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2001年夏。プノンペン市内に市バスが走っていました。わずか500リエルの低価格でした。 大いに賑わっており、プノンペン市民にとても愛されていました。公共交通機関なく、交通ルールも存在しないこの首都では、バイクタクシーだけが頼りでありました。ある旅人が以前バイクタクシーを利用中、後方から走ってきたバイクに足を当てられ骨折しました。勿論補償も謝罪もなくて、運転手はそのまま逃げてしまいました。 |
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そんな状況でしたので、私はプノンペン滞在中の市内移動の時、何時も、ものすごい恐怖に駆り立てられながら、仕方なくバイクタクシーを利用してました。 そんな中待望の市内路線バス運行開始でありました。私は在プノンペン滞在が非常に明るく楽しいものになりました。プノンペン市民も、これでバイクタクシーの値段交渉やら、事故に巻き込まれる危険もなくなりすごく喜んでいました。バス乗車中の車内では、プノンペン市民から何度も、ありがとの明るい言葉が聞こえてきました。 この庶民の味方の路線バスは、日本のJICAの援助によって運行されていたのでした。「日本もいいことするもんだなと、それを知ってすごく感激しました」 |
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プノンペン市内のいたるところにバス停の看板が設けられており。200メートルも通りを歩けば、この看板を目にすることができ、路線地図もあり、路線も充実してました。 運行開始後1ヶ月経つか経たないかくらいしてから、待てど暮らせどバスが来ることはありませんでした。不思議に思い看板を読んでみたら「Operating Hours Form 01 June to 30 june 2001 5:30--7:30 Pm daily」運行期間期限切れでした。 今現在も看板と垂れ幕だけが取り残され寂しそうに残っています。 |
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日本の援助で作られた橋。日本橋です。500リエル札の裏に載ってたような記憶があります。 |
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プノンペン市内の公園内にありました。なにかのプロゼェックトのようです。 |
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こんな見落としてしまいそうな道端にも日カン友好の証はありました。 |
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70番ストリート「通称トゥールコック」以前は地道で砂埃がすごくて雨が降れば水溜りになりどろどろの沼と化し酷い環境でした。 日本の援助により綺麗に舗装され、幹線道路として生まれ変わりました。 |