今週の一句
柔らかき 光のどけし 春の海

―もとゐ―


 2010年3月21日(日)
 四旬節第5主日

 ヨハネによる福音書8章1節-11節

8,1 〔そのとき、〕イエスはオリーブ山へ行かれた。
8,2 朝早く、再び神殿の境内に入られると、民衆が皆、御自分のところにやって来たので、座って教え始められた。
8,3 そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、
8,4 イエスに言った。「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。
8,5 こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」
8,6 イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。
8,7 しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」
8,8 そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。
8,9 これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。
8,10 イエスは、身を起こして言われた。「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか。」
8,11 女が、「主よ、だれも」と言うと、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」

 神の人への願いは、共生すること、連帯することだ。先週の話しでは、父は息子の弟とも兄とも「共に」居ようとされたのだった。今日の話しでは、自己の正当性を主張し、利益を得ようとするため、人を陥れ、裁き、分断し、命と人権さえ奪おうとする人間の悪しき性が描かれている。

 イエスはそれらに対し、人のあるべき姿を思い起こさせる。人が生きるのは、誰もが生かされ、ゆるされているからだ。非のない人間はいない。だからこそ、人の過ちとの連帯、つまり、理解し受け入れ合うことがだいじではないか。そして、再び、過ちを犯さないよう人生を支え合おうことへ、イエスは私たちを気付かせている。

 日本では裁判員制度が始まり、誰もが人を裁く立場になることとなった。キリスト者として、このイエスのことばに聴き臨むようにしよう。     

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