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土曜日、午後七時。
俺たちはとても困っていた。
遊園地は想像したより大変に楽しかった。美沙もこんなに楽しかったのは何
年ぶりだろう、なんて言ってたのだ。そして
「子連れで歩いて変な目で見られないことがこんなに気分のいいことなんて」
と言うまたしても涙を誘うセリフを言ってくれたのだ。二人だけだとすっごい不良か、セックス大好きで失敗したという風にしか見てもらえなかったそうだ。
今日俺たちはどれだけの人に声をかけられただろう。いや正確にはあっくん
にか。
「パパにそっくりね」
「若いお父さんとお母さんでいいわねぇ」
その度に美沙の目には涙が浮かんでいた。
「憧れだったの。こんなのが」
普通なら何でもないことができなくて、あっくんにもしてあげられなくてと
ても悲しかった、そう言って美沙は笑った。
この台詞を笑って言えるなんて、一体どれだけの苦労をしてきたのだろう。
子供が好きなだけで、育てたことのない俺には分からない。
「一人でよく頑張った。誰が何と言おうと、俺がほめてやる」
そのセリフと同時に美沙の頭を撫でたら、ことんと、俺の胸にもたれてきた。
そしてとても静かに泣いた。
俺はところかまわずで、本当は抱きしめてしまいたかった。
楽しい時間はあっという間に過ぎてしまう。もう閉園になって外に出たとこ
だった。
今日俺は調子に乗って、あっくんの体調も考えず、今数えてみるとソフトク
リームを三つも食べさせていたのだ。あっくんはチョコのソフトが大好きでせ
がまれるままに与えてしまった。たしなめることも大事だったのに。
そしてその結果が下痢だった。あっくんはもうオムツはとれていたのだが、
ウンチと言った瞬間に出てしまったようだ。
替えは一式持っていたのだが、チョコのソフトでベタベタになったので着替えて使ってしまった。着ていた服は上下ともシミになるといけないから洗って濡れている。だからパンツしか残ってないのだ。
「私がバカだったの。お出かけなんてしたことなかったから。こんな時はオム
ツをしてこなきゃいけなかったんだわ」
ここから家までは一時間半はかかる。もう閉園してしまったし、子供服が売
ってたかどうかも解らない。
「どうしよう。このままじゃあっくんが風邪をひいちまう」
「濡れた方を穿かすしか‥」
その時ふと明るい光が目に入った。
ここだ。ここならあっくんのお尻も洗ってやれるし、きっと服も乾かせるだろう。
初めてのことなのでシステムが解らずに悩んだが何とか部屋に入った。そう、言わずと知れたラブホテルだ。
思ってたのとイメージが違うなー、割にすっきりしてるんだ。なんて観察し
てる場合じゃない。早くあっくんのお尻を洗ってやらなきゃ。彼もさっきから
ずっと「お尻、きもわるー(気持ち悪いの意)」と泣き続けてるのだ。 さっとトレーナーを脱ぐとジーパンのボタンに手をかける。そこで美沙がドアのそばからこっちへ来てないのに気がついた。
「早くしろよ」
急いでるのでつい声が大きくなる。ジーパンも脱ぎ下着姿になったが、まだ
美沙はあっくんの服を脱がせてない。
「何やってんだよっ」
俺はとうとう怒鳴ってしまった。美沙は胸の辺りとスカートを握りしめて驚
愕の瞳で俺を見る。
様子が変なのは気になったけど今はあっくんの方が先だ。頼りにならない美
沙を当てにするのは止め自分であっくんの服を脱がす。
広がらないようお尻を避けて横抱きにしてきたが上の方まで迫り上がってる。
ほっ、だけど上の肌着は無事だった。しっかり中に入ってなかったのが逆によかったみたいだ。問題は下だ。ズボンにまではみ出してぐちゃぐちゃになっている。脱衣所でズボンを脱がし洗面台に放り込む。トイレに連れて行ってトイレットペーパーでお尻を拭きながらパンツをおろす。パンツも大まかにペーパーで摘んでトイレに流す。多少きれいになったのでこれもズボンと同じ所に置いた。
「美沙、洗ってよ」
変な美沙に声をかけ、俺は風呂場に入った。お湯を出してあっくんにかける。
「よかったなぁ。もう、きも悪くないだろう」
すっかり機嫌をよくしたあっくんはキャッキャッとはしゃいで俺に湯をかけ
てきた。
風呂場で格闘して出ると、俺もかなり濡れていた。あっくんをバスタオルで
包みごしごしと拭く。そして無事だった上だけ着せて、下はパンツを穿かせ、
小さい方のタオルを巻き付けた。‥が、余り意味がなかった。大きなベットが
楽しくてピョンピョン跳ねて大喜びだ。すぐにタオルはとれちまう。
こっちはほっといて大丈夫。
「とれたかー?」
洗面所に行き美沙に声をかける。後ろからひょいっと覗くと、下を向いては
いるが焦点の合ってない目で何かに取り憑かれたようにひたすら服を洗ってる。
どう見ても、もう充分きれいになっていた。
「どうしたんだよ」
俺が服を取り上げるとビクッとして壁にへばりつく。なんだかよく分からないので取りあえずやることをやる。
美沙のバックから勝手にスーパーの袋を取り出して、その中に洗ったズボン
を入れて、持ち手の所をドライヤーに引っかけてスイッチを入れた。袋は熱風
でふくらんだ。ドライヤーごと振って回す。
「こうやると早く乾くんだぜ。知ってた?」
「えっ、‥たっ鷹哉ってすごいね」
やっと正気にかえった美沙は返事をしてくれた。笑顔を無理に張り付け、で
も顔を背けてしまった。
ん? ちょっと考えてから俺は自分を見た。あっそうか。
「ごめん、ごめん。みっともない格好を見せちゃって」
つい妹たちと同じ感覚で見ちゃうんだよな。トランクスぐらいだとあいつら
何も言わんもん。
俺はドライヤーを美沙に預けると、慌てて服を着た。あっくんはさすがに疲れたのか、ベットでダウンしていた。乾いてるバスタオルをかけてやる。
「年頃の女の子の前でする格好じゃなかったよな。妹がいるもんだから、しか
も美沙とよく似てるんだ。だから全然気がつかなかった。ごめんな。あっそう
だ。親にも電話しといた方がいいんじゃないか。ズボンも案外早く乾きそうだ
し、あと二時間ぐらいで帰るって」
ちゃんと謝ってドライヤーを受け取ると、今度は泣き出した。
えーっ、どういう事じゃい。俺にはちっともわからんぞ。
途方に暮れていると、何とかしゃくり上げるのを抑えて今度は美沙が謝った。
「‥ごめん。ごめんね。‥ごめん、鷹哉‥。ごめんなさい」
ほっておけばいつまでも謝り続けそうだ。
「何謝ってんだ?」
「ごめんね。だって、だってね。すっごく失礼なんだけどね。鷹哉が服を脱ぎ
始めたとき、あっやっぱり男って同じなんだ、って思っちゃったの。晄に託け
てこんな所に入って、やることは一つ、って。鷹哉はあの人とは違うのに。疑
っちゃったの。だからごめんなさい。どれだけ謝ってもあなたを疑って気持ち
を踏みにじっちゃった事実は消えないよね」
そっか。それでさっきから様子が変だったんだ。あっくんのほんとの父親に
されたときもホテルに入ったんだろうか。強‥姦、に近かったって言ってたっ
け。
俺が怖かったんだ。
「ごめん。俺が怖かったんだね。何もしないってちゃんと言えばよかったんだ。だから美沙は当たり前のこと思っただけなんだから。気にしなくていいんだよ」
「えっ、ほんとに。気分、悪くしなかった?」
「うん、本当。怖がらせた俺が悪かった。ここがそういう所だってすっかり忘
れてたよ」
「ありがとう。でも全然対象外って言うのも少し傷つくかな」
ペロッと舌を出しながら、美沙は無理に元気に見せる。
「そんなことない。思い出したらドキドキしてきた」
「またそんな取って付けたように言わなくてもいいわ。だってこんな子持ちが
相手何だもんね。そうよ、よく考えたら鷹哉にも選ぶ権利があるわよね。ごめ
ん、自分が十五の時と同じように考えてた」
「そんなことない。美沙は可愛い」
似ていると言うことは血の近さを感じて身内のように親しみが湧く。俺達よ
り色素が薄い美沙に目線を合わすと真剣に説く。
美沙はドライヤーを振り続ける腕を取ると、高さのあった顔を近づけて唇を
合わせてきた。
うわっ、何だろう、この浮遊感は。それにこの触感は。この世に子供より柔らかい物があったなんて。
俺は近所の子供達のファーストキスはほとんど奪ってきた男だ。可愛い子になると会うたびにチュウしてくれる。しかしこんな下半身にまで響いてくるなんて。これがほんとのキスなんだ。
「俺、子供以外の女の子とキスするの初めて」
「ふふっ、私もファーストキスよ」
「えっ、でも」
「あの人はね、やることで頭が一杯で首から下にはされたけど、気持ちを示す
肝心なところにはしなかったの」
なんて酷い話だろう。でもあっくんが母親似でよかった。もし父親の方に似
ていたらずっと苦しめられることになったかも知れない。
俺はドライヤーを置くともう一度浮遊感を味わった。じっくりと。
「さあ、もうズボンも乾いたし帰ろうか」
美沙はなぜかまた驚いた顔をして、そして笑って同意した。
月曜日。
「怒られなかった?」
「うん、大丈夫。いまさらって感じみたい」
「そっか」
安心した俺は言いにくい話をさっさと片付けることにした。
「あのな、十二月に入ると期末テストがあるんだけど、強化週間とか言ってそ
の二週間前から補習やるんだよ。だから遊べる時間に帰ってこれるのは来週一
杯なんだ」
「そっか、鷹哉ってやっぱり受験生なんだ」
「そうなんだよ。ごめんな。だからガンバって友達作るよ」
美沙は寂しそうにすると「鷹哉がいなきゃ意味ない」なんて言う。
「何言ってるんだ。あっくんのためだろう。友達は必要だ。美沙にだっている
よ。絶対に」
俺は覚悟を決め、お母さん達の集団に向かう。そして頭を下げた。
「お願いです。晄君も仲間に入れて下さい」
こっちの必死の頼みも無視される。視線だけが俺に突き刺さる。
「どうして、一体何が悪いんですか?」
耐えられず尋ねると、とんでもないことがぼそっと呟かれた。
「父親もいない子なんてねぇ」
周りの人たちも、そう、そう、なんて同調してる。
ドッカーン。頭の栓が吹っ飛んだ。
「何だと。父親がいれば文句ないんだな!」
「出来るもんならね」
「分かった、俺が父親になってやるっ。どうだ、これで文句ないだろう」
頭に血が上りきった俺はとんでもなく重大なことを叫んでいた。
大声で怒鳴ったので辺りが静まりかえる。
「全然文句ないわ」
お母さん達は立ち上がって俺の方を向いて拍手喝采した。
「やったね。大成功」
「美沙ちゃん、よかったね」
「竹田君、男だねぇ」
おめでとうを連発されて拍手は鳴りやまない。そこへ美沙が引っ張られてき
た。
「ごめんね。今までつらく当たって」
「あたしら全然気にしてなかったのにさ、いつも顔見ると逃げてっちゃうんだ
から」
「ちょっと声かけてくれればよかったのに」
「これからは自信もっておいでよ」
どういうことだ? 全然わからん。
しかし美沙は嬉し泣きで顔がくちゃくちゃになっている。
「あっ、そう言えばなんで俺の名前‥‥」
「あのねぇ、子持ちの主婦の情報網をなめたらダメよ。君は私たちの間じゃ有
名人なんだから。ねっ、北城高校三年、竹田鷹哉君」
「そうそう、子供好きなかっこいい高校生がいるって話題だったんだから」
「みんなで見たいね、会いたいね、って言ってたんだわ」
「そしたら来たじゃない。すぐに分かったわ。昼間に公園に来る高校生なんて
いないから」
「じゃ、こないだ誘拐犯扱いしたのは?」
「だって抱いてるのが美沙ちゃんの子供だって分かったから」
「仲良くなってくれれば美沙ちゃんもここに出てくるようになるかなって」
「じゃ何であっくんと一緒に遊ばせてくれなかったんですか?」
「始めはね、美沙ちゃんが出て来れればって軽い気持ちだったんだけど、あんまり君たちがお似合いだったから作戦立てちゃったの」
「なるべく邪険にしようって。そうすればきっと仲良くなるからって」
「そんな、それで美沙がどれだけ傷ついたか解ってるんですか?」
「うん、それについては謝らなきゃいけないわね。ごめんなさい」
「いまさら謝られたって‥」
「鷹哉、いいのよ。私がもっとはじめに勇気を出してればよかったんだから。
それにね、あなたに会えてよかった。仲良くなれてよかった。みんなの作戦通
りになったもん。おまけにさっき言った事ほんと?」
俺はさっき叫んだ言葉を思い出した。顔がカーッと熱くなる。
「おっ俺はうそは言わない。けどっ、美沙がイヤだって言うんなら取り消す」
「イヤなんて言う訳ないじゃない。鷹哉が好きよ」
「俺も大好きだ。あっくんの父親になりたい」
俺たちはみんなが見てるのも気にせず抱き合ってキスをした。また拍手がわ
き起こる。
そしてあっくんに聞いた。
「あっくんのパパになってもいいかい?」
「あっくんのパパ? たかやなるの?」
「そう、いいかい」
「うん、パパ」
うわっ、嬉しいぞ。抱き上げて頬ずりをした。
うーん、最高。世の中まだまだ捨てたもんじゃない。
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