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2000年7月 ウランバートルを出発したモンゴル車両がロシア側に到着。乗客自身がオフィースに出向くわけではなく、入国手続きは列車内で行われた。一般的な国とは逆にカスタムから先に車両コンパートメントに乗り込んで来て、カスタムカードをおいて出て行った。入れ替わるようにイミグレ役人が出入国カードをおいて出て行った。
英語なんて一言も書いてはなくすべて「キリル文字」で書かれていた。悩んでいると英語のわかるおばさんが、コンパートメントに乗り込んで来て口答のみの英語で説明するとさっさと出て行った。 出入国カードは簡単に書き終えたが、カスタムカードの方はすこし時間がかかった。カスタムカードは一枚だけになっていた。通貨申告欄が一番この国では重要だということはだれでもわかる。外貨申告漏れなどあったならば、出国時にどんな罰則が待ち受けているとも限らない。だから正直に申告したのはあたりまえ。すべて現金のみの邦貨換算で、約80万円ほど所持していた。 再びカスタムの役人が先にカードを回収に、つぎにイミグレの役人がカードと共にパスポートと別紙のビザを回収してオフィースに戻って行った。 すごく長い時間待たされすこし焦りがでてきた。もう発車予定時刻まで、時間はあまり残されていなかった。イライラしながら待ち続けていると今度はイミグレが先にコンパートメントに乗り込んでくると、先ほど回収したカード、パスポート、別紙のビザをおいて出て行った。 カスタムが来ない。列車発車まで、時間がない。おかしいと思いきや。列車はモスクワに向かい発車してしまった。さすがに不安を覚え別コンパートメントの西洋人にも聞いて回ると誰もカスタムカードを受け取ってはいなかった。不安と不審の心理状態のままその先、車内4泊5日のシベリア鉄道の旅は続いた。 ツンドラ気候のロシアの地はどこまでも果てしなく同じ景色が続いていた。何時から何分間どこの駅に停車するのかの予定時刻表が、通路の壁に貼られていた。食堂車の食事は驚くほど高く非常に不味かったので、一度だけでやめた。後は適当な停車駅ホームの売店でパンやらお菓子やらを買いこんでは食べ凌いだ。 ロシア国境の町より、モスクワまであと24時間くらいの町々まで不思議な同じ光景が、各停車駅で続いた。駅到着間じかになるとモンゴル車両の乗務員たちが倉庫からどでかい山盛りダンボル箱を引きづり出す。各駅に到着すると人の群れが手に札を握り締めながら列を成して待ち構えている。ダンボール箱の中の中国製衣類を買うためである。 駅に列車が到着停車して、乗り降り口のドアーが開くと同時に日本のスーパーのタイムサービスのように、時間との戦いと化す。車両乗務員たちがダンボール箱からジャージでも、ズボンでも、上着でも、ありとあらゆる衣類を手につかみ群衆の前に差し出す。すると群衆たちは、我先にと争うように衣類を奪い合う。値引きも、品定めもなにもない。ただ車両乗務員の言い値で、飛ぶように衣類は売れていく。停車時間が過ぎ発車してもなお列車を追いかけながら、人の足では追いかけていけない速度に車両が達するまで衣類の販売は続く。一駅で山盛りのダンボール箱の中の衣類はほぼ完売だった。観察していると乗客がホームまで降りて買い物をする時間のある駅での販売はなかった。5分程度のわずかに乗客の乗り降りだけの許される停車時間の駅でのみ販売は行われていた。まさに時間限定タイムサービスであった。また当時いかにロシア領シベリアの地では物不足がすさまじいかも実感できた。 なんの変化もない大地とにらめっこのシベリア鉄道の旅がやっと終わり、モスクワ駅到着。不審に思いそのまま日本大使館に直行。大使館員は親切に応じてくれた。館員の説明によると。よくあることだそうで。各国境のカスタム同士の連携による仕業らしかった。わざとなにも知らない外国人旅行者には、入国時カスタムカードを渡さない。出国時には通貨申告してないことを口実に金を巻き上げる手口。
このように現在のロシア税関の現状を説明してくれました。この国には旧体旧ソビエト連邦法と2000年4月からの新ロシア法がある。旧ソビエト連邦法は金額によらず入国時カスタムカードに通貨申告しないと持ってる通貨は出国時に全額没収。新ロシア法は1500ドル以下の現金の場合は申告不要。1500ドル以上の場合は申告してないと全額没収。トラベラーズチェックは申告不要とのことでした。 ここでよく世界中の旅行者が引っ掛かり被害にあっているらしいのです。出国の時知らないと見ると役人たちは旧ソビエト連邦法をちらつかせ金を巻き上げているようです。こうアドバイスを受けました。「2000年4月から新ロシア法に変わり1500ドル以下は申告不要を知っていると言いなさい。そうすれば彼らも諦める」と。それでもだめなら大使館に連絡して来なさい。合法的な部分に対しては正式に抗議出来るとのことでした。
しかし1500ドル以上ある場合は、残念ながらこの国では言い訳無用。大使館としては何も手助けはできかねるとのことでした。私はこの時全て現金のみで3000ドルと50万円持っていましたが、一言残念だが何もしてあげることはなく、自己責任にて隠すなる何なりとのことでした。
エストニア行き当日。チックアウト直前の部屋で出国準備をしました。腹巻に1450ドル、懐中電灯の中に20万円。残り30万円をリュックサックの底に隠す。懐中電灯を他の荷物と一緒にリュックに詰め込む。残り1500ドルほどをショルダーバックの底を切り裂き隠す。めんどくさいので縫い直さすずそのまま手荷物を詰め込む。 ホテルをチェクアウトしてモスクワ駅に。ターリン「エストニア」行き国際列車出発まで約6時間ほどあるので、駅の手荷物所にリュックを預けた。鍵は、すればなにか高価なものが入っているかもと思われるのを避けるためあえて使わなかった。出発時刻も迫り手荷物所でリュックサを受け取りいざ列車に乗り込んだ。 4人用コンパートメントには、西洋人の青年と私の二人だけだった。列車はロシア車両で、2等寝台車両でありながら贅を尽くした豪華なつくりであった。通路にはふかふか豪華なカーペットがほどこされ、コンパートメント内のつくりは、刺繍入りの贅沢で芸術性にとんだカーテン。室内床にも通路と変わらぬ豪華なカーペット。ミネラルウオーターにクロワッサンとフルーツが提供されていた。ベットのシーツも真っ白に洗われた清潔なもので、毛布も豪華清潔なものであった。 午後8時くらい列車はターリンに向けて出発した。同室の西洋人の青年とは一言も口をきくこともなく眠りについた。明日早朝ロシア側のカスタムでのことを思うと不安で、不安で、寝ては起きての繰り返しで熟睡できなかった。 まだ日も昇らぬうすくらい朝方。ゴンゴンゴンとドアーを叩く音とロシアンカスタームーと叫ぶ役人の声で叩きで起こされた。西洋人の青年がドアーの内鍵を開けた。
役人が入ってくると、一言目に口に出した言葉は案の「カスタムカード」であった。親切にも手を私の鼻先まで伸ばしながら。。私が「カスタムカードはない。1500ドル以下しか現金をもってない。だから申告してない」と間髪入れずに答えると。案の定役人は旧ソビエト連邦法をちらつかせながら「カスタムカードに通貨申告してないとロシアの法律ではもってる金を全額没収する」と勝ち誇ったように大声でまくしたててきた。私は大使館員に言われたままに「今年の4月からの新ロシアン法を知っています。1500ドル以下の現金しかもってなければ、通過申告する必要ないことも知ってます」と反撃。 すると役人「今から所持金と荷物検査をする」と大声でいう。私は腹巻からありたけの現金を見せると、役人は丹念に何度もドル札を数えなおす。でも1500ドルに達していない。役人「つぎは荷物検査だ!!リュックの中の物を全部出せ!!」と叫びながら、勝手に調べはじめた。中のものを全部出させれ、ああでもない、こうでもないと荷物を一品づつ、書物なども1ページづつめくては調べはじめた。もちろん懐中電灯も手に取り眺めている。一瞬ひやっとしたが、中までは調べず放り投げた。リックの底にも手を入れ触りだした。またもひやり、しかしそこまでだった。これで終わるかなと思いきやつぎは、最後に残っていたショルダーバックを手につかみ毛布やら、洗面用具やら、詰まっている中に手を突っ込み底まで手探りしだした。荷物を全部出されれば、ばれてしまうかもとすごく不安になりおもわず目を瞑りたくなった。がそこであきらめたらしく、ショルダーバックをを放り投げると、役人たちはすごく悔しそうな顔をしてコンパートメントから出て行った。 これほど旅先で絶体絶命の状況に陥ったことはなく、役人が出て行くと緊張の糸がほぐれ、どっと疲れがでてきた。あの世間を騒がした。ある先生の日露友好の証である友好の家の温もりは、残念ながらロシア国境の町では届いてはいませんでした。 台北ホテル横の祠に手を合わせ安全無事を祈願して旅立ちました。 ![]() 2000年の旅は「バンコック→カンボジア→ベトナム→中国→モンゴル→シベリア鉄道でモスクワ→エストニア→ラトヴィア→リトアニア→ポーランド→チェコ→ウイーン→ハンガリー→クロアチア→ボスニア・ヘルツェゴヴィナ→ユーゴスラビア→ブルガリア→ルーマニア→イスタンブール」まですべて陸路移動でした。これだけ大掛かりな陸路移動は、今までしたことがなくて、すごく満足できました。イスタンブールから飛んでバンコックに戻りました。 ![]() クレムリン「モスクワ」↑ ![]() クレムリン「モスクワ」↑ ![]() モスクワ↑ ![]() ターリン「エストニア」↑ ![]() ターリン「エストニア」↑ ![]() ターリン「エストニア」↑ ![]() ベオグラード「ユーゴスラビア」アメリカは誤爆だと主張しているらしい。旧中国大使館跡。↑ ![]() ベオグラード「ユーゴスラビア」旧中国大使館跡↑ ![]() ビリニュース「リトアニア」↑ ![]() ビリニュース「リトアニア」↑ ![]() サラエヴォ「ボスニア・ヘルツェゴビナ」 ラティンスキー橋「旧プリンツィプ橋」この橋から第一次大戦がはじまった。↑ ![]() サラエヴォ「ボスニア・ヘルツェゴビナ」 ラティンスキー橋「旧プリンツィプ橋」↑ ![]() プラハ「チェコ」↑ |