〜情けは誰のため?〜
よく間違って覚えられている言葉や格言の中に、「情けは人のためならず」というのがある。これは「人に情けをかけるのはその人の為にならないから、厳しくやることがいいのだ」という意味ではなく、「人に優しくしてあげることはその人の為だけでなく、廻りまわって自分に返って来るのだから、人には優しくしてあげよう」という呼びかけである。と同時に「人にいじわるしたりすると、それも自分に返ってくる」という戒めも含んでいるような気がする。
もちろん、何でもかんでも優しくすればよい、とは思わない。あいまいになったり、あまく見られるもとともなろう。「時に厳しく」ということも必要かも知れない。その場合「行為を咎めても、人を怒らず」といったバランス感覚が必要だ。
今回のカンニング事件もそうである。確かに受験生を特定するためには、警察の捜査は有効だったに違いない。しかし偽計業務妨害などと、いったいカンニングとはそれほどの犯罪なのだろうか。
犯人として護送されていくところをTVで見るにつけ、何かがおかしいと感じてしまう。ちょっとしたカンニングなら誰しも覚えがあるはず。今こそ大人たち、あるいは社会の懐の広さを示すべきだ。
内々の不合格処理だけで十分であったのに、すでに将来にわたってかなりの社会的制裁を受けているように思う。
この格言の意味するところを深く噛みしめてほしい。情けは「人」のためだけでなく、「社会」のためでもある。
やさしさを失った社会の行き先は「悲惨」である。
|