さっちゃんの“さ”は作家の“さ”

藤野竜樹
さっちゃん
作詞者 阪田寛夫   作曲者 大中 恩

1 さっちゃんはね さち子っていうんだ ほんとはね
  だけど ちっちゃいから 自分のこと さっちゃんて呼ぶんだよ
  おかしいな さっちゃん

2 さっちゃんはね バナナが大好き ほんとだよ
  だけど ちっちゃいから バナナを半分しか たべられないの
  かわいそうね さっちゃん

3 さっちゃんがね とおくへいっちゃうって ほんとかな
  だけど ちっちゃいから ぼくのことわすれて しまうだろ
  さびしいな さっちゃん  
 

 多くの人々に親しみをこめて歌われた童謡の中でも、“さっちゃん”は間違いなく三指に入る人気作だろう。かわいいさっちゃんの特徴を紹介し、そんな彼女との別れを悲しむ歌詞は、昨近人気を博した“冬のソナタ”にも通ずるロマンスを感じさせるものであり、耳にする子供達の心に、数奇な運命に弄ばれる男女の悲劇を強烈に印象付けたものである。
 かくも人気のこの作品も、発表から年月を経るごとに作品世界が一人歩きし、“さっちゃんはバナナが食べられずに夭折した”とか“呪われた四番がある”などといた根拠の無い風評が女子高生の間で流布するようになっている。都市伝説の発生の仕方を研究する上では非常に興味深い現象とはいえ、常に物事を悲劇的に捉えようとするこうした傾向は、いたずらに周囲を不安がらせることを目的としているように筆者には思え、あまり知性的な行為とは思えない。(筆者が怖がりだからそんなことを言っていると思ってはいけない。)
 だいたい上記したようなことはまったく根拠が無く、いたずらに不安をあおるこうした風評に人々は惑わされてはいけない。何故なら、そもそもこの童謡にはさっちゃんのモデルとなった少女がおり、その時代はバナナは高かったからそうそう一本分を与えられるようなものではなかったのであり、しかもその少女は死んじゃったどころか、おそらく読者のほとんどの人が今でも(元気すぎるくらい)ぴんぴんしているところを目にしているはずだろうからである。
 というのもこの歌詞は、作詞の阪田氏が近所で懇意にしていた作家の阿川弘之氏が、引越しの際に阿川氏のお嬢さんが悲しんだというエピソードを元にしているからだ。ここまででもうピンと来た人もいるのではなかろうか。言うまでも無く阿川弘之氏の娘さんといえば、TVタックルでお馴染みのエッセイスト・阿川佐和子さんだからだ。つまりさっちゃんとは“佐和子さん”のことだったのであり、“さちこっていうんだホントはね”ってのはホントじゃなかったのである。(阿川佐和子さんが本名“さち子”さんなのかも知れないが、それはそれでつまらないので敢えて調べなかった。ちなみにこのエピソードのことは週刊文春だったかで阪田さんと阿川さんの対談をやってたので、でまかせではない。)
 

 さっちゃんは阿川佐和子さん!
 この事実は、“さっちゃん”の歌を再び口ずさむ我々に、興味深い考察材料を提供してくれる。というのも、成長した女史のひととなりという結果を知っている我々からすると、それを踏まえて歌詞を振り返るとき、含蓄に満ちた洞察をそこに読み取ることができるからである。
 歌から得られる、さっちゃんに対する情報・世間の評価は以下のようなものだ。
  1.おかしい
  2.バナナを半分しか食べられない
  3.とおくへいく
 この三つの特徴に、現在の阿川女史の根幹を為す特徴が垣間見られる。
 すなわち1.は、女史のエッセイストとしての素質に通じるといえる。なんとなればエッセイストとは提起されたテーマに対し、“世間の常識とは外した”見方もしくは切り口を持つことが資質として必要だ。そしてそうした視点から、若い女性に非常な共感を持って迎えられる現在の女史の文章を見れば、読者達が無意識の領域に閉じ込めているものを描写するという、一般とは異質な見方を持つことは容易に納得されるのである。
 そしてついでに言えば、3.もエッセイストに通じているといえる。一体全体どうしてといわれそうだが、幼少期のさっちゃんが突然“遠くにイっちゃう”ことを、物理的ではなくて心理的なものを模写したのだと解釈すれば、これもやはり世間常識をあっといわせるアイデアを引き出すエッセイストとして是非持っていたい素質の一つといえるからである。
 2.については疑問をもたれるだろう。現在の女史がバナナを買えないほど貧窮しているとはとても思えないから、バナナを半分しか食べられないほど小食だと解釈するのかと。いやいや筆者はそんなありきたりなことは考えない。この一見不可思議に見える問題も、視点を変えることで解決するのだ。彼女も当然人並みの食欲を有していると思われるが、バナナを半分しか食べられなくなる事情が、現在の女史の有する特徴の中には確かに存在しており、それを子供の時点で喝破しているところに、阪田氏の慧眼があるのである。
 ではどうして半分しか食べられないの?
 阿川女史は、サラダ油で胃もたれしていたのである。

                            おわり


 
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