開田おやじの『こだわりの開田案内』


(その1) 山下家住宅 (長野県県宝)
(その2) 考古博物館  01年8月1日UP
(その3) 平次郎地蔵さん01年9月10日UPしました。ご覧下さい。
(その4) 開田の民家(庶民の家)01年10月7日UPしました。ご覧下さい。


開田高原の見所を知りたい。 ・・・そんな時には、皆様ご存知のように 村役場作成の立派な観光パンフレットが役に立ちますね。また、インターネットでは、観光案内所公式ホームページや 『ずんね空間』さんのサイトで、詳しく紹介されてもいます。
ですから、開田おやじの出る幕などないのですが、でも、開田おやじなりの切り口で、こだわりの見所ご案内、あるいは、開田の味わい方を・・・あえて、そおっと ご紹介します。
(一般的な説明は、観光パンフレットやインターネットでどうぞご覧下さい。)

 
(その4)開田の民家
  01年10月7日UP
過日に紹介した山下家住宅は大馬主の家で、本棟造りと呼ばれる立派なものでした。
開田の一般的な民家(農家)は、棟造りと呼ばれ、ゆるい勾配の板葺き石置き屋根が特徴的で、こうした建物が、開田らしさをかもし出していたのでした。
「でした」と過去形で書いたのは、古い建物を取り壊して、どこにもあるような現代風の建物に建て変わったり、建て替えとまでは行かなくても、板戸や障子がアルミサッシになり、馬小屋が物置や台所や風呂になったり、屋根がトタン屋根になったりで、古い趣きをそのまま残す家は少なくなってしまったのです。
昔のままの開田の民家を見るにはどうしたらよいか?
木曽福島町(きそふくしままち)の木曽福島郷土館に行けば開田の民家を見ることが出来ます。
開田の一般的な間取りの民家が、そのままの姿で移築してあるのです。


開田村民家全景(木曽福島町郷土館移築民家)開田民家の部屋(だいどこ)

日当たりのよい南側が馬屋になっていて、入り口は東向きの妻側にあります。
この馬屋は、開田の建物の特徴のひとつです。村人は、馬をそれは大切に育てました。馬の飼育は、貴重な現金収入で、また、馬の糞や小便は敷き詰めた草、わら、柴に混じって醗酵し畑のコエ(厩肥)となりました。
入り口を入ると、土間ではなく板張りの玄関になって、そこで履き物を脱いで上がると、ダイドコと呼ばれる大きなワンルームがあります。ダイドコといっても、いわゆる台所ではなくて、このダイドコが日常の生活全般の場になっていました。このダイドコをはさんで、表(玄関側)と裏に、デイ、ネビヤ、あるいはウスネと呼ばれる部屋があります。
このダイドコのほぼ中央にいろりがあります。(いろりは、ふたつある家もありました)
。 いろりは、年中火の絶えることがなかったそうです。とりわけ寒さの厳しい開田のこと、冬などは、おそらく、この囲炉裏の周りで起き伏しをし、夜なべ仕事などもしたことでしょう。麻織りや、お蚕さんの飼育も行われていたのでしょう。
床は板張りで、スゲで織ったムシロを敷くのが昔の暮らしでした。昭和の時代になって、やっとござや畳を敷くようになったとの事です。
柱や梁(はり)にはクッキリと手斧(チョウナ)
のあとがあったりして、昔の人の手仕事のあたたかさが感じられます
この移築民家には、開田で実際使われていた民具が多数展示してあります。それらも興味を引くところです。
さあ、このムシロの上に座って、いろりの火に手をかざし、ゆっくり目を閉じてみましょう。なぜか不思議ななつかしさと安堵感を覚えませんか。
あなたも開田へ行く途中に、ぜひこの木曽福島郷土館にお寄りください。


(その3) 平次郎地蔵さん

平次郎地蔵さん平次郎地蔵さん 聞かせてよ昔の話を の巻 01年9月

お〜い 平次郎地蔵さあ〜ん
聞かせてよ 昔の話を

あなたがお地蔵さんになってしまってから ここで見てきたことを・・・
ここから見えた景色のことを・・・
目の前を通る村人のことを 旅人のことを・・・ 

昔の開田はもっと違う景色だったんだろうね
村の暮らしはどんなだったんだろう
日照りや冷害で飢えに苦しむひとが 
大勢あなたの前で涙を流し 手を合わせたんだろうね
あなたと同じように 役人の横暴で捕まえられたひとが この前を通ったこともあったんだろうね

大正昭和の 戦争の時代は どうだったのかな 
大勢の男がこの前を通って 戦地に赴いたんだろうね
無事を思ってあなたに願をかけたおっかさんたちの祈りは 通じたんだろうかね

あっ ごめん
ひとりでしゃっべってしまった

平次郎地蔵さ〜ん
そんな無愛想な表情で 石のよう?に黙っていないで
聞かせてよ 昔の話を・・・
その昔 『木1本首ひとつ』といわれるほど木曽の桧が大切にされた時代に、開田にあった尾張徳川藩の留山(とめやま)の山火事がおきてしまいました。平次郎と言う村人が自ら申し出てその罪をかぶり、打ち首になりました。村人はお地蔵さんを建立して平次郎をいたみ、のちの世までその心を伝えることとしました。
平次郎地蔵は、開田村西野から三岳村へ行く県道沿いにいあります。
わが夢野山荘からは歩いて10分。となりには、覚明堂(御嶽山の大衆への開山に尽くした行者をまつる)があり、苔むした馬頭観音さまも沢山まつられています。
あなたも一度、平次郎地蔵さんと対話してみては?

なお、平次郎地蔵さんの いわれなどについては
開田高原観光案内所HP(こちら)もご覧下さい。

(その1) 山下家住宅 (長野県県宝)山下家住宅 


開田に関心のある方に是非見ていただきたい見所のひとつです。
外から建物を見ると、本棟(ほんむね)造りの美しい姿。
屋根には、特徴的な破風(雀踊りというのかな)と懸魚(げぎょと読みますがとても印象的です。昔の人々の美意識の高さがうかがえます。
中に入ってみましょう。
土間(三和土)から見ると、太い柱と、梁(はり)がつやつやと赤黒く磨かれていて、一気に昔の暮らしにタイムスリップします。ここには外とは違う空気と時間が流れているようです。
土間から座敷に上がると、そこには囲炉裏(いろり)が・・・。何か懐かしい気持ちがしますね。ちなみに、開田では囲炉裏のことを「ゆるり」とも言ったそうです。
囲炉裏端にそっと座ってみる。そして、目をつぶり、耳を澄ませてみましょう山下家住宅の囲炉裏端
心が昔にワープして、そのうち聞こえてきませんか、馬のいななき、ひずめの音が・・・。下男下女の忙しく立ち働く物音や、主(あるじ)や番頭の話し声が・・・。
聞こえてきた人は、立派な開田おやじ・開田おばさんですよ。
《開田村観光パンフレット]》より抜粋
県宝山下家住宅の先祖は、代々、伯楽(はくらく)と呼ばれた馬の医者。
江戸時代の山下家は大馬主で、馬を小作に貸して子馬が生まれると馬市で売り、小作の農民と折半した。子馬1頭の代金の半分で、普通の農家が1年暮らせた時代に、山下家では最盛期には250頭の親馬を持ち、年に100頭の子馬を売ったとされる。
山下家住宅は江戸時代の末期に建てられた家を、ほぼ原型で保存復元し、現在は長野県宝に指定されている。
贅(ぜい)を尽くした本棟造りは、どっしりとした風格があり、囲炉裏や正座敷の書画が往時を忍ばせる。
すぐとなりには開田村考古博物館がある。

(その2) 考古博物館 01年8月1日UP
隠れた大人気のジオラマ!!・・・その登場人物の名前が開田おやじにより、はじめて明かされる?!
旧石器時代のジオラマ。大人気です。県宝山下家住宅に併設して、この考古博物館があります。
山下家の穀物蔵を利用して考古博物館にしたと、聞きました。
旧石器時代から縄文時代の開田高原、その中でも特に独特な石器の柳又ポイントで有名な柳又(やなぎまた)遺跡をメインテーマとし、出土した石器や土器を展示しています。
展示の中で特に楽しいのはジオラマです。これがよく出来ていて、作った人はえらい!!と、感心してしまいます。最近の若い娘さんなら、「かっわいい〜」と手をたたくこと、うけあい。
御嶽山のふもと、開田高原。勿論、昔はそんな名はついていなかったのだけど・・・。
ジオラマは、ここに住むある家族の生活ぶりを見事に表現しています。
お父さんとお母さんに子供が3人。長男カイはもう大きくなり、石器を作ったりも上手で、暮らしの大事な担い手(にないて)です。次男坊のコウちゃんはまだ今でいえば小学校低学年。でも、お父さんから、狩りのやり方を聞いて覚えようとしています。
お母さんに見守られながらハイハイしているのは、ダーちゃん。末っ子で愛らしい女の子。。
お父さんは、ゲンと言う名です。家族を愛し、日々の暮らしを守るのに必死で頑張っています。お母さんはティピーのような住まいの前で、今日の食べ物を作っています。どんなメニューかな。
遠くでは、狩りに出掛けた親戚のおじさん?が獲物(ヘラシカのたぐい?
)を追っており、背後に、見上げれば御嶽山がそびえているのです。そして、このジオラマからは うらやましいほどの家族の愛と絆の強さが感じられます。
勘のいい読者は、気づいた方もいるかもしれませんねピンポーン!
これで、かい
こうげんと4人の名が揃い(そろい)ました。やれやれ、フー。
あ、まだ、お母さんが残っていた。――お母さんの名は、あなたにつけてもらいましょうか。
ところで、石器時代の開田の暮らしぶりは、どうだったんでしょうか。食べ物は充分あったのか。争い、飢え、寒さ、あらし、日照り、大雪、大雨、怪我、病気etc・・・。あるいは、御嶽山の噴火や、地震など、生活条件は大変厳しかったかもしれません。特に冬の寒さなど、想像を絶するものがあったんではないか、もっと下界に下りれば、少なくとも寒さはしのげるだろうに・・・。してみると、開田高原に住む旧石器時代の人々は、元祖開田大好き人間で、開田の地から離れられなかったのでしょうか。開田の旧石器時代人は案外、ロマンチストだったのかも・・・。
先ほど、暮らしは大変きびしかったのでは、と書きましたが、やはりそこは人の暮らし。・・・つらいこと、悲しいことばかりじゃなくて、うれしいこともあれば、喜びも、感動もあったんでしょうね。また、自然(山、天候、太陽、月、動植物・・・)に対する畏怖の念も強かったと思います。何万年か前の開田での人の思い、暮らし・・・。出来ることなら、タイムマシンがあるものなら、のぞいてみたい気がしませんか。
さて、このジオラマに出てくる3兄弟・・・長カイ、次男坊のコウちゃん、末娘のダーちゃん・・・みんな元気に育ち、それぞれの人生をまっとう出来たのでしょうか。なぜか気になります。
あなたも、是非、開田三兄弟に会いに来てみては?

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