開田おやじの   その1 01年12月まで


手乗りカマキリのカマ子ちゃんの話   01年10月16日UP

手乗りカマキリなんて、聞いたことありますか。
手乗り文鳥ってのは聞いたことあるけど、カマキリとは?! ・・・。聞いたことないですよね。
その、手乗りカマキリに会って来ました。ところは、開田です。
9月24日。素晴らしい上天気。御嶽山がハッキリクッキリ見えて、開田高原を渡る風はさわやかでした。
昼頃、開田の友人Aさん宅へ所用でおじゃましたのですが、「まあ上がって」の言葉に甘えて、家内ともども、ずうずうしく部屋に上がりこんでしまいました。
その数日前にAさんに電話した時、「可愛いいカマキリを飼っている」と、それはうれしそうな口調で話していたので、そのことを聞いてみました。
すると、Aさんは手をたたいて、「カマ子ちゃ〜ん、おいで〜」と呼ぶと、どこからか、カマキリが1匹、テーブルにやってきました。
・・・というのはウソ。そんなこと、ある訳ない。
本当のところは、Aさんが家の中の心当たりを捜して、手に乗せて連れてきたのでした。
いやあ、ほんとだ。これが手乗りカマキリか!!。
カマキリは、Aさんの手の上でおとなしくしていて、逃げたり、カマを振り上げて威嚇したりしないのです。弱っていて、ということでもなさそうで、いつもはユッタリノンビリしていても、虫を自分で取るときは実にすばやい動きだとか。・・・そう話すAさんは、子供を自慢する親の顔のようにうれしそうでした。
びっくりするのは、ミルクをやれば飲むし、トマトや肉も食べるんだそうです。手乗り、と名づけた所以(ゆえん)です
少し大柄でお腹がふっくらしているので、Aさんは勝手に女の子と決めつけてカマ子と名づけたとの話でした。
私も、おそるおそる手を出してみました。Aさんがカマ子ちゃんを私の左手の人差し指に乗せると、そのままおとなしくしているではありませんか。
右手の指で背中をなぜてやっても、怒って威嚇するでもなく、何だか安心して甘えているふうにも見えます。カマキリなど嫌いな自分ですが、こうしていると可愛くなってきました。例の三角形の顔をこちらに向けて、つぶらな瞳で何か言いたそうです。何とも不思議な気分でした。
家の中にカマキリが入ってきたら、追い出すのが普通でしょう。自分もそうしたかもしれません。Aさんご夫婦は、こんなカマキリのような小さな命にも慈しみの心をもって接している・・・。改めてお二人のお人柄に あたたかいものを感じた開田おやじでした。
さて、あの抜けるような青空の日から3週間あまり。時折、カマ子ちゃんのことを思い出します。そして、Aさんに電話して聞いてみようかな、と思いつつ、聞けないでいます。
「カマ子、死んじゃったあ」と、Aさんがさびしそうに言うのじゃないか。あるいは、ひょっとしたら、「カマキリのカマ子だって?。なにぃ?、その話・・・。なんか夢でもみたんじゃないの?!」と言われてしまうんじゃないか。
そう、あれは中年ボケ・開田ボケの開田おやじが、あの日、夢野山荘の庭の長椅子でウトウトして見た幻想だったのかもしれません。
なお、このAさんの事については、出会いふれあいのページでも紹介していますのでご覧下さい。

開田おやじの身辺雑記  (2001年5月28日) 


この写真は、我が家のネコ、しんちゃんです。
開田高原がテーマのサイトになんでネコが?。疑問はごもっとも。
「あんまり可愛くもないんじゃないの?」・・・それもごもっとも。
でも、このしんちゃんは 『開田ネコ』 なんです。開田に縁があるのです。

開田ネコとは、開田へ行ったことのあるネコの意味で名づけました。
我が家には、開田おやじと、開田おばさん(家内)と、開田ネコしんちゃん、それと開田犬ドル君がいるのです。(もう1匹、開田に行ったことのないネコのごんちゃんがいるのですが。)

しんちゃんの話に戻ります。
しんちゃんは、1994年7月に我が家にやって来ました。そして、何と、生まれて3週間ちょっとの8月13日に開田へ行っているんです。
(その時の話は「開田おやじの部屋」の思いがけない出来事がみっつも(第1回交流会ほか)をご覧下さい)

そのしんちゃんが、先日の大型連休明けから具合が悪くなりました。くしゃみの連発、鼻水、鼻詰まり・・・。まったく食べなくなり、水も飲まない。家内はオロオロして、医者へ4回も連れて行ったものの、なかなか良くなりませんでした。一時は、こりゃダメかな、と思いました。
飲まず食わず、ぐったりの闘病生活が10日あまり。命のともし火が消えずに残っていました。やっとよくなりました。
当人?もずいぶんつらく、苦しかったのでしょう。そして、良くなってうれしかったのでしょう。5月なので(寒くないので)、普通なら夜ふとんに入ってくることなどないのに、私のふとんに3晩、家内のふとんに1晩入ってきて,ゴロゴロ言いつつ寝ました。ネコなりの喜びの気持ちを、そんな行動で表わしたんでしょうか。
やれやれと思ったのも束の間、今度は1週間もたたないうちに、もう1匹のネコ、ごんちゃんが発病!!。
そうなんです。伝染性の病気だったんです。ネコウィルス性鼻器官炎というのだそうです。
参考サイトhttp://www.ne.jp/asahi/conago/nimravus/vus2/wirs.html
 に参考文献があります。3種混合ワクチンが有効とのこと。ネコを飼っている皆様。どうぞお気をつけ下さい。
しんちゃんは私のサイトに登場したほか、実は、中日新聞にも登場しています。
平成12年3月1日夕刊『ハロー!ペット』のページの『私のペット体験』というコーナーに載りました。私が投稿したのです。
文章は次の通りです。(掲載の文章のまま)
(写真も上と同じのが載りました。240字程度という制約があるため、字数を削るのに苦労しました。なお、文面にもありますが、当時は我が家には他に2匹のネコがいて、合計4匹でした。その2匹とも年寄りネコだったため、昨年(2000年)夏から今春にかけて相次いで天国に召されました。)
命あってこそ  (中日新聞掲載の原稿)
ちょっとすまし顔の女の子、私は我が家の4匹のうち、一番若いしんちゃんです。
ママに拾われたのは5年前の夏。生まれてすぐ捨てられ,アリがたかって虫の息でした。ママの大きな愛で私の命は救われ、元気に育ちました。
アリにほっぺの肉を食べられたため、顔はゆがんで鼻筋が曲がり、ひげが斜めに生えているのですが、わかりますか。
でもいいんだ、美ネコでなくても・・・。何よりも元気でこうして生きていられるから。
皆さんにお願いです。小さな命を捨てないでね。

実は、よその人には、しんちゃんの顔を見せないようにしています。…顔がゆがんでいることに気がつくと絶句されてしまうので!。
そんなコですが、こんな雑文をものにするくらいで、開田おやじは、このしんちゃんが可愛くてしょうがないのです。哀愁があって、いじらしいのです。
目下のひそかな願いは、しんちゃんをもう一度開田の自然の中であそばせ、走り回らせてやりたい、ということで
す。

覚明行者像覚明者の生誕地を訪ねて平成12年11月UP 

覚明行者(かくめいぎょうじゃ)・・・あなたはこの名を知っていますか?
開田大好きな人なら、一度はこの名を聞いたか読んだことがあるのでは? 
江戸の世に、御嶽山に魅入られ、苦労の末に御嶽山を開山した人として広く知られています。

彼はこの開田にもいくつかの足跡を残しています。
《松の木の育っている所なら稲も出来るはずだ》・・・と村人に提案して、開田村西野での新田開発に貢献しました。それで西野の稗田の碑には覚明行者をたたえる言葉があるそうです。

いわば、御嶽山大好き&開田大好き人間の大先輩 ? ! という訳です。そして、尾の島の滝で修行し最後は御嶽山で死んでしまったと言う究極の開田人でもあるのです。


その覚明さんの思いの万分の一でも味わいたくて、覚明行者の誕生の地を訪ねてきました。

名古屋のすぐ近く、春日井市牛山町に天神社(牛山天神社)という立派な神社があります。その天神社に隣接して覚明霊神をまつる記念碑があったのです。そこには、覚明さんの像が建てられていました。
覚明さん こんにちは。開田おやじと申します。初めまして。あなたの時代の開田はどんなだったですか?あなたはどんな思いで開田へ、御嶽山へ出かけたのですか? 奥さんと離婚までして・・・。
秋晴れの空の下、御嶽山の方を眺めて立つ覚明行者の像・・・おっと話を作ってはいけませんネ。覚明さんは実は、名古屋の方角を向いていました。開田おやじの問いかけにも、まゆひとつ動かさずに・・・。
覚明さんの足もとに覚明行者をたたえる記念碑があり、その碑文には次のように書いてあります。(一部、省略し、表現を変えてあります)
木曾御嶽開山大先達覚明行者は、今より273年前尾張国春日井郡牛山村の農民丹羽清兵衛妻千代の子としてこの地に生まれた
覚明は修験道の法号である。
幼時、故あって生家を離れ貧農の家で養われたが、やがて枇杷島村清音寺の徒弟となり、道生と号した。後、医師井上某の箱持ち(助手のこと?)となる。児玉村より妻お梅を娶り、米屋に雇われ、妻とともに 餅や粥を商っていた。
暮らしは貧しく、赤貧洗うがごとき生活苦にあえいでいた。
一夜、彼は決然として妻を離別し!!、単身、四国四十八箇所を7回巡拝する旅についた。満願の日、土佐の国山中で
の夢想の中に神の声を聞いた覚明の二字を授かり、「なんじ、木曾御嶽を開山せよ」とのご神託であった。

まず、美濃の国恵那山を開き、ついで天明初年、御嶽山麓黒沢村(現在の三岳村)に到り、庄屋田中新左衛門にその旨を懇請したが、許されず、かえって覚明を福島番所に拘禁するに到った。やがて出所の後、万難を排し村民の協力を得、ついに天明7年6月23日登頂し、二の池畔において立ち往生を遂げた。
ああ、覚明行者。 資性温良、信心堅固、自然を尊び人間を愛し、未踏の(
注、これは誤り)霊峰を大衆の手に開放した。没後行者の威徳をしのんで霊神の尊号を贈った。
この春日井市の辺り、昔は晴れた日には霊峰木曾御嶽山がクッキリ見えたのでしょうね。そして、そのお山を見て育つうちに、あこがれが生まれ、その思いが信仰心に変わり、開山という行動へ駆り立てる原動力になったのでしょうか。それも、妻を離縁してまで・・・。やはりすごい、御嶽山の魅力は・・・。

開田おやじの身辺雑記(平成12年9月24日)

蕎麦って本当にうまいの?・・・うどん・きしめんで育った開田おやじがソバについて考える!?・・・

10月1日は、いわずと知れた開田高原そば祭。
そこで、ちょっと蕎麦の話を・・・


私は長いこと、「蕎麦ってのは、ほんとにうまいのだろうか?
と、ばく然と疑問を持っていた。・・・木曾馬と蕎麦の里、開田村には申しわけないことだけど。
そんなことを考えるのも、名古屋で生まれ育ったせいだろう。
名古屋といえばうどん、きしめんの土地柄だ。うどん屋はあっても、蕎麦屋は余り見かけない。生まれてこの方、中華そばは食べても、そば(日本蕎麦)は食べたことはなかった。
だから正直なところ、蕎麦の味がわからなかった。あんなボソボソしたような、のど越しの悪そうなものが、うまいのかな・・・と思っていた。あえて、食べようとも思わなかった。

さて、私が開田に通いだしたのは10年前、平成2年のことだ。
開田の事を知ろうとすれば、やっぱり蕎麦のことも知らねばならない、ソバ通にならなければ・・・とあちこちの(開田や木曽福島の)店で食べ歩いてみた。
FMT屋さん、TS園さんもKG食堂さんTKMさんもいまいちだった。MTBさんとやまゆり荘で食べた時は「ウーン ちょっとうまいのかな?これがそばのうまさかも?」と思ったこともある。木曽福島の有名なKRM屋も、感激する程のことはなかった。やっぱり、蕎麦のうまさがよくわからなった。(お店の方、ゴメンナサイ。永年の間、うどん・きしめんの味に舌とのどがドップリつかっているせいなのです。)

そんなことで悩んで?いたある日、突然、転機が訪れた。
やまゆり荘がオープンしたのは平成4年夏だが、翌年の正月2日のこと、一人でやまゆり荘へ行くと、フロントで『年賀』の粗品として蕎麦の1食分袋入りをくれた。3日にも行ったので、合わせて2食分をもらった。「霧しな」の乾麺だ。4日に家に帰り、たまたま家内がいなかったので、昼食に自分でざる蕎麦を作ってみた。
それを口にいれてみると、ウ、うまい!。うまいではないか。今まで食べたうちで、一番うまいではないか。
感動した。
あっという間に1食分を食ってしまった。すぐ残りの1食分もざるにして食ってしまった。
それ以来、蕎麦のことが少しわかるような気がしてきた。霧しなの乾麺を多量に買いこみ、自宅でよく蕎麦を食べるようになった。
ところが、今度は心配になってきた。乾麺は、本当の蕎麦ではないのではないか。原材料の欄に、最初に小麦粉と書いてある。そば粉は2番目だ。
ということは蕎麦とは名ばかりで、実態は「蕎麦風うどん」ではないか。ずんね空間さんの記事にも「あの蕎麦は、蕎麦ではない」と言うようなことが、確か書いてあったような気がする。うーん!?
乾麺に対して疑念を持ってしまったためか、平成5年正月のあの感動は、その後味わうことはできなくなってしまった。あの味は、あの感動はなんだったのだろう。夢か、幻だったのか。霧しなさんが材料をけちるようになったのか、製法が変わってしまったためか。・・・ツライ。さびしい。でも収穫があったとすれば、どうやら、「
うどん・きしめんはお腹で食べ、蕎麦は心で食べるもの」らしい、という事がわかったことか。
長々と書いてしまった。

結論を書くと、今でも『やっぱり蕎麦のうまさがわからない!』 である。開田おやじの求道の道は、まだまだ続くのである。
どなたか、『ここの店の蕎麦が本当の蕎麦だよ、これが本当の蕎麦の味なんだ 』 と救いの手を差し伸べてくれないものだろうか。
そんな迷える開田おやじであるが、ひとつだけご報告しておく。
今年5月、開田のAさんに連れて行っていただき、ある開田のソバやさんで食べた『すんき蕎麦』。これがうまかった。温かい蕎麦に、絶妙なすんきの酸味と歯ごたえ・・・。
これが開田のふるさとの味なのだ、と思った。おなかも心も暖かくなった。もっとも、このすんき蕎麦がおいしかったのは、ご一緒してくれたAさんの温かい心遣いのおかげでもあったのだ。(ちなみに、このお店は、MTBさんである。)

みなさんも、一度、このすんき蕎麦を食してみてください。(季節限定とのこと)


  《お断り》 前記の全てのそばやさんの名前は仮名です。
「うどんきしめん人間」に育ってしまった開田おやじが、独断と偏見に満ち満ちて、そばへの思いを書いたわけですので、種々失礼があるかと思いますが、どうぞお許し下さい。


開田おやじの身辺雑記  (2000年9月12日)

東海地方記録的な集中豪雨で、被害甚大(9月12日)
9月11日朝から降り出した雨は、正味1日で1年の降雨量の3分の1が降るという記録的な集中豪雨となった。12日明け方には庄内川、新川、天白川などの河川氾濫(堤防決壊)を招き、床上浸水や交通機関の運転取りやめなど、近年にない甚大な被害となった。愛知県で2万人が避難生活を余儀なくされたと言う。
私の周辺でも、12日には、息子と娘が交通機関の途絶のためそれぞれの自宅から仕事先に出勤できなくなった。かく言う私もJR中央線と太多線が不通となり、やむなく仕事を休むこととなった。(3週間ぶりの休みが取れ、ホームページの更新もできて、lucky!いや、不謹慎でゴメンナサイ)
それから、家内の実家(名古屋市緑区鳴海町)が11日夜から床上浸水となった。家内の母が寝ついているので、大騒ぎで2階に上げたと言う。大変なことだ。親思いの家内は、11日夜には心配でなかなか寝られなかったようだ。
雨が上がっても後片付けが待っている。
(家内の実家を含め)世間の皆々様のご苦労を思うと、胸がふさがる思いがする。心からお見舞い申し上げます。

開田でも、観光案内所HPによれば西野川を岩がゴロンゴロンと流れて行くほどだったとのこと。被害が出なければよいがと願う。



開田おやじの身辺雑記・・・2000年夏の巻 (2000年8月27日)

私(開田おやじ)は今年のお盆休みはとうとう開田へ行かなかった。休みが取れず、行けなかったのだ。例年なら1泊か2泊していたのに・・・。そんなことはここ8年間なかったことだ。残念・・・。
でも、代わりに、と言うか、大勢のひとが夢野山荘を利用して開田の夏を楽しんでくださった。
花あり、夕立あり、酷暑あり、落雷あり、クマ騒動ありの今年の開田・・・。そんな開田に小学1年生から還暦過ぎの万年青年グループまで、大勢のみなさんの笑い声がコダマしたのだ。うれしいことだ。
そして、みなさんが書きこんでくれた落書きノート・・・。
ここに夏の落書きノートを一挙公開します。パチパチパチ!マークのついた各部屋のページをご覧下さい。

8月16日夜、我が家のネコが死んだ
4匹いるネコのうち、一番年寄りの 「 ミミ 」・・・17歳だった。
寝こんで13日間・・・。医者にも3回連れていったがとうとうだめだった。家内はひどく泣き悲しんだ。
日本ネコの鏡のような可愛いくてかしこいネコだった。6匹の子を立派に育てた。最近は年取ったので、「元祖ミミちゃん」とか、「ばばちゃ」と呼ばれて、家内にべったりで生きてきた。家族の一員だった。
花いっぱいの通夜のあと、翌朝、我が家の団地のすぐ近くの丘の上に葬った。
ミミの新しい墓標に並んで古いふたつの墓石がある。ミミの子供の「うっぷ」と「べんけい」の墓石である
今は天国で、自分の子供達に会って、一緒に楽しく遊んでいることだろう。

悲しい別れがあれば新しいスタートもある
息子が知人と共同経営でインターネット関連の会社を先月立ち上げた。

I Tなどともてはやされている分野ではあるが、趣味でホームページを作っているのとは訳が違うだろう。やっていけるのだろうか?体を壊したりしないのだろうか?。親としては はなはだ心配である。

地図を買うときは札束を持って?!  2000/1 by Kaida oyaji

色々な事情で、開田へ行けない。行きたいのだけれど、行かれない。
そこで、インターネットのご厄介になるのである。ずんね空間を、開田高原公式ホームページを、その他の開田関連のサイトを見る。
とても興味深く楽しい。

フムフム、なる程なと感心しながら見ると、「開田へ行きたい病症候群」もいくらかおさまる。
時には投稿をする。投稿もあまりに しょっちゅうでは迷惑かな、申し訳ないかなと、自己規制することもある。
去年(1999年)の9月からは、こうして自分のホームページも作った。
行けないのなら、心機一転、違う観点で開田を楽しもうと、「開田高原大地図」なるものを作ることにした。国土地理院発行の地図を縦横に切りつないで、開田だけでなく三岳村、王滝村、木曽福島、それから高根村などを網羅する大地図である。
その素材になる地図を買いに、名古屋の地図専門店に行った。アルプス社である。
さすが、専門店・・・必要な地図が全部そろっている。一部の地図はすでに持っているので、残りの必要な6枚を選び出してレジへ。
そこで、事件は起きた。心を凍りつかせる事件が・・・。
レジのおねーさんがなれた手つきで地図の枚数を数え、レジの機械を打ちこみながら言った。・・・「2万5千かける 6」 と。
確かにそう言った。そう聞こえた。頭の中のコンピューターがフル回転?した。
『ゲッ、2万5千かける6では、十万円越すではないか。ウッソ-。そんなに高いのか-。・・・そんな金持ってないゾー!』
・・・・・・・・・・・・・・
一瞬の静寂の後、事件は解決に向った。
結末・・・結局「2万五千」分の一の地図を6枚という事だったのだ。。冷静に考えれば、何と言うことはなかったのだ。カネは2千円でおつりが来た。
やれやれ、一件落着。ホッ
今、その開田高原大地図は、丸く巻き取られて我が家の本箱の上に置いてある。時々は広げて、悦(えつ)にいっている。

開田の動物達よ、ゴメン!!  97/01 by Kaida oyaji

《その1》

翌日からパートの仕事があるため家に帰る家内を、山荘から木曽福島の駅まで送り届けての帰り道。
池の沢から柳又(やなぎまた)へ下りる道で、車のヘッドライトに突然白いものが写った。右から左へ、車の直前を走り抜けようとした。
ウサギだ。雪ウサギだ
急ブレーキをかけたが間に合わなかった。小さいショックを感じた。
あわてて車を止め、「もしぺチャンコになっていたら弔ってやらねば・・・」と探したが、林の中に逃げこんだのか、姿はなかった。
ごめん。避けようがなかったんだ。
無謀にも直前横断を企てたキミに落ち度があるんだよ。
でも、ゴメン。
大したケガでなかったらよいが・・・。
お母さんウサギでなければよいが・・・。そして、子ウサギがお母さんの帰りを待っていたりしなければいいが・・・。
暗い気持で、夢野山荘に戻った。その夜は、なかなか寝られなかった。。

《その2》

スキー場でリフトに乗っている時だった。(勿論、開田高原マイアスキー場ですぞ)
下の雪原を、小さい動物が右の樹林から左の林に走っていった。
あっリスだーっ!

体つきと、ふさふさの尻尾から、リスに間違いなかろう。こんな真冬の、エサもなさそうな雪野原で・・・。
本当なら、秋に木の実をたらふく食べて、貯えて、木のウロで冬眠している頃だろうに・・・。
ゴメンね、人間の勝手で静かな山を切り拓いてしまって。そして騒々しくしてしまって・・・。
ゴメンね、君達が安穏に冬眠できなくしてしまって・・・。
この、リスの話には後日談がある。
正直に言おう。
家に帰って、百科事典を出してリスの生態を調べた。そしたら、な〜んと、
リスは冬眠しないと あった。
いや〜、お恥かしい。
知識の裏打ちのない、何と安っぽいヒューマニズムであることか!
エセ動物愛護主義者は、思わず顔を赤らめたのであった。

isao さんへのはがき   by kaida‐oyaji

Isao さん 先日は 『たらの芽の里』 への詳しい地図を書いて教えてくれてありがとう。そのたらの芽の里へまた行って見たら、たらの芽たちが話しているのが聞こえました。以下は、内緒で聞いたたらの芽の話です。

『この前、埼玉の Isao さんが来て、私たちのたらの芽の里を見にきたと思ったら、次の週には例の開田おやじが来て、たらの芽を何本か取って大喜びで帰って行ったらしいよ。
このたらの芽の里が世間の皆さんに知られたらいやだなと思っていたら、やっぱり、みんなに知られたらしいね。
たらの芽。守りたい

わたし達、春になったら芽を伸ばそうと思っているのに、人間たら、たらの芽を見つけたらヤタラ、メッタラ 芽をつみとってしまうんだから、腹だたらしい、いや腹立たしいったらありゃしない。人間たら、口では自然保護とか言っているが、やることは出たら目なんだから・・・。
でも、この間来た人ったら、たらの芽ではないうるしの木かなにかをとって食べたらしく、口の中から、胃の中からひどくかぶれたらしいよ。それで こりたらいいね。』

・・・・ここまで書いたところで、出たら目な作り話に自分でもあきれたらしくて、よだれをタラリとたらして眠ってしまったらしいです。はがきによだれのたれたらしい跡がついてしまいました。きなたらしい葉書になってごめんなさい。さて、起きたら、夕ご飯のタラちり鍋でもタラフク食べることとします。またらい年にでも開田で会えたらうれしいね。では、さようたら
PS この文中、「たら」がいくつ出てくるか当てたら、景品を差し上げます。・・・というのは、でたらめなうそっぱちですったら。


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