春 爛漫 松阪(2007/ 4/ 7) | |
御城番屋敷 |
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| 日本建築学会東海支部都市計画委員会恒例の春の交流会。今年は桜満開の松阪を訪れた。JR関西線快速みえに乗ること65分。ようやく松阪に到着する。松阪駅から駅前通りを西進。コミュニティ道路「よいほモール」との角のカリヨンプラザの中に今日の集合場所、松阪市市民活動センターがある。その前に、昼食を取りにまちをしばし散策。駅前通り、そしてよいほモールとまずまず賑わっている印象。お腹もくちて、集合場所に戻る。まずは、松阪市役所の方、そして(株)都市環境研究所三重事務所の方々に市の景観まちづくりについて話を伺う。 | |
![]() ![]() 駅前通り よいほモール |
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松阪は人口17万人強。H17年1月に西に隣接する4町村と合併し、2万人ほど人口が増え、面積は4倍ほどになった。松阪市の景観まちづくりの取り組みは、伊勢道松阪ICアクセス道路への屋外広告物の林立への対応から始まった。H14年度にアクセス道路沿道景観ガイドラインを策定。H15年度からは景観資源基礎調査等を進めてきた。こうしたところが、松阪城址に隣接する松阪神社の五四百(よいほ)の森の南側、殿町に高層マンション建築問題が発生する。具体的にはH17年4月に建設看板が設置されたのを契機に、殿町自治会を中心に建設反対運動が展開され、5月には議会への請願書と市長への2万人規模の反対署名が提出された。関係法令には適合していたものの、市では急遽、業者と自治会との話し合いの場を設定。9月には計画を7階から6階建てに、1階部分を半地下にする変更案が業者より出され合意に至る。 また同じ頃、今度は松阪城址のすぐ南側、国の重要文化財でもある木造長屋の御城番屋敷の付け根、ちょうどお城外周道路との交差部に住む方が従来の平屋建てを2階建てに増築工事をされたところが、お城と御城番屋敷との相互の眺望を閉ざすものであることが発覚。これも法令上は何の問題もなかったが、市教育委員会が所有者と折衝を重ねた結果、建物ごと市が買い取ることに決定。結局、ポケットパークとして整備がされた。相次ぐ景観問題の発生に、市民から市役所の対応を要望する声が高まってきたところに、たまたま8月にマンション問題に取り組んでいた住民たちがNHKの「ご近所の底力」に出演。地区計画によりまちの景観を守るという方策を知ることとなり、住民主体の活動が展開した。10月に地区計画推進委員会が設置され地元と市が協働でまちづくりについて協議する中で、H18年1月には地区計画原案を市長に提出。その後は所定の手続き、市都市計画審議会の審議を経て、10月に殿町地区地区計画が都市計画決定された。内容は、地区410.5haを6地区に分け、御城番地区とそれに続くきれいな生け垣が残る上殿町・本殿町地区には165uの敷地面積制限と高さ制限(御城番地区10m、上殿町・本殿町地区12m)、生け垣・土塀の垣・さくの制限、第1種低層住居専用地域なみの用途制限等。他の地区には12mの高さ制限がかけられた。建築条例はまだとのこと。区域内に今回のマンションも含め既存不適格建築物は5件。マンションの所有者にも同意をもらい、建て替え時には規制を守る旨、自治会と約束。重要事項説明書にも明記の上、分譲がされたということだ。 H18年度には松阪市景観マスタープランを策定。今年度中にも景観条例を策定し、20年度からの施行・運用をめざしている。景観マスタープランでは、景観形成上重要な地区を83地区抽出。このうち景観形成重点地区として18地区、さらにそのうちの6地区を景観候補地区として指定している。そのうちの2地区は今回地区計画を決定した松阪城跡周辺地区と松阪城下町地区だが、その他に、伊勢街道沿いの通り本町・魚町一丁目周辺地区、松阪商人の原点で伊勢おしろい(水銀)で栄えた豪商のまち、射和・中万地区、伊勢街道沿いに妻入りの町並みが800mほども続く市場庄・六軒地区などが指定されている。また、重点地区の中には、深野棚田地区や茶畑が広がる柳瀬新田・大溝新田地区など興味深い地区も多い。通り本町・魚町一丁目周辺地区については、この後の見学会で見ることになるが、その他の地区も是非見てみたいと思った。 続く(株)都市環境研究所三重事務所の五十子所長からは、松阪の景観構造や市街地の成り立ち、魚町地区の景観まちづくり活動などの話を伺うことができた。松阪は蒲生氏郷が天正16年に築城・建設した城下町で、伊勢街道が城下を南北に通り、西方へは和歌山街道、そして南へ熊野街道が分かれる交通の要衝である。氏郷が会津若松へ移封後、紀州藩の出城として、紀州田辺の中屋敷町から下級武士が移り住み、武家と商人の町として発展した。武士たちは城周辺、松阪神社周辺に居住、伊勢街道沿いの御厨神社氏子には射和(いざわ)から連れてきた地元の商人たちが、そして和歌山街道沿いの八雲神社周辺には近江からやってきた近江商人が居住し、それぞれが神社を中心に強いコミュニティを形成してきた。こうした中で、江戸期初期には、三井、小津、長谷川といった豪商が現れ、江戸で手広く商売を始めていく。また江戸中期には古事記伝の執筆で日本史にその名を残す国学者、本居宣長もこの町に生まれ、医師を営みつつ、一生をこの地で過ごし国学研究に一生を捧げた。現在の魚町・本町・紺屋町のまちづくりは、H15年に住民たちで結成された「まっさか参の会」が中心となり、H17年には長谷川邸にマンションが建設されるのではないかという噂から長谷川邸の保存を考える魚町景観保存委員会が結成され、魚町の保存と活性化に向けたさまざまな活動が進められているという。 これらの話の一部は、昨秋に三重大の浅野先生から伺った内容(【まち遊び日記】生活景の相続参照)でもあるが、改めて当事者から詳しく話を聞かせていただき、経過や背景、今後の方向などもよく理解できた。さて3時、ようやくまちあるきが始まった。カリヨンプラザを出て、まずはよいほモールを北上する。この通りもけっこう賑わっているように感じるが、中心市街地全体としては人口も減少し、特に昨年には駅前の三交百貨店が閉店したこともあり、地元としては危機感を感じているようだった。 |
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![]() ![]() ![]() よいほモール おもてなし処 鈴の音 「和田金」駐車場 |
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しばらく歩くと空き店舗を活用したまちなか無料休憩所おもてなし処 鈴の音がある。元気のよいおかみさん「ミズ・ネットワーク松阪」の面々がお茶を振るまい暖かく迎えてもらった。もう一つ同様の施設として、ゆめの樹通りに「夢休庵」があり、鈴の音は第1・第4土曜日、夢休庵は第2・第3土曜日に開かれている。雨を気にしつつ先に足を進めると、松阪牛の老舗の一つ「和田金」の近代的なビルがあり、その向かいには外観に気を使った駐車場がある。お城に向かう大手通でコミュニティ道路は終わり、ここから先が本町・魚町の通りだ。まちの駅「寸庵」として公開されている町家は、もと木綿商亀田呉服店の建物だ。5年ほど前に訪れた時は、ここで案内をされていたおじさんに小一時間ほども話を伺った(【まちなみ・あれこれ】三井家と本居宣長と・松阪参照)。今回は軽く室内を覗いただけ。 隣にある白い門塀が三井家発祥の地。その向かい側には本居宣長生誕地と書かれた看板があり、参宮道と看板の掲げられた「まっさか参の会」の事務局がある。この本町通り、道路が湾曲して建物が道に正面せず、道がノコギリ状になっている。武者隠しというらしい。本町通りから入る矢下小路や紺屋町通りにはもっとはっきりと残っていたようで、今回見逃してしまったのが残念。 |
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![]() ![]() ![]() まちの駅「寸庵」 三井家発祥の地 武者隠し |
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![]() ![]() 布や楽しや・参宮道 雑貨屋「油寅商店」 |
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| しばらく行くと、江戸屈指の豪商、紙商小津屋清左衛門の旧本宅「松阪商人の館」がある。かつては現在に3倍ほどもあったそうだが、今でも約300坪の敷地に木造2階建ての主屋と前蔵、内蔵などが保存公開されている。大橋のたもとに野宿する窮民に炊き出しをしたという大きな竈が据えられた土間を中心に、左右に座敷が並び、前庭、坪庭等があるしつらえは往時の豪勢さを彷彿とさせる。解説していただいたおじさんも面白い。 | |
![]() ![]() 松阪商人の館 |
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| 川沿いを左折し、一筋西側の通りが魚町通り。入ると右側の赤壁の豪壮な和館に目がいくが、ここが松阪牛のもう一つの老舗「牛銀」。その向かいには琴や三味線の製造・修理を営む三味富さんがたたずむ。しばらく歩くと左に柵越しに本居宣長旧宅跡。礎石とその奥に蔵が残っている。本宅は明治42年に松阪城内に移築された。その向かいに宣長の親友だった小泉見庵さん宅。今はまちづくり拠点「見庵」として公開されている。このあたりはきれいに町家が続くが、その先の長い黒壁の豪邸が長谷川邸。向かい側には水琴窟のある和風喫茶、番茶亭がある。 | |
![]() ![]() 牛銀 まちづくり拠点「見庵」 |
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![]() ![]() 本居宣長旧宅跡 魚町の町並み |
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![]() ![]() 長谷川邸 番茶亭 |
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| 大手通まで出たら右折して、松阪城跡に登っていく。桜がきれいだ。台上に登ると、松阪の町が一望できる。南側に回ると、今回の最大の見所の一つ、御城番屋敷だ。よく手入れされた生け垣ときれいに伸びた屋根瓦が美しい。この長屋が、明治維新後の1882年に払い下げを受けた下級武士たちが苗秀社を設立して、協同所有形態で120年以上今に至るまで維持されていることについては、前に読んだコモンズとしての地域空間に詳しい。またお城から見下ろすと、2階建てが建った土地が確かに景観上重要な位置だったことが確認される。今はポケットパークになった姿も確認できるが、出来上がったばかりの建物を買い取り、撤去、再整備した市の英断には深く頭が下がる。 | |
![]() ![]() ![]() 松阪城跡登り口 御城番屋敷 旧記念館建物 |
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しばし感心しつつその美しさを堪能していたら、本居宣長記念館の館長さんが出迎えに来られた。記念館入り口の旧記念館建物も最近登録文化財に指定されたそうである。本居宣長が住んでいた邸宅は「鈴屋」と呼ばれ、急な階段を上った上にある4畳半の狭い書斎で柱掛鈴の音を楽しみつつ研究にいそしんだという。城跡から降りて御城番屋敷に向かう。改めて近くで見ると、表札や郵便受けがあったり、自転車が止めてあったりして、まさに現に生活をしている様子が伺える。なかに1軒、板囲いがされ、空き家になっているらしい住戸がある。屋根にはシートが被せられ、かなり痛んできている様子で少し心配。端まで歩き振り返ると、生け垣が続く向こうに桜の木とお城の石垣が見られ、何となく清々しく感じられる。 |
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![]() ![]() 御城番屋敷 |
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| 突き当たり右側は松阪神社への境内となり、その先によいほの森が見える。その左手に見られるのが問題のマンションだ。こうして見ると、どこにでもよく見られる景観と言えないこともないが、こうした景観を問題とし住民運動に展開していった松阪の住民の美への感度は、かなり高いと言えるだろう。道の突き当たりは松阪工業高校。その一画に赤壁校舎と呼ばれた旧三重県立工業学校製図室がある。赤ポストと並べてみるとまた美しい。ここから続く殿町(旧・同心町)の通りも、槙の生け垣が続き実に美しい。桜の木々にも目を楽しみつつ、出発地点のカリヨンプラザに戻っていく。途中にも面白い商家が見られる。 | |
![]() ![]() ![]() 旧三重県立工業学校製図室 殿町(旧・同心町)の通り |
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| 見学会はここで解散。最後に、閉店した三交百貨店の殺風景な姿を見つつ駅東に回り、懇親会を楽しんで帰宅の途についた。5年前にも歩いたが、今回再度歩いて、ますますその魅力を実感。なおまだ見ることのできなかった見所もあるようなので、次には家族連れで訪れようか。その時は松阪牛を食べられるだけの軍資金を用意しなくてはいけないかな。やはり一人で来ようか、などと考えた次第。 | |
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(参考)
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