電車の乗り継ぎもうまくいって、思ったよりも早く水族館に到着した。現在時刻、九時四十分。
水族館の開館時間は九時半だから、いい頃合。
「水族館なんて、何年ぶりかなぁ」
しみじみとあたしが言うと、上條くんも頷いて応えた。
「うん、僕もすごく久しぶりだ。中一の時に来て以来。なんだか懐かしいな」
「あたしも久しぶりだよ。水族館ってさ、旅行先とかじゃないと、近場にあってもめったに行かないよねぇ。動物園もそうだけど」
真希の言うとおりだと思う。
水族館とか動物園って、子供の頃は遠足とか家族旅行で行く機会があるけど、よっぽど好きじゃない限り、自然と足が遠退くものだ。入館料だって、水族館の規模にもよるけど、大きいところはえてして高い。
今からあたし達が入る水族館も、入館料なんと二千円だ。小中学生だともうちょっと安いんだけど。
そういう理由もあって、水族館自体は好きでも、頻繁に来たいとは思えなくなってしまう。
とはいえ、西尾くん曰く、
「俺の知り合いで、年間パス持ってて通いまくってるヤツもいるぜ? なんかイベントある度に行くとか言ってたし」
ということだから、好きなことにはお金をかけても惜しくない人っていうのは、たしかにいるようだ。
ともあれあたし達はさっそく入館し、館内の案内板の通りに見て回ることにした。
* * *
水族館に行こうと提案したのは、真希だ。水族館は「デートスポットとしては定番の場所」だからということで選んだらしいけど、単純に自分が来たかっただけなのかもしれない。それくらいに、真希はハイテンションになってはしゃいでいる。定番のデートスポットだと言うけれど、西尾くんとは来たことがなかったらしい。
はしゃいでいる、といえば、上條くんもわりあいテンション高めだ。館内のガイドを見ながら、あれが見たい、これも見たいと、真希と二人大いに盛り上がっている。
真希が、何が何でも見たいと熱く語るのはイルカのショーだ。もちろんこれには皆、賛同した。
「バンドウイルカのショーは四回だって」
真希は、「どの時間にしようか?」と皆の意見を集めようと、ガイド板を指さしつつ聞いてきた。
「最終は二時かぁ。二時だとちょっと遅いね?」
「だよな」
あたしの言に頷いたのは、西尾くん。それから視線を横にいる上條くんに流し、「どうするよ?」と尋ねた。
「とりあえずは館内ひとまわりしたいよね? それだと十時半のは慌しくなりそうだし、二番目の十二時にしない? お昼をちょっと早めに食べて」
上條くんの提案に真希も西尾くんも「そうしよう」と同意した。
そういえば上條くんって、まとめ上手なところがある。ふと、そんなことを思った。
あたしが焦って、自分で訳の分からない文句をつけたり、苛立って声を荒げたりした時でも、上條くんはそれをふわりと包み込むようにして受け止めてくれ、宥めてくれる。波立っている雰囲気を静めてくれる、とでもいうのか。
――ん? いや、まて、あたし。
たしかに上條くんはまとめ上手ではあると思うけれど、それって言いくるめ上手ってことなんじゃ・・・?
なんかあたし、いつでも上條くんにうまいこと言いくるめられて、そしてその結果が、今この状況なんじゃない?
あたしの視線を受け、上條くんはにこりと微笑んだ。
「それでいいよね、沙耶?」
「・・・うん、いいんじゃない」
あたしはつっけんどんに返した。
我ながら素直じゃないと思うけれど、・・・だけど、上條くんの、穏やかなにっこり笑顔がいけない。上條くんのこの可愛くて無邪気そうな、けれど逆らえない押しの強い笑顔がくせものだ。
強引なんだけど、あたしの意思を全て無視するような強引さじゃない。
だから、不快ってことはない。
ただ、向けられる笑顔があまりにもまぶしくて、つい顔をしかめてしまうのだ。どう対応していいのか、分からない。
「じゃ、行こうよ。あっちの方、水中トンネルとかいうのがあるらしいよ」
弱気な逡巡やら葛藤やらはとりあえず放っておくことにして、あたしはさっさと歩き出した。
あたしの後に上條くんが続き、西尾くん、真希もついて歩く。途中、様々な水槽の前で何度となく足を止めては、そこに泳ぐ幾多の種類の魚達をしげしげと見つめ、それぞれに盛り上がった。何しろ規模の大きい水族館だから、見所も多い。
真希なんかもう大はしゃぎで、浮かれた声を上げっぱなしだった。
「わぁっ、ちょっ、カニだよ、カニ! ズワイガニ食べたいよ〜。ケガニもいいよね。カニシャブしたーい!」
真希は思ったことをそのまま口にする。素直にはしゃいで、喜んで、だから表情も豊かだ。見ているこっちもつられて笑い顔になるくらいだ。
「うっわ、タコ、うねうね動いてて、キモーい! 生タコ見てても食欲ってわかないよねぇ」
「たしかに生きて動いてるタコを見ても、美味しそうだとは思わないよね」
上條くんが同意すると、真希はうんうんと頷きつつ、「だけどタコヤキは好きなんだよねー」と言葉を継ぐ。
「学校の近くにおいしいタコヤキのお店があるんだけど、上條くん知ってる? ちょっと売りもしてくれるから、小腹が空いた時にオススメの店だよ!」
真希お勧めのその店は、あたしも行ったことがある。ちょっと売りっていうのは、タコヤキ四個っていう少量売りで、「タコヤキ・ちょっと食べ」ってネーミングで売っている。もちろん八個入り、十二個入りもある。
上條くんはその店の場所を真希から教えてもらい、それからさり気にあたしを誘ってくる。「今度一緒に行こうよ」と、ほんとにさらりと何気なしに。こういうところが上條くんの「うまい」ところだ。あたしは気がつくと「うん」と頷いていた。
この時の真希は、ハイテンションのあまり、あたしのことをからかう余裕もないみたいだった。あたしはこっそり、胸を撫で下ろしていた。
あたし達はゆるゆると歩を進め、館内をつぶさに見て回った。
その間、あたしは西尾くんと真希の言動に笑ったりつっこんだり呆れたりし、上條くんともそれなりに話をした。
真希が、キモそうだけど見てみたいと言っていた棘皮動物展は、規模の小さな展示だったけど、インパクトは他のどの立派な水槽よりも強烈だった。
まず、真希がのけぞるほどに驚き、声を裏返した。
「ちょ・・・っ、あれマジでナマコ? っていうか、あの大きさってどうなの? しかもなんであんな派手色なわけ? ありえないって、あの色は! ナマコって黒とか、そんな地味色じゃないのっ!?」
想像を絶する気味の悪さに、さすがのあたしもどん引いた。
そういえばナマコって、初めて見たかも!
「何あれ、触角? 棘? っていうか、ナマコ動いてるしっ!」
「わっ、ホントだ! うっわぁ、ナマコ、グロいよ! グロすぎ!」
あたしと真希はナマコのグロさに、ぎゃぁぎゃぁと声をあげまくった。
さほど大きくはない水槽に、三十センチ以上はあるだろうオレンジ色に黒の斑点のあるナマコがへばりつき、のろのろと動いている。ほかにも、さきっぽにふさふさした触手のあるやつや、つるんとした肌色で触手らしいものが見当たらないミミズの大きくなったようなナマコもいる。ついでにいえば、その水槽にはウニもいるし、ヒトデもいた。ウニとヒトデは基本動かないんだけど、ナマコはガラスにへばりついて動くものだから、その蠕動の様子がたまらなくキモい。夢に見てうなされそうなくらいだ。
男子二人はというと、興味津々、水槽に近寄ってまじまじとナマコ観察をしている。
「ナマコの体表は主にコラーゲンなんだってよ、真希? おまえ、ちょっと前まで飲むコラーゲンがマイブームだとか言ってたよな? はいこれ、コラーゲンのかたまりですよー」
からかうように西尾くんが言うと、真希はむうっと口を尖らせ、
「そーちゃん、性格悪いよっ! 女の子に優しくしない男はモテないんだからねっ!」
と文句をつける。
その横で上條くんは、キモさ満点のナマコを食い入るように見つめている。女装させれば間違いなく美少女に変身できそうな可愛い顔立ちの上條くんだけど、ナマコのグロさに悲鳴をあげる、なんてことはなかった。というか、むしろ楽しそうなんですけど、上條くん・・・。
「あっちにはヒトデが展示されてるみたい。いろんな種類があるね、ヒトデも」
上條くんは嬉々としてヒトデの展示コーナーへ移動する。
ナマコよりはヒトデの方が見た目的にグロさもマシだろうと、あたしは上條くんの後についていった。あたしの腕を掴んでいた真希は、結果的にあたしと行動を共にすることになった。
真希はほっと息をつき、ヒトデのいる水槽に近づいた。上條くんの横に並び、ほとんど動かないヒトデをしげしげと見やる。
「ヒトデはそんなにキモくないよね。このカワテブクロとかいうの、名前、見たまんま。アカヒトデもアオヒトデもそうだけど」
「ヒトデって、英語だとたしかスターフィッシュ、だよね? この形状で魚って、不思議な感覚だなぁ」
「ウニとナマコは食用になってるけど、ヒトデはどうなのかな?」
「んー、なんか春の抱卵時に塩茹でにして、その卵を食べるって地域があるみたいだけど・・・基本的には食べないみたいだ。見た目にも美味しそうじゃないしね、ヒトデって」
「それを言うならウニもナマコもそうだと思いますケド?」
「池谷さん、ウニとナマコは食べない?」
「ウニは食べたことあるけど、ナマコはないなぁ。って、上條くんは食べたことあるの、ナマコ?」
「うん、酢の物で。コリコリした食感で、わりと美味しかったよ。――沙耶は、食べたことある?」
突然話をふられて、あたしは「えっ」と戸惑ってしまった。二人の話は聞いていたけど、割って入ろうとは思いもせず、ただぼんやりと、この二人ってウマというかノリが合ってるなぁ、とかそんなことを考えていた。
「や、ないよ。食べる機会もないし。とくに食べ物で好き嫌いってないけど、ナマコはちょっと・・・、と思うかな」
それからあたしは訝しげに眉をひそめ、上條くんを見据えて訊いた。
「上條くんって、もしかしてゲテモノ好きなんじゃない?」
唐突といえば唐突で、しかもずいぶんと失礼な質問だ。けれど、あえて訊いてみた。
上條くんは驚いたような顔をし目を瞬かせたけれど、別段怒るでもなく、不愉快そうな顔もしなかった。
「そうでもないよ」
上條くんははっきりと否定はせず、曖昧に答え、苦笑した。
あたしはほんの少し強気になって、上條くんを睨みつけた。
「上條くんの好みって、他の人とちょっとズレてるような気がする。物好きっていうか・・・」
言ってから、わざとらしく大きなため息をついた。
ほんとは、言ってやりたかった。「だってあたしのことを好きだなんて」、と。
自分自身をゲテモノだと卑下したいわけじゃない。上條くんを批難したいわけでもない。だけど「物好き」としか思えない。あたしのこと好き、なんて。冗談ではなく本気で言っていると分かっているからなおさら、「物好き」としか言いようがない。
そんな風に屈折しているあたしの心情を、上條くんはどうしてだかいつだって察してしまう。
上條くんは穏やかに笑って、照れもなくさらりと言ってのけた。
「僕の好みが人とズレてるかは、僕自身からはなんとも言えないし分からないけど、少なくともゲテモノなんかじゃないよ。僕の“好み”の人は」
「・・・・・・」
あたしは返す言葉も見つからず、唖然として上條くんを凝視している。
上條くんはふいに笑顔を曇らせた。そしてここぞとばかりに上目遣いになり、つぶらな瞳をあたしに向ける。
「僕自身のことはどう思われたって別に気にしないし、物好きって言われるのも構わないけど、それで沙耶に不快な思いをさせちゃってるなら、謝らなくちゃいけないかな・・・?」
「ちょっ、そんな・・・っ、謝らないでよ、上條くん! あたし、上條くんに謝ってもらいたくて言ったわけじゃないし、っていうか、あたしも不快とか、そんなことは全然ないし!」
あたしが激しく後悔し、慌てふためきながら言葉を継いだ。
「なんていうか、あたしの方こそ、ごめん。考えなしなこと言って・・・」
「ううん、いいよ。僕も気にしてないから」
そう言って上條くんは明朗な笑みを可愛らしい面貌に戻した。
「・・・・・・」
く、口惜しい・・・っ!
あたしはまた、いともたやすく上條くんのしかけた罠に落ちてしまった。
当の上條くんはというと、勝利者然とふんぞり返るってこともなく、ただいつものごとくのやわらかい微笑を湛えている。
もしかしたら罠をしかけたつもりはなかったのかもしれない。上條くんの笑顔に狡知さはない。ただちょっと小悪魔的な黒っぽさを感じるだけだ。
だいたい、あたしだけじゃないよ。誰だって上條くんのあの小悪魔的な可愛い微笑に敵いっこないと思う・・・!
潔くなく、仕方なしに負けを認めるあたしの肩をぽんぽんと叩いたのは、失笑を堪えきれていない真希だった。
真希はあたしにそっと耳打ちをしてくる。
「もうさ、ミカリに勝ち目はないと思うな」
あたしはむっつりと黙り込んだ。
「ま、無駄な抵抗をし続けるってのもミカリらしくていいとは思うけど。でもさぁ片意地張り続けてるのも疲れちゃわない?」
「・・・・・・」
「といっても、焦れ焦れ展開ってあたし的には面白いから、しばらくはこのままでもいいかなーなんて、内心思ってたり」
「だ・か・ら!」
あたしは怒髪天を突く勢いで、真希に怒鳴りつけた。
「内心で思ってることは口にするなって言ってるでしょーがっ!!」
呆れ顔で「やれやれ」とため息をついたのは西尾くんだ。
「見てて飽きないコンビだな、あの二人は。三上さんも近頃はつっこみ慣れしてきちゃったみたいだし」
「ほんと。ほのぼのするなぁ」
上條くんは余裕綽々といった風に笑っている。
「暢気だな、双海。ってかおまえ、何気に真希に遊ばれてんぞ? 三上さんにも焦らされて、ちっとも発展してないんじゃね?」
「そんなことないよ。池谷さんは僕に協力的だし。それに沙耶に焦らされるのは楽しいっていうか、嬉しいくらいだから。発展だって、ゆっくりだけどしてるよ。――ほら、あそこの巨大ナマコと同じ。さっきまで右側のガラスにへばりついてたと思ったら、ちょっと離れた岩場の方にいつの間にか移動したみたいに、いつまでも同じ位置にはいないよ。ゆっくりでも、鈍くても、ちゃんと動いてる」
うっかり聞き流すことなく、あたしは上條くんをびしっと指さし、鋭くつっこんだ。
「はいそこっ! よりにもよってナマコにたとえないっ!!」
西尾くんが言うように、どうやらあたしは、つっこみ慣れし始めているようだ。主に真希と上條くんに対してなんだけど。
――まったくもって嬉しくない。
まだ午前中だというのに、あたしはもうすでにへとへとになっていた。
- 4へ続く -