道路として整備されている。江川線に出る直前に築地口神社がある。先の築地神社と同様、由来は新しい。区画整理のためか、両側をビルに挟まれ、窮屈な思いをしている。そのまま大通りを抜けて築地小学校の北を回って南に向かう。途中、道路の花壇を世話しているおばあさんがいた。小学校の西に灯台を模した飲食店が建っていた。窓にかつての灯台の写真が貼られている。このあたりが、浜地区住宅市街地総合整備事業(密集市街地整備型)の事業区域だ。事業は来年度にも完了するということで、狭い路地が拡幅され舗装されている。ところどころ残った路地が往時を偲ばせる。

灯台の店 / 浜地区住宅市街地総合整備事業
 こうしてようやく元の名古屋港駅に戻った。名古屋港整備と合わせた積極的な公共投資が造ってきた街という面もあるが、住民の積極的な参加により面白いまちづくりが進められている。これから、市の公共投資は減少していくと思うが、立ち上がった住民パワーがこの街をどう変えていくか。今後がさらに楽しみだ。