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石橋正澄(石橋道場師範) 
 昭和42年1月16日生まれ(愛知県出身)
18歳より新国際空手道連盟芦原会館茨城道場(現、空手道天心会館総本部)
にて空手をはじめ、海老根功支部長(現、天心会館館長)の指導の下で
芦原英幸先生の築いた本物のサバキを学ぶ。
20歳で黒帯取得し、22歳から23歳までの約1年を芦原空手の聖地
と呼ばれた「芦原会館八幡浜道場」に住み込み中元憲義師範
(現、国際空手道中元会館館長)の指導の下で空手修行。
その後出身地名古屋に戻り少数の仲間とともに自身の空手練習を
していたところから発展し、市の体育館等を借りて空手指導をはじめる。

☆海老根功先生との出会い 〜 目指す空手
 私が高校時代、関西の方に行っていた兄がそちらで芦原空手を始め、
その影響から自分も芦原空手を学びたいと思いました。しかし当時は
名古屋地区に芦原空手の道場はなく、一人でまねごとをしたりしながら
その思いを募らせていました。
 茨城の大学に進学することが決まり当時の本やパンフレットで芦原空手
の道場一覧を見ると茨城支部長名は篠塚(旧姓)功とありました。いったい
どんな方なのだろうという気持ちで道場を訪ねました。当時は自分の下宿から
原付で1時間ほどのところにある田舎町の幼稚園の一室を借りて稽古をして
おり、土地勘もなく探すのにずいぶん苦労しました。 
 幼稚園に着くとまだ時間が早かったらしく空手着を着た子どもが2〜3人いましたが、先生はいらっしゃいませんでした。しばらくして自分と同じぐらいの背丈でがっちりとした体つき、短髪でいかにも空手家といった感じの方が来られたので見学を申し入れると快く受けてくださいました。「この方が篠塚先生か、、いかにも強そうだ、、」そう思ってその黒帯を見ると「三輪一夫」(現・空手道天心会館八郷道場師範)とあります。しばらくすると身長は少し低いけれども引き締まった身体の目つきの鋭い方が来られました。黒帯の名前を見ると「篠塚功」とあります。ウォーミングアップを見ているとものすごいスピードの蹴りをビュンビュン出しています。「すごい!さすがに強そうだ!」手にうっすらと汗をかきながらその動きを見ていました。
 しかしまたしばらくすると身長が低く、物腰のやわらかい本当に田舎の普通の人という感じの方が来られて、その方をみなさんが「先生」と呼んでいます。「あれ?どういう人なんだろう!??」と思って黒帯の名前を見ると「篠塚功」とあります。実は最初に来られた「篠塚功」の帯をした方(杉山健一、現・空手道天心会館水戸道場師範)は先生の古い帯を譲り受けて使っていたということだったのです。
 まず驚いたのはその身体の柔らかさでした。完璧に180度開脚して上体を前に倒し胸まで床にぴったりと付けていました。また空手着を着るとずいぶん印象も違って見えて、ぎょろっとした大きな目は鋭く、気合いを入れたかけ声には圧倒される迫力がありました。動きは俊敏でしかもどっしりとした安定感があります。それでいて冗談をいっぱい交えながら、わかりやすく野球の動きなどに例えたりしながら熱心に空手指導をされていました。
 「これはすごい先生だ!!」梶原一騎氏は芦原英幸先生を「陽気な宮本武蔵」と書いていたが、この先生こそ「陽気な宮本武蔵」なのではないか、、!?
 この出会いが私の人生を変える大きな大きなきっかけとなったわけです。
 私は海老根先生の下で練習に励み、先生の動きや一言一言を全て吸収しようと努力しました。当時は組手もバンバンしていて、すぐにムキになる(?)私のせい(??)もあったのか当時すでに黒帯だった三輪先輩、杉山先輩以外の先輩方は私が黒帯になるまでの間に全ていなくなってしまいました。先生は一通りの稽古を終えてからまた私を呼んでくださり延々と組手をしたりしたものです。私は高校・大学と陸上部に所属し100mを11秒で走り、ベンチプレスでは100s以上持ち上げ、スピードやパワーにはある程度の自信がありましたが身長差も15pほどあり(私の方が大きい)年齢も一回り違うのに海老根先生には全く歯が立ちませんでした。そういったものを超越した空手の技術があるのです。それを今現在も追求しているのです。
 海老根先生は20歳の時に八幡浜(当時は極真会館芦原道場)へ渡り「ケンカ十段」と呼ばれた芦原英幸先生の下で空手修行をされました。165pほどの身長しかない海老根先生は相手を崩したり相手の力を利用する技術やポジショニングなどサバキの空手を追求し人一倍の努力をされたそうです。当時の芦原道場で黒帯を取るのは至難のことであったのに、わずか2年で初段となり、その実力と人柄から寮長を任されたと聞いています。その後出身地である茨城へ戻り極真会館芦原道場茨城支部を設立(これが関東で最初の芦原道場であった)。昭和55年芦原先生が極真会館から独立し新国際空手道連盟芦原会館を設立したのに伴い、芦原会館茨城支部の支部長となり、平成7年芦原英幸氏の没後、独立し空手道天心会館を設立しました。
 海老根先生は芦原先生の直弟子であり本物のサバキを身につけた数少ない人物の一人です。さまざまな動きを見る目、その着眼点は鋭く発想は柔軟で、50歳近くなった現在においても突き・蹴りのパワー・スピードやその動きは全く鈍ることなく、卓越したサバキ技術はまさに達人の域に達していると言っても過言ではありません。
 現在、天心会館は海老根先生の高弟たちが次々と支部を設立し茨城を中心に活動を広げています。しかし天心会館では弟子たちにそのスタイルを強制はしないので各支部ではそれぞれの支部長により個性的な指導が行われています。数々の大会に出場し常に上位に食い込む活躍をしている者もいます。その中にあって私は海老根先生から学んだサバキの空手(≒芦原空手)をより深く理解し大会思考ではない実戦空手のサバキ技術をひたすら追求していくことを目指しています。
 

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いしばし まさずみ