きまぐれノート4
2010.01.18.☆
アイコンことば
集中するためにはリラックスが大切。
(リラックスするためには、)悲観的なことを考えず、その時その時を楽しむようにしています。
                NHKクローズアップ現代脳波が暮らしを変える脳トレより、アーチェリー選手の言葉


2009.11.01.☆

アイコンことば
何を生きたか、ではない。何を記憶し、どのように語るか。それが人生だ・・・・・。
                                    ・・・・・・・・・・・ ガブリエル・ガルシア=マルケス

                  




2009.10.11.☆

アイコンことば
ささいなことを気にしすぎるには人生は短すぎる。
                                    ・・・・・・・・・・・ 先人のことわざ

                  




2009.10.10.☆

アイコンことば
頭で学問するものだという一般の観念に対して、私は本当は情緒が中心に」なっているといいたい。                                                                
                                           ・・・・・・・・・・・・岡潔(1901〜1978)数学者

 岡潔はなぜ人間が数学上の発見ができるのか、それを考えた。結局、こどもが昆虫採集に出かけ、見事な蝶をみたときの<発見の鋭い喜び>の感情に導かれて、学問的な発見はなされることに気づいた。彼は、自然をうけとる美しい情緒を心のなかに育てることが、人間にとって何より大切だといっている。
                  



2009.08.03.☆

アイコンことば
総て文章の妙は胸中の思想を飾り気なく平たく造作なく直叙するが妙味と存ぜられ候。さればこそ瓶水を倒して頭上よりあびる如き感情も起こるなく、胸中に一点の思想なくただ文字のみを弄する輩は勿論いうに足らず、思想あるも徒に章句の末に拘泥して天真爛漫の見るべきなければ人を感動せしむること覚束なからんかと存候。                                                                
                                               ・・・・・・・・・・・・夏目漱石
                   




2009.07.28.☆

アイコンことば
すべてをもっていても、何もないのと同じさ。またほしくなるだろ。                                                                        
                                           ・・・・・・・・・・・・ピレネーの羊飼い
                   




2009.07.18.☆

アイコンことば
学生 「先生、ドイツ語は難しくてよくわかりません」   「覚える先からみんな忘れてしまいます」
百閨@「覚えたことを忘れまいとするその賎しい根性がいけない。忘れることなんか気にしないで、ただ覚えればいい。そもそも生まれた時からのことをみんな覚えていたら頭がおかしくなる。
                                                 百關謳カ言行録

学問はむしろ忘れるためにする。はじめから知らないのと、知ったうえで忘れるのでは雲泥の差がある。学問がその人に効果を発揮するのは忘れたあと。学問をするのにすぐ役に立つかということばかり考えるのは堕落の第一歩だ。
                                                 学生の家
                                               ・・・・・・・・・・・・内田百
                   




2009.07.17.☆

アイコン

山かげの岩間を伝う苔水の かすかに吾は澄みわたるかも

世の中にまじらぬとにはあらねども 一人遊びぞ吾はまされる

いとどしく老いにけらしもこの夏は わが身ひとつの寄せどころなき

いにしへを思へば夢かうつつかも 夜は時雨の雨をききつつ

いざここにわが身は老いぬあしひきの 国上(くがみ)の山の松の下庵(いほ)

老が身のあはれを誰に語らまし 杖を忘れて帰る夕暮れ

夜もすがら草の庵にわれをれば 杉の葉しぬぎ霰(あられ)降るなり


                                       ・・・・・・・・・良寛
                   




2009.07.17.☆

アイコンことば
「いつのまにか、あれから十年がたってしまった。
ハンナが死んで間もないころは、昔の疑問が僕を苦しめたものだった。
ぼくはハンナを裏切ったのだろうか。ぼくはハンナに借りがあるのだろうか。
ぼくは彼女を愛したことで罪ある者となったのだろうか。
僕は彼女の思い出から離れるべきなのだろうか。
どうやって離れたらいいのだろうか。
ときおり僕は、彼女の死の責任も自分にあるのかと考えた。
そしてときには、彼女に対して、また彼女が僕にしたこと対して、腹を立てた。
怒りが力を失い、問いが意味をなくしてしまうまで。
僕がしたこと、しなかったこと、彼女が僕にしたことーーー
何であれ、今ではそれが僕の人生なのだ。」
                        ・・・・・・・・・ベルンハルト・シュリンク作「朗読者」より
                   


2009.06.11.☆
アイコンことば
わが享(う)けし土地の 美しさ
広さ 果てしなさ!
時こそわが所有の地
時こそわが耕す畑
                                       ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ゲーテ(西東詩集)




2009.05.23.☆
アイコンことば
わたし達は、自分の扱い方を人に教えている。
                                       ・・・・・・・・・・・・・・・・・・勝間和代




2009.04.26.☆
アイコンことば   
事実などない。認識だけだ。
・・・・・・・・・「Life Strategies」より
・・・そう、事実なんかなくて、さまざまな出来事について、私たちがそれぞれの立場からどう解釈するか、ということだけなのです。ですから、わたしがどんなに正しいと張り切っても、空回りしていることなんていくらでもあります。ほんの少しだけ、自分を客観的に見る癖をつける。それだけで、実はずーーーっと視界が開けてきます。そのコツとして、この言葉が役に立つと思います。                                    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・勝間和代




2009.1.21.☆
アイコンことば   
いずれにしろ、僕のアプローチは人と同じだったためしがない。僕はいつだってインコースを走ってて、人とは違う方法を試すんだ。今だって、人と違う方法をためしてるよ。ヤツらにはチャンスはないな。もちろんこれは誇張だよ。そうやって自分を過大評価して追い詰めるんだ。なんだか、アフリカ人が闘いに出かけるときと似てると思わないか?
                                       
・・・・・・・・・ファインマン(物理学者)   



2009.1.09.☆
アイコンことば   
諸君に第一に気をつけてほしいのは、決して自分で自分を欺かぬということです。
己というものは、一番だましやすいものですから、くれぐれも気をつけていただきたい。自分さえだまさなければ、他の科学者たちをだまさずにいいることは割りにやさしいことです。その後はただ普通に正直にしていればいいのです。

                                        
・・・・・・・・・ファインマン(物理学者)   


2009.1.09.☆
アイコンこと   

しかし自分の馬鹿さかげんを隠すため、えらそうなでたらめを並べたてて人を恐れいらせようとするようなもったいぶった馬鹿だけは、僕は絶対にがまんできない!普通の馬鹿はいかさま師ではない。正直な馬鹿は結構だ。だが不正直な馬鹿となると始末におえない。
                                       ・・・・・・・・・ファインマン(物理学者)   



2009.1.1.☆
アイコンことば   
よく考えてみますと科学というものは、何が真実であり、何が真実でないかを宣言するものではなく、むしろ確実性の度合いの差を述べるものだ、ということに気がつくはずです。つまり科学の言明というものは、上は「×××が真実である可能性は、真実でない可能性よりもかなり大きい」とか「△△△はほとんど確実であるが、それでもなおわずかに疑問の余地がある」というところから、最低のところでは「それはぜんぜんわからない」というところまで、どれを取ってみてもすべてこの確実度のものさしの上で、少しづつちがったところに位置しているわけです。ただし決して絶対の真実あるいは絶対のまちがいという両極端にあることはない、と言っていいでしょう。
人間はこうした考え方を、科学の世界だけではなく、他のものについても受け入れることが必要だと僕は考えるのです。無知を認めるということは、絶大な価値を持っています。人生を歩むうち僕らはさまざまな判断に迫られますが、そのときは果たして正しい判断をくだしているかどうかを、必ずしもわきまえているわけではありません。ただ自分は最善を尽くしているんだと考えるだけです。そしてこれこそ僕らのなすべきことなのです。・・・・・・・・・ファインマン(物理学者)   


2009.1.1.☆
アイコンことば   
僕はね、知らないまま生きることを覚えたんだ。自分が成功しているという確信がもてなくても、いっこうに平気さ。科学について前にも言ったことだが、自分が何をやってるのかわからないのを悟っているからこそ、僕の生涯はもっと豊かなんだ。無知を悟れば悟るほどこの世界の広大さがわかって、ますます愉快になるよ!
                                 ・・・・・・・・・・・ファインマン(物理学者)


2008.11.07.☆
アイコンことば   
不確実性は、それ自体が脳にとっての報酬になりうる
                                      ・・・・・・・・・シュルツ

2008.10.13.☆
アイコンことば    
天才とは、99%の努力と1%のひらめきである。
                ・・・・・・・・・・・・・・・・エジソン

2008.07.07.☆
アイコンことば    ”ニーチェからの贈り物”

・・・・真実をこのように包み隠さず口にすることは、他の人々には悪意の発露のように見えるだろう。なぜなら彼らは、彼らの中途半端な言動やごまかしの保存を人間性の義務とみなしており、こんなふうに彼らのおもちゃを壊す人間は悪者にちがいない、と考えるからである。



もしも信仰が人を至福にするものでなければ、それは信仰されないであろう。



キリスト教がそれ以外の宗教より優れているもっとも巧妙なトリックは、一つの言葉にほかならない。すなわちキリスト教は、について語ったのである。




自分の敵を愛しているという信仰は、[・・・]それが本当に信じられているかぎり、必ずや人を幸福にする。



天国とは心の状態のことである・・・・・それは「個々人における心の変化」であり、いつでも到来しているがいつでもまだ到来していない何かなのだ・・・・



物思いに沈んだ心は青年のもの、明るく澄みきった心は老年のものである。



再び子供に返りたいと思うならば、自分の青春を乗り越えなければならない。


    ・・・・・・・・・ウルズラ・ミヒェルス=ヴェンツ編 清水本裕訳「ニーチェからの贈り物」



2008.07.06.☆
アイコンことば    ”ニーチェからの贈り物”


孤独は、私たちを自分に対していっそう厳しくさせるとともに、人間に対する私たちの憧憬をいっそう募らせる。
両方の点で、孤独は私たちの性格を改善してくれる。



人々が小さな意地悪を考えられないとすれば、わざわいだ!小さな意地悪を考えることによって人々は、どんなに多く楽しみを増していることか、また、どんなに多くの悪行をしないですませていることか!



心にも自分の排泄物を流し去るための専用下水溝がなけれなならない。



私たちのすることは、決して理解されることはなく、いつもただ称賛されるか非難されるだけである。



凡庸さは、優越した精神がかぶることのできる最も好都合な仮面である。なぜなら凡庸さという仮面は、大衆すなわち凡庸なものたちに、仮面をかぶっていると思わせないからである。



ある人間の高さを見ようとしないものは、それだけいっそう鋭く、その人間の低劣なところや上っ面に目を向けるーーーそしてそのことによって自分自身の正体をさらけ出す。



・・・つまり高度な文化は、なによりもまず第一に、強さと健やかさで固められた凡庸さを前提としているのだ。・・・・凡庸さが存在すること自体に一つの異議申し立てを見て取ってしまうとしたら、それはより深い精神にはまったくふさわしくないことであろう。凡庸さは、それ自体、例外者が存在を許されるための第一条件である。すなわち凡庸さは、高度の文化の条件にほかならない。






    ・・・・・・・・・ウルズラ・ミヒェルス=ヴェンツ編 清水本裕訳「ニーチェからの贈り物」



2008.07.05.☆
アイコンことば    ”ニーチェからの贈り物”


一木造りの敵意のほうがましだ 膠付け寄木の友情よりも!   



この世には君以外の誰も歩むことのできないただ一つの道がある。この道はどこへ行くのか?問うな、ひたすら歩め!



君たちが高く登ろうと思うなら、自分の足を使うことだ!運び上げてもらうな、他人の背中や頭に乗るな!



何か新しいものを初めて見るという点ではなく、古いもの、古くから知られているもの、誰にでも見えているが見過ごされているものを、新しいものであるかのように見るという点が、真に独創的な頭脳の抜きん出ているゆえんである。



いかなる河も、自分自身によって大きく豊かになるのではなく、非常に多くの支流を受け入れて運んでいくことによってそうなるのである。この事情は、あらゆる精神の巨匠たちにも当てはまる。



私たちが高く飛び立てば飛び立つほど、飛ぶことのできない人たちの目には、私たちはそれだけいっそう小さく見える。



偉大な人間は自分を指し示したりはしない。常に自分を超えた彼方を指し示す。



自分のことを考えても、あまり幸福は得られない。けれども自分のことを考えて大いに幸福を感じる人がいるとすれば、それは、その人が根本において自分のことではなく自分の抱く理想のことを考えているからである。



最高の人たちこそ、生存に苦悩すること最もはなはだしい。−−−しかし彼らには、それに耐える最大の抵抗力も備わっている。



脱皮することのできない蛇は破滅する。これは、自説の変更を妨害される精神たちにも当てはまる。彼らは精神であることをやめるのだ。



偉大さをめざして努力していることで、その人のお里が知れる。偉大さをすでに手にしている人は、善意をめざして努力するのだから。



偉大な人々はみな、偉大な労働者であった。



結局のところ、勝利のあるところにしか朗らかさはない。[・・・・・]人間は、輝かしい勝利をおさめた人々の一人を身近に持つこと以上の喜ばしい幸運にあずかることはできない。輝かしい勝利をおさめた人々とは、最も深い問題を考えたからこそまさに最も生気あふれるものを愛さずにはいられなかった人々、そして賢者となって最後には美しいものに心を傾けた人々である。



成功は、必ずしも勝利がある場合のみ訪れるわけではなく、ときとして、勝利への意欲があればもう訪れることがある。



勝利者は誰一人偶然を信じない。



自分が深いとわかっている者は、明るく澄んでいようと努力する。大衆に深いと思われたい者は、暗く濁っていようと努力する。



偉大な人は地味な物事のために口ぞえをする。



君たちが病人として芸術をほしがるとき、芸術家たちを病気へ導いていることに、いったい君たちは気づかないのか?



・・・しかし美は、これを意欲してはならない。美は無邪気に盲目に、プシュケが抱いたようないかなる好奇心もまじえずに、可能とされねばならない。・・・・・常に善のために行動しながらも、思わず知らず常に美を達成してしまう人たちこそが、完全な人間なのである。



いったい天分とは、私たちの父祖の段階のものであれ、もっと昔のものであれ、学習・経験・練習・獲得・摂取の比較的古い部分に与えられた名称以外の何であろうか!そしてまた学習するものは、天によって授けられているのではなく、自分で自分に授けるのである。



取り柄よりましなものなどまったく存在しないのだ!そして取り柄とは、何らかの有能さを持ち、そこから創造活動をすることである。



創造活動ーーーこれこそが苦悩からの大いなる救済であり、生きることを軽快ならしめるものである。



職業は人生の背骨である。



誰であれ自分が持っている以上のものは支出できないーーー権力のために、大きな政治のために自分の力を支出してしまうなら、別の方面では欠落が生じる。文化と国家とはーーこの点について勘違いしないでもらいたいのだがーーーたがいに敵なのである。



ぺっ!君たちは一つの体制に組み込まれたがっているのだ。そこでは、人は完全に車輪になりきらねばならないか、さもなければ車輪の下敷きになってしまうというのに!・・・・・・・・・そこでは、自分は他人があまり責任を感じないで使ったり壊したりしてかまわない自然の安物陶器ですと決定的に認めてしまったことを、誰も予感すらしないというのに!



権力を得るということは高くつく。つまり権力は人間を愚かにしてしまうのだ。



党派というものはどれも、おのれの外部で成育した重要なものを重要でないものとして示そうとする。けれどもそれがうまくいかないと、党派は、当のものが優れていれば優れているほど、いっそう手厳しくそれを攻撃する。



私たちが我慢できるのは、ただ一種類の金持ちだけ、すなわち自分の富を恥じるような金持ちだけである。



自分の愚行を恥じるべきではない。自分の愚行を恥じるようなら、私たちの知恵にはほとんど価値がない。



ある精神の内部に二、三匹の虫が住み着いていることは、その精神が成熟していることの反証にはならない。



すべて生命を持つものは、なにかに服従するものである。



何もすることがない人は、くだらないことに悩まされる。



奉仕の心を投げ捨てたとき、自分の最後の価値を投げ捨ててしまった者も少なくない。



才気をひけらかそうとする者は誰でも、才気とは正反対の物もたっぷり備えているということを、人に気づかせてしまう。



もしも人間が、たとえば「神の摂理」などに身をゆだねようとするならば、その結果は常に人間の堕落である。



自分がどのように評価されているかにいつも聞き耳を立てている人は、いつも怒っている。



情熱に駆られた人間は、他人がどう思っているかということをほとんど考えない。彼らの状態が、彼らに虚栄心を超越させるのである。



失敗することと軽蔑されることは、自由になるためのよい手段である。



     ・・・・・・・・・ウルズラ・ミヒェルス=ヴェンツ編 清水本裕訳「ニーチェからの贈り物」



2008.07.04.☆
アイコンニーチェのことば


人間が存在してこのかた、人間は喜ぶことがあまりにも少なかった。[・・・・・]私たちがもっとうまく喜ぶことを学ぶならば、それは、私たちが他人に苦痛を与えたり他人の苦痛になることを考え出したりすることを忘れる、いちばんうまい方法である。  



知恵の増大は、憤懣の源である胆汁の減少によって正確に量ることができる。



最小の幸福においても最大の幸福においても、幸福を幸福たらしめているものは、常に一つである。
すなわちそれは忘れることができるということ。



記憶をほとんど持たずに生きることは可能であるし、」幸福に生きることすら可能であるが、[・・・・・]しかしおよそ忘却なしで生きることは絶対に不可能である。



生きることができるためには、人間は過去を破壊し解体する力を持ち、時々その力をつかわなければならない。



忘れることによってのみ、人は善良さを保つ。



救済への道は、朗らかさのなかだけを通っている。



私の推測では、私たちには自分が知っているものしか見えないのだ。



自分を一個の完全な人格に作り上げ、何をするにしてもこの人格の最高の幸福を目標とすることーーーこういうことのほうが、他人のためのあの同情的な活動や行動よりも、貢献するところが大きい。[・・・・・]問題は、人が何を自分の利益として理解するかである。ほかならぬ未熟な、未発達な、粗野な個人は、自分の利益をも最も粗野に理解するだろう。



自分が死ぬことはわかりきっている、なぜ朗らかにしようとしないのか?



衰弱し、やせ細り、消え入りそうで、自分自身を否定し抑圧するような人格は、もはや良いことに役立ちはしない。[・・・・・]「無私」は天上でも地上でも価値を持たない。大きな問題は大きな愛を要求するが、この大きな愛を持つことが出来るのは、自分自身にしっかりと根を下ろしている、力強い、円熟した、確信に満ちた精神の持ち主だけである。



肝心なのは先に立って歩くことではない(ーーーそんなことをしてもせいぜい牧人にしか、すなわち畜群にとって最も必要なものにしかなれない)。肝心なのは独りで歩くことができるということ人とは違っていることができるということだ。



私たちは何か全体的なもの
全身全霊を打ち込まなければならない。さもないと私たちは、世界の雑多なありようのために、雑多なものの一つになってしまう。



きみ達自身と同じように君たちの隣人を愛しなさい。ただし、君たちが君たち自身を愛していることが前提だ。



大きな犠牲を作り出し、かつ大きな愛を作り出すものは、人格の豊かさ、おのれの内なる充実、横溢と譲与、本能的な健康と自己肯定である。これらの情動が生長してくる源は、強く神々しい利己心である。[・・・・・]これらの本能が解釈し変えられ、その結果人間がおのれの自己に刃向かうものを価値多いと感じるようになるなどどいう事態が、どうして起こり得たのだろう。



だれでも自分を低くするものは、高くされることを望んでいる。




愛するものは、贈ることによって惜しみなく自分を与えるが、愛されることを望むものは、贈られることによって自分自身を手に入れたいと思っている。



高貴な魂たちの流儀はこうである。すなわち彼らは、なにものもただで手に入れようとは思わない。ましてや人生をただで手に入れようとは思わない。



自分が愛されることを要求するのは、思い上がりの最たるものである。



愛情からなされることは、いつも善悪の彼岸で起こる。



だ愛においてのみ、−−−愛の幻想の影につつまれてのみ、人間は創造活動をする。いいかえれば、完全無欠なものに対する無条件の信頼においてのみ、人間は創造活動をするのだ。もはや無条件に愛してならぬと強制されたならば、誰だって自分の活力の根を断たれてしまう。



愛を教えることは不可能である。



たいていの人間達が愛についてあれほど強調し偶像視して語ったのは、」人間達が愛をほとんど手に入れたことがなく、」いちどもこの食物に飽食することが許されなかったからである。



官能を精神化したものが、愛と呼ばれている。


    ・・・・・・・・・ウルズラ・ミヒェルス=ヴェンツ編 清水本裕訳「ニーチェからの贈り物」



2008.06.06.☆
アイコンことば
・・・まず自分自身を尊敬することから始めてもらいたい。他の一切はそこから生まれてくる。

・・・現在私たちは教育を受けるにつれてまず最初に第二の天性を獲得する。そして成熟した、一人前になった、使いものになると世間から言われると私たちはそれを身につけたことになる。
若干の少数者だけが、ある日その被覆の下で彼等の第一の天性が成熟を遂げたときにこの皮を脱ぎ捨てることが出来る蛇である。大多数の者たちにおいてはその芽が枯れてしまうけれども。
                          ・・・・・・・・・「ニーチェ」



2008.06.05.☆
アイコンことば

”ディオニュソス的なもの”
ディオニュソス的であるとは、生存や世界が苦痛に満ちており無意味であることを認め、しかもその認識から逃避しようとしないことを意味します。ニーチェは、『悲劇の誕生』のなかで、悲劇がギリシャにのみ生まれた理由を説明するにあたり、「ディオニュソス的ギリシャ人」と「ディオニュソス的野蛮人」とを区別します。ディオニュソス的野蛮人は、生存と世界の悲惨を理解すると嫌悪感を覚えこれを解消するため、酒や麻薬の助けを借りて分別を麻痺させ、社会の秩序や行為の規範を転覆させます。・・・・・・・・・・ところが、ギリシャ人は、ディオニュソス的な認識を芸術に昇華させ、野蛮人とは異なる道を歩むことになったとニーチェは言います。・・・・・・・・・・・・生存が苦悩や不条理に満ちているにも拘らず、否、それゆえにこそ生存には価値があると判断するギリシャ人の健康こそ、ギリシャ的快活の原因に他なりません。
                          ・・・・・・・・・清水真木「ニーチェ」



2008.06.03.☆
アイコンことば

かつて死へと赴く賢者「アリストテレス」は、
『友人たちよ、友人などいないのだ』
と叫んだが、
今生きている愚か者である私は、
『敵たちよ、敵などいないのだ』
と、こう叫ぶ。
             ・・・・・・・・・ニーチェ(『人間的な、あまりに人間的な』)


2008.05.28.☆
アイコンことば
”悲劇的認識”
1、いかなる価値も前提とすることのない生存は不可能であり、生存はつねに予め何らかの価値を真なるものとして承認することによって始めて可能となる。
2、しかしながら、合理的な基礎を持つ価値など存在せず、すべての価値は虚偽であり、妄想であり、仮象であり、幻想に過ぎない。
3、したがって、これら二つの点を理解したものは、生きるために、何らかの妄想を、それが妄想に過ぎぬと知りながら欲求せざるをえないことになる。・・・・
・・・・・・・・・すでに述べたように、悲劇的認識は、ソクラテス主義の破綻とともに姿を現す「新しい認識の形式」です。悲劇的認識は、学問という知的活動を介して初めて獲得される近代に特有の認識であり、これを承認し、しかも悲劇を欲求しうるだけの健康を具えた人間こそ、近代における芸術の真の担い手に他なりません。
・・・・・・・・・
”善良と邪悪、優良と劣悪”
・・・・・・・しかしながら、私たちは日常生活の中で、このような奴隷一揆またはユダヤ的価値転換の事実に気づくことはありません。キリスト教的道徳、これを前提とする近代の民主主義は、出来損ないが自らの身を守るために発揮した狡知の結果であるということ、人類全体の福祉を著しく妨げる錯誤であることに気づくのも容易ではありません。というのも、私たちが生きているのが、すでに奴隷一揆が成功して奴隷道徳が君主道徳に勝利を収めてしまった世界、賎民の視点がすみずみにまで浸透した世界に他ならないからです。
・・・・・・・・・・
”強者/弱者”
真に健康な人間は、生存が苦痛に満ちたものであり、無意味なものであるからこそ生存を欲するということになります。したがって、反対に、弱者の「弱さ」とは、知性の負荷に対する抵抗力の欠如と消極的な態度であり本能の病気を指すことになります。弱者は知性に対する刺激に耐えられず、これから身を守るため、希望や慰めや励ましを与えてくれるようなもの、例えばロマン主義、プラトニズム、キリスト教などを必要とします。
                     ・・・・・・・・・・・・清水真木、知の教科書「ニーチェ」