うだつのあがる町並み
美濃市
(2006.4.15)
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建築アルバム
長年、行きたかった美濃市にようやく行くことができた。建築学会東海支部都市計画委員会恒例・春の交流会。友人がこの町にある岐阜県立森林アカデミーに昨年から学び始めたので、彼女に久し振りに会うのも楽しみの一つ。
まずは美濃市役所に集合し、市役所の方に話を伺うも、私のミスで若干遅刻して、最初の部分を聞き逃したのが残念。話は既に、うだつの上がる町並みの
歴史的地区(目の字)街路整備事業
に。
江戸初期に、高山や古川、大野
(福井県)
を築造した金森長近が、高山を息子に譲って隠居所として造ったところから始まる美濃の町は、上流板取川沿いの集落で生産される和紙の集積地として栄えてきた。このうだつの町並みも、都市計画道路が2路線地区内に計画され、このまま行けばいつかはなくなってしまう運命だったものを、昭和60年頃から建物の価値を言い出す人達が現れ、迂回路を設けて道路計画を見直すなどの活動を経て、平成11年に
重要伝統的建築物群保存地区
に指定された。指定後はすぐに、まちづくり総合支援事業等の補助を受け、整備を始めている。整備内容は、電線類の地中化と自然石透水性舗装・交差部石張舗装の道路修景事業。そして、ポケットパーク、モニュメント、誘導路整備、サイン設置等の高質空間形成事業など。また、文化庁からの重要伝統的建築物群保存地区に係る補助を得て、伝統的建築物の修景に最大600万円、非伝統的建築物に対しても周囲の景観とあった修景工事に400万円の補助金を支給している。既に69件を修復したが、まだ修理が必要な伝統的建築物が30棟近くあり、17年度も多くの要望はあったものの国の採択は9件にとどまり、なかなか思うようには修景は進んでいないとのことだった。
加えて、この美濃の町を有名にしたのが、毎年10月に開催する
美濃和紙あかりアート展
。わずか2日間のイベントに7万人もの人が押し寄せ、目の字地区一杯に展示されるあかり作品に多くの人が魅せられる。今、年間観光客が約20万人とのことだが、その1/3はこのわずか2日間に集中する。また外国人が3ヶ月ほど滞在し作品を作ってもらう
アート・レジデンス
といった試みもやっている。美濃和紙あかりアート展は1994年に始められ、昨年が17回目。大賞を取ってもわずか50万円。優秀賞が2点で10万円ずつ。その下に佳作が賞金3万円と意外に小振りだ。小中学生向けもあり、こちらは最優秀賞が3万円、優秀賞が5点で1万円ずつとなっている。出品料はわずか1点1,000円で、こうした誰でも参加できる気軽さと、出品した作品が世界的な作家と並んで展示されるという楽しみ、そして何より各作品の素晴らしさが、このイベントを大成功に導いたのだろう。初年度は82点だった出品数も、昨年は509点にまで増えているそうだ。
こうしたイベントを開催しても、平日の商店街はやはり衰退傾向にあるようで、空店舗対策として、3年間建物使用費
(家賃・電気代)
2/3補助という事業を始めたそうだが、補助期間が終了すると途端に閉店されることも少なくない。一時に比べれば空き家はだいぶ減ったとのことだが、まだまだ前途多難なようだ。交流人口は増えても滞留人口は増えていかない
(高山の一人勝ち)
状況に対して、長良川鉄道沿線自治体での連携した取り組みや、隣の刃物の町・関市との連携などの意見もあったが、なかなかうまくはいっていないようだ。
美濃和紙あかりアート館
さまざま話を伺った後、町並みを見学した。格子窓に瓦、板壁、漆喰壁、そしてうだつがあがる町並み。屋根の上には屋根神様
(秋葉さんとのこと)
。修景整備された路面やポケットパーク
(桜が満開)
。古い建物もあれば、新しくも町家風に改築された建物も並ぶ。町をそぞろ歩いて、
美濃和紙あかりアート館
に到着。この建物は昭和16年頃に美濃町産業会館として建設されたもので、平成17年に国の登録文化財になった。内部は美濃和紙あかりアートミュージアムとして、イベント時を映したスクリーンに実物作品が並び、幻想的な雰囲気を醸している。歴代の入賞作品が並ぶ作品自体もすばらしく、絶対今度はイベント時に来ようという気にさせる。
アート館を出て、もう一度通りに戻ってしばらく行くと、
旧今井家住宅・美濃史料館
。市内最大級の旧紙問屋という建物の内部では、帳場や床高さに差をつけた上段造りの座敷、水琴窟のある中庭、天井は低くもしゃれた雰囲気の2階座敷、さらには奥の蔵を利用した展示の数々などなかなか見所が多い。かつては空き家だったものを市が購入し整備展示しているもので、水琴窟もかつては鳴らなかったという。元の所有者は東京在住というから、交渉は大変だったのではないか。
旧今井家住宅と水琴窟
今井家の向かい側には、うだつが狭い感覚でずらりと並ぶ景観が見られて壮観。しばらく行くと、宝勝院前にもポケットパークがある。町家が壊され空き地になっていたところを整備したもので、宝勝院境内脇には山車蔵もある。突き当たりを右折して、目の字のもう一つの縦線へ。ここにある小坂家は、
「NPO法人 WOOD AC」
の設計により、伝統的木造住宅の耐震リフォームを行った。江戸中期建築で、通り側にはほとんど壁のない典型的な町家建築を改修したもので、基礎はジャッキアップして完全に新設、腐食した土台や柱脚部は取り替え、接合部は金物補強、さらに老朽化した土壁は撤去して構造用合板やひかり壁で補強。さらに床面や屋根裏構面も構造用合板で補強して、耐震診断基準の評点を確保したとのこと。外観は全く違和感なく、内部も
(見られなかったが)
明るく生活しやすくなったとのことだった。工費は約2,800万円でそのうち耐震改修に要した費用は約半額。これに市の600万円の補助金をもらっている。こうした改修内容もさることながら、さらに興味深いのが設計者。NPOにして事務所登録し、地域の環境を守るための設計活動を行っているが、構成員の大半は市内の森林アカデミーの出身者で、アカデミーの在校生を受け入れ、設計活動を行っている(私の友人もこのグループの指導を得て修行中)。彼らの多くは遠来から来校し卒業後この地で生活を始めた者で、こうした小さな町で学校が地域に根付いていくことが非常に驚きであり、すばらしいことだと思う。
右側は車庫の門
重文 小坂家
説明をしていただいた彼らと別れ、国の重要文化財である
小坂家
へ。江戸時代から今も営業を続ける造り酒屋で
(銘柄は「百春」)
、むくり屋根が特徴的。土間から上を見上げると、あかり窓が取られている。通り沿いには、他にも古い建物が多く続く。町並みに合わせて、車庫の入り口門だけを新設した建物や景観に配慮し茶色に塗られた自動販売機などもあって面白い。途中には閉店したスーパーが取り残されていた。
閉店したスーパー
目の字の真ん中の横棒に当たる路地を、
武藤家
の年季の入った蔵を眺めつつ通り抜けると、最初に通ったポケットパーク。これをさらに直進しても、さらに古い建物が数多く並んでいる。赤い郵便ポストを従えた
田中家
は均整の取れたきれいな町家。サイクリングロード指定というには苛酷な坂を下ると、長良川河畔へ。かつて金森長近は町の築造に当たり、川沿いに張り付いていた家屋を高台に移設して今の町並みを造ったというが、確かにちょっとした河岸段丘になっている。川沿いにかつての川湊の名残を残す木造の灯台が今も現存する。
上有知(こうずち)湊灯台
。また川辺からは南に、日本最古の近代吊り橋である
美濃橋
が見える。
武藤家の蔵 / 田中家
川に沿った水路 / 美濃橋 / 川湊灯台
始めていった美濃市は非常にすばらしい町だった。ようやく道路等の環境整備も終わったところで、これからますます知名度が高まり、来訪者も増えていくことだろう。今は、建物の景観整備もよくコントロールが効いて、観光客目当ての景観を壊すようなものも少ないが、今後もこうした状況がいつまでも続いていくことを願いたい。市の方との意見交換の中では、観光化の期待や方策が語られたが、私個人的には、中にはつぶれかけたスーパーや普通普請の住宅も混じる今の状況が、変にきれいになり過ぎず、一番ちょうどいい状態のようにうつる。あまり金儲けに走らず、住民の心の誇りとして、今の状態が維持できればいいなあと願ってやまない。