軽すぎる刑事罰に思う
お断り 私はいかなる政治団体にも所属しておりません。これまでずっとノンポリを貫いてきた、法律に関しては無知な一市民です

1 マスコミにも大きな責任
2 罰のない世界に平和はない
3
三審制や裁判の進め方の見直しを
4 死刑制度の復活を(殺された人の人権はどうなるの?)
5 無期懲役はやめて懲役500年を(恩赦で罰が軽くなりすぎる)
6 過保護が生む少年犯罪
7
少年法の改正が急務
8 刑事罰『14歳以上』に少年法改正近く試案(中日新聞)
9 少年審判に検察官関与 法制審部会答申案98.12.12.中日新聞

1.マスコミにも大きな責任   

 一時期、少年の自殺が相次いだ時には、テレビも新聞も週刊誌も、マスコミはこぞって自殺の報道を我先にと取り上げました。それにヒントを与えられた結果、いじめられて逃げ場を失った少年たちの何人かが、落とさなくてもいい命を失ったのです。ここで自分が自殺すれば、マスコミが大きく報道してくれるから、いじめた奴は困るだろう。まさに連鎖反応でした。もっともらしい顔をした司会者や学識者などの中でも、過熱報道に水を差そうと提唱した心ある人は、残念ながら私の知る限りは皆無でした。

 そして今、ナイフによる少年犯罪が多発しています。自殺の時の教訓は全く活かされず、相も変わらずマスコミの、無責任な、特ダネが欲しい気持ちが最優先された過剰なまでの報道が、繰り返されています。マスコミの影響力たるや、絶大です。彼らがことの善悪を正しく判断しようという気持ちがあるならば、また、過剰な報道がもたらす結果というものを考えてくれる気持ちがあるならば、事件も少しは抑制されるでしょう。

(U氏)自殺の連鎖反応などについては、アメリカでは「伝染病の一種」と見ているそうです。そのためマスコミ報道に起因する「群発自殺」などが発生した場合、CDC(疾病管理センター)が調査の上、情報をセーブするよう勧告するのだそうです。


2.罰のない世界に平和はない   

 その昔、バビロニアのハムラビ王は、有名な「目には目を」の法律で一時代を築きました。罪を犯したら、必ずそれ相応の罰を受けなければならないのです。内容は残酷な部分もありますが、基本的には、しごく当然のことだと思います。日本でも江戸時代には、五人組制度で連帯責任を負わせることによって、世の秩序を保ちました。いずれも、犯罪が起こることを前向きに防ごうという法律です。ところが今の日本ではどうでしょう。50年も前に作られた、およそ時代にそぐわない法律が、さらに改悪されて、いまだに使われているのです。これでは秩序は保たれるはずがありません。

身近な例に、NHKの放送受信料があります。法律では払うことが義務づけられているのですが、払わなかった場合の罰が明確にされていないため、私の知っているだけでも、かなり多くの人が払う義務を怠っています。罰がなければ法律は守られないのです。

学校の荒れの問題でもそうです。高校では退学という切り札があるのでまだいいのですが、中学では退学がありません。内申点さえ諦めれてしまえば、生徒にとって怖いものはありません。だから荒れだしたら止まらないのです。。高校でも、愛知では乱れのひどいのは公立高校の方です。現実に愛知の三悪と言われる高校は、みな公立です。私学では一般に校則がきっちり適用され、退学という抑止力が強く働くのですが、公立ではよほどのことをしない限り、まず退学にはできません。このように、なにがしかの罰という抑止力が働かない限り、教育現場の荒れるのを止められないのです。


3.三審制や裁判の進め方の見直しを   

 ご承知のように日本国憲法の三大骨子は、国民主権・基本的人権の尊重・永久平和です。しかしこの法律が作られたのは、50年以上も前のことなんです。今とはまるで世の中が違うのです。当時は平和はもちろんですが、人権を守ることが最大の課題でした。警察による犯人のでっち上げもあったと聞きます。そのため、裁判でも三審制を敷きました。

 月日が流れ、人権尊重は過剰に定着し、義務は果たさなくても権利だけは主張するのが当たり前の世の中になりました。悪いことをしても、とことんしらを切り通す人間も多くなりました。もちろん完璧はあり得ません。アメリカではシンプソン事件のような不合理も起こりますが、裁判は一発です。ところが日本ではどうですか。何人もの人を殺したことが完全に明らかであっても、三審制であるがために、裁判の進め方が超スローなために、長い年月と莫大なお金がかかってしまうのです。この無駄とも思えるお金は、一体どこから出るのでしょうか。ただでさえ高い税金を有意義に使って欲しいと願うのは、全国民の願いのはずです。あげくは被害者の遺族も疲れ果て、まさに二重の被害に遭ってしまうのです。

 一審で死刑を言い渡されたがその後に証拠不十分で無罪になった例もあります。これはまさに三審制のおかげだと思いますが、こうして無罪を勝ち取った人の全員が必ずしも本当に冤罪たったのでしょうか。それは疑問です。疑わしきは罰せずの見地に立てば、証拠不十分なら無罪です。でも、とことんしらを切り通したために難を免れた人間を私は多く見てきています。恐ろしいことですが、しらを切り続けていくうちに、それが真実になってしまうのです。「本人の自白が必要」ということも疑問です。明らかならそれで十分じゃないですか。だから裁判が長引くんです。


4.死刑制度の復活を(殺された人の人権はどうなるの?) 

 今の刑法は、もう時代に合わなくなりました。加害者の人権ばかりにとらわれすぎです。奪われてしまった被害者の人権は、いったいどうなるのですか。他人の人権を奪った人間に、なぜ、あれほどまでに人権を与えるのですか。ひとたび他人の人権を奪った瞬間に、その人の人権は放棄されるべきではないでしょうか。これも、オンブズマンなどのマスコミを利用したごく一部の市民団体の人達の意見に、政府が踊らされてしまっているからです。市民団体の人数などごく僅かです。私と同じ意見を持っている人が、大多数のはずです。でも我々には、市民団体の人達のような口がありません。こうした文句を言わない層の人達が意見を積極的に述べない限り、刑法などの適正な改正はないのではないでしょうか。

 今の日本では、一人ぐらいなら人を殺してもほとんど死刑にはなりません。。もし死刑がもっと頻繁に実施されていたとすれば、犯罪防止に一役買うことは間違いありません。誰だって死刑になるのは怖いのですから。死刑廃止を訴える人達に、どうしても聞いてみたいことがあります。もし自分の一番大切な人が罪もないのに惨殺された場合、それでも犯人を守りますか。犯人が何年後かに社会復帰して、幸せな余生を送ったとしたら、それでも我慢ができますか。

(U氏)冤罪が発生する可能性がゼロにならない限り死刑は行うべきではない。
→→それは理想だと思います。すでに消えてしまった過去のことを裁くわけですから、どうやっても完全はあり得ません。理想ばかりを追いすぎた結果が、今の世ではないですか。私は、裁判は罰を与えるためというだけでなく、この世の秩序を守るために、また、被害者の人権を守るためにも、行われて欲しいんです。

(U氏)他人をかばうために、無実の人が自ら犯罪を認めたと言う例もあります。何人もの死刑になるべき人物が終身刑になることより、一人の罪なき人が合法的に殺される方がよっぽど恐ろしいこと。
→→私が死刑にしろと言っているのは、もちろん犯罪が明らかな場合です。不十分な場合は死刑にはできません。当然です。それから、他人をかばうために無実の人が自ら犯罪を認めたと言う例についてですが、その人には捜査の邪魔をしたという大きな罪があると思います。割り切れなさは残りますが、そこまで考えていたら何もできないと思います。

(U氏)他人の人権を奪ったかどうかをハッキリさせるために裁判を行うわけで、それまでの刑が確定する前の段階で人権が破棄されたとしたら、冤罪の発生は更にたやすくなります。
→→人権の範囲を広げすぎるんじゃないですか。権利は義務を遂行する人間にのみ与えられるべきだと思います。また、裁判が行われるのが遅すぎます。刑が確定するのにいったい何年かかるんですか。罪もなく殺されていった人の無念を思うと、どう考えてみても加害者の人権をうんぬん言うのが我慢できないんです。

(U氏)銀行強盗に押し入り立てこもったある犯人は「捕まればどうせ死刑だから何人殺しても同じだ!」と言って何人も惨殺したそうです。ある連続殺人犯は「俺が死刑になれば、永遠に名が残る」とも言ったそうです。「俺は死刑になりたい。これだけ殺せば死刑になるか?」とさえ言った殺人犯もいたそうです。連続幼女殺人の宮崎も、自分が死刑になるかどうかについては、まったく興味が無く、死刑を言い渡されても、まるで他人事の様だったという話。酒鬼薔薇少年も「死刑になってもいいから」と作文に記していました。自分の欲求を満たすために人を殺すなどという人物は、まともな人間性を持ち合わせているとも考えられず、「死刑になったらイヤだから、犯罪を犯すのはやめよう」などという、まともな感情を保てる者がどれだけいるでしょうか。「一生刑務所に入っているぐらいなら、死んだ方がまし」と考える人も多いと思いますよ。
→→当然様々な例があるでしょう。だから議論の的になるのですから。しかし、自制に役立つ例はもっと多いと思います。これは表面には出てきませんから、数値的にわからないのが残念です。最初は「死んだ方がまし」と言う人も、実際に死刑の宣告をうけ、刑務所内でいつ執行命令が来るかという不安に駆られて生活する方が、怖いにきまっています。人間の考えは変化していくものなのです。

(U氏)「もし自分の一番大切な人が罪もないのに惨殺された場合、それでも犯人を守りますか」というのは、死刑や、犯罪者の人権の問題が論議される上で、よく聞く意見です。他にも「犯罪者の人権は重視されるが、それでは遺族の感情は・・」とか。これらの意見はまるで「刑の重さは遺族の憎しみの大小によって左右されるべき」かのようです。確かに遺族がそう言う感情を抱くのは当然なことかもしれません。しかし、犯罪者に科せられる刑の重さは、遺族の憎しみの感情の重さで左右されるべきではありません。被害者が「いなくなった方がいい人物」であったりする場合、その刑は軽くなってしまうことになるからです。「人殺し」は殺した相手が誰であれ「人殺し」です。その人物の危険度が、殺した相手によって変わるわけではありません。
→→仇討ちは、法が裁いてやってくれる。それでなければ秩序は保てません。裁判は、遺族の無念を晴らすためにも行われるべきです。もう一度U氏に聞きます。自分の一番大切な人が罪もないのに惨殺された場合、それでも犯人を守りますか。

(U氏)「犯人が何年後かに社会復帰して幸せな余生を送ったとしたら、それでも我慢ができますか。」しかしすでに述べたように、自分の死に対して興味のない人間や、「死んだ方がまし」と考える人間もいるわけで、こういう疑問も成り立ちます。死刑にしてくれてありがとうと言う人物の望みをかなえてあげて、あなたは満足ですか?もっと苦しめてやろうとは思いませんか。
→→そう考える人間もごくまれにはいるでしょう。でもそれは屁理屈です。大多数は、死刑の宣告をうけ、刑務所内でいつ執行命令が来るかという不安に駆られて生活する方が怖いにきまっています。犯人がこの世で息をしている限り、どこかで笑いも得るでしょう。私ならそれすら我慢できないと思います。消えてもらいたいと願うのは遺族の自然の願いでしょう。なお、私は日常生活において特に厳しい人間というわけではありません。むしろ寛容な部類に入ると思います。そんな私でもそう思うんです。
それから、そういう細かい特例にいちいちまどわされていると、ことの本質を見失うことが多いのではないかと思います。裁判がだらだらと長引く原因の一つも、そこにあるんじゃないでしょうか。


5.無期懲役はやめて懲役500年を(恩赦で罰が軽くなりすぎる) 

 死刑の次に重い罰は無期懲役です。しかし、皇太子が生まれたとか結婚したとかがあると、恩赦があってどんどん減刑されていきます。また、服役中に模範囚でいても減刑されます。そして結局、十数年もすれば社会復帰ができてしまうのが一般的のようなのです。これでは被害者は浮かばれません。罰の軽くなった現在で無期懲役の判決を受ける人は、少し前なら死刑に値する罪を犯した人です。それがこんなに減刑されたのでは、いかにも罰が軽すぎます。これでは秩序は乱れて当たり前です。無意味となってしまった無期懲役はやめにして、懲役500年とか300年とかの刑を採用するべきです。

(U氏)その意見には私も賛成です。最高刑が死刑で、その次が無期懲役で数年で出所出来るとしたら、その間には相当大きな隔たりがあります。無期懲役にしても、アメリカのように「仮出所は最低何年のち」と言う風にするべきです。


6.過保護が生む少年犯罪   

 今の子は、危ないからといって、また、もっと便利な器械があるからという理由で、小さい頃からナイフを手に持たせてもらえません。だから、手をナイフで切ったこともありません。切ったらどれだけ痛いかがわからないのです。おまけにゲームで平気でいくらでも人を殺します。事件が起きない方が不思議です。また、家庭の親は、学校で子供が悪さをして先生にたたかれたら、新聞社や教育委員会に訴えるなどといって、逆に子供をかばう人が多くなっています。昔の先生はよかったなどという声もよく聞きますが、それはとんでもない誤解です。昔の先生は無茶をやってもそれで通ったからいいのです。今の先生に何ができますか。何の権限が与えられているのですか。高校では退学という切り札があるから、そういう罰があるからまだいいんですが、義務教育である中学の先生は、いったいどう指導したらいいんでしょうか。あまりに気の毒です。人間教育の基本は、まずなんといっても第一には家庭です。


7.少年法の改正が急務   

 少年少女による極悪きわまりない犯罪がこれほど氾濫してしまった今、受験制度のひずみがどうにも避けられなくなってしまった今、権利の過剰なまでの主張が認められてしまっている今、続発する少年犯罪を防ぐためには、まずは少年法を見直さなければならないと思います。私は少年法を勉強したわけではないので詳しいことはわかりませんが、端的に言えば、少年にも死刑を適用すべきだということです。少年であろうとなかろうと、他人の人権を奪ったら、その時点で人権は失うのだということを、全国民に知らしめることが大切なんです。もちろんこれで少年犯罪がなくなる言っているのではありません。少なくとも今よりはましだと言っているのです。

(U氏)少年法を改正しただけで少年犯罪が減るのでしょうか?「カッときて、頭が真っ白になり」女性教師を刺した少年が、「少年法が重くなったので、刺すのはやめよう」と考える事が出来たとも思えません。とは言え、少年法改正には賛成です。犯罪者の年齢が、20才か19才と11ヶ月かで扱いがガラリと変わるのはあまりに理不尽です。かといって、4才の幼児と14才の少年を同列に扱うべきとも思えません。より細かい、段階的な法の適用をすべきだと思います。現在の少年法は「少年に対して甘い」だけではなく、少年が大人と同等の裁判を受ける権利も侵害していると思います。多くの人は少年法に対して「被疑者の人権を重視しすぎ」と思うかも知れませんが、反面に軽視されている部分もあるわけで、その面からも法改正の議論が起こって然るべきです。

(井口氏)さすがに人を殺す事がいけない事だということくらい少年にも判別できると思います。
万引きならまだしも、重大な犯罪については今の少年法では対応できていないような気がします。なぜここまで少年の立場を守ろうとするのかよく分かりません。
少年法は改正すべきだと思います。何十年も前の法律で、現代の複雑な社会に生きる少年を裁くことはできないでしょう。何十年と現場で教師をしている人たちでさえ、現代の生徒にはついていけないと言います。
・刑罰をもっと厳しくする、
・少年院での更正させる制度を見直す、
・出所した少年達の受入体制を整える、
・少子化が進むにつれて逆に教師の数を増やし、生徒に配慮が行き届くような教育体制を作る、
・親と子がもっとコミュニケーションを取れるような施設、催しなどを自治体や各家庭で考える。
これが私の今考えられる意見です。

(U氏)人が犯罪を犯すと、刑務所に入ります。では、何のために刑務所にはいるのでしょうか。

刑法の問題が論議される上では、この「何のために」ということに着目すべきだと思います。では「何のため」に?。犯罪を犯そうとしたことに対する罰でしょうか。それとも、犯した結果に対する罰でしょうか。犯人を更正させるためでしょうか。社会にとってその人物が危険なので隔離するためでしょうか。私は上記のすべてだと思います。つまり、刑務所に入る理由は複数なのに、言い渡される刑は一つなのです。そして入る刑務所も一つです。犯した犯罪は小さくても社会にとってきわめて危険な人物であってもすぐに社会に戻るわけです。犯した罪は小さいが、一生かかっても更正できない人物もいるはずです。だったらその人物は一生刑務所にいるべきです。また逆に、まったくまともな人間に更正したが、犯した罪が大きければ長い間刑務所にいるべきです。それに、刑務所の中ので模範囚であることが、更正した証とはいえないでしょう。更正と罰はまったく別の目的です。だったら、それぞれ別の判断がなされてもいいはずです。また、更正と罰はまったく別の目的であるが故に、まったく違った要素が必要なはずです。

これらの役割と目的が明確に分離されない限り、多くの問題は解決されないと思います。


8.刑事罰『14歳以上』に 自民法務部会小委員会 少年法改正近く試案  

98年12月15日 中日新聞 一面記事
 少年法の刑事罰対象年齢の引き下げを検討している自民党法務部会の少年法に関する小委員会(河村建夫委員長〉は十四日、現行の「十六歳以上」を刑法に合わせて「十四歳以上」に引き下げる改正方針を確認、近く委員長試案としてまとめることを決めた。年内に小委の結論を出し年明けにも部会決定する。法制審議会での少年審判手続き見直し作業をみながら、議員提案の改正法案として次期通常国会に提出する見通し。

 この問題では、日本弁護士連合会(小堀樹会長)が「管理的、社会防衛的な発想による厳罰化によって問題を解決することはできない」と年齢引き下げに反対表明。法制審の松尾浩也少年法部会長も「極めて慎重に検討すべきだ。法制審にかけるべきだ」としており、論議を呼ぴそうだ。

 委員長試案は「(少年法の年齢規定を)国の法秩序として明確にし(少年の)規範意識を高める」ことを目的に、刑事罰対象年齢を刑法の刑事責任年齢十四歳に合わせる。

 試案はさらに@少年事件の被害者が審判への出席を可能とするなど被害者に対する情報開示や権利保護A加害者の少年の親の責任を明確にするためボランティア参加などを義務づけ−を明示することにしている。


9.少年審判に検察官関与   

  一定の事件や被害者死亡に立ち会い認める 法制審部会答申案 98.12.12.中日新聞一面 
 少年審判手続きの見直しを検討してきた法相の諮問機関・法制審議会の少年法部会(部会長・松尾浩也上智大教授)は11日、一定の事件に検察官の関与を認めるほか、事案に応じ3人の裁判官による裁定合議制を導入するなどの答申案を決定した。検察官が立ち会う事件では、均衡を図るため弁護士の付添人を国選で付けるほか、諮問にはなかったが、被害者の人権と情報公開の観点から、被害者・家族などの申し出により、審判結果を知らせる制度を新設した。
 1948年に現行少年法が制定されて以来、50年ぶりの大改正。法制審は01月21日に予定している総会で決定し、法相に答申する。これを受け法務省は、次期通常国会に少年法改正案として提出する。
 答申案は、現行法の保護主義の基本理念、裁判官主導の職権主義の審判構造は維持したままの改革案で、諮問から五カ月の異例のスピード決定となった。18人(部会長を除く)の委員のうち、日本弁護士連合会推薦の弁護士委員3人は、対案として提出した日弁連試案を支持し、答申案の基となった事務局試案には一部を除き反対した。
 最大の焦点だった検察官関与については、家庭裁判所の決定により、死刑・無期懲役、もしくは長期3年を超える懲役・禁固に当たる保護事件や、被害者死亡の事件は検察官の申し出により立ち会えるとした。
また関与した事件では、検察官は法令違反や事実誤認を理由に上級裁判所に抗告できる。検察官の抗告権は日弁連が「少年に不利益になる」と強く反対した。

 「多角的視点の確保」のため、これまで一人の裁判官で行われてきた審判に裁定合議制を導入したほか、観護措置(身柄拘束)期間も、最長12週間(現行同4週間)に延長し、観護措置の不服申立制度を新設。
 少年の利益保護のため、再審に準じた非常救済手続き、同一事件を再び審理しない「一事不再理」も採用した。
被害者遺族らは歓迎 処罰年齢引き下げ議論も
 「今回の改正点が早く実現していたらよかったのに」「明らかな前進だ」。少年事件被害者の遺族の多くは、法制審議会少年法部会が11日取りまとめた改正答申案を歓迎している。
 改正点のうち、唯一部会委員の全員一致で決まった被害者への審判結果通知制度をはじめ、検察官の審判関与などを積極的に評価した上で、今回の部会では取り上げられておらず、世論でも慎重論が強い処罰年齢引き下げについても「きちんと議論してほしい」との注文が根強い。
 少年法改正論議のきっかけとなった山形・明倫中でのマット死事件(1993年)で亡くなった、児玉有平君・当時(13)の父昭平さん(49)・山形県新庄市・は「答申案の内容が一つでも実現していたら、つらい思いをせずに済んだのに…」と振り返る。
 「事実を明らかにするため」に、民事訴訟を起こした昭平さんは、毎回欠かさず山形地裁の原告席に座るが、「賠償請求は子供を金額で評価するようなもので、最悪の選択だった」という。「私たちの時は審判について、何も知らされなかった。被害者側には、審判資料も開示していないのでは」と答申案よりさらに一歩進んだ被害者対応を期待する。

 少年事件で子供を亡くした全国の11家族でつくる「少年犯罪被害当事者の会」の代表、武るり子さん(43)大阪市・は96年、高校生数人による集団暴行で長男孝和君・当時16・を失った。
 いまでも孝和君の死を認めたくない気持ちから遺影に長時間向き合えないという武さんも「ようやく一歩前進した」と答申を評価する。
 その一方で「小年法改正は、まだ始まったぱかり。答申案をもっと進めて、被害者が死亡した事件の審判にはすべて、検察官が出てほしいし、処罰年齢の引き下げも実現したい」と話し、会としての要望活動などを続けるという。
 また神戸の連続児童殺傷事件(97年)で、重傷を負った女児(11)の父親、堀川耕一郎さん(38)は「20年間ずっと触れなかった少年法が、やっと変わる。被害者として、今の制度は納得いかなかった。審判に立ち会う検察官には、被害者の立場を十分代弁してほしい」と話している。