むかしむかしある所に、顔がいいだけが取り得の、軽薄でお調子者の若者がおりました。
若者の名は、カイと言いました。不真面目だと後ろ指を指されるほどには怠け者ではなく、かといって地道な仕事をこつこつと続けていく真面目者でもありません。可もなく不可もない、中途半端な性格の若者でした。
カイは、のんびり気ままな独り暮らしをしていました。
仕事をさぼって、山一つ越えた所にある町へ遊びに行き、幾日も帰ってこないことなどざらでした。
村の者は、半端者のカイを遠巻きに眺めては、呆れてため息をつくのでした。
ある冬の日のことです。
その日もカイは、仕事に疲れたからといって、町へと繰り出しました。
山一つ越えねばならないというのに、遊びに出る時だけは、「疲れる」ことを知らないようです。
有り金がなくなるまで遊びつくすことが常でしたから、ひとたび村を出ると数日は帰ってきません。山を越えるだけで半日近くはかかってしまうので、カイの姿が十日やそこら見えなくても、「ああ、またか」と思うだけで、心配する者などいませんでした。
ですからカイは、自分で自分の心配をしなければなりませんでした。たった今、そうした状況にカイはいました。
「こりゃぁ、弱ったぞ・・・」
カイは頭を掻きつつ、呟きました。
お調子者のカイですが、さすがに顔色を失っています。
山中、カイは足止めをされてしまいました。急激に変わった天候のためです。
ちらほらと降っていただけの雪は、先が見通せなくなるほどに量を増していきました。どちらが東か西か、さっぱりわかりません。
カイのくせっ毛にも、肩にも、雪は積もっていきます。
頬はこごり、赤くなった鼻が冷たさに痛みます。歯がカチカチと鳴り、カイは腕をさすりながら身を縮こまらせました。
不用意なカイは、冬の山を越えるというのに、いつもより少しだけ厚着をしたくらいで、いざというための装備は何もしていませんでした。
「この程度の寒さなら雪もたいして降らないだろうし、急いで行けば日暮れには村に着くさ」
と、気楽に笑って町を出たのです。
分厚い雪雲が空を覆い、太陽の光を無慈悲に閉ざしています。雪が止む気配はなく、風はごうごうとうねり、激しい猛り声のようでした。
「これは本格的にマズいぞ」
カイは冷えきって感覚もなくなりつつある重い足を、なんとか前へと進めました。
立ち往生していては、凍死は確実です。
なんとか風雪のしのげる場所はないかと、目を凝らします。けれど、風にさらされる木々と岩、そして雪しか見えません。
山小屋があれば一番だが、この際洞穴でもいい。どこか身体を休められるところはないものか。
それにつけても、この雪! 目、鼻、口、耳に入り込み、カイを苛立たせました。舌打ちすることも、もはや冷えきった口ではできません。悪態をつこうにも、声すら出ません。
激しい風雪のため薄目しか開けられず、カイは身を丸くして前進しました。
どちらへ進めばいいのかわかりませんでしたが、とにかく進むしかなかったのです。
どれほど時が経ったでしょう。カイにはそれすらもう感覚の外でした。
辺りは薄闇に呑み込まれ始めていました。
カイは意識朦朧とし、歩き続けていることがいっそ不思議なほどでした。
暢気者のカイも、もはやこれまでかと、諦めつつ呻きました。
カイが意識を手放してしまう寸前のことでした。
ふと、橙色の灯かりが先に見えたのです。
目が覚める思いでした。
風雪の向こうに人家を見つけたカイは、自分を励ましました。
あそこまで行けば、助かる。あとひとふんばりだ!
まさにほうほうの体で、カイはようやくその家にたどり着いたのです。
遭難しかかっていた・・・というより、遭難していたカイを出迎えたのは、美しい妙齢の女でした。
突然の、しかも大雪の中の来訪者に一瞬驚いたようでしたが、迷惑顔ひとつせず、「まぁ、お気の毒に。さぁ、すぐに火の側へ」と手を取り、家へ招き入れてくれました。
ぱちぱちと火を弾かせている囲炉裏の側にカイを座らせると、女は、豪勢な料理を並べ、蕩けるように甘い酒まで用意してくれたのです。
まるで別天地です。
カイは改めて、この家に独りきりで暮らしているという女を見やりました。
町で見かけるどんな美しい娘達も、この女の前では色あせ、しなびてしまうのではないかと思われるほどでした。
しなやかな濡羽色の長い髪、一点の汚れもない白皙の容貌、咲き誇る椿のような頬、唇は艶めいた紅梅。
この世ならぬ、妖しいまでの美貌に、カイはすっかり魅せられてしまっていました。
「私、もうずっと独りきりでしたの。こうして誰かとお会いするのは本当に久しぶりですわ」
女は婉然と微笑み、カイの隣に腰かけました。
「どうぞ、ゆっくりとお寛ぎになって。せめてこの雪の降る間だけでも」
女の口からこぼれる吐息と声は、杯にそそがれた酒のようにとろりと甘く、美味なものでした。
「ね、もっと傍にいらして? ずっと人恋しくて、寂しかったんですの」
白い手が伸び、カイを促します。
切なげな顔をしてしなだれてくる女の腕を振り払うなど、できるはずがありません。
カイは嬉々として女を抱き寄せました。
吹雪はさらに激しく、大気を乱していました。
綾絹の着物が解け、白珠の肌がカイの目に眩しく映りました。
赤く縁取られた女の口から熱く悩ましげな嬌声が上がり、それに呼応するかのように雪は勢いを増してゆきました。雪は激しく渦を巻いて降り続けました。風が吹き荒れるその様のように、女の長い黒髪は乱れてゆきました。
カイは甘い美酒に酔い、白濁した闇の底へと引き摺り込まれていったのです。
三日三晩、カイは女のもとに留まっていました。
村へ帰りたくないという気持ちもありましたが、そういうわけにもいかないだろうと、女に別れを告げました。
実のところ、女が泣いてひき止めてくれたらこのまま留まっていようと思っていたのですが、女はあっさりカイの手を放しました。
そして別れ際、女は言いました。
「ここで私と出会ったことは誰にも話さないと約束してください。決して、決して誰にも話さないで」
女は何度も、しつこいほどカイに念を押しました。
もしかしたら、女には何かやましいことがあり、それでこんな山中に潜んでいるのかもしれない。だとしたら深入りしない方が得策だ。村へ帰るのが賢明だと、カイは選択の正しさを自認しました。
カイは「決して誰にも話したりはしない」と堅く誓い、女と別れました。
そうしてカイは、およそ半月ぶりに村へ戻ったのです。
無事生還を果たしたカイでしたが、だからといって何が変わったということもありません。半月もの間行方知れずだったカイのことを、誰も気に留めていなかったのです。
いつの間にやらひょっこり戻ったカイに、あれこれ問い質す者などおりませんでした。
つまらなく退屈な日々が待っているだけでした。
それから一年が経ちました。
カイは美しい娘を妻に迎えました。娘の名は、ユキネといいました。
漆黒の髪と瞳、そして処女雪の柔肌。物腰は白百合の如くたおやかで、鈴の音のような愛らしい声を持っていました。
春、どこからかやって来て村に住みついたユキネは、器量よしで気立てもよく、働き者でした。
得体の知れない娘ではありましたが、独り身の男達は先を競って娘に求婚しました。
ですがユキネは毅然と求婚をはねつけ、言ったのです。
「私が嫁ぐと決めているのは、ただひとり、カイ様です」
これには村人全員がたまげました。よりにもよって、あの甲斐性なしのカイに、と。
カイも、少しばかりたじろぎました。何しろ一面識もないはずの娘でしたから。ですが、自分の容貌が優れていることを自負していたカイでしたから、別段疑問も持たず、娘の手を取ったのです。
そうして、村人達の驚きをよそに、ユキネはカイの許に嫁いだのです。
求婚を断られた男達の歯軋り、妬みのこもった嫉視を、カイは満足げに受け、笑っていました。
美しい妻を得たからといって、カイの怠けた性分は改まることはありませんでした。
不真面目ながらも農作業に出る日もありましたが、日がな一日だらけて過ごす日もありました。
ユキネは愚痴ひとつこぼさず、かいがいしくカイに尽くしていました。
そんなユキネをカイも愛しく思ってはいましたが、新妻の健気な夜伽も、半年も経たないうちに飽きてしまっていました。
だからといって、ユキネに対する興味が薄れたわけではありません。時には優しい言葉をかけてやり、気が向けば熱っぽく新妻を抱きました。
非のうちどころの無い妻と過ごす日々は、退屈ではありましたが、それなりに幸福なものでした。
ユキネがカイの許に嫁いで、初めての冬のことでした。
猛吹雪の夜のことです。
ユキネがぽつりと言いました。
「こんな大雪の夜は、どこか懐かしい気分になりませんか?」
「そうか?」
カイは面倒くさげに応えました。
ユキネは落ち着かなげな様子でした。
「こんな夜には、何か思いだしませんか?」
ユキネはじっとカイを見つめます。探るような目をしていました。
カイは寝転がって、「別に」とだけ答えました。
ユキネの白い顔には、あきらかに落胆の色が乗っていました。けれど、それ以上は何も言いませんでした。ただ、ため息をついただけでした。
翌年の冬も、翌々年の冬も、またその翌々々年も、ユキネは同じことをカイに尋ねました。
何か思いださないか、と。
そしてそれは決まって、吹雪の夜でした。
ユキネは繰り返し、訊くのです。
「何か思いだしませんか。何か言うことはありませんか」、と。
カイの答えも、決まっていました。何を思いだすというのだと、怪訝そうな顔を向けました。
「思いだすと言ったって特にないし、言うことなど何もないよ。言いたいことがあるのなら、おまえこそ言ったらどうなんだ」
鬱陶しくなって、カイはつっけんどんに返しました。
その度、ユキネは唇をきゅっと軽く噛み、俯いてしまうのでした。
そうして五年が瞬く間に経ちました。
冬になると同じ事を繰り返し尋ね続けたユキネでしたが、とうとう業を煮やし、カイに詰め寄りました。
その夜もやはり吹雪でした。
「いいかげん話してくださってもいいでしょう、あなた! さあ、白状して!」
いつもの物静かなユキネの口調ではありませんでした。美しい顔も憤怒の形相に変わっています。
さすがのカイもこれには驚き、大いにたじろぎました。後ろ暗いことがあるせいもあって、背中に冷や汗が流れます。
よもや浮気が知れたのかと、焦りました。
「な、なんのことだ?」
ここで動揺しては、浮気を肯定することになる。カイは努めて平静な声音で訊き返しました。
「なんのこと、ですって?」
ユキネはさらにカイににじり寄りました。そして胸ぐらを掴んで、言ったのです。
「五年前のことよ? 五年前のあの日のことを、よもや忘れてしまったとでも?」
「ご、五年前?」
五年前ならば、ユキネとはまだ会っていません。ならば少なくとも「現在」の浮気のことではないだろう。カイはほっと胸を撫で下ろしました。
「五年前、冬の最中、山で遭難しかかったでしょう? そこで女に逢ったでしょう?」
「――え、え? 何?」
カイの身体をゆさゆさと激しく揺さぶっていたユキネは、カイのすっとぼけた返事にさらに顔を赤くし、怒りだしました。
「何って・・・何ってあなた、本当に憶えていらっしゃらないのっ?」
カイは身を縮こまらせ、困り顔をユキネに向けました。
「冬山で遭難して死に掛けたっていうのに!」
「・・・・・・」
ユキネはカイを突き放しました。カイはその場にしりもちをつき、鬼の形相の妻を見上げました。
「あの三日間のことも忘れたと?」
ユキネは怒り心頭、白い顔はいまや真っ赤になって、こめかみには青い血管が浮き出ていました。
「あんなに・・・あんなに激しく愛し合ったというのに、それまで忘れたとおっしゃるのっ?!」
「・・・・・・」
カイは短慮な性格でしたが、この時ばかりは、「激しく愛し合った女は他にもいたから」などと、うっかり口を滑らせたりはしませんでした。
「誰にも話さないでとは言いましたけど、忘れてくれとは一言も言いませんでしたわ!」
「あ、ああ、そういえば」
薄らぼんやりとでしたが、カイは冬山で遭難したあの日の出来事を思いだしました。
「そういえばそんなこともあったな」
「そっ、そんなこともあったな?」
ユキネはわなわなと震えています。カイはなんとか身体を起こし、胡坐をかいて座りなおしました。
「というかユキネ。なんでおまえがそれを知ってるんだ?」
「――・・・っ! まだお分かりになりませんのっ?!」
憤然と、ユキネは怒声に近い声を上げました。そして片手を額に当て、「ありえない、信じられない」と繰り返しました。
カイは何が何やら、さっぱりわからないといった風です。そのとぼけた顔が、さらにユキネを苛立たせました。
我慢の限度をとうに越えてしまっていたユキネは、片腕を振り上げました。
するとどうでしょう。ユキネの周りに吹雪が起こり、その渦の中にいるユキネの姿がみるみる変じていきます。
「私ですわ。あの時遭難していたあなたを助け、激しく愛し合ったのは、この私です!」
「!?」
カイはぽかんと口をあけ、ユキネを見上げました。
そこにいたのは、ユキネに似てはいましたが、たしかに・・・おそらく・・・たぶん、五年前、山中で出逢った女だったのです。
「そういえばなんとなく見覚えが・・・」
「な、なんとなくですって?」
ユキネは金切り声をあげました。
「・・・というかユキネ、おまえ、年齢詐称してたのか? 若作りにも程があるだろう」
「そういう問題じゃないでしょうっ!?」
ユキネの堪忍袋の緒は、もはやズタボロです。
「つまり、なんだ。おまえ、・・・妖怪か何かなのか、もしかして」
カイは少なからず動揺していました。素っ頓狂な質問をしていると、一応は自覚がありました。
「なっ?! 妖怪だなんて! せめて雪女と仰って!」
「・・・・・・」
どちらでも同じだと思うんだが。言いかけて、カイは堪えました。寒さで口が回らなくなっていたということもありました。
カイはもうどうでもよくなっていましたから、投げやりに尋ねました。
「わかったわかった。それで? 誰にも話すなという約束は守ってたんだぞ?」
「普通、誰にも言わないでと念を押されたら、ついうっかり話してしまうものでしょう?」
「――そうか?」
「そうですわ!」
「・・・結局、話してほしかったんだな? だったら口止めなんかするなよ」
「口止めをされてこそ話したくなるというものでしょう?」
「・・・・・・」
どうしろというのだ、まったく。
カイは大きくため息をつきました。
「わかった。じゃぁ話すよこれから村の奴らに。まぁ、信じるかはわからんが」
「けっこうですわっ!!」
ユキネは鋭くカイを睨みつけたかと思うと、さっさと身を翻しました。
「お暇させていただきます。もうこれきりですわ、あなたとは!」
そしてユキネはカイの家から出て行きました。
「この薄情者っ! 冷血漢っ! 痴呆野郎〜っ!!」
ユキネの捨て台詞は吹雪に呑まれ、カイの耳には微かにしか届きませんでした。
やれやれと、カイは胸を撫で下ろしました。
ユキネが去った家の中は、雪まみれになっていました。
「ま、いいか」
戸を閉め、雪を払い、カイは囲炉裏の側に寝転びました。
ユキネがいなくなっても、寂しいとは思いませんでした。
カイにとって所詮ユキネは、今までの女同様、「往き過ぎて」いくだけの存在でしかありませんでした。追い縋る気もありませんでした。
「これでまた気ままな独り暮らしができるってものさ」
そう言ってカイは何事もなかったかのように、暢気顔で笑いました。
それから後。
男の精を吸って生きていた雪女でしたが、たった一人の詰まらない男が原因で、すっかり男嫌いになり、冬山で遭難している男を見かけても、優しく声をかけて家に招きいれるようなことはしなくなりました。
ですから、人間のふりをして村へ降り、うっかり口約を破ってしまう人心の弱さを試すような真似も、金輪際、しなくなったということです。
- めでたし、めでたし・・・? -