二見浦旅館街
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賓日館/夫婦岩/旅館の家並み
  
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| 東海地区HOPE計画推進大会二見大会に参加し、二見町の旅館街を歩き、まちづくりを見聞してきました。名古屋からJR快速みえに乗ってわずか1時間40分。あっという間に二見浦(ふたみのうら)駅に着きます。あいにくの梅雨空。駅前にある妻入りの古い商家(旅館)を改築した洋風レストラン「扇屋」で腹を満たしました。内部は吹き抜けあらわしの通り土間部分にテーブルを置き、階段や炉の切られた和室をホール側から見せ、カウンターや黒塗りの棚も座敷側に一列に並べ、落ち着いた雰囲気を醸しています。料理もおいしい。設計は今日のシンポジウムのコーディネーターを務めた高橋徹氏でした。 |
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| 大会が始まる前に、旅館街を歩きました。妻入りの商家や大きな破風を見せた豪勢な3階建て木造建築などが並び、他にない景観を見せています。特に、朝日館や麻野館、二見館などの豪勢な様に見惚れつつ歩いていると、それらを凌いでさらに立派な木造建築が。これぞ、かつて伊勢詣りをする皇族のために建てられ、代々の天皇家も宿泊をしてきたという「賓日館」。2年半ほど前に営業を中止し、この6月議会でもって町が買い取ることが決まったことを知ったのは後のことです。 |
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大会は富士宮市の事例発表などの後、先述の高橋氏、二見浦まちづくり検討会議会長の南家氏、二見キャンドル倶楽部部長の喜多氏、まちづくりコーディネーターの高田弘子氏らが並び、パネルディスカッションが開かれました。ちなみに、南家氏、喜多氏とも旅館経営にして観光協会の役員。ついでに二見町長の辻氏も旅館経営者です。
南家氏、喜多氏から二見町旅館街の現状が話されます。昭和初期建築の木造建築が並ぶ街並みで、うち現存する木造三階建てが7軒、しかし空き店舗も10軒ほどあり、とにかく淋しい。これは昼間私が歩いたときも感じたことで、雨模様だったこともあるかもしれませんが、とにかく人がいない。町の人もいない。誰もいない。パネルディスカッションに参加するために奥さんに見送られて旅館を出てきた喜多氏の姿にほっとしたほど。これは二見浦の旅館街が伊勢神宮を旅程に組み込んだ修学旅行客を目当てに発展してきたことにもよります。他の旅館街にあるような遊興の場が全くない、というのもまた依然修学旅行客を引きつけている要因のようです。
またそもそも二見浦は、伊勢神宮に向かうおかげ詣りの人々がいよいよ明日はお伊勢さんという前に旅の汚れを落とし禊ぎを行う場所として、夫婦岩とともに、宿泊地として栄えてきました。しかし一時は360万人を数えた観光客も最近では200万人を割り、特に宿泊客はピーク時60万人が25万人にまで落ち込んでいます。こうした状況に対して観光協会では、今までもっぱら正月のみだった一般観光客をシーズンオフにも呼び込もうと、夫婦岩の間から日の出があるのは実は6月ですよと、毎年夏至の時期に夏至祭り(お日の出まつり)を開催するとともに、毎月23日には堤防沿いにキャンドルを灯す「メモリアルキャンドル」なるイベントを開催しています。また、我々子供連れには、二見シーパラダイス(水族館)や伊勢戦国時代村が有名だし、隣の磯部町では伊勢スペイン村「パルケ・エスパーニャ」もあります。
ところで実は二見町はこのような観光産業の落ち込みにも関わらず、人口は9000人前後で微増を続けています。伊勢市の隣接部に民間開発による団地ができたことも大きい。こうした状況の中で、二見町はこの旅館街の再生整備に重点をおいて取り組んでいるように見えます。前日の6月議会で、街なみ環境整備事業(5年計画で総額16億円)の実施が採決され、この中には先述した賓日館の買取り費(建物は寄付で用地買収費のみ)2億1千万円を含んでいます。今後は街なみ環境整備事業による民間建物に対する修景補助(補助率1/3。補助額上限100万円)やまちかど案内人制度などに取り組んでいくこととしています。
人口は増えている。自然には恵まれている。歴史・文化・レジャー施設もある。しかもそれらが足助と違って市民生活を害していない。まるで1年中リゾート地に暮らすような環境の中で、まさに地域のお宝である街並み・木造3階建ての建物の保存修景に取り組んでいくというのは、実に素晴らしい、羨ましいな、というのが正直な感想です。高田先生からは、旅館街以外の人が見えない、といった意見があり、住民参加で取り組みたい、といった意見も出ていましたが、2年半後に迫る市町村合併を視野に入れつつ、できるときに集中的に取り組むというのは間違ってはいないと思います。ロマンチストとお見受けした町長には今後、様々な意見や立場に気を配りつつ芯の通った町政運営を期待したいと思います。 |
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さてパネルディスカッションを終えた後、施設見学に移りました。といっても見たのはこの1月に空き家を活用してオープンしたギャラリー「夢ぎゃらりぃ二見」と「賓日館」の二つ。本当は歩くべきだと思うけど、雨だから仕方がないか。まあボクはもう歩いたし。
「夢ぎゃらりぃ二見」は、街なみ環境整備事業による修景補助のモデルという意味も込めて町が整備したもので、改修費が1000万円。元は山田商店という食堂で、地権者から無償で借り上げ、5000円/日で貸し出しています。運営は市民団体の二見浦まちづくり検討会議が町から無償委託され、使用料等で管理経費を賄っているとのことでした。ただし1階のギャラリー部分の利用はほとんどなく、2階の和室がそこそこ利用されている程度との話でした。ギャラリーって流行りだけど、日本の市民に根付いていない、という気がしてなりません。喫茶店の方がいいんじゃないの。 |
| 「賓日館」は明治20年に神宮神苑会により神宮に参拝する皇族の宿泊施設として整備されたもの。しかし開館当初から経営には苦慮していたようで、一般公開などもしつつ、明治44年には隣接する旅館二見館に当時の金額で5400円で譲渡されました。その後は室数43部屋を有する旅館として経営され、大正天皇を始め現在の皇族の方たちも多く泊まられましたが、老朽化もあり2000年という区切りの年を前にした1999年12月、営業を中止します。立派な唐破風の玄関を入り真っ先に通していただいた大広間は150畳もあり、舞台には地元出身の画家、中村左州の筆になる若松の絵が飾られています。大正天皇が泊まられたという部屋は意外に質素でしたが、塗りの格天井などはさすがのものです。町で買い取り後の利用はまだ決まっていないとのことで、多分資料館として公開する他、中庭は街なみ環境整備事業により公園整備され公開する予定とのことでした。 |
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翌日は朝4時に起床し、夏至まつりを参観しました。白装束に身を包んだ300人近くの善男善女が、祝詞を唱え気合いを入れつつ海に入り、まさに日が出ようとする夫婦岩に向けて歩いていきます。そして輝く朝日に向かって君が代の合唱。帰りには朝粥に甘酒を賞味して帰ってきました。ホテルのエレベータに乗り合わせた白装束の夫婦に「寒かったですか」と聞くと、「今の時期はぬるい位」との答え。毎月禊ぎに参加しており、2月頃は10数人しかおらず寒かったとおっしゃっていました。30代前後の若い夫婦です。こんな風習がいまだに残っているのが日本という国の実態です。いや伊勢だからでしょうか。一方でこの夫婦が泊まった(私もですが)ホテルは、木造3階建ての旅館が取り壊された後に建てられたビジネス形式のもの。もちろん旅館街の各旅館に比べれば相当に安価。文化の維持とあり方について考えさせられることではありました。 |
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