・・・・・部屋  (その1)

開田おやじの部屋(その2)  開田おやじの部屋(その3


開田おやじの開田への旅  (2000年8月1日)

清楚なマツムシ草マツムシ草に心洗われる の巻

今日も日帰りで開田へ。
・・・気ぜわしいが、貧乏ひまなしというやつで、しょうがない。

新地蔵トンネルを抜けると、路傍にはコスモスが咲きそろっている。開田へ来たんだな、いや、帰ってきたんだなと言う感じがする。老人会の方が手入れをしてくださっていると聞く。ありがとうございます、老人会の皆々様。

観光案内所に立ち寄り、最新情報をMさんからお聞きする。飛びきり元気のよいMさんと話しをしているとこちらも元気になってくる。お客様がひっきりなしに訪れる。夏場のハイシーズン真っ盛りなのだ。

10時過ぎにわが夢野山荘に到着。日差しは強いが、風はやっぱりさわやか。木陰に入れば涼しい。
何と言っても標高1200m、ここは開田高原なのだ。
おや、遠くではカッコウが鳴いている。お〜い、カッコウさん、声を聴かせてくれてありがとう。まだ帰らなくてもいいのか〜い? 
ちなみに、例年だと、7月20日頃にカッコーは渡って行ってしまう)
今日の目的は、草刈りなのだ!!
夢野山荘の敷地(庭)いっぱいに天下を誇っている雑草を刈り取ろうという訳だ。ずーっと気になっていた。家内も仕事の休みをとって一緒に手伝ってくれると言う。
車から、エンジン刈払機を出し慣れない手つきでエンジンを掛ける。エンジン快調。草刈りにかかろうとすると、家内が「***は持ってきたの?」と言う。
シ、しまった。肝心なものをわすれてしまった・・・
また家内から「お父さん、減点っ」といわれる!!。
クマデを忘れてしまったのだ。これがないと、刈り取った草を集めるのが面倒なことになる。エイっ、ままよ、と草刈りにかかる。
草刈りといっても、なにがなんでも刈って短くすればいいってもんじゃない。ゆり、待宵草、オミナエシなどは残してやりたい。マーガレットも雑草の中で咲き残っていれば、その花は刈らないでおこう。それと、何と言ってもマツムシ草、これを探しながらやらくてはいけない。

草刈りを進めるうち、エンジンの振動が脳みそを刺激してくれたのか、パッとひらめいた。
そうだ?!。クマデがなければ、作ればいいのだ。ありあわせの角材(垂木)と、それから、木ネジがあったはずだ。

開田サバイバルおやじ特製のクマデは10分でできた。角材でTの字の「とんぼ」を作り、Tの―の部分に持っていた65mmという長い木ネジを10本程ねじ込んだ。使って見ると、これが結構使い物になった。うまく、草をすき取ってくれた。
何でも、出来合いのものを買ってしまうのではなく、手作りで出来ないか、まず考えてみることも大事だな、と痛感した。考えて見れば、昔の人は、特に開田の人は、皆工夫して身の回りの材料で手作りしたのだ。
気にかかっていた前述のマツムシ草の株は4株見つかった。去年の株が生きていてくれたのだ。うれしい。すごくうれしい。つぼみがだいぶ膨らんで、この分なら、お盆頃には咲くのではなかろうか。
このマツムシ草の花、皆さんご存知だろうか。開田の村里のあちこちに咲く夏の終わり、というよりも初秋の花である。うす紫色の花ははかなげで、一度見たら忘れられない。
開田高原をこよなく愛した庄野英二先生(故人)はマツムシ草について次のように書いていらっしゃる。
(注)
マツムシソウの淡いムラサキ色の花びらは、その存在を誇張することなく静かに風にゆらいでいる。私はこの花を見ると、きまって少年のような恥じらいににた思いに心の中が落ちつかなくなるのである。
私はマツムシソウにまつわる甘い思い出があったわけでもない。楚々たる風情の高原の花は無数にあるし、どの花も好ましい。それだのに、なぜ、かくも私はマツムシソウに心をひかれるのであろうか。
もしかすると、マツムシソウに永遠の乙女の姿を夢見ているのであろうか。
開田も、炎天下で仕事をしていると、さすがに暑い。汗がしたたり落ちる。登和仙人様のホームページに草刈り(除草)で大汗をかいた話がよく出てくるが、そのご苦労のほんの一端であるが、よくわかった。
昼のビールがうまかった。

草刈りを終え、刈り取った草もあらかた焼却して、終わったのは夕方6時近くだった。

敷地(庭)は広々とし、きれいになった。本当にさっぱりした。家内ともども、充実感を味わった。本当は先日初メールをくれたUさんの顔も見たかったし、温泉にも行きたかったが、ネコと犬の待つ我が家へ帰ることにした。

(注)この庄野先生の文章は、澤頭修自先生著、「夢もまた緑なり」 より引用させて頂きました。ありがとうございました。
この本は開田に興味のある方に大変興味深く、是非愛読書に加えることをおすすめします。
出版社に在庫があります。当サイトの「開田関連図書」のコーナーをご覧下さい

開田おやじの開田への旅 (2000年7月19日)晴れのち時々曇

登和仙人様にお会いするの巻

40日ぶりに日帰りで開田へ。久しぶりに家内と一緒だ。

今日はお見合いの前のように前夜からドキドキしている。

何故かと言うと、今日は大きな目的があるからなのだ。実は、なんと開田で仙人様にお目にかかるのだ。

仙人様とは、言わずと知れた登和仙人様のことである。(登和仙人のホームページはこちら

10時過ぎに、まずは、わが夢野山荘に到着。
着いてびっくり。庭がヒメジョオンと雑草の天下になっているではないか。
40日前にはマーガレット(フランス菊?)が可愛く咲き誇っていたはずなのに・・・。自然の営みというのはすごいなと改めて感心する。御嶽山はとみれば、ひと月あまりの間にすっかり雪がとけ、沢筋に少し残っているだけだ。そりゃもう7月下旬になろうとするんだから。

開田のさわやかな風に吹かれ、カッコウやうぐいすの鳴き声を聞きながら、ヒメジョオンちゃんゴメンねと言いつつ最小限度に草刈りをした。そうこうするうちに時間がたってしまい、観光案内所にも寄らず大あわてで鵜類沢(末川)へ。

約束の時間を10分以上遅れて家を捜し当てると何と仙人様は家の前に迎えに出てくださっていた。家内ともども恐縮。

仙人様は予想した以上の優しい方で、楽しくお話しをさせていただいた。楽しい時間はあっという間にたってしまう。もっと色々お聞きしたい事もあったのだけれど、またの機会と言うことにして泣くなく?失礼することにした。
本当は仙人様は牧草の刈り取り乾燥のことでお忙しかったのではなかったか、・・・ノー天気な私は今もって心配している。

改めて申し上げます。
「仙人様、本当にありがとうございました。今日は思い出に残る日になりました。あなた様の内に秘めた情熱とバイタリティー、それから深い郷土愛には感銘を受けました。これからも開田の事をいろいろお教え下さい。ホームページも毎日楽しく見ている者のためにどうぞよろしく」・・・と。

登和仙人様と開田おやじ(右)

しかし考えてみれば、インターネットがなければ仙人様との出会いもなかったことだろう。
時代の進歩?と変化の多くを必ずしも肯定できない開田おやじであるが、インターネットは(使い方次第ではあろうが)、時間と空間の壁を取り払い、社会的立場の違いも乗り越えて、人との新しい出会い、ふれあいを作ることが出来る・・・まさにインターネット万歳、インターネット さまサマだと思うのである。

そんなことを痛感しつつ家路に着いた。中津川が近くなると、外の空気が蒸し暑くなってくる。早くもげんなりしてしまった。
この日、多治見では38℃近くまで気温が上昇したと言う。・・・やっぱり、夏は開田に限るて!!。(あれ、ついこの間、春は開田に限ると言ったような気がするが・・・。)

開田おやじの開田への旅 ( 2000年6月9日)

開田へ行ったら観光案内所に寄らねばの巻

日帰りで開田へ一人旅
水生植物園で可憐な忘れな草を見た後、観光案内所へ寄ってみました。Mさんと、わざわざ寄って下さったOさんに開田の生情報を色々とお聞きすることができました。とてもためになる情報ばかりでした。Mさん、Oさん、ありがとうございました。
皆さん、開田へお出かけの節は、どうぞ観光案内所へお寄り下さい。
御嶽山は、まだまだ残雪がいっぱい。昼過ぎまでその勇姿を堪能することができました。1年ぶりにカッコウの声も聞くことができました。カッコウの鳴き声・・・いいですね。

忘れな草の印象が強かったからでしょうか。帰路、運転しながら気がついたら菅原洋一の 《忘れな草》の歌を口ずさんでいました。何故か照れる開田おやじでした。
  OさんとMさん どうもありがとうございました

スキー・スノボは マイアに 限る 97/01 by kaida oyaji

平成9年1月2日朝。今、夢野山荘の外では粉雪が舞っている。
昨日、つまり元旦の朝、御嶽山は初日の出に輝いて我々二人(開田おやじと家内)を迎えてくれた。
・・・・山荘周りの樹々は霧氷におおわれ、きらきらと光る。そして陽が昇り、梢(こずえ)に日差しがあたると、霧氷ははかなく溶けてしまう。と、まもなく朝日の淡い光が庭にまで降りてきて、庭の雪が日差しにきらめき、そこかしこできらきらと輝きを放つ。家内が思わず「きれい・・・」と声をあげた。・・・観客二人だけの大自然のドラマだ。いやー、二人だけで見るのは、ぜいたくというか、本当にもったいない。
そんな霧氷のきらめきは、今朝(1月2日)は見られない。粉雪の舞う外は一面の銀世界といいたいところだが、雪は少なく、夢野山荘の庭には所々草が見える。積雪はせいぜい10センチくらいか。去年の正月には40センチくらいあったので、うそのようだ。
その分、道路には雪がなくて楽に来ることができた。しかし、いささか風情に欠ける感あり。
今回は珍しく家内と二人で、大晦日夜7時に山荘に着いた。勿論、途中でやまゆり荘にゆっくりつかって・・・。
(お客さんが大入りで、洗い場で順番を3人待った。でも、開田おやじとしてはやまゆり荘が混み合うことは決していやなことではないのだ。)
これから朝食の後、いよいよスキーだ。スキーといえば、勿論 開田高原マイアスキー場なのだ
因みに、小生、家内に「開田おやじめ」と呼ばれて、実は馬鹿にされているほど、開田についての思い入れが激しいので、開田にスキー場ができた以上、夢野山荘に泊ってスキーに行くとなれば、必然的にスキー場は開田高原マイアスキー場なのだ。
御岳ロープウエーだの、木曽福島だの、浮気をするやつは泊めてやらないぜ。ネ、yosito君! hiroto君!

客観的に、マイアスキー場の長所をあげると・・・

山荘から近い(15分)。
こぶの急斜面など少なく安全に楽しく滑れる。
3000メートルもの長距離を滑れる。
あまり混み合わず、リフト待ちも少ない。
晴れていれば眺めは最高。(御嶽山、乗鞍岳、中央アルプスなど)
センターハウスが広く気持がよい。
帰りに、やまゆり荘に寄り道して疲れをいやすことができる。

どうぞこれをご覧の皆様、マイアスキー場をごひいきに。伏してお願い申しあげまする。

待ちに待った第3回開田高原下の原交流会  96/08 by kaidaoyaji

 今夕は、いよいよ待ちに待った『 交流会 』だ。  
 正式には、『第3回開田高原下の原交流会』というのである。地元の有志の方の発案で過去2回、夏の盆休みに行われてきた。今回は、山荘の持ち主たちが主催することとなり、この「夢野部落」の住人が世話役をおおせつかった。基本的なプランは、成り行きで、この開田おやじが企画することとなった。
 因みに、この「下の原」とは、この開田おやじの山小屋のある集落のことで、木曾馬の走り回っていた昔四十年くらい前まではおそらく牧草地か、畑だったところではないかと思われる。昭和30年代になって,伊那谷あたりから、国の施策で開拓農民が入植しご苦労されたと聞いている。 今は、高原野菜の畑と、落葉松や雑木、白樺などの林が点在し、ふり仰げば御嶽山がそびえていると言う、いい雰囲気のところだ。
 この交流会については、これまでプランニング、案内書作成配布、椅子やテーブルなどの機材の準備、食べ物、飲み物、食器などの準備・・・ずいぶん色々とやることがあった。みんなこの日のためだった。近年、これほど情熱をそそいだことがあっただ御嶽山ろうかと思うほどだった。。
 天気も心配だったが、ありがたいことに上天気だ。
 夕方、6時前から、ぞろぞろ参加者が集まり、大人32人、子供12〜13人の大賑わいとなった。何人来てくれるか心配だったが、何の事はない。椅子とテーブルの心配をする羽目になった。うれしい誤算と言うやつだ。
 会は、和やかなくつろいだ雰囲気で進んだ。
 天気にも恵まれ、涼しいを通り越して寒いくらいのさわやかな雰囲気の中で、皆さん、大いに食べ、飲み、話した。開会初めの自己紹介など、皆さん話し達者で、愉快だった。私は、自己紹介の司会進行役を務めたが、そのあたりから、私の脳みそはポーっとしてしまって、記憶が定かでない。もっといろんな人といろんな話しをしたかったが、とに角、皆さんの楽しそうな笑顔に、今までの準備の苦労が報われた思いで胸がいっぱいになり、ポーっとしてしまったのだ。
 結局21:00にお開きの予定が,焚き火のまわりで話が盛り上がり、終わったのは23:00過ぎとなった。もっとも、夢野山荘グループはそれからも話が尽きず、さらに延長戦となったが・・・・
 これも、幹事さん(夢野部落のO,S,H,O諸氏と私の5人)のご尽力と、知人T、N、S諸氏のひとかたならぬご協力のたまものである。ただただ感謝感激!!
もちろん、家内の内助の功も忘れてはいない。食材の準備や、メニューの計画などこまごましたことをやってくれた。「ほう葉すし」は、珍しいのと うまいのとで好評だった。改めて感謝。
 あとは、この交流会が毎年の恒例となり、ずっと続いてくれることを願うばかりだ。
参加者 (こども12〜13人除く)
 《地元のかた》 7人   (ただし、この7人のうち本当の地の人はたった1人で、あと6人は、都会からの定住者)
 《別荘族》 25人 

息子と二人でスキー  96/1 by kaidaoyaji

平成8年1月2日

 ただいま1月2日朝7時ちょうど。そとには朝焼けの、そしてもちろん白銀の御嶽山が輝いている。あまりの荘厳さに息を呑む。
雲ひとつない青空だ。この空のように、今年がよい年になるとよいのだが・・・。
 昨日(元旦)、息子と二人だけで来た。着いてから、駐車スペースと山荘へのアプローチの雪かきを、二人で3時間半かかってやった。汗をかいた。雪は、約40センチといったところか。かなり多い。
 昨日は、雪かきのあと夕方、温泉に行った。
増改築の完了したやまゆり荘は、広くなってよくなった!洗い場、浴槽とも倍くらいの広さになり、正月元旦というのに、また駐車場は満車というのに、洗い場で待つこともなく入れた。
ただ、さすがに冬の開田!露天ぶろに入った時、髪の毛がバリバリに凍りつきだしたのには驚いた。
夜は、家内心づくしの材料で、、男二人だけのすき焼き・・・・いささか心淋しい宴となった。家内もいっしょに来れるといいのだが、パートの仕事が正月はかき入れで休みが取れないのだ。
 さて、今日は、息子が起きたら(これが問題、ひと筋縄では起きないのだ)、木曽福島スキー場で初すべりを楽しむことにしているが、どうなることか。それから、近くのUさんやKさんへもちょっと挨拶に寄ろう。Tさんの顔も見たいが、今冬は御岳ロープウエースキー場で、夫婦そろって稼ぐと聞いている。日中は留守でいないということで、残念。
 今年12月には、この開田にも、やっと、地元待望のスキー場がオープンするという。開田高原マイアスキー場というらしい。
御嶽山の自然をこれ以上壊さないように、とも願うが、村の方たちの村おこしへの願いは、切実なものがあるのだろう。何とかうまく調和をはかりつつ、かけがえのないこの大自然を守っていきたいと思う。
 さて、村おこしの前の、当面の課題として、息子起こしにとりかかるとしよう。

なごりの紅葉を尋ねて  95/11 by kaidaoyaji

道中、紅葉の素晴らしさに歓声を上げ、車の中で右、左とあっちこっち眺めながら山荘に着いた我々一行。
メンバーは、草加のH兄さん(家内の兄)、奥様、K三郎君、それから鳴海のお義母さんとわれわれ夫婦、の計6人である。
今回は、いくつかの念願がかなった開田行きだ。
ひとつは、義兄を何とかして開田へおびき出すこと。次に鳴海のお義母さんにもう一度開田を見、温泉(やまゆり荘)で温まってもらうこと・・・そして、みんなで、秋たけなわの開田を味わう
ことであった。
 「紅葉のさかりはもう過ぎた」と温泉の人は言っていたが、2週間前に来たときなど比べものにならない程美しい紅葉だった。ことに、落葉松(カラ松)の美しさには心を奪われる。昨日、探勝園へそばを食べに行ったが、その探勝園の落葉松(カラ松)が素晴らしい紅葉だったのだ。
  PS その自然探勝園のそば屋で、思いもよらない出会いがあった。その、鈴木健先生との出会いの話は、
こちらで。
今(11月5日AM7:00)、夢野山荘の窓の外には、雲ひとつない青空にそびえる御嶽の峰々・・・・。八合目くらいまで雪をかぶって白く輝き、いささか二日酔いの頭に刺激的に迫ってくる。
昨日は、雪をかぶっていなかった。夜のうちに雪が降ったのだ。ありがとうございます、御嶽山さま。みんなに白銀の姿を見せてくれて。 
やっぱり、紅葉の開田には、白い御嶽がなくっちゃ。

次の(下の)文章は、家内の母の書いたものです。

お歳となられたのにいつも若い感性を持ち続けていらっしゃる。常々感心しています。自分もこうありたいと思います。

子供や孫と一緒の開田紅葉狩り  95/11 by kikue紅葉

このたびの、色鮮やかな山々につつまれての旅・・・・、81歳になるまで このようなきれいな景色ははじめてです。
 昨日の夜は息子・娘や孫に囲まれて、昔話などで盛り上がり、楽しく夜がふけたこと、忘れられないでしょう。
今朝(11月5日)の御嶽山は、真っ白な雪の峰に朝日があたり、金色に輝いて、神々しいばかりです。
空は真っ青、風もなくおだやかです。
 樹々の色とりどりの紅葉が本当に美しく、幸せなひとときとはこのようなものと、しみじみとみんなの心づくしに頭が下がりました。ありがとうございました。来てよかった。息子夫婦、K三郎(孫)ともゆっくり会えて・・・。
 朝日出で 光かがやく 御嶽の峰
       
ありがたき哉  涙こぼるる   きくゑ   

思いがけない出来事が三つも(第1回交流会ほか) 1994/8 by Kaida oyaji

今回のわずか2日間の開田での夏休み・・・でも、思いがけない出来事が三つもあったのだ。

8月13日真夜中に夢野山荘着。
相棒は、多分、生まれて3週間ちょっと位のちびネコ、しんちゃん
何で、そんな手のひらに乗るような赤ちゃんネコを連れて行くのか、というようなことはこの際省略する。

到着して早々、素晴らしい星空だ。町では久しく見ていない天の川が、淡く天空を漂っている。本当に天の川なんだなあ・・・という感じがする。
流れ星がひとつ。
そうだ、今夜は例のペルセウス座流星群の出る夜なんだ。観測を試みるが、眠くなって、あえなく寝てしまった。

8月13日  日中はよい天気。草刈をしたり、知人のミニログハウスに上がりこんだり、ちびネコしんちゃんにミルクをやったりで、忙しい。
友を待つ。なかなか現れず。今回は都合でこられないのかな、とあきらめかけた頃、19:00にやっと現れる。kenjiご夫妻だ。勿論、モモちゃん(ゴールデンレトリーバー犬の女の子)も一緒だ。
夜は、いつもながら、奥様のさりげない手料理を頂き、肩のこらない話を楽しむ。
――九州からの帰省で、家でのんびりしたいかもしれないのに無理やり誘ってしまった。でも気持ちよく来てくれる。ありがたいことだ。

8月14日 よい天気。

この日の、思いがけない出来事その1・・・
それは
Aさんとの、運命的な?出会いだった。それは、ひょっとしたら私の人生を変えた(かもしれない)出会いだった。それについては「出会いふれあい」のコーナーのAさんの記事に詳しく書いたので、そちらをご覧下さい。
出来事ふたつ目・・・
この日午後、このAさんに教えていただいたコンサートへ、Kenjiご夫妻と行く。おんたけ会主催の、「ふるさとシンフォニー」だ
会場は開田中学校の体育館だ。座布団と2000円也を握りしめて出かけた。会場は満員だった。

メインの出演者は、あのN響であった。(フルメンバーではないが)
終っての感想を一言・・・。
よかった。
よかったの一言に尽きる。プログラムの最後に、小学校唱歌「ふるさと」を会場も一緒に合唱したが、大好きな開田で、思いがけない出会いのあと、またこうしておもいがけずよい音楽を聴くことができて・・・そんな思いでつい、胸が熱くなってしまった。
おっと、早く帰って、山荘でおとなしく待つしんちゃんにミルクを・・・

出来事の三つ目
14日夜。Kenjiご夫妻はコンサートのあと帰って行った。私はひとりさびしくとり残された。
夕方から「
第1回開田高原下の原交流会」という催しが、近くの空地で行われ、それに出席した。
この辺の集落を下の原(しものはら)というが、その下の原の地区住民と別荘(山荘)族とが集って親睦を深めようと言う催しだ。世話役は池上さん(移住者椎茸農家)、芦原さん(移住者)、内山さん(移住者)の3人の方。
出席者は全員で20人くらいだろうか。皆さん初対面の人が多く、胸に名札をつけ、自己紹介のあと、飲んだ。話した。
いやー、楽しかった。こんなに楽しかったことは、近年なかった。久しくこんなに笑ったことはなかった。

下の原の夏の夜、集いのひと時はあっという間に時間がたった。
出席した者の間にはなにか熱い気持が生まれたように思う。また、翌年の再会を約してお開きとなった。
企画し、準備していただいた諸氏、それから、手料理を出してくださった奥様方。ありがとうございました。

さて、短い2日間だったが、思いも寄らない出来事が続き、思い出に残る開田行きとなった。充電も十分できた。
いや、いささかオーバーチャージ気味か?
明日15日は仕事だ。早朝4時に出発の予定だ。今夜もしんちゃんと寝袋にくるまって短い睡眠をむさぼることとする。
おやすみなさい。

 
冬の開田が牙をむいた   94/2 by kaidaoyaji

 冬の開田がキバをむいた!
 いや、ちょっと言い過ぎか・・・冬の開田が素顔を見せたと言いかえようか。
 息子と二人で、2月22日夜22時30分夢野山荘着。・・・吹雪だった。
初めて経験する雪と風!空はほえ、雪は渦巻く。
とても雪かきをするどころでなく、車も置けない。体育館にでも置こうかとも思ったが、山荘へ戻る1km程の道で遭難しかねない有様である。やむなく、200メートルくらい離れたYさん宅の除雪済みの空き地に駐車させてもらうことにした。
 車を置いて吹雪の中を懐中電灯を頼りに進入路(私道)にやっとたどり着き、私道に一歩足を踏み入れると、ズブズブ、ズブリ・・・太ももまで雪にめり込むではないか。
何とか山荘まで、ラッセルして、到着すると、す、すごい!! 屋根から落ちた雪が背丈ほどありそうだ。過去最高の積雪だ。さっきまで雪でこわい思いをしたのを忘れ、なぜかうれしくなってしまった。
 大体、今まで来るたびに天気がよすぎたのだ。
・・・・正月三が日もよかった。Y君たちの時も、O先輩ご夫妻のときも上天気との話だった。開田ではいつ雪が降るのか不思議だった。やっぱり、今夜のような、荒々しい開田があったのだ。
 考えてみると、こちらは遊びだから雪を見てキャーキャー喜んでいればよいが、村の人達の暮らしはどんなだろうか。思いやられる。特に信州のチベットと呼ばれた(らしい)昔は、交通事情も悪く、もちろん除雪のブルドーザーもなく、石油ストーブもなく、マイカーもなく・・・・冬に限っていえば都会の人間には想像を絶する大変な暮らしだったことだろう。
 さて、今回来た目的はふたつ。
ひとつは、O先輩から、素晴らしい油絵を頂戴したので、山荘の壁に飾ることだった。
夢野山荘の2階ロフトから眺めた御嶽山を描いた、なんともさわやかな素晴らしいものだ。山荘にたどり着いてから、さっそく壁に飾ってみたら、それだけのことで、部屋に落ち着きと華やぎが生じた。ふしぎなものだ。Oさん、本当にありがとうございました。
 もうひとつは、息子(Y郎)と、どっちがスキーの腕前が上か、勝負することだ。オールドスタイルスキーが勝つか、現代若者スキーが勝つか。それは、明日、決着がつく。いずれにしても、息子と二人などというそんな機会は、もう2度とないかもしれないのだ。
 もう夜中零時になる。吹雪騒ぎで興奮気味だが、早く寝て、明日に備えることとしよう。

開田の元旦を歩く 94/01 by kaida oyaji

木曽福島駅バス9:00発 10:00管沢(くださわ)着。夢野山荘に向けて正月元旦の開田を歩きだす。
周りは勿論真っ白の雪の世界。30センチくらいの積雪か。道路は圧雪状態で歩きやすい。
よい天気だ。こんなにいい天気は1年に何日もないのでは、というくらいの、いい天気だ。御嶽山が白く輝いている。気分は最高だ。
夢野山荘着11:00。ここでは積雪40センチ。ウッドデッキにつるしてある温度計(最高最低温度計)によれば、この冬の今までの最低気温は何とマイナス19度さすが開田だ。
午後から、村の中を散歩する。気温はまだ氷点下だろうが、着込んでいるので寒くない。むしろ、清澄ではりつめた空気が気持ちよい。
六浦牧場から、下栗尾、上栗尾、それから西野郵便局で年賀状を3通出し、八幡神社へ。
八幡神社では、神前に沢山のお願いをした。家内安全(特に長男が無事大学を卒業できるよう)、ネコ元気、景気回復、無事故、それに世界平和を祈願し、10円玉を賽銭箱へ。(少しでごめんなさい、あとは一万円札しかなかったので) 
正月の西野集落は、人影もなくひっそりとしていた。夕方16:30山荘へ戻る。漂泊者の心を忘れぬよう、今夜も寝袋で寝る。
1月2日。朝7時。あわてて、寝袋から起きあがる。
昇ったばかりの朝日が御嶽山の頂きを輝かせる。その微妙な色合い・・・美しい。思わずカメラを向ける。
月が、まだ御嶽山の右上に光っている。山荘の周りの落葉松(カラ松)や白樺などの樹々は、霧氷が凍りつき、ガラス細工のようだ。家内にも見せてやりたい。
去年の開田での正月は、鳴海の義母や、W先生ご夫妻( yuikaちゃんも )、そして家内も一緒で、にぎやかで楽しい正月だった。今年は一人でいささかさびしい。が、これも趣きがあるというものか・・・。
考えてみると、縁あって平成2年にこの開田の地を知り、通いつめること3年半・・・。思いきって山小屋を建てることにして、土地探し、契約、建物の設計、建築、と色々大変ではあったが、文字通り夢がかない、この夢野山荘ができた。本当に望外な事である。完成間近にして、ウッドデッキを作る際には、友人たちが快く手伝ってくれた。本当にありがたかった。
その後、山荘を友人知人に開放したので皆さんが楽しみに利用してくれる。これもうれしいことである。
この開田の地は、単なるリゾート地にはない、心安まる何かがある。四季折々それぞれのよさがある。
冬が また素晴らしい! 是非皆さんに冬の開田を味わってもらいたいと思う。

さあ、今日は14:30頃から温泉へ歩いていくことにしょう。なに、急ぐことはない。ゆっくり開田の冬景色を見ながら歩けばいいのだ。そして、もう一晩、さびしく寝て、あした(1月3日)朝、バスで帰ることにしよう。


春の予感   93/4 by kaida‐oyaji  木曾馬の里

 昼頃から快晴。風強く寒い。いつもながら、白銀の御嶽山が素晴らしい。
 名古屋では桜が満開の頃だが、ここ開田高原では、まだ根雪が残っている。白樺や落葉松(カラマツ)のつぼみは、まだ固い。開田の4月は、まだ冬なのだ。しかしやっぱり春はすぐそこへきている。空の色、日差し、空気のにおいに、春が感じられる。
遅い春がくれば、さまざまな樹々の新緑の色が、いささかくたびれた我々に生きる喜びを思い出させてくれる。小鳥のさえずりは、自然の中に生きる感動を歌い上げる・・・。そんな春がもうすぐそこにきているのだ。
 こぶし、水芭蕉、つつじの花はゴールデンウィーク頃が見頃か。
5月中旬にはうぐいすが、下旬にはカッコウが鳴き始める。(ところで、このカッコウの声というのはなぜ、あんなにも高原の広がりを感じさせるのだろう。)
早く、あの人にもこの人にも、花を見せ、鳥たちの声を聞かせてあげたいものだ。

5年ぶりのスキーは皮の靴で  93/3 by kaidaoyaji

 都会では桜の開花予想が出て、コートを脱いだ人が多いというのに、ここ開田では、まだ冬だった。強風に風花が舞い、我々5人を迎えてくれた。
 夢野山荘の周りで、多いところでは40から50センチの積雪だろうか。今回のメンバーはY君、Hさん、O君、M君と当方の5人である。そして、今回の目的はスキーなのだ。
 当方、恥ずかしながら50歳、スキーは、確か5年ぶりだろうか。楽しいのと、不安なのと、複雑な気持ちである。
 昔日の腕前がうまく発揮できるか不安を感じながら、気がついたら御岳ロープウエイスキー場の山頂駅に立っていた。
 時は3月13日午前10時。(注、当時は、開田高原マイアスキー場は、まだなかった)
標高2150メートル。白銀の世界、快晴。中央アルプス、乗鞍岳、穂高の山々の眺めが素晴らしい。
息子に借りたスキー板と、
27年前のNORDICAの革靴!で、いよいよ滑走開始なのだ。青空と、太陽がまぶしい。
 まず、Hさん、続いてY君が滑り出す。・・・う、うまい!!
次に、O君、M君が後に続く。・・・おー、うまい。みんなうまい。やるじゃないか・・・。
みんな、いつのまに腕を磨いたのだ??
湧き上がる疑念と不安を胸に、えい、ままよ、と、斜面に飛び出す。
・・・・・中略・・・・・
 夕方、ほっとしてやまゆり荘の湯につかる。腰とひざの打ち身をさする。
まだスキーができてよかった。マ、あんなもんだろう。今度は家のものも連れてきてやりたいな。
・・・・そんな思いが、ぬるい露天風呂の湯に溶ける。みんなも満足気だ。
・・・・さー、今夜は男どもだけでカニ鍋だ。温泉を出たら、たけみ商店によって酒を買うのだ。そうだ、たけみのご主人に、先日の「南山大学花井ゼミ15名スキー事件」でお世話になったお礼を言わなければ・・・。
 温泉の窓の外には、御嶽山が暮れなずむ開田の空に今日もそびえる。明日も何とかよい天気になってくれるといいな・・・・。
ゆで上がってボーとした頭の中で、いろいろな思いがわいてきて、それが湯けむりに消える。
うん、開田はいい。・・・・開田はいい!!。     (注 やまゆり荘は村営の温泉で,とてもよいお湯です。情報は
こちらで)

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