大相模ダイジェスト

藤野竜樹

 

 元関脇である板井のいかさま発言や、女性大阪市長の土俵上での表彰意思表明問題など、今年上期の相撲協会はかなり揺れていた。結局両事件ともうやむやに先送りとなってしまったが、それは名誉や格式、それに伝統が重んじられることの多い日本社会の欺瞞が垣間見えた象徴的出来事だった。しかしそもそも彼らが拠り所としている名誉や格式、伝統とはいったいどういう体のものなのだろう。
 四股を踏むとは地霊を鎮める行為が起源だし、化粧まわしなど、まま祭祀道具の注連(しめ)縄であるなど、相撲が神聖な儀式をその発端としているのは間違いないところだ。が、今相撲を見ている人々、いやそもそも当事者達にとっても、それを常に意識しているかについては甚だ疑問である。建前はともかく正直なところ、多かれ少なかれ興業スポーツの一種と考えている人々がほとんどではなかろうか。数場所前の優勝がかかった一番にあたって観客に起こった“出島コール”が、寧ろプロレスのノリに近いところなど、その最たるものである。ではあのとき、人々はそれに嘆息したろうか。否。あれは確かに盛り上がった一瞬であったし、普段のしゃっちょこばったかしこまりよりも、しかしそれはより庶民的パワーに満ちていたとすら言えるだろう。
 名誉や格式は、かくも薄氷の上に成り立つものだが、それでも識者はふんばる。その薄氷こそ“伝統”に他ならず、長い時間を掛けて醸造されたからこそ価値ある“形”なのであり、それが日本人の“こころ”なのだ、なる理由で。
 なるほどそうか。相撲の形とは、かくも大切なものだったのだ。相撲の形を追究することは、日本人のこころを追究することにつながるのだ。相撲の形をとっていれば、おのずそこにはどこかしらありがたい雰囲気が漂ってくるものなのだ。
 前置きが長くなったが、筆者はそうした観点から、相撲の形を考察してみようと思い立ったのである。形を追究することで、識者の言う日本人の“こころ”を浮き彫りに出来るのなら、それを見いだしてみたい。そう考えたのである。
 ただ、探求のテーマとして、漠然と形というだけでは無軌道に過ぎるため、本稿ではその内容を相撲言語、つまり相撲にまつわる言葉に絞り、分析している。相撲儀式全般はそれを見ていないとイメージし難いが、相撲言語は一般性の高い名詞も多く、なにより本稿のような文表現に向いているからだ。
 そしてそうして抽出した形に見合うように、別の言葉による再構成も行っている。これは、その分析がどの程度の信憑性を持つかを測ることもあるのだが、この変換自体がそもそも面白いからということもある。
 実質でなく“形”。それはフッサールの言うところのノエマ的意味を追究する現象学の方法論であり、本質に左右されない根源的なものを見いだすに十全な視点を提供するのだ。
 さて、本稿によって相撲のこころ、引いては日本人のこころは浮き彫りにされるのだろうか。
 

 相撲言葉で有名なものは、なんといっても四股名と呼ばれる力士名であろう。○×山、□△海などといった具合に、体言止めされた一〜四文字の漢字仮名交じり文、読みでは三〜六文字のものが多い。ごく希には例外もある(“千代の富士”は五文字だ)が、ほとんどこの形式を外れることはない。
 これには力士名を記述した電光掲示板にあまりたくさんの文字が入らないこと、実況中継のアナウンサーが短時間で言えないとなどの理由が考えられる。特に後者によって受ける規制は他にも考えられ、“きょかきょく”など口にし難い名前も敬遠される傾向にあると思われる。実際、行司も言いにくいのは困るだろう。腰に短剣を刺しているのは差し違えたら切腹の意があるらしいので、言い間違い一つ許されないからだ。
 これに加えて選択された語彙の意味内容も“雰囲気を醸し出すもの”として形を為すものの一環として考えることにすると、四股名は別名“醜名”と書くことからも判るとおり、本来は汚い言葉とか縁起の悪いとされる言葉があてられるべきものである。これは名前に、名前の主の不幸を肩代わりしてもらおうとする魔術、言霊(ことだま)と言われる考え方に由来するものだ。
 さて、力士名の形は上記二点の特徴に還元されると考えられるが、では、以上の点を踏まえて、架空の力士達にて番付を組んでみると、どうなるのだろうか。

横綱  :  四十肩 生兵法
大関  :  無感動 拒食症 股関節(張出大関)
関脇  :  鮫肌 不格好
小結  :  邪 赤信号

醜名の名に恥じぬ不幸揃いになってしまった。横綱の“四十肩”は、往年の押しの強さに翳りがさしており、対する“生兵法”も大けがの元を抱えているのが不安要素だろう。これに加えて大関陣もぱっとせず、気合いの入らない“無感動”、ちゃんこの嫌いな“拒食症”、身体の固い“股関節”の面々であり、続く関脇も、裸になれない“鮫肌”、髷の結えない“不格好”では、三役揃い踏みはいかにも不景気そうである。野心的なのは小結の“邪”くらいだろうか、“赤信号”は出世が止まってしまっており、今場所の盛り下がり如何ばかりか。心配になってきたところで、以下、幕内力士を紹介していこう。

破天荒 裏鬼門 奇々怪々 無償奉仕 安直 プノンペン 無頼漢 鍋奉行
超伝導 敷設地雷 逆上 賞味期限 夢遊病 非国民 胃拡張 留年坂
潮時 腐乱臭 秋葉原 無銭飲食 ノモンハン 手切金 執行猶予 半減期
般若湯 再試験 乱気流 親不知

これも...。・風水系の技により相手の流れを止めるのがうまい“裏鬼門”だが、最近手を覚えられてきたので、動物占い技を身に着けようとしているとの噂。・呼び出しのおっちゃん時代、背中に“南天のど飴”をスポンサーに持たなかった“無償奉仕”は清貧だが、結局は赤貧だ。・“プノンペン”は最近安全らしい。・恨みを買うことの多かった“鍋奉行”は、暗器を携帯していることが発覚して、今場所から“闇鍋奉行”に改称させられる。・胡散臭さで一時期三役にまでなっていた“超伝導”はかなり実力が落ちてきた。やはり夏場所で得意のマイス投げ(土俵上で投げた相手がクルクルと浮かび上がる技)を決められないのが痛いのか。・“逆上”は最近の注目株だ。技のキレに磨きがかかってきたのが見どころ。・“賞味期限”は、今場所限りの引退を示唆している。・土俵際の魔術師と言われた“夢遊病”だが、調子が良くて安眠できてしまうのが悩みの種とか。・“留年坂”はもう、留まるところを知らぬ降格ぶり。・“秋葉原”は、街に徘徊する人々の質が変化してきたため、じわじわと上位を狙う有望株だ。・元気がないのが半元気、なんてのはオヤジギャグなのでやめておこう。それはともかく、確かに入幕の頃の放射するような熱気は今の“半減期”には感じられない。昔は近寄りがたい威厳を備えていたものだがと嘆くファンも多い。・今場所の台風の目と言えば、何と言っても“乱気流”だろう。・大穴はそうなると“再試験”あたりか。幕尻まで番付を下げた“親不知”。今場所で抜けるのは痛い。

 しかし、つくづく冴えない名が揃ったものだ。これでは見る側も暗澹としてしまうのではなかろうかと思うのだが、これは日本人のこころを探ろうとする試みなので、そうした感想を洩らすのは時期尚早かもしれない。とするなら、それを確かめるには、もう少し伝統に身を浸す必要があるようだ。
 

 ということで、次に決まり手について考えてみる。これも相撲用語で特徴のあるものの一つだ。
 決まり手は、動的な意味を持つ言葉や、技の特徴を示す言葉など、相対する二者の関係の推移を示す言葉で構成される。有名な技は相撲に留まらず、相撲以外のスポーツや、日常生活でも類似の状況があると用いられることがある。(例、銀行振込、引き落として嫁さんの勝ち。)
 全部で四十八手と言われるが、滅多にでない技や、四十八手に含まれないが名前だけは付いている技もある。(“お手つき”などがそうらしい。)性交も四十八手と言われるが、江戸時代は性生活についてはかなり鷹揚だったらしく、相撲絵と隣り合わせで春画が売られていたらしいので、名称を同じくしているのは偶然ではないかもしれない。
 さて、これにも架空の決まり手というものを考えて、価値を相対化してみよう。

 不渡り ごり押し 三行半 あんかけ 履き潰し 揚げ足取り 原チャリ 折り詰め
 なし崩し かたなし 店じまい 着流し 先送り 差し戻し 抜け駆け 見落とし
 面目潰し 居直り 不届き 投げやり 小太り 揉み手 燗冷まし 駆け出し
 転び切支丹 踏み倒し 歩留まり 夢落ち 見納め 楽観 竜田揚げ 説得
 片手落ち 乱心 泣き落とし 朝帰り 出直し 地滑り 精霊流し 無駄足
 掟破り 流行遅れ 羽目外し 桂剥き 頭打ち 偏り 駆け落ち 逆恨み
 脱線

こう言うのはいくらでも出てくるが、一応この位で止めておこうか。上記手を用いてある日の取り組みを紹介するとこんな風になる。

 幕内後の取り組みを紹介します。約束手形、不渡りで中小企業の負け。二日酔い亭主、三行半で女房の勝ち。盗聴法、なし崩しで与党側の勝ち。ちなみに野党側はかたなしの負け。近所の店、店じまいは本当だった。責任、先送りでJCOの勝ち。住民勝訴、差し戻してたぶん国側の勝ち。長銀、面目潰しで引退です。政治家、居直って秘書の負け。三流映画、夢落ちでふざけんな。景気、楽観で堺屋太一の勝ち。犯人、説得でカツ丼の勝ち。NHK、片手落ちで抗議電話の勝ち。松の廊下、乱心して殿の負け。浮気亭主、泣き落としで辛勝。でも朝帰りで負け越し決定です。ルーズソックス、流行遅れでもうやめようよ。ノックさん、羽目外しでセクハラ負け。有閑主婦、桂剥きで不戦敗。借金、踏み倒して夜逃げの勝ち。人気、頭打ちで元アイドルの負け。普通の女の子に戻ります。栄養、偏って現代人の負け。同棲、駆け落ちて神田川の勝ち。てるくはのる、逆恨みで自治体の負け。てるくはのるは人生から引退です。日比谷線、脱線で○○○○○。結びの一番は、見落としで視聴者の負けでした。

 識者の力説する、形に現れる日本人のこころは見えてきただろうか。上記変換から、筆者には現代日本の灰汁ばかりが見えるような気がするのだが。
 

 無口な力士へのインタビューも形式化している。最近は減ってきたが、口べたなのを荒い息づかいとお決まりの台詞で誤魔化しているとしか思えない場合が多い。相撲という興行が多くTVなどのメディアに依存している現実を踏まえるなら、この辺はもう少し意識するべきかもしれない。で、これも置き換えてみると、次のようになる。

「勝ち越しおめでとうございます。」   「ごっつぁんです。」
「投げが上手く決まりましたね。」    「ごっつぁんです。」
「まわしが取れたのが勝因ですか。」   「ごっつぁんです。」
「...体も良く動いてましたね。」    「ごっつぁんです。」
「...やる気満々ですね。(怒)」    「ごっつぁんです。」
「......北極はどうですか。」     「極寒です。」
「ベニアは。」             「合板です。」
「あちちちち。」            「郷さんです。」
「タヒチの画家は。」          「ゴーギャンです。」
「熊さんと。」             「八っつぁんです。」
「銭形は。」              「とっつぁんです。」
...こ、この位にしておこう。
 

 さて、以上見てきたような“形”の分析と変換事例、どのような感想を持たれたであろうか。形の追究は、日本人のこころを浮き彫りにすることは出来たのか。
 唯の茶化しに過ぎないと言われればそれまでの本論だが、それでも筆者は、ここに確かに日本人のこころを浮かび上がらせ得たように思う。
 しかしそれを公表すべきかについては、筆者も躊躇せざるを得ない。よってこの辺の判断は読者諸兄に委ねるとし、筆者としてそれついてはフッサール流に、“判断停止”にしておくことにする。

おわり





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