管理人 釣りの話

イワナ ふんどし 天野名人 鮎狂い ジムニー 大会 流されるNew 大島さん 九頭竜 1−6−1釣法


イワナ 大学3  :先輩の案内で、のり君の車で初めてイワナ釣りに連れていってもらいました。岐阜県の石徹白川です。当時は川からあふれるくらいイワナがいました。何の知識もない私の竿にでも、20匹程のイワナちゃんが掛かってくれました。でもこのころはまだ本格的に釣りには熱中せず、麻雀が命の毎日を送っていました。今から思えば、勉強しておけばよかったと悔やまれます。なお、麻雀から足を洗った今、コンピュータのゲームで私がやっているのは麻雀ゲームだけです。これより面白いゲームは考えられません。

ふんどし 大学4 :のり君と石徹白川へ岩魚釣りに行ってキャンプを張った時のことです。食器を洗った私は、次に、腿のところから出ていた白い布で、念入りに食器を拭いたのです。丁寧な仕事をする男ですね。その時です。「お前、なにで拭くんだ!」麻雀で役満を放銃してもにこにこしているほど温厚なのり君が、真剣な表情で怒るんです。「ああ、ふんどし」「汚いだろう」「まだおととい替えたばっかしだよ」。大学に入って剣道部に入部した私は、越中ふんどしを以後6年間にわたって使用していたのです。誰ですか。それでは女の子にもてるわけないなんて言うのは。どっちみちもてませんよーだ。ちょうどズボンの腿のところがほつれていたので、ふんどしがはみ出ていたんですね。直接あそこに触れるところでもないし、そんなに汚いとは思わないんだけどなあ。それにしても、のり君はなんと心が狭い奴なんでしょう。皆さん、そうは思いませんか。


天野名人 1985夏 :鮎釣りにますますのめり込んだ私は、岐阜県益田川で車に泊まり込んでは自炊して鮎釣りに明け暮れていました。そんなある日、とんでもない地元の名人を見かけたのです。たくさん釣るだけでなく、その釣り姿の美しさ、全てにそつのない動き。「もう弟子入りするしかない」。心に決めた私は、その夜、お食事処『あま乃』を訪ねました。その人が渓流釣り・鮎釣りの名人として今をときめく天野勝利氏です。親切な師匠の教えを受けて、私の腕はそれなりにみるみる上達しました。

鮎狂い 1987 :天野師匠に出会ってから鮎釣りしか頭の中になくなり、家族の反対を押し切って、愛知県から岐阜県に引っ越してしまいました。嫌がる妻は「岐阜へ引っ越したら免許を取ろうよ」の言葉で落城しました。そうして、ますます私は鮎釣りにのめり込んでいったのです。でも妻が免許を取って、大問題が持ち上がりました。一台しかない車の奪い合いが始まったのです。と言っても、釣りの優先は譲りませんでしたが。


ジムニー 1988夏 :強力な師匠のおかげで鮎釣りの腕も上がり、腕試しに鮎釣り大会に出てみました。初出場で、まず長良川地区大会を突破し、ついで栃木県鬼怒川の東日本大会もクリア。そして東西の大会を勝ち残った精鋭6名で、岐阜県馬瀬川で全国決勝大会がおこなわれました。昔から試験に落ちたことがないというここ一番での勝負強さがここでも生き、何と、運良く優勝してスズキジムニーをゲットしてしまったんです。これで車は2台となり、妻に何の気兼ねもなく釣りに出掛けられるようになりました。

大会 1989 :最初の年で大千瀬川鮎釣り大会をも制し、いきなり2回も優勝してしまい、いささか慢心していたのかも知れません。身に覚えのない中傷などに嫌気がさし、すぐに鮎釣り大会から撤退しました。考えてみれば、自分の言動が完璧ならば中傷など入るわけがありません。いい勉強をさせてもらいました。

流される 1988夏 :ジムニーカップ馬瀬川決勝大会の三日前、今は故人となった那珂川のドン諏合正一名人と、増水の益田川で一緒に釣っていた時のことです。当時の私は、今の激流スタイルとは正反対で、流れに全く弱かったのですが、諏合名人が流れを切って平気で対岸に渡っていったので、私も渡らざるをえなくなりました。途中で後悔したんですが、もう後戻りできず、結局は流されてしまいました。今は水が細くなってしまった益田川も、当時は結構な流れだったんですよ。こんな経験は初めてだったので、過去に読んだ『人間はあわてると手がグーになる。死んだ釣り人は竿を握りしめている』というニュースが頭を駆けめぐり、ここまで勝ち抜いてきた大切な竿を離してしまいました。増水の時は足が流れの心へ引っ張られます。やっとの思いで岸に泳ぎ着きましたが、その時にはもう力が残っていませんでした。翌日、水中めがねで潜って必死に探しましたが、竿は見つかりません。
さあ大変です。大会には慣れた竿が必要です。ところが運のいいことに、高校時代の友人で歯医者をしている
水谷雄造が、全く同じ竿を持っていたのです。しかも奴は超がつくほどの下手くそなので、ほとんど鮎を掛けていない新品同様の竿です。優勝してジムニーを獲得できたのも、奴の竿を借りたおかげです。人間誰でも、何かしら取り柄があるものだと、改めて痛感しました。New


大島さん 1999年 :中部らりんの若手、大島和彦氏は、人もうらやむおしどり夫妻です。9月のクラブの例会には美しい奥様も参加して手伝ってくれました。先日、その奥様から何ともうらやましい限りのほのぼのメールが届きました。「今日も、主人は川へ出かけました。とても、楽しそうに出かけて行く主人を見るのが大好きです」。早速「それ見ろ。こんなに理解のある奥さんもいるんだぞ」とばかりに妻に見せました。妻いわく「大島さんが釣りに行くのは土日だけでしょ」。やはり人間、度が過ぎると妻の愛情も薄らぐのでしょうか。

九頭竜 1999夏 :九頭竜川では1998〜99の冬に、途中にある鳴鹿(なるか)の堰堤を作り直して、魚道を整備しました。そのおかげで前年まで全く数が釣れなかった堰堤の上流で、良型鮎がかなり釣れるようになりました。そもそも堰堤ができる前は200匹も夢ではなかった川なんですよ。その九頭竜川の荒瀬に立ち込んで良型鮎と勝負する快感は、もう筆舌には尽くせません。竿も服装も仕掛けも取り込みも、すべて九頭竜式に変えました。この胸のときめきは何なんでしょう。大昔に妻に惚れた時以来です。

驚異の1−6−1釣法 2006年8月 :親友ののり君は、部活動の指導に忙しくてなかなか釣りに出かけられない。今年は鮎がよく釣れているときに部活動をしていて、釣れなくなってくると川にやってくる悪い循環が続いていいる。
彼と釣りに出かけるときには、彼の運転はのろいのでいつも私がハンドルを握るのだけど、私がちょっと追い抜きやらスピードを上げると、横から「もうこれ以上罪を重ねるのはやめろ。」と気合いを入れ、私に忌まわしいスピード違反の事実を思い出させようとするのです。そんなバチが当たってか、寒狭川などに出かけた折、彼はなんと三日間1匹6匹1匹という、まさに初心者にも劣る信じられない釣果を収めたのです。(彼の名誉のために言っておくと、彼は決してへたくそな釣り師ではないんですよ)。確かに全体としてあまり釣れていませんでしたが、それにしてもひどすぎます。私は彼の釣り方を、1−6−1釣法と命名しました。
川で彼を見かけた人は、ぜひ必殺の1−6−1を教わってくださいね。「オトリを貸してくれ」、なんてねだられるかもね。