尾張瀬戸駅前
が元気!



丸一国府商店銀座通り商店街



 バルティせと・新世紀工芸館・瀬戸蔵 (2005.4.16)

 建築学会東海支部都市計画委員会の春の交流会で瀬戸を再訪。前回はまだオープンしていなかった再開発ビルバルティせとと瀬戸蔵を中心に、じっくりと施設見学をさせてもらった。

名鉄瀬戸線・尾張瀬戸駅
 前回同様、名鉄瀬戸線で尾張瀬戸駅に到着。さっそくオープンして間もないパルティせとに入る。1・2階は店舗。3階に市の市民交流センター・市民活動センター・国際センターなどが入っている。我々は4階の会議室に集合。市の方から説明を受ける。
 再開発事業の名称は、「尾張瀬戸駅地区第二種市街地再開発事業」で市施行。総事業費は約58億円。区域面積約1.0haの中に、約3,700m2の駅前広場と約3,270m2の都市計画道路等が整備され、建築敷地は約3,000m2。延床面積は13,650m2で6階建て。商業フロアは1・2階の他、6階の一部も充てられ、その他のフロアは市が所有管理している(5階はアリーナとフィットネスジム。地下1・2階は駐車場)。設計は黒川紀章都市建築設計事務所。
 この地区の整備構想は昭和53年の名鉄瀬戸線が名古屋の中心部栄町駅まで延伸された時から始まり、紆余曲折。一時は13階建ての構想だったが、平成12年にホテル誘致を断念。市民参加のワーキンググループによる8回の公開検討会議と市民フォーラムを経て、低容積型(350%/法定400+40%・商業地域・高度地区)の再開発計画に変更。この間、細分化されていた地区の土地買収が平成15年に完了。1名保留床として権利変換した他は全て市が所有する形で着工。途中、公募による名称の決定、商業床の分譲公募などを経て、平成17年2月19日にオープンした。結局、商業床は思うような分譲ができず、3店舗以外はTMOである瀬戸まちづくり会社に譲渡し、テナントとして募集・入店している。
 パルティせとの売り物の一つが、近隣6大学(愛知工業大学、金城学院大学、中部大学、名古屋学院大学、名古屋産業大学、南山大学)との大学コンソーシアムせと。これは、単位互換等の大学連携に加え、市民も含めた生涯学習プログラムや公開授業などを行おうとするもので、各大学と瀬戸市が協定を結び、負担金を出し合って協議会を設立している。このための学習室やマルチメディアルームなども設置されているが、まだまだ内容についてはこれから協議をしていくことになるようだ(平成17年度の開講案内には3講座しか募集されていない)。
 瀬戸川沿いに面して、丘陵地に密集した瀬戸の街並みを見下ろす景観はなかなか興味深いが、最上階は残念ながらレストランではなくカイロプラクティックの店舗であり、途中階も展望にはあまり配慮されていない。駅前だが、中心商業施設という感じてはなく、人口12万人都市に手頃な大きさの市民施設という感じ。この先、市民活動の拠点としての利用の促進が期待される。

パルティせと / 瀬戸市街 / 夜景
 パルティせとを出て、瀬戸川沿いに整備された歩道を通り、銀座通り商店街へ向かう。歩道が拡幅されきれいになったことに改めて驚嘆するが、せっかく川沿いなのに、全く近寄れなくしてしまった道路計画には疑問を感じる。現在は川を(中央分離帯のように)挟んでの車道一方通行だが、川の反対側(瀬戸蔵側)に2車線を整備して対面通行とし、商店街側は歩行者専用道として川にも下りられるようにするべきではなかったか。ひよっとして将来的にはそうする計画かもしれないが・・・。

瀬戸川沿いの商店街
 銀座商店街は前回紹介しているので割愛。商店街を抜けて、記念橋を渡り、新世紀工芸館へ向かう。
 新世紀工芸館は、現瀬戸蔵の位置にあり当時は既にこの位置に移転されていた旧瀬戸陶磁器陳列館(大正3年建築)を核に、瀬戸のやきもの文化の伝承と新たな産業・芸術・文化の発展を図ることを目的として開館した施設で、平成7年に愛知県の「魅力ある愛知づくり事業」による補助金3億円を得て、1999年(平成11年)にオープンしている。施設は、旧瀬戸陶磁器陳列館を再生した展示棟、かつての陶磁器工場を大規模改築した交流棟、RC造で新設された工房棟の3棟からなる。展示棟はギャラリーが3室設けられ企画展示などに利用されているが、内部に入ると古い建物の感じはほとんど感じられない。唯一、2階ギャラリーのあらわしの小屋組にそれが見られるだけである。工房棟では、陶芸コース・ガラス工芸コース、それぞれ6名の研修生が2年間、低廉な費用で施設を利用し、試作を重ねている。また、予約制による体験工房もあって、研修生も講師となり、それも研修の一環としている。研修生になるには、2年に1度作品審査等により選考されるが、2年間の研修期間中は特に指導者は付かず、自主的に切磋琢磨して作成を続けることになる。修了生の2/3は引き続き市内で制作を続けているとのことだが、作家活動だけで生活をできる人は少ない。特にガラス工芸は、ガラスの材料である珪砂の産出量が日本一ということもあり始めたが、市内の瀬戸窯業高校にはガラス工芸コースはないこと(県芸術大学等にはある)、24時間稼働せざるを得ないガラス融解炉を持つアトリエを市街地に持つことが難しいことなどから、修了後の活動の継続にも困難がつきまとうとのことだ。
 瓦屋根に白い壁が真新しい感じの交流棟には、1階に、自分の好きな器でお茶が飲めるコミュニティルーム、2階に黒い小屋組と柱がなつかしいギャラリーがあり、1階の一画には一般観光者向け、作家向け、作家の卵向けの情報コーナーが設置されている。ここには、作家案内などの他、空き工房の紹介ファイルもあり、作家の卵には貴重な情報源となっていると思われる。

新世紀工芸館「展示棟」 / 「交流棟」

ガラス工芸に励む研修生 / 交流棟「好きな器でお茶が飲めるコミュニティルーム」

2階ギャラリー / 北側外観(3棟)
 最後に瀬戸蔵へ向かう。地場産業振興の中核施設などをつくる産業センター構想を昭和61年に発表。市民会館のあった地区を中心に周辺も取り込んだ記念橋周辺地区市街地再開発計画として、住宅や店舗、コンベンションセンターなどを加えた計画を策定したが、住民同意などが得られず(平成15年組合解散)、その後様々な経緯を経て、現在の市民会館敷地内に、産業観光と市民交流を支援する「せと・まるっとミュージアム」の拠点施設して整備がされた。1階に商業店舗、2階に市民ホール(350席)と産業歴史展示室「瀬戸蔵ミュージアム」、3・4階に会議室と多目的ホールを備えた延床面積11,000m2の立派な施設で(設計:梓設計)、平成17年3月19日にオープンした。物販店舗には愛知県陶磁器工業協同組合が入り「瀬戸蔵セラミックプラザ」としてやきものを中心に販売を行うなど、「パルティせと」とは明確に異なるコンセプトとしている。そして一番の特徴が「瀬戸蔵ミュージアム」。エントランスを入ってすぐの位置に、かつての尾張瀬戸駅を9割の縮尺で再現し、瀬戸電と呼ばれ市民に親しまれた緑色の電車が置かれている。これは、かつて瀬戸電として利用され、その後、岐阜の谷汲線で利用されていたものを、谷汲線の廃線に伴い名鉄から譲り受け展示をしている。その里帰りの様子はテレビでも放映され、トラックから2階位置の架台に吊り上げられ定置されるまでの様子も「瀬戸電、宙を舞う」として話題になったという。また、その先には、やきもの工場の「モロ」や石炭窯、せともの屋などが昭和のイメージで再現されており、瀬戸焼の歩みや生産工程の展示などと併せ、大変興味深い展示・施設となっている(入場料:大人500円)。
 施設内の案内サインやコンセントプレートなどに陶板が使われ、ミュージアム内の洗面器・便器には特注の青い染め付け陶器が用いられるなど、瀬戸らしい配慮が楽しい。また、取り壊し前の市民会館には地元出身の洋画家・北川民次の壁画が取り付けられていたが、これを回りのRCの柱・梁とも切り取り、施設の東側外部で保存展示している。全体像として観賞するためには、道路の反対側から見る必要があるが、あいにく歩車道間の手すりが邪魔をするのが残念だ。

瀬戸蔵外観 / エントランスのトップライト / 復元された尾張瀬戸駅
陶板の案内サイン / 染め付けの便器・洗面器

保存された北川民次の壁画
 見学会冒頭の説明会で、同時期に完成した「パルティせと」と「瀬戸蔵」の景観が全く異なることに対する質問があった。回答は「確かに景観の調整はされなかった。しかしそれぞれの施設の性格を表した外観となったのではないか。」というもの。その是非は置いても、これらの施設が今後市民に十分活用されるならば、地域のシンボルとして市民の心に残る施設となるのだろう。新世紀工芸館はしっかりとその機能を果たしているように見える。これらふたつの施設による後世の財政負担は相当な額に上ると予想されるだけに、しっかりと市民に根付いた施設となることが期待される。

 銀座通り商店街とあれこれ (2005.2.3)

 あいち住まい・まちづくり協働戦略会議「地域会議」が1月末から3月にかけて、愛知県主催により県内11ヶ所で開催されている。そのうちの一つ、瀬戸市で開かれたものに参加してきた。テーマは「空家・空室・空店舗活用・活性化とまちづくり」。衰退しつつある商店街の空店舗を借りて学生がカフェを開設し、活性化を呼び込んだ事例を中心に、NPOや行政などが集まって議論を行い、今後の住まい・まちづくり行政の方向を探ろうという趣向だ。
 まずは、名鉄尾張瀬戸駅前に集合。名鉄瀬戸線は1905年に瀬戸物の出荷を目的に開通以来、名古屋と瀬戸を結ぶ瀬戸電として親しまれてきた鉄道だが、最近は他の路線と接続していないこともあり、旧式な路線という感じになっている。尾張瀬戸駅は1925年に建設された大正モダンを思わせる駅舎で瀬戸市のシンボルとなってきたが、愛・地球博の開催に向けた駅前整備と合わせて、取り壊され、新駅舎に代わった。新駅舎はどこにもある変哲もないもので、がっかり。もっともひょっとしたらこれも100年後には旧駅舎のように親しまれ保存運動が起きるのだろうか。ちなみにこの春オープンする瀬戸蔵(「産業観光」「市民交流」を支援する複合施設)の展示として再現されるそうなので楽しみだ。
 駅舎のすぐ東には、パルティせとと名付けられた再開発ビルがほぼ完成し2月19日のオープンを待つばかりだ。1・2・6階に店舗が入り、3〜5階は交流広場や大学コンソーシアム施設、子育て支援施設、瀬戸まちづくり株式会社(TMO)などの公共的施設が入るようだが、まだ店舗部分の看板は紙で覆われ、詳細は定かでない。ただ透明な円形の建物はかなり目立つ。


パルティせと / 丸一国府商店
 その東隣が丸一国府商店。再開発事業に当たり、この木造3階建ての犬山城の古材で作られたという登楼のある特徴的な建物も取り壊しが危惧されたが、こちらは見事、曳き家をして助かった。同時に外壁などを修繕し、前よりも輝いて見える。この瀬戸川沿いの道路も歩道が拡幅され無電柱化が図られ、万博に向けて大分印象が変わりあか抜けてきた。

陶の路とモニュメント / 木造3階建て
 瀬戸陶磁器卸組合の店であるせともんや横から、路盤をインターロッキングにした陶の路が整備されている。入り口には白磁青絵のアーチだ。陶の路の路地に誘われ入っていくと裏通りに抜ける。瀬戸の街はどこもこうした狭く曲がりくねった路が、起伏のある地形の中にはりめぐっている。通りには木造3階建ての建物も目に入る。しばらく行った変則五差路の脇に置かれた手書きの看板に誘われ入った先が古民家久米邸だ。
 久米邸は明治41年に建築された民家で、40年ほどは久米眼科として使われていたが、眼科医の未亡人であるおばあさんが亡くなったことから相続を受けた娘さんが近所の方に相談を持ちかけ、根本さんが代表を務める事業体がコーディネーター役を担い、空き家を改修しテナントを募集して再生を図ることとなった。現在はまだ3店舗ほどしか入店していないが、既に残りの6区画も契約は済んでおり、愛・地球博オープンと合わせて3月25日には開業する予定だ。またテナント貸しスペースの他、和室1室を多目的利用の場として予定している。
 仕組みは、所有者がテナントと賃貸借契約を結ぶとともに、初期改修費として1,500万円を負担。これを資金に事業体が建物の基本的な改修を行いテナントを募集。入居者は家賃(15〜25千円)を所有者に支払う他、共益費等を事業体に支払う、という仕組みのようだ。根本氏に聞くと「儲けは全くない。退職金を食いつぶしている。」というが本当だろうか。いただいた古民家久米邸経営基本計画書はあまりに理念的すぎて真実の姿が見えてこない。本当にボランティアなら結局は崩壊する仕組みと言わざるを得ないのだが・・・。
 久米邸を出て少し歩くとすぐにアーケードで覆われた銀座通り商店街。道は狭い。入ってすぐ左の町家を改修した店舗がかわらばん屋。こちらは、瀬戸まちづくり(株)が開設したギャラリーで、ティースペースやガラス細工体験のコーナーもある。かわらばん屋のすぐ東に通路上の空き地がある。そこを入ったところにあるのがケアハウス聚楽。ここは、市内の中央病院(民間総合病院)が開設したもので、デイサービスセンターや介護支援センターを併設している。ケアハウスは室数47室。商店街の中にあることで人気が高く、現在15人近くの方が入所待ちの状態だそうだ。郊外型が多い中で、こうした立地は今後の福祉施設のあり方を示していると言える。ちなみにこの土地はたまたま病院の理事長の所有地だったとのこと。

銀座通り商店街 / かわらばん屋

旧番所交番と末広町商店街入り口
 続いて銀座通り商店街には入らずに南に向かい、3月オープン予定の瀬戸蔵へ向かう。瀬戸蔵は、まち全体を美術館・博物館に見立てた交流盛んなまちづくり「せと・まるっとミュージアム」の拠点施設で、、「産業観光」「市民交流」を支援する複合施設としている。具体的には、産業歴史展示室、市民ホール、物販・飲食店舗、多目的ホール、会議室等から構成されるということなので、以前ここにあった市民会館を建て替えたということなのだろう。外観もタイルを多く使った現代的なものだ。しかし、この瀬戸蔵にしてもパルティせとにしても、全く現代的でかつデザイン的な統一は配慮されていない。もちろん300mほどは離れているので統一する必要はないのだが、すぐ近くにある新世紀工芸館は旧瀬戸陶磁器陳列館を復元した大正モダンな建築物に和風テイストで増築がされている。丸一国府商店を始め、伝統的な建物も少なからず残っている中で、景観コントロールはどうなされているのだろう。確か景観条例があったはず。一度確認をしてみたい。
 瀬戸蔵の東側道路の真ん中に織部瓦に黄瀬戸の壁と特徴的な景観を醸しているのは、昭和14年に建てられた旧番所交番。拠点交番がすぐ東隣に建設されたことに伴い、市に譲渡され、従前の場所からこの場所に移築して観光案内所として利用されている。同じ場所に移築するなら、従前どおり交番で利用しても、とは思うけど、まあ色々いきさつがあったのでしょう。このすぐ東から末広町商店街のアーケードが始まっている。シャッターが目立つ商店街だが、デイサービスセンターや生活支援サービスを提供するNPO事務所が空き店舗に入居している。商店街の役割が変わり、利用者構成が変化していることが実感される。かつては栄華を誇った映画館ビルもパチンコ屋などに利用されている。

末広町商店街 / デイサービスセンターてふてふ / NPO法人瀬戸まごころ
 再び川を渡って、銀座通り商店街を今度は東端から入る。空き店舗を活用したEXPO市民サロンや再整備した喫茶店などもあるが、建物が取り払われた箇所も。そこに板塀が建てられ、掲示板となっている。空き地が見えるよりはいいけど、やはり切ない。今日の目的地、マイルポストは商店街の西側にある。その隣に、お休み処銀座茶屋

EXPO市民サロン / お休み処銀座茶屋 / 窯のホール建設基金をアピールする掲示板

マイルポスト
 マイルポストは、名古屋学院大学の学生達が空き店舗を活用し、2002年9月に開設したカフェ&雑貨店だ。ここで夕食後、この店舗と活動を始めたリーダーである古橋さんとその指導教授である水野先生から話を聞く。きっかけは、商店街振興組合女性部会からイベントの手伝いを頼まれたこと。組合ではその前に組合員有志の共同出資でお休み処銀座茶屋を2001年4月にオープンしており、イベントが終わった後、その隣接店舗の経営を働きかけた。これに古橋さんが乗った。水野先生の話では、古橋さんがこれを自分だけのものにせず、「人コミュ倶楽部」という組織を立ち上げ、学生仲間でつなぎ引き継いでいく仕組みを作り上げたことが大きいと言う。また、組合の行動力、柔軟な取り組みの功績も大きい。こうしてスタートしたマイルポストはマスコミにも大きく取り上げられ、現在は人コミュ倶楽部の代表は4代目、店長も代替わりしている。また事業内容も、単なる小売りから商品開発や市のITフォローアップ事業を実施、一店逸品バーチャルモールなど多様に展開されている。
 マイルポストとしての売り上げは年間約700万円。うち350万円は学生バイトの人件費、残りが家賃、仕入れ等の経費で、県のインターシップ事業の補助も活用しているとのこと。また大学からは、マネジメント人材の支援があり、また大学単位の一つにもなるそうだ。この結果、54店舗中14あった空き店舗が老朽化して使用困難な7店舗に減少。人通りも800人から1,000人に増加したとのこと。マスコミ効果もあったと思うが、商店街としても大成功ではないか。
 会議はこの後、古民家久米邸の根本さんの話、そして春日井で農家を再生・活用して様々なイベントに利用している儘舎の岡川さんからも事例報告を受け、質疑応答・全体討議に移った。その内容はこれまでで既に紹介したとおりである。
 会議の目的に対してはどこまで達成できたのか難しいが、取りあえず空き家は確実に活用される方向に向かっている。それは行政の支援ということではなく、利用希望者、そして空き家を活用した店舗の雰囲気を好む消費性向の高まりが着実に起こっていることが確信できた。いわゆるコンバージョンである。問題は、そこに行政がどう関わるか。少なくとも建築基準法を振りかざしてストップをかけることだけは慎みたいが、法的には防災面からも問題があることは確かで、そのあたりが頭の痛いところでもある。