管理人 知人の話

肉体 カンニング 牛乳 師匠 ひつまぶし 母親 洪水 タタミ


肉体 高校3 :高3の時、同級生の三浦秀子は陸上部の花形で超ハンサムな伊藤伸(豊田通商勤務)にぞっこんだった。授業中、私の横の席の三浦が思い悩んだ口調で私に「ねえ、あした伸クンの誕生日なの。何を贈ったらいいかしら」。私は内心「勝手にしろ」と思ったが、適当に返事をしていたら、真剣な三浦「私、ネクタイがいいと思うんだけど」。三浦は愛知県でも郡部の津島市から通っているため、発音がおかしい。ふつうネクタイはネにアクセントがつくのに、三浦はタにアクセントをつけるのだ。都会育ちの私にはネクタイがニクタイと聞こえた。驚いたうぶな私は、三浦の後ろの席の芳賀英美(成績クラスで1番の男。石川島播磨勤務)に「おい、三浦は伸に肉体やるって言ってるぞ」。私よりもさらにうぶな芳賀は、授業中にもかかわらずいきなり大声で「冗談じゃないよ。そんなもの」。三浦「そうかなあ。いいと思うんだけど」。芳賀「ダメにきまっているよ。そんなもの」。三浦「そうかなあ。私、似合うと思うんだけど」。私「・・・」。だんだんとわかってきました。こけの一念とは恐ろしいもので、三浦は伸クンを追っかけた挙げ句にとうとう結婚までして、今もアツアツで暮らしているんですよ。

カンニング 高校3 :リンクのコーナーで紹介した赤尾クリニックの院長赤尾勝彦は、高校時代の同級生です。彼はなぜか英語の「マル」という先生に睨まれていました。マルは偉そうに話すので、私も大嫌いで、マルの授業は単位ぎりぎりまでさぼってクラブの部室で時間をつぶしたものです。なお、赤尾君は真面目なので授業はさぼらなかったようです。ある時、赤尾君が英語のテストで一番をとったんです。「カンニングしてまで一番をとった奴がいる」と、みんなの前でマルが言いました。赤尾君曰く「いったい誰の答案をカンニングすれば一番になれるんですか?二番ならわかりますが」。これにはさすがのマルも返答に窮したようです。なお、赤尾君が言うには、「英語をずっと勉強してたら、あるとき急に視界が開けてすらすらわかるようになってしまった」。僕は勉強時間の半分以上を英語にあてたのに、すらすらわかるようにはちっともなりませんでしたが。

牛乳 大学1  :妹はやせ形の私と違って健康そのものです。やせようと決心したバカな妹は、腐らせた牛乳を前にして私に「これを飲んで下痢してやせるんだ」。「やめろ。敏子。死ぬぞ」。「いいもん。私、飲む」。必死でとめる私を振りきって、どろどろのヨーグルトみたいになった牛乳を、妹は一気に飲み干しました。結果はどうなったと思いますか。信じられないことに、健康な妹は、それでも下痢一つしなかったんです。なんと丈夫い奴でしょう。私なんかまともな牛乳でも下痢したのに。ちなみに妹は、いまだに病気一つしたことがありません。

師匠 28歳 :結婚してすぐに、仲人をしてくれた、明和高校時代の恩師であり、のちに天白高校の校長をされた三谷五三先生の手ほどきで、鮎釣りを始めました。先生はいい人なんですが、温厚で気が長いので鮎釣りの腕は実に不確かでした。あるとき、先生が釣っているのを見ていると、掛かっているのに先生はちっとも気づきません。見かねた私が「先生、掛かってる」と言うと、先生はあまご釣りか何かと勘違いしてか、ピッと合わせをくれたのです。当然のことながら共切れです。師匠の腕がこれですから、私の進歩も当然しれたものでした。でも鮎釣りという人生最大の趣味を教えて下さった三谷先生には、いくら感謝してもしきれるものではありません。そのほかにもいろんな意味での大恩人なんです。なお、気になる犯人善和君ですが、写真で先生の隣にいる男です。WANTED !

ひつまぶし 1999頃 :妻は賢いのかバカなのかわからない謎の人物。近くのウナギ屋へ行ったときのこと。メニューを穴があくほど眺めていたかと思うと、おもむろに「私、これ。ヒマツブシ」。冗談だろうと思ったが、再度真剣な表情で「ヒマツブシにするわ」。これには笑った笑った。ヒツマブシが正解ですよね。→6月頃の月刊誌「Mac Power」にも妻と同じ間違いをしていた人の記事が載っていました。妻の私だけではなかったという得意げな顔が、今でも頭に焼き付いています。

母親 2005 :兄と同居していた母が、76歳頃からぼけてきました。物忘れが極端に激しく、孫の名前すらよく忘れるのです。忘れるのが心配のあまり、精神的にも追いつめられてきています。次男坊でのほほんと暮らしていた私は、そんな母に何もしてやれないのが歯がゆくて仕方ありません。
兄の家から母を我が家に連れて帰るときのことです。出発してしばらくすると『アンタの家までどのくらいかかるの?』『30分か40分だよ』『ふーん。ところで、アンタの家までどのくらいかかるの』
この繰り返しです。試しに数えてみたら、10分間の間に同じ事を10回聞きました。そんな愛すべき母は平成17年12月に亡くなりました。83歳でした。

洪水 2002年12月 :大学時代からの親友・のりくん(旭丘高校の教員 水谷憲夫)は注意力が足りないというか、全くない。渓流釣りの帰りに我が家で一緒に食事をしていると、憲君が洗面所に手を洗いに行った。その後20分ほどして、廊下に出てみると、洗面所から廊下、玄関に至るまで、それこそまさに床上浸水のひどい状態。見ると洗面所のシャワーから水がジャージャー出たままではないか。手を洗ったあとに、蛇口を勢い余って反対側にまでひねったのだろうけど、普通の人なら確認はするもんだ。なんという注意力のないやつだろうか。大騒ぎでみんなで掃除をしたあとで、やつ曰く 『きれいになったなあ。ちょっと床が汚れとったで、水掃除するといいと思ったんだ』。


タタミ 2002年12月 :私が結婚して最初に住んだアパートで、新品の畳にタバコの焦げを大きく作ってくれたのも、のり君です。いつも自分に都合の良い物事のとらえ方をする彼は、そのことをすっかり忘れていますが、私はいまだにその時のご恩は忘れていません。