朝の、九時。ずいぶんゆっくりとした、一日の開始時刻だ。
ユエル様は朝が弱いから、大抵わたしが起こしに行く。目覚まし時計は嫌いなようで、「あのような不愉快なものは寝室に持ち込まないように」と厳命されたほど。
朝、決まった時間に起きなければならない理由なんてないのだから、いつまで寝ていたって構わないのだけど、だからといって放っておいたら昼まで……ううん、昼過ぎまで寝て過ごしてしまいそう。
「朝が弱いのではなくて、ただ起きるのが億劫なだけだよ」
なんてユエル様は屁理屈をこねる。
気位の高いユエル様は、弱い、という語彙を認めたがらない。けれど、面倒だとか億劫だとか、そういう語彙は厭わない。似たような意味だと思うのだけど。
弱かろうが億劫だろうが面倒だろうが、どうった言い訳や理由を持ち出したところで、朝、なかなか起きてくださらないことに変わりはないし、説得力もないから、わたしは「そうですか」と素っ気なく相槌を打つだけだ。
朝が弱い代わりに、夜は強い。徹夜も平気みたい。深夜、眠そうな顔をしているユエル様を一度も見たことがない。
「吸血鬼らしいだろう?」
と、ユエル様は言う。朝が弱い理由を、ユエル様はもっともらしく語る。
「もともと吸血鬼は夜の闇に潜んでいきるものだからね。だから朝日の中に身を置くのをつい案じてしまうんだよ」
「日の光も十字架もニンニクも平気だって仰ってたじゃないですか」
「いや、ニンニクはどうかな。あれは、口臭として吐かれたものを嗅がされると、存外辛い」
「それはたしかに……って、ユエル様! 話を逸らさないでください! あと、紫外線はどうとかいう言い訳もなしですから!」
「…………」
先手を打たれ、ユエル様はやれやれと肩を竦める。
「けれどね、ミズカ」
ユエル様はふっと短く嘆息し、わたしをじっと見つめてくる。
「早起きの吸血鬼というのはどうにも格好がつかないと思わない?」
と言って布団にもぐりこむ吸血鬼だって、「格好いい」姿には見えません!
そう言ってわたしが布団を掴んで引っ張ると、ユエル様はようやく「仕方ないね」と苦笑しつつ、ベッドから降りてくれる。
寝乱れた銀の長髪を手櫛で整えながら微笑するユエル様は、有明の月のように、少しだけ薄ぼんやりとした表情をしている。
物憂げにため息をついて前髪を払うユエル様を、わたしはいつだって直視できない。
布団を捲る度、どきどきさせられる。
「それにしても、朝早く、布団を引っぺがされて起きる吸血鬼は、私くらいのものだろうね」
皮肉げに、ではなくて、わたしをからかうようにそう言って、ユエル様は美しすぎる微笑を湛える。
わたしは真っ赤になりながらも、負けじと言い返してみたりする。……声は、ちょっと上擦ってしまうのだけど。
「朝遅くまで寝過ごしてる吸血鬼を、布団をひっぺがして起こす貴重な体験をしてるのも、わたしくらいのものです!」
そしてユエル様は、「違いない」と含み笑う。
やっぱり、ユエル様には勝てっこない。口惜しくて、つい呟いてしまう。
「……そんな笑顔は、ずるいです、ユエル様」
ところが、いつもはお寝坊のユエル様が、時々……本当に時々だけど、早起きしていることがある。
しかも、わたしがうっかりと寝過ごしてしまう時に限って。――たとえば、今朝みたいに。
そういう時、ユエル様はたぶん心配してくださってのことだと思うけれど、わざわざわたしを起こしにきてくれる。わたしがするように寝室に入りこんで、声をかけてくれるのだ。
それはもちろん助かるのだけれど。
起こし方が、問題!
ユエル様はわたしの顔をじっと覗きこみ、低く優しい声音で囁くのだ。
「おはよう、ミズカ。朝だよ」
「……っ!」
その囁き声の甘やかさに、思わず悲鳴を上げそうになる。
反射的に目を開けると、すぐ近くにユエル様の秀麗な顔があって、あまつさえ、額や頬髪を撫ぜてくれてたりすることもあるのだ。
「そろそろ起きてもらえると助かるが……起きられる?」
わたしと違って、ユエル様の起こし方はとても静かで、優しい。けれど、性質が悪いと思う!
だって! 寝起きにユエル様の類まれなる美貌を間近に見せられ、しかもしなやかな白い指で頬や髪を撫ぜられて、平然としていられるわけがない!
おかげで即座に覚醒できるけど、とにもかくにも心臓に悪すぎる。赤くなった顔を隠すために布団の端っこを掴んで引き上げるのが精いっぱいの抵抗だ。
起こしに来て下さらなくてもちゃんと起きられますって可愛げなく文句をつけてもユエル様は笑うばかりで、言うことを聞いてくれない。
今朝もまたそうやってわたしの寝顔を覗きこんで、したり顔で言うのだ。
「ミズカの寝顔を見るのは、私には希少事だからね。そうだな、せっかくのチャンスなのだし、じっくり見ているのも悪くないね」
「じっくり見なくていいですから!」
「しかしミズカばかりがわたしの寝顔を見るのは、いささかずるいと思うが?」
ユエル様はわたしの反応を楽しんでる。わたしがこっそり「ずるい」って呟いてるのを知っているかのごとくだ。
そうしてから、ユエル様は「第一」、と言葉を継ぐ。「親切に起こしに来たのに、文句を言われるとは」なんて、いかにも嘘っぽくしょんぼりした表情を作って。
――朝の目覚まし攻防。
いつまでもこうして、ユエル様に負け続けていられたらいいなと思う。
だけど、その気持ちは胸の奥で眠らせて、目覚めさせないよう、ユエル様から隠しておかなくちゃ。気付かれてしまっているかもしれないけれど、それでも。
ずっとユエル様と共にいたいというその願いも、また……。
* 了 *