| テレビは最早萌えの本流とはなりえない。2006年後半から2007年前半にかけての萌え事情を概観して真っ先にでてくるのはそんな感想だ。なんとなればこの時期(というよりここ数年の流れと言った方が適切だが)、単独で業界を引っ張ったアニメ作品があったというよりは、インターネットが中心となったシステム、メディア、括りといった何らかの集団の中で上手く立ち回ることのできた作品が成功したという図式が思い浮かぶからだ。筆者にはオタクという括りはあるものの、パロディでこうした本を作成している以上、可能な限り多くの人間が知っていることを前提に話を進めたいという大前提がある。だからこれまでは誰でも見られるテレビアニメを基点に萌えを考察してきたのだが、それに固執してこれらネット発端のトピックをネタにしないこと事体が読み手の共感を損なう危険性が出てきたのだ。こうした思いを筆者に抱かせた、ネットを中心とした萌え要素は三つある。Webラジオで瞬間風速ながらもとんがったうたわれるものラジオ、ニコニコ動画、youtube、stage6で定番とまでなったアイドルマスター。そして、ブログや掲示板にネタを逐次投入することで負の人気を獲得し続けたGUN道ムサシ、明け瑠璃を筆頭とする作画崩壊アニメ群だ。 |
[0-1] うたわれるものラジオ(うたラジ)
| 項目名がWebラジオ(インターネットラジオ)でないのは、本文のネタはこの番組が中心であるためだ。
Webラジオに関して言えば、数年前からネットで個人がストリーミングにより音声を配信できる技術は確立されていたし、ブロードバンドなどのインフラも整備されてきていた。だから既に任意ラジオといわれる個人配信や桃井ハルコのWebラジオを聴いていた人たちにとっては今更な感を持たれるだろう。だが、うたわれるものラジオは人気の面でこれら前例を全て凌駕するものだった。 うたわれるものという、18禁ゲームからアニメになった作品のプロモートが目的のラジオ番組で、毎週30〜60分(長さはいい加減)、Webラジオ配信専門サイトである音泉から配信されている。のだが、配信される度にサーバをパンクさせるほどのアクセス集中や、パーソナリティーの瞬間的な挙動が即ブログで扱われ、それが更に掲示板でネタにされるなどもの凄い人気番組となった。はっきり言って今は風化した感すらある(ペドシリーズが年一刊というペースであることを踏まえ、多少の今更感は許容いただきたい)が、去年初夏の放送開始から3ヶ月ほどのこうし
ここまでの人気はパーソナリティーである小山力也(主人公役の声優)に柚月涼香(ヒロイン役の声優)が、あからさまな恋愛感情を見せていたことにある。はっきり言って二人とも結婚しているらしい(離婚しているかまではしらない)から、ある程度演技であることはわかるのだが、番組進行そっちのけで行われる柚月のスキスキアタックと、シャイな小山のはぐらかしはそれだけでも聴きながら恥ずかしくなってしまう。更に、女性声優がゲストで来て、小山が親しげに話そうものなら柚月はそれこそ丸わかりで不機嫌な態度を示して番組崩壊寸前となるなど、毎回何が起き
今ではお互いのスタンスがすっかり落ち着いて、それに伴って人気も落ち着いたが、この番組の真の人気は筆者のように女性にもてないオタクでもスキスキ言われる立場になるかもしれないという儚い夢を与えたことにあったと思われる。そんなこと絶対に無いから安心しろ、って、もう一人の自分が一蹴するんだけどね。 |
[0-2] アイドルマスター(アイマス)
| ナムコの美少女ゲーム。アイドル候補生の少女をプロデュースしてトップアイドルにするシムレーションで、最初はアーケードのネットワーク対戦型システムで登場(‘05.7)し、07年1月にXBOX360よりコンシューマー化された。元々一部のゲーマーには評判が良かったが、家庭用が出て、メインである歌部分の映像がニコニコ動画、youtubeなどの無料映像配信サイトにアップされ始めてからブレイクした。特にいわゆる「十勝」(プロデュース選択できる少女の中で最年少の双海亜美が歌う「エージェント夜を往く」という曲、その中の歌詞である“溶かしつくして”の部分
は、舌足らずであるため“とかちつくちて”と聞こえることから、ファンの間では“とかち”が亜美の代名詞にまでなった。)の無限ループ映像は前述のニコニコ動画(アップされた映像中に文字コメントを入れることが出来るサイト。)のアクセスが半端でない数になってからは一気にオタク層の知名度を上げた感がある。 アイマスに関して筆者が特徴的と考えたことは三つある。まずは技術的な側面。コナミのときメモ3の惨敗を記憶している人も多いかと思うが、萌えの3D化ってのは結構難しい。デフォルメされた2D的な部分を空間上に持ってくる際の文脈の読み替えを失敗していることが原因なのだが、フィギュアなどを見ても絶賛されているものは少ないのはこの点がクリアできていないからだ。このゲームも止め絵で好き嫌いを云々する人は多いかもしれないが、衝撃的だったのは萌えを補填する要素として“動き”を入れたことだ。前記ときメモでもヒロインの何気ない仕草は重要な要素だったようだが、いかんせん人間の動きのシムレートがリアルすぎたのに相反してポリゴンの技術的再現力の稚拙さがあったために、張りぼてが人間の真似をしている感が拭えなかった。これに対して本ゲームでは、アイドル曲の振り付けで女の子達に活発なダンスをさせることで、いわゆる動きのデフォルメを行ってマンガチックな可愛らしさを強調することに成功している。(キャラクターの動きを並みのアイドルが振付けたら、多分一曲も保たないのではなかろうか。)ユニットを組んで3人で歌わせる時など、僅かにタイミングをずらすことで各個人に個性を持たせることに成功していることも凄い。Xboxになって格段に上がった処理能力による表現力の向上も考慮しなければなるまい。アーケードではまだまだ個別で動かせるパーツが少なかったのに対し、髪や襟が頭部や肩も近縁部と一体のオブジェクトから脱し、飛んだり跳ねたりするときの追随する描写などは驚異的進化を遂げている。(バストの揺れはDOAを過去のものとした。) 二つ目は、前述したニコニコ動画などでの人気の盛り上がり方だ。これを書いている5月現在では十数曲あるゲーム内音楽映像を単にアップすることも一段落し、他の曲にあわせて踊らせる、もしくは既存曲をリミックスして全く別のバージョンとしてアップするという段階に入っている。こうした事象は、これまで受け手であった個人が技術を持ちうる者に進化したこと、及びそうした(無駄とすら思える)技術の発表の場が出来、更にほかならぬオタクに広がってきたということが勿論ある。そういうことはこれまでにもネットワーク社会の可能性という側面から語られ、また細い形での例はいくらか出てきてはいた。が、アイマスの進化には筆者にこうした今までの上からのものとは違う、言うなれば下流からの流れとでも言うべきものをまざまざと見せ付けられた思いがする。新しいオタク芸術の双方向文化が開花寸前だった時期にアイマスが絶妙にタイミングの合った形で素材を提供したということだろう。 三つ目はこれと関連するが、そうした個人発信するメディアが本流と混ぜ合わされていくうち、架空のキャラクターの個性化がどんどん深化したことだ。前記した「十勝」は元々ゲーマーが発信した意見なのだが、アイマスのライブイベントでわざわざ該当声優にそう歌わせてファンから大喝采を浴びたり、類似の現象でロボ千早(歌の上手い如月千早というキャラがいるのだが、選択曲のある曲で一音声ずつ区切って歌ったため、「ロボットの千早がいるんだ。」とファンから囁かれ、広まった)を演出したりというフィードバック的な現象は、これまでにもあるにはあった(連載漫画の路線変更とか)が、その量と速さは今回とは比較にならない。マスが要求して個の萌えが出来る。これは面白いと思った。 |
[0-3] 作画崩壊
| 往年のマクロスやシュラトなんかを見てきた人間には実はショックでもないのだが、確かに去年放送していた「MUSASHI-GUN道-」や「夜明け前より瑠璃色な」の作画は酷いものだった。
これまでにも未完成アニメで名高いガンドレスやロストユニバース・ヤシガニ回、OVA学園都市ヴァラノワールらは三巨頭とまで並び称される酷いアニメだったが、このMUSASHIも彼らに負けず劣らず酷かった。最近のアニメは準備期間が短いため、ストックの無くなる3〜4話が見極めの時といわれるが、この作品は一話からして既に酷く、更に「これ以上酷くはできんだろう」という大方の予想を覆すように回を追う毎に酷くなっていった。何しろ持ってる拳銃のデザインが回どころかカット毎に違っているし、キャラクターの立ち位置もメチャメチャで描き分けもできていないから声優で判断するしかない。これに加えて更に脚本も目茶目茶、上述した拳銃の弾が何発あるのかなんて全然考えてないし、そもそも今見ているカットが何を表現したいのかをこちらでいちいち推定しなければならない。加えて話が魔術忍術入り乱れる内容なものだからとにかく訳が分からなくなる。ある回では「うおっ、まぶしっ!」という科白が唐突に吐かれるのだが、何かが光る描写が事前に全く無いため、ファンの間では逆に謎の迷科白と化してしまうという珍現象も起きていた。とにかく疲れるアニメだった。 ただ、これをトピックにしたからといって筆者がこれを評価しているものでは決してなく、寧ろ萌えを害するものとして顕著だという理由で上げていると考えてもらいたい。単体ではなく、他が評価することが重要な美少女にあって、致命的になりかねない作画崩壊とは、言わば負の性質なのであり、それが目立つこと自体、美少女界全体の危機と考える必要があるのだ。 |
[0-4] ペド生物学へ ―定義・統合少女体―
| 前述もしたが、上記3者に共通するのはインターネットの発達が人気、知名度を形成するに不可欠だったことだ。筆者はここに、これまでにない萌えの特徴を見出した。一つには、自らの意志がミリ秒でマスの一部に反映されることで為される“これまでよりも格段に迅速な萌えの生成”。そしてもう一つは、これまでならある特定のクリエータの内部で起こっていた萌えの創造部分が外に出てきたことによる“萌えの生成過程の明確化”だ。萌えの創造は今や外に開かれた、言い換えれば非常にわかりやすい時代となったわけだ。
このような新しい状況に対し、どのようなツールが研究には有効なのだろう。神秘なれども疑えず目の前にある萌えを研究するために、同じく神秘なれども疑えず目の前にある生命を研究している学問、生物学のそれをもってすることが適しているのではなかろうか。 それは一面においては正しい。とは言え半面では、全く生物学と同じ方法で美少女を読み解くことは無意味だとも言える。何故なら、体という物理的な器を持つ我々生物に対し、空想世界の美少女はこうした物理的な実体を持ちあわせていないからだ。しかしそれは彼女らが存在しないことを意味するものではない。彼女らは我々の世界に実体を持たないだけで、異次元という別世界にはちゃんと存在しているからだ。 では一体彼女らはどこにいるのか。と聞かれそうだが、ここではそうしたトンデモ的な意味での“異世界”があると主張するものではない。そうではなく、ここで発する問いは、 では彼女らはどう存在しているのか であることが望ましい。というのも、本書では彼女らの存在を、“これ”と明確に一つのものとして示すことが出来るものではなく、複数の要素が集まったものとして考察しようとしているからである。そういうものを本書では、本書の命名になる“統合少女体”というものとして考えていこうとしている。
ギャグばかりの本編に入る前にそもそもこの定義をはっきりとさせておかないと訳が分からなくなるからもう少しお付き合い願いたい。 例えばアニメの少女Aはフィギュアの少女Aと存在の仕方は違うのに同一人物と解釈される。それは我々の中に、両者を少女Aとみなす枠組みがあることを意味している。では数多存在しているアニメやフィギュアやイラスト、ドラマCDなど、客観的な存在をすべて集めたものが統合少女体・少女Aかというと、それでもまだ足りないのだ。何故なら少女Aにはそうした“触れられるもの”のほかに“触れられぬもの”も存在するからだ。
すなわち少女とは“触れうる実体化した全部”+“触れられぬ我々の捉えかた全部”なのであり、そうしたものを統合したのが“統合少女体”だと定義するのである。 統合少女体は我々のように生き、常に変化している存在である。彼女の体、変化の仕方、生まれ、消えるのはどのような仕組みによっているのか。これは従来の生物学と似て非なるものであることは理解されよう。 ペド生物学とは、そういうものを調べる分野なのである。 |