ジムニーとは

ジムニーの歴史は古いです・・・

ジムニーの父、ホープスターが生まれたのは1968年。ホープ自動車が製作しました。
ホープスターは10ヶ月ほどで生産が中止され(販売台数は20台前後と言われている)製造権がスズキに売り渡されます。そしてジムニー第一号のLJ10が誕生しました。1970年4月のことです。

このクルマは、ほとんどの人が触れた事があるんじゃないかな。林道や田園、工事現場をトコトコ走る姿、衣を着替えて郵便配達車や消防自動車、山岳部のパトカーなんかにもなってます。
 誕生して30年以上、その愛くるしさは変わらないと思います。 

 zironさんが最初にジムニーと出会ったのは89年の夏!友人が車検の代車で借りてきた新車のJA71でした。バブル全盛期の豪華なクルマが街に溢れてた時に、鉄板むき出しの内装!トラックより長いシフトノブ!人の座れない後部座席!パワステもパワーウィンドウもATさえもなんにもない!内規循環でしか作動しない暑いか寒いかどっちかのエアコン!とにかく衝撃的でした。そしてこのチープなクルマが新鮮に見えたのです。

それから1年!買いました、JA11パノラミック・ルーフを!まだ4WDブームが来る前でした。サーフとテラノにやっとATが搭載された頃です。乗ってみて思ったのは「おもしろい!」 パワステじゃないけど軽いステアリング、5Fだけど軽くて疲れないクラッチ、リーフサス(板バネ)でピョンピョンはねるけど味のある乗り心地。いや〜、馬鹿みたいに走りまくりました。オフ・ロードを走りに走りました。結婚したばかりでしたが、ヨメさん乗して林道さがしてまわりました。楽しい日々でしたね〜。

当時、よく行ったのが御岳方面です。ほとんど制覇したのでは?このころはゲートが閉まってる所は少なかったんですが、だんだん4WDブームが始まって林道に乗り入れるクルマが増え、マナーの悪さから立ち入り禁止の林道も増えだしました。

あれから十数年、ジムニーも弐号機となり子供も大きくなりました。家族4人で一泊のスキー旅行なんかも結構いきましたが道中が大変でしたね。とにかく荷室がないジムニー。当然、人と荷物が一緒に乗るわけで、運転席だけは広々〜あとは積めるだけ詰める!ま、当時の車内の会話を再現すると・・・

後席の長男 「お父さん!カバンが落ちてきたぁ!」


父       「長男だろぉ、支えろ〜!」

後席の長女 「え〜ん、せまいよぅ!」


助手席の母 「がまんしなさい。」



後席の長男 「上から落ちてきたスキー・ブーツがXXXの頭に落ちたぁ〜。」

後席の長女 「痛いよぉ〜、。゜゜(>ヘ<)゜ ゜。ビエェーン 」(号泣)


助手席の母 「静かにしなさい。」



父       「もうすぐ着くからな〜、がんばれー!」(そういいながら1時間)

後席の長男 「だめだ〜、手がしびれてきたぁ〜、うわあ〜!」(ドドドーと荷崩れの音)

後席の長女 「おもいよ〜、Σ(T▽T;) ぐわわぁぁ〜ん! 」(さらに号泣)


助手席の母 「しっかりしなさい。」



父       「二人とも大丈夫か〜!」



後席の二人 「・・・・・・・。」(返事がない)




助手席の母 「・・・やっぱり無理よね。」





父       「・・・・・やっぱり無理だな。」







一番苦労したのは子供達でした・・・。


そのせいか、ジムニーで育った長男坊は非常にピュアな子になりました。

長男が小学四年生の時、はじめて親類の車に乗った後のこと、口にした言葉が

「おとうさん、すごいよ!窓がかってに開くんだよ!」

ジムニーにはパワーウィンドウないもんな。カーナビにも驚いたようで

「おとうさん、すごいよ!地図が動いてしゃべったよ!」

ピュアな心をいつまでも大切にもってくれ、と祈る父でした。



そんなジムニーとの生活も幕を閉じる時が来ました・・・。

さすがに家族4人では狭すぎて・・・。

しょうがないですな、子供は大きく成長していくものですから・・・。

弐号機は8年間の役目を無事に終え、買い替えとなりました・・・。

2003年11月吉日、新しく我が家に来たMPVと入れ替わりに、

ジムニー弐号機は引き取られて行きました・・・。

家族全員で見送った時、娘が泣いてたっけ・・・。

ありがと・・・ジムニー・・・。