・・・・・部屋 開田おやじの開田への旅 (その2) (平成12年晩秋〜)

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開田おやじの開田への旅 平成13年4月26日の巻
これでも旅と言えるのか・・・の巻

これが旅と言えるのか。
でも、確かに開田に行ったのだから「開田への旅」に入れてしまおう。
4月26日に岐阜県上宝村にある京都大学飛騨天文台に仕事に行くことになった。それで、その前夜に開田で、つまり夢野山荘に泊まることにしたのだ。
26日朝5時。天窓から差し込む朝の光がまぶしくて目を覚ました。寝袋から、もぞもぞと起き出してみる。庭に出ると、さすが開田、寒い。あわてて中に入る。
ロフトへ上がって見る御嶽山は、昇ったばかりの朝日に照らされて白銀に輝いている。いつもながら、ため息の出るような景観である。周りの樹々の芽吹きはもう少し先だ。
御嶽山の空は青空。すばらしい天気になりそうだ。

早朝の御嶽山(夢野山荘ロフトより)

夢野山荘のロフトから見る御嶽山。
朝早い時間なので、朝日は足元まで照らさず、周囲は暗い。

白樺、落葉松(からまつ)が、まだ新緑が始まったばかりなので、梢(こずえ)越しに御嶽山が良く見える。

聞こえるのは小鳥の声ばかり



7時半に出発。一路、高山経由上宝村を目指す。
道中には、高根村にも、朝日村にも、高山にも、上宝村にも・・・そこかしこにまだ桜が咲き誇っていた。それと、芽吹いたばかりの新緑も美しかった。日本の山村の春の美しさを満喫する心豊かな旅となった。
11時前、上宝村大雨見山(1250m)山頂の京都大学飛騨天文台に到着。

カラマツ、白樺などの茂る山頂。うぐいすが鳴き、春の陽ざしは踊る。北アルプスの笠ケ岳がその雄姿を見せている。
さあ、商売しょうばい。仕事にかかることにしよう。

京都大学飛騨天文台京都大学飛騨天文台

開田おやじの開田への旅  4月16日2001年4月22日up

春らんまん・・・。 でも開田の花見は まだ先の巻
4月16日。朝10時前に開田の山小屋(夢野山荘)に着いた。
3週間ぶりの開田高原。
空は晴れ陽は輝き、風はさわやかに吹きわたる。うぐいすの声が遠くに聞こえる。
やっぱり開田はいいなあ。・・・私(開田おやじ)は口の中でそうつぶやいて深呼吸した


厳しかった今年の開田の冬。そしてやっと迎えた春・・・。
春らんまんの開田とはいえ、落葉松(からまつ)のこずえ越しに見える御嶽山は白銀に輝き、まだまだ冬姿だ。桜といえば下界ではとうに散ってしまったが、ここ開田では先の話。花見は5月上旬ではなかろうか。標高1200メートルの開田の春は、下界よりひと月遅いのだ。
白樺、落葉松など山小屋周辺の樹々の芽は、わずかにふくらみかけた程度で、うずうずしてして芽吹きを待っているかのようだ。

かわいいカラマツの新芽 かわいいカラマツの新芽
命あふれる新緑の季節ももうすぐです。
(4月16日、夢野山荘の庭にて)
さあ、今日はまず畑仕事だ。山荘の庭の畑は、わずか3〜4坪ほどだが、毎年、家内が楽しみにしている。じゃがいもやトウモロコシを連休過ぎに植付ける予定にしているが、今日はその植付けの前準備として、石灰を撒き、肥料を入れて耕し、うねを作るところまでやるのだ。家内と一緒に、スコップでなれない農作業に精を出した。昼には、開田のざるそばを作り、もちろんビールを一杯。うまかった〜。
2時半ごろ、ふたりのお客様が尋ねて来て下さった。地元のはつらつママさん、おふたりだ。開田を、そしてふるさと長野を愛する熱い心を持っている方たちだ。
いい天気なので庭のテーブルといすで、家内と4人でお茶を飲むことにした。


おふたりの会話のテンポと話題の広がりは、すごかった。開田おやじは、さび付いた脳みそをフルパワーで回転させ必死に置いていかれないように努力した。しかし、無駄な努力だった。負けた。
楽しいひとときだった。あっという間の2時間だった。
笑いすぎて、頬の筋肉が突っ張ってしまった。

「今度は、ご主人たちも一緒にバーベキューパーティーでもやりたいね」と話をしめくくりお開きとさせていただいた。家内と共に、帰って行かれるおふたりを見送った。夕方の御嶽山は、テラテラと不思議な光沢に光っていた。きっと、春の陽差しで解けた雪が日陰になって凍ったためなのだ
おふたりとのご縁は、開田高原がキーワードで始まったのだった。「よかったら遊びに来て」と声をかけたら、こうして気楽に来てくださった。ありがたいと思う。
一期一会というのだろうか。不思議な感慨も覚える開田おやじであっだ。

おふたりさん ありがとうございました。感謝

えっ、おふたりの写真はないのかって?
写真を撮るのをすっかり忘れていました。取材者魂が欠けていました。申し訳ない。また今度ということで・・・。

開田おやじの開田への旅  2001年2月21日編
  開田中学校でパンチ2発食らう・・・の巻


1月8日以来久しぶりに開田へ出かけた。いつもながら日帰りというのが淋しいが・・・。
家を出る時は空模様がいささか心配であったが、木曽福島あたりからに近づくにしたがって上天気になってきた。やったぁー。
トンネルを抜けると、そこは雪国であった?。
・・・1月から2月はじめの豪雪の影響からか、野山や家々の屋根に積もる雪は例年より多い感じだ。でも、国道の路面は乾いていて、以外にもほとんど雪はなかった。走りやすかった。

10時に観光案内所へちょっと立寄った。
いつもながら明るく親切なMさんが迎えてくれた。今年の豪雪のご苦労話をお聞きした。雪かき作業で腕が筋肉モリモリになってしまったこと、サロンパスが手放せなかったことなど、面白くて、申し訳ないけれどつい笑ってしまった。
でも笑い事ではないのである。除雪の苦労はやった者でないと理解できないのだろう。特に今年は豪雪で大変だったと聞く。屋根から落ちた雪で怪我をした人もいるという。

開田の皆様、本当にご苦労様でした。もう少しの辛抱ですよ。

またMさんに中学校へ電話を入れていただいて、本日の主目的である、開田中学校に向った。先日の訪問時には教頭先生がお出かけでお目にかかれなかったのだ。今日はいらっしゃるとのお話。
いつもながら気の小さい開田おやじのこと。つとめて平静を装って正面玄関から中に入ると、そこでいきなり、パンチを一発食らってしまった。
――玄関ホールを入ったところに、なんと 『歓迎 ****様 遠い所よくお出かけ・・・』と書かれたホワイトボードが立っているではないか。****というのは開田おやじの名前が書いてあるわけで・・・。。
これで、頭の何分の一かが一瞬にしてフリーズしてしまった。私の顔は、きっと、感動を通り越して無表情になっていたに違いない。

校長室で、家内ともども、教頭先生に初めてお目にかかる。開田中学校ホームページ担当のK先生にもお会いすることができた。校長先生もいらっしゃった。またいろいろ興味深いお話をお聞きすることができた。
教頭先生は木曽の南木曽町(なぎそまち)のお生まれで、郷土史や木曽の民俗に造詣が深いご様子。木曽についての何冊かの書籍で、共著者の一人として得意分野にペンを取っておられるとのことであった。お話の端々に郷土への熱い思いが感じられた。
時間が許せば、もっといろいろ話がお聞きできるのに、と、今回も名残り惜しかったが、校務のおじゃまをしてはいけない。早目に失礼することにした。


玄関から校庭へ出て、開田の空を仰ぎ見ていると、そこへ突然2発目のパンチが空から・・・
次に(下に)続きます。


開田おやじの開田への旅  2月21日編その2   2001年3月26日up

  開田の空にカリオンが鳴りひびいて・・・の巻

前回は文体がなんだか三流週刊誌のキャッチコピーのようになってしまいました。反省しています。
何とかして「次回が待遠しい」と思わせようと、読者におもねる結果になってしまったのではないか・・・。お気遣いいただいた先生方に失礼な表現になっていなかったか・・・。いささか気掛りです。お許し下さい。
さて、気を取りなおして、っと。
――前回は、開田おやじが校庭に出たところまででしたね。
玄関から校庭へ出て、開田の空を仰ぎ見ていると、そこへ突然2発目のパンチが空から降ってきた。・・・・校庭にあるカリオンの塔から、鐘の音(ね)が鳴りひびき出したのだった。
開田の空に、カリオンの奏でるメロディーが広がって行く。
ああ、これが開田中学校のカリオンの音なんだ!!。開田の大自然にふさわしい、やさしく繊細な鐘の音・・・。
どうしてタイミングよくカリオンが鳴りだしたんだろう?。そんな疑問がふとわいた。 
そうだ。先生方が、この開田おやじに聞かせようと特別にカリオンを鳴らせてくださったのだ。胸が熱くなった。頭の中は、またまた真っ白になった。フリーズしてしまった。
2曲聞いたのだろうか。あるいは3曲だったろうか。ずいぶん長く聞いた気もする。自宅に帰ってから思い出そうとしたが、曲名もスッポリ忘れて思い出せない。2発のパンチのせいなのだ。

今は昼休みの時間でもない。突然カリオンを聞かされた生徒さんはびっくりしただろう。生徒さんの授業の妨げになってはいけない。
3人の先生が見送って下さる中を、車の中から何度も頭を下げつつ失礼した。
――前回伺った時も思い出に残るひとときだったけれど、今回もまたとびきり印象深い旅となった。
お会いした先生方は、校長先生はじめ、お三人とも信州のお生まれである。信州人?の心の温かさを改めて確信した旅でもあった。
また、御嶽山の山懐、自然に恵まれたこの地で、カリオンの鳴る学び舎で3年間を過ごす生徒さんたちは幸せであると思ったのだった。

開田中学校のサイトはこちらです。

開田中の校長先生、教頭先生、k先生、それから観光案内所のMさん・・・本当にありがとうございました。


開田おやじの開田への旅(2000年12月2日の巻
    その1 開田中学校を訪ねるの記

朝方は冷え込んだが、とても良い天気だ。40日ぶりに、家内と開田へ出かけた。

昨夜からドキドキしている。今日は、何と、開田中学校をおたずねすることになっているからなのだ。  (開田中学校のHPはこちら
名残りの紅葉を見つつ19号線を走って10時過ぎに観光案内所に着いた。Mさんにお会いする。久しぶりにお元気な話が聞けてうれしかった。そのMさんが「今から開田おやじが学校に行きますよ」と中学校に電話を入れてくださった。

開田中学校へおじゃましたのは11時近くだったろうか。謹厳な教育者の校長先生だったらどうしよう・・・ドキドキも最高潮である。
気合いを入れて?校門をくぐった。校長先生に招き入れられて校長室でお話をお聞きした。
校長室は日当たりの良い部屋で、花の鉢が沢山置いてあった。
先生には、勿論初めてお目にかかるにもかかわらず、楽しくお話しをお聞きすることが出来た。心配は杞憂だった。ホッ。
教育のことから先生のご趣味の花、写真、それから、何とログハウスのことなどをお聞きした。いつかログハウスを建ててみたいと考えていらっしゃるとのこと。ご自分の夢を語る先生は、教育者の顔からひととき、少年の顔になられた。
それから、澤頭修自先生のお話も出た。沢頭先生もお元気でご活躍で、8月には中学校に来られたとのこと。久しぶりに開田で沢頭先生のお名前をお聞きすることが出来てうれしかった。(沢頭先生のことはこちらを
また、私のことが出ている6月の「校内通信?」のバックナンバーを頂戴した。これにはビックリするやら、恐縮するやらであった。
中学校を訪ねるように、とのお話のきっかけを作ってくださったのは教頭先生だとお伺いしている。その教頭先生は、たまたま出張でご不在で、お目にかかれなかった。残念。
でも、1時間あまりもくつろいで過ごさせていただいた。帰る時には、校長先生自らお見送りくださった。恐縮してしまった。


校長先生・・・・。お心くばり、本当にありがとうございました。何年か先、先生が念願かなってログハウスを建てることになりましたら、キャンプ道具持参で駆けつけます。何でもやります。こんな男のいたことを思い出して、どうぞお声をかけてくださいね。
御嶽山を仰ぎ見る丘の上の中学校。下校時にはカリヨンの音がなりひびいていると聞く・・・。

自然環境に恵まれた地で暮らし、先生方の情熱にあふれた教育を受ける生徒さんたちは幸せだと思った。(こう思うのは、開田おやじがあまりにも単純で、そして開田に思い入れがありすぎるからだろうか?)

開田おやじの開田への旅 2000年12月2日の巻 (先に12月2日その1をお読み下さい)の2 「マイアスキー場TEE HORNを訪ねて」
みなさん、マイアに行ったら、TEE HORNによってね。!!の巻

12月2日快晴。
中学校を 12時頃においとましてから、我々中年夫婦は昼食も取らずにマイアスキー場に向かった。道筋には、ユキはほとんどなかった。スキー場に着いて、12時30分過ぎ第1クワッドリフトに乗りこんだ。

リフトの下のゲレンデは、勿論ユキが踏み固められている。人工ユキだ。降雪隊の皆さんのご努力による人工雪だ。スキーヤー、ボーダーが勢い良く滑り、かつ、転んでいる。楽しそうだ。今日はマイアスキー場のオープンの日なのだ。

開田おやじと家内の二人づれは、普段着で、足元はスニーカーとパンプス(というのかな)。・・・スキー場では異質の存在である。
リフト切符売り場で、おねえさんにけげんな顔をされながら、
ひとり大枚800円なりを払い、このリフトに乗ったのだった。
5分ほど?の乗車の後、リフト終点駅に降り立つ。
標高1820メートル。すばらしい眺めだ。北に真っ白な乗鞍岳、そのちょっと右には穂高か、槍ケ岳だろうか。東から東南にかけて中央アルプスが広がっている。

目指す
パノラマ回転レストパウスは?と見まわすと、あった、あった。チラシなどで見たパノラマ回転レストがすぐそこに・・・。
TEE HORN(ティーホルン)の中に入る。カウンターの中には若いお兄さんと少し年上のお姉さんと、それからTさんがいた。

今日の目的のひとつは このTさんに 「TEE HORNオープンおめでとう」を言うためである。
Tさんはこのセクションの責任者なのだ。オープンまでには、いろいろご苦労があったことだろう。メニューを考え、食材を確保し、スタッフの教育、そして採算も考えるetc・・・。
Tさんはこころなしか緊張しておられた。ご苦労の末のオープンで、感慨ひとしおではなかろうか。


オメデトウございます・・・と、心からお祝いを述べさせてもらった。
そのあとは、昼食として、
開田高原野菜ピッッア  リンゴとイチジクのピッツアを注文した。ウーン。・・・こだわりの、というだけあってどちらも、美味しかった〜。
飲み物はミルクティーと、お代わりに
チャイ(インドのお茶?)をいただいた。チャイが香り高くて、そして珍しくておすすめ。これらで結構、おなかがふくれてしまった。(ピッツアと飲み物のセットで税込み500円。 TEE HORNは軽食のみ)

客席でゆっくりしている間に、前評判通り?建物中央部分の回転座席はユックリ回っている。50分で1回転との事。外周部分の客席は回転しないのだ。
Tさんはオープン日でお忙しくて話をしていてはご迷惑なのでそこそこに失礼することにした。程ほどにお客さんが殺到してくれる?ことを祈るばかりだ。

さ〜て、問題はここからの下りだ。

リフトのおじさんに聞いてみた。「
規則で下りは人を乗せられない」との事。
うわー どうしよう。困った

え〜い、パパよ。
いや、違った。え〜いママよ。
天気もいいし。ユキも、ゲレンデ以外は幸い?ないし。歩くか・・・。
という訳で、家内と一緒にゲレンデとつかず離れずで下ることになった。一部はゲレンデの雪の上を歩くところがあった。家内は、「こんな靴で歩くの〜」と文句をたれる。スキーヤーやボーダーが変な顔をして横を通りすぎる。(ちなみに、人工雪とはいえ、雪質のよいのにはビックリした。歩くとキュッキュッと言うのだ。)

―――空は青いし、風はないし、暖かいし。周りは針葉樹などの森だ。気分は悪くない。
家内をなだめすかして、ユックリ歩く。
あっ、タラの木だ。足元に十数本のタラの木が、そこかしこにある。背が低い。20〜40センチの高さのものばかりだ。雪がある時はゲレンデの真ん中になる部分で、上をスキーやスノーボードが滑っていくのだろう。タラの木の芽の出る部分は、削り取られている。かわいそうに。でも、5月中〜下旬には、結構タラの芽が採れるかもしれない。と、つい、頭にインプットしてしまう開田おやじであった。

1時間弱の思いがけないハイキングが終わった。靴は濡れ、汚れたけれど、気分は爽快だった。
マイアスキー場は、客の入りこみが減ってきていると言う。(マイアだけでなく 木曾地方全般の話ではあるが・・・) 日曜日であるのに驚くほど客が少ない日があったと言う話しも聞く。
チャオ御岳スノーリゾートがオープンした影響。東海北陸動の延伸により関西や中京の客が奥美濃(ひるがの)方面へ流れる。 長引く不景気。 遊びや余暇の多様化。
それから、マイアは、休日にはスノーボーダーに上部ゲレンデを開放していないので敬遠するボーダーがいる。などなど。
・・・いろいろ原因はあるのだろう。良いスキー場なのになぁ〜。

開田にエコひいきする開田おやじとしては、ソコソコお客さんに来ていただきたい。そこで微力ながら我がHPで宣伝しているのだ。夢野山荘に泊まる友人知人には「
マイアに行かないやつは泊めてやらないよ」と言っているのだ。
マイアのホームページ掲示板には、「マイアに来ると不思議にのんびりしてしまう。」という声もある。
どうぞ皆様、マイアスキー場におでかけ下さい。そして、休憩タイムには、TEE HORNにお寄り下さいね。Tさんが待っていますよ。


開田おやじの開田への旅 (2000年10月22日の巻)  

22日(日)の仕事が急にキャンセルになり、1人で開田へ出掛けた。21日夜10時に山荘に着いた。カンチュウハイを飲み寝袋にもぐりこんで寝る。
朝6時15分目が覚める。快晴。ウッドデッキの温度計零下1度。さすが、開田だ。ロフトから見る朝焼けの御嶽山が美しい。白銀の御嶽山だともっといいのだが・・・。夢野山荘周りの樹々は思ったほど紅葉が進んでいない。白樺など、木によってはまだ葉っぱが青いものがある。カラ松はまだ色づきは少ない。
朝8時半過ぎ、夢野山荘近くのUさん宅のT君(小学生)をさそってMTBでサイクリングに出かけた。よく整備された冷川林道をあえぎつつ登る。目的地はマイアスキー場。途中、紅葉の美しい樹が沢山あり、歓声を上げる。

このT君のご両親は都会からの移住者だ。この開田の地へ移住して、およそ10年。
T君はすっかり開田ッ子になり、優しく賢い子に育っている。ご両親の愛にはぐぐまれ、開田のカラ松のようにすくすく真っ直ぐに育ったのだろう。感心してしまう。
あえぎながら登る道々、お父さんが海釣りに連れていってくれた事。釣り船に乗ったが、昔は外国航路の船の仕事をしていて、船酔いなどしないはずのお父さんが酔ってしまったことなどを話してくれた、そして、ちゃーんと、こういう野外スポーツの時の水分の取り方や、エネルギー補給のことまで考えていることには驚いた。来年は、いぐち(キノコ)の出るところを教えてくれると言う。うれしいではないか。
ところで二人は無事、マイアスキー場まで登れたかって? 野暮なこと聞かないで下さい。開田おやじは見事、林道の高森橋のところでダウンしてしまったのだ。でも、やむなく帰る帰り道は当たり前だが 下り道。その下りの爽快だったこと。


今日は、あと、二人の人に会いたい。結構忙しいのだ。
車にMTBを積んで末川へ。(本当はMTBで末川まで行きたいところだが何せ、時間がないので)
木曾馬の里でざるソバを食べ、1時半に鵜類沢の登和仙人様宅へお伺いした。
  (いまさら説明するまでもないが、「信州開田の登和仙人」というホームページを開設していらっしゃる。ご自身の身の回りの事から開田の出来事、四季の自然の美しさなどの情報を毎日更新している、開田フリークには見逃がせないサイトだ。)
突然の電話でお邪魔したにもかかわらず快く招き入れてくださり、奥様もご一緒に、帰るまでのおよそ1時間半の間、いろいろお話をお聞きした。開田の昔の暮らしのことなどお聞きすると、なんだか無性に懐かしく、切なくなる。不思議なことだ。仙人様、奥様、お忙しかったでしょうに、本当にありがとうございました。
ちなみに、奥様は楽しく気さくな方で、お若い時はさぞ村の若者の心をときめかしたのでは・・・と推察する。
帰ってから澤頭修自先生の本を読んでいたら、この奥様のことが出ているのを発見した。ここに、その文章を転載させていただく。
 
「御嶽の見える村・・・開田高原日記」  実業之日本社刊 より
8月29日(土)晴れ、(昭和45年)
朝早く耕運機の音がする。若い主婦がダンボールに詰めた白菜を積んで、農協の倉庫に運び込んでいる。声をかけられたので、誰かと思ったら鵜類沢の登里さんの奥さんであった。

会いたいもう一人は、観光案内所にいるTさんである。・・・観光案内所に立ち寄って、話しをされた方もいるかと思う。話をしないまでも、開田高原公式ホームページで、TさんやMさんの更新した文や写真を見ている人は多い。(余談だが、実は、この方のご主人が私のHPの「出会いふれあい」のページで紹介したAさんなのである。)

Tさんは、関西からこの開田へ移住して十余年。元祖開田大好き人間の大先輩なのだ。開田の暮らしや自然、植物にとても詳しい。
そして観光案内所の仕事(毎日ではない)や、冬はマイアスキー場のレストランで自慢の料理の腕を振るっていらっしゃると聞く。それ以外にも、お年寄りにお弁当を作って配るボランティアでも活躍しておられる。私が開田で気になる人の一人である(勿論ご主人ともども)。

案内所に寄ると、ひっきりなしにお客さまが来られて大賑わい!。Tさんは昼食も満足に食べていない模様で、大変である。それでもいくつか話を聞くことが出来た。麻衣(あさぎぬ)を織る名人の畑中たみさん(故人)や、養蚕(ようさん)のことなど、気になっていたことをお聞きすることが出来た。開田関連の貴重な本もお借りしてしまった。Tさん、ありがとうございました。スキーシーズンにはマイアで、おいしい飲み物や食べ物で、皆にくつろぎの時間を与えてくださいね
朝方晴れていた空も、午後からは曇ってきた。
それでも紅葉を求めて大勢の観光客が訪れた今日の開田・・・。
それぞれが、それぞれの開田の印象を思い出に帰って行く。その中でも、こんなに沢山の思い出を胸にして帰るのは私ぐらいなもんだろう。・・・そんな幸せな思いで家路に着いた開田おやじであった。


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