![]() メニューへ戻る>こんな旅人にあいました |
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1986年 11月その彼女は久美子ハウスに男一人とやって来ました。挨拶を交わした瞬間お腹が大きいことに気付ました。真っ黒に日焼けしており髪は長く何処と無く暗く、悲しい過去を引きずっているようでありました。旅先で知り合ってのことなのか、日本からの付き合いなのかは分からなかったが、どちらにしても目出度いことには変わりなくなぜそんなに暗く悲しい表情をする必要があるのか理解しかねました。暇にまかせ観察しているとその女は男と召使のように接していました。男はその女に命令され尽くすことに喜びを感じているようでもありました。おや待てよその女のお腹の中の子はこの二人の間の子ではないのではと感じられ、やはりそうでありました。その夜それは本人の口から明らかになりました。その女はもうインドを1年以上旅して、初めての海外旅行でありました。その女はある日旅先のある所で像使いの男と恋に落ちその像使いの男との間にできたお腹の子を出産して育てることを決意したのでありました。彼女はタイで生むことに決めタイに戻る途中に久美子ハウスに立ち寄ったのでありました。一緒にいる男とはその途中に知り合い事情を知ったその男は一肌脱ぐ決意を固め彼女を無事タイに連れて行く親衛隊でありました。 1992年2月真夜中パラゴンの屋上でボンをしていると物凄い悲鳴が何処からともなく聞こえてきた。地べたの下から地響きを伴った振動が伝わって来た地震でも起きたのかと思った。その物凄い悲鳴は鳴り止むことはなく延々と続いた。パラゴンの住人が全員飛び起き屋上に上がって来た。付近のインド人も外に飛び出て来た周りの建物から次々と消えた明かりが点き始めた。警官まで駆けつけて来た。パラゴン周辺は人集りの山と化した。その悲鳴はパラゴンからではなさそうであったが原因は不明であった。次の日の朝、朝飯を食べに外に出るとマザーテレサでボランテアーをしているという日本女性が昨夜モダンロッヂで日本の女が気が狂い自殺未遂を起こした。オーストラリア人の男二人と一緒に旅をしているらしく警察ザタになるのを恐れ、彼女を医者にも大使館にも連れて行かないらしい。説得してもだめなのでいっしょに来てくれと言う。興味半分で部屋に行くと。右手を血に染まった汚い包帯でぐるぐる巻きにして目の焦点も合わず、頭の中でジクソウパズルをしている女がいた。何の反応もなく白痴同然であった。ホテルのオーナーも日本大使館に連れて行ってくれないか、彼らが大丈夫だと言い張り断固として彼女を外には出したがらないと言った。事実彼ら二人は監禁して外に出そうとしなかった。さすがに気の毒に思いボランテアー女性にタクシーを掴まえホテルの下まで連れて来るように告げそのボランテアー女性は急ぎ飛び出て行った。時を見計らい女を連れ出し日本大使館に連れて行った。日本大使館の計らいで女を入院させ父親を呼び日本に帰った。父親との再会は悲しいものであった。2年近く何の連絡も親にはしないまま彼ら二人と父親のカードで金を下ろしては旅を続けていたらしい。 |