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信仰の確かさ

みのり教会牧師 

三浦知夫

イエスは言われた。『わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから。』」   

ヨハネによる福音書20章17節

 イースターおめでとうございます。イエス様が復活された朝、マグダラのマリアは、イエス様のお墓で、深い悲しみの中にいました。そんなマリアに、復活されたイエス様は「マリア」と呼びかけたのです。マリアは、その声に振り向き、そこにイエス様がおられることに気付きます。それでマリアは喜びにあふれて、「ラボニ(先生)」とイエス様にすがりつこうとしたのですが、イエス様は「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから」と言われたというのです。どうしてでしょうか。イエス様の言葉は、少し冷たいようにも感じるかもしれません。イエス様は「まだ父のもとへ上っていないのだから」と言われましたが、イエス様が天の父なる神様のもとに行かれたら、すがりついてもよいということなのでしょうか。しかし、天の神様のもとに上って行かれたら、すがりつくことはできなくなってしまうようにも思えます。

 イエス様が「わたしにすがりつくのはよしなさい」と言われたのは、復活のイエス様が共にいてくださるということを、イエス様を見ることや、触れることによって感じるというのではなく、それを越えた信仰のあり方を教えようとされたからだと思います。天の神様のもとに上って行かれても、なお、すがりつくことができる信仰のあり方、見たり、触れたりできなくても、それでもイエス様が共にいてくださるという確かさを感じることができる信仰のあり方です。それは、今の私たちの信仰のあり方に通じるものです。

 今の私たちにとりまして、イエス様が復活されたという出来事は、聖書の言葉を信じる信仰の中にあります。復活され、今も生きておられるイエス様が私たち共にいてくださるということは、見たり、触れたりして確認することではありません。それは、信仰によって感じることなのです。そのような信仰のあり方は、とても不確かで、なんとも頼りないもののようにも思えるかもしれません。けれども、それが、聖書が教えている信仰のあり方、イエス様が私たちに求めておられる信仰のあり方なのです。そして、そのような信仰は、自分の目で見たということの中に、また、自分の体験の中に、その確かさを求めるのではなく、聖書の言葉の中に、イエス様の言葉の中に、その確かさを求めていくものだと言えるのではないでしょうか。そのように考えるときに、それは、決して不確かでも、頼りないものでもなく、むしろ、私たちの体験に基づく確かさよりも、もっと確かで、もっと信頼できるものだと言えるのではないでしょうか。イエス様は復活されました。主は、生きておられます。そのように聖書は、神様は、はっきりと私たちに告げているのです。今私たちと共におられるイエス様と確かな信仰の歩みを続けていきたいと思うのです。

父との別れ                   長谷川泰子

3月22日の夜半、電話がなった。弟からの電話だった。1ヶ月ほど前から入院していた父の危篤の知らせだった。とるものもとりあえず、主人の運転で真夜中東名を走った。入院先の病院に着いたのはあくる日の23日2時だった。病室には静岡教会の藤井先生、弟、妹夫婦がいた。妹が父の手をにぎっていたが私が来るのを見て、席をかわった。父は酸素マスクの下で静かに呼吸をしていた。うっすらと左のまぶたが開いていたが意識は全くなかった。

 私は父の手を握り号泣した。間に合ってよかった。父にわびることがいっぱいあった。私が若かったとき父に対する葛藤があり、その思いはところどころで尾を引いていた。この冷たい娘を赦してほしいと心から願って泣いた。そしていままでありがとうと言って泣いた。妹久美子は母の妹、つまりおばに育てられた。事実を知ったのは成人してからのことだった。臨終を前にしての妹の叫びは心からの叫びだったにちがいない。今までどうして?私を育ててくれなかったのかと思っていただろう。妹も父の手をとり、『久美子だよ、聞こえる?お父さん!!お父さんに育てられたかったよ、お父さん お父さん』と言って泣いた。そんな私たちを見て、藤井先生は讃美歌を歌いましょうと言ってくれた。 “慈しみ深きを歌った。私たち子供の声と讃美歌が父の胸に届いただろうか?

父はまもなく本当に静かに息を引き取った。弟は、父の手を取り 『言いたいことがいっぱいあったのになあ』とつぶやくように言った。そして、『ありがとう』と。弟は、ずっと父によりそってくれていた。父は弟を一番頼りにしていたに違いない。父の長かったであろう96年という人生の歩みが終った。私たち子供の人生は途上にあるが今までのギクシャクしていた関係に終止符を打ちたい。父の枕元で『仲良くやっていくから』と約束したから・・・後で主人が『仲良くできてよかったね』と言ってくれた言葉を忘れない。父に寄り添って下さった皆様に心から感謝します。

 テサロニケⅠ 2:11~12「あなたがたが知っているとおり、私たちは父親がその子供に対するようにあなた方一人一人に呼びかけて、神の御心にそって歩むように励まし慰め強く勧めたのでした。御自身の国と栄光にあずからせようとして神はあなた方を招いておられます。」 感謝!

短歌                  小柳津武子

入所して初めて会いし職員は

心清らな乙女なりき

わきばらのはげしい痛みに耐えかねて

祈りし我は 主のお姿を見る

入所して二度目の新春迎えたる

わが身の幸に感謝を捧ぐ

老いを生きる!  信仰を生きる   

六甲ルーテル教会  森田七三郎

 六甲にて生活しだしたのは、今から25年前のことですから、もう、四半世紀を過ごしてしまいました。私が50歳の頃、住みなれた大阪から神戸に来て、一番感じたのは、大阪の商売の都市と違って、外国人がかつて異人館を建て、現在も山手に残っているものを見ると、重要文化財になっている外国人居留地といったところは大阪にはありませんでした。

 私も、17年前の阪神淡路大震災の年、1995117日は私は58歳でした。勤務していた真珠会社が半壊となり年々不況と不景気になりつつあった2001911日、アメリカで同時多発のテロで米国は誕生以降の大打撃を受けてついに神戸市を支えていた真珠産業が崩壊し私どもはくじけそうになったり、傷ついたり、会社のリストラにあったりしました。気力も体力もかなり消耗しましたが、若さが残っていましたので、私は新しく建物の管理人と会社の独身寮の管理人の新管理人として職務を遂行させていただきました。あの頃は一致団結し誰もが地震に負けない心でがんばりました。

 しかしながら75歳になった私は、70歳で会社を退職してから心臓病になり、昨秋に道端で転倒し右手指を骨折右足膝打撲で現在も治療中でまことに弱い体になってしまいました。

 生きるにしても、死ぬるにしても、あと数年の命と思っていましたが、牧師からあなたは弱っても信仰を生きることができます。それには、礼拝に結びつく奉仕を続けるようにと説教題を毛筆で揮毫し、それを看板にセロテープにはりつけて教会の玄関前に張り出してくだされば、それが礼拝に結びつき奉仕を続けることによって礼拝説教そして最後にかならず牧師を通して全会衆に祝福をいただくことができる、こんなにすばらしい生き方を75歳の高齢者になっても神様はおしみなく与えてくださるのはあなたの小さな賜物を神様が祝福して用いてくださるからです。感謝して90歳までがんばることなく、黙々とみことばの黙想を毎週続けて生き続け同時に神様から永遠の生き方を学び続けてくださるように祈っていますとのことでした。

私の祈り・・・  生涯の日を正しく数えるように教えてください。 アーメン

      詩編90編をお読みください。

《4月の予定》

 □ 4月 1日 (日) 日曜礼拝(聖餐式−子どもメッセージ)

・教会フォーラム  役員会

 □ 5日 (木) 田原牧師滞在日

 □ 6日 (金) 受苦日礼拝(午前10:30)

 □ 7日 (土) 田原夕礼拝(聖餐式)

 □ 8日 (日) 復活祭(聖餐式−子どもメッセージ)・祝会・墓前祈祷会

 □  9〜 10日 教区教師会勉強会(新霊山)

 □ 11日 (水) 聖書に聴き祈る会(午前・午後)

 □ 12日 (木) 田原木曜集会・牧師滞在日

 □ 14日 (土) 田原夕礼拝(聖餐式)

 □ 15日 (日) 日曜礼拝・女性会・壮年会

 □ 17日 (火) 教区常議員会(名古屋めぐみ)

 □ 18日 (水) 聖書に聴き祈る会(午前・午後)

 □ 19日 (木) 田原木曜集会・牧師滞在日

 □ 20日 (金) 朝祷会(みのり)

 □ 21日 (土) 田原夕礼拝

 □ 22日 (日) 日曜礼拝・祈祷会・お便りの集い

 □ 24日 (火) 教区牧師会(岡崎)

 □ 25日 (水) 聖書に聴き祈る会(午前・午後)

 □ 26日 (木) 田原木曜集会・牧師滞在日

 □ 28日 (土) 田原夕礼拝

 □ 29日 (日) 日曜礼拝・青年会

編集後記  桜が満開となりイースターを迎えました。主の復活を心からお祝いし

ます。

皆様の原稿をお待ちします。ファックス・℡0532-61-4822メールga42753@qb3.so-net.ne.jp 長谷川勝義宛