月夜見の宴の会場は、王宮の一画にある小宮殿で執り行なわれた。招待客はせいぜい二百人程だが、その中には当然国王の実子もいて、賓客として特別の待遇を受けている。
主催者である国王は、広間の奥の玉座につき、隣には正妃、その反対側の席には世継の王子がやはり妃を伴って座していた。
とても近寄れるものではない。リアネイラは後込みをしたが、かといって挨拶をしないわけにもいかない。
宴の出席者の大多数は、国王陛下と「お近づき」になるのが目的だ。夜空高く昇った主役であるはずの満月はもとより、宮廷楽団の妙なる演奏も、色とりどりの豪勢な料理も、それを堪能する者などいなかった。
「整理券でも配布しておけばよかったのよ。挨拶すら、満足にできやしない」
見る間に不機嫌になっていくリアネイラを、セオドアスは苦笑まじりに見やる。
無事、国王陛下に挨拶を済ませた後のことだった。
(――父様に話したいことがあったのに)
リアネイラは遠巻きに、ようやく玉座から離れた父を眺めやる。取り巻きの数は一向に減らず、一歩進むごとに増えているくらいだ。王妃の姿は見えないが、おそらくは別の場所にいるのだろう。
「大丈夫ですか、姫? 何か飲み物でもお持ちしましょうか?」
「ん」
リアネイラは壁にもたれかかった。憮然と腕組をしてさえいなければ、美しい「壁の花」だ。可憐な美姫という見た目を、気難しげなしかめっ面が軽減させている。おかげで、無遠慮に近づいて甘い蜜を得ようとする害虫の心配も、多少は減った。それでもやはり気遣わしげに、何度か肩越しに振り返りながら、セオドアスはリアネイラの側を離れた。
そして、リアネイラも絶えずセオドアスの姿を探し、見えなくなると、背伸びをしたり、横に移動したりして、その背を追った。まるで、親に置いていかれた子供のようだ。リアネイラは苦々しく笑う。
(セオが離れてしまう。わたしの傍から・・・)
たったそれだけのことが、こんなに心細いなんて。
でも、わたしにいったい、セオドアスを引き留めておく権利があるというのか。
リアネイラは、断ち切るように、その場から離れた。一人になろう。そう思い、おもてに出ようとした。
その足を引きとめたのは、セオドアスだった。
セオドアスが女性に引き止められ、何か話しているのが目の端に映ったのだ。そのまま立ち去ることはできず、リアネイラの足は、吸い寄せられるように、セオドアスに向かっていた。
「あの人・・・たしか」
名前まではわからないが、たしかセオドアスの上司の娘だ。かなり前からセオドアスにご執心で、しつこく迫っていたのを何度か目撃したことがある。
豊満な胸元、くびれた腰、豪奢なドレスが似合う体型はリアネイラには羨ましいかぎりで、つい見とれてしまう。泣きホクロが官能的な、派手な顔立ちの美女だ。その情熱的な性格に似つかわしい褐色の髪を、彼女は優美な手つきで梳きあげる。
何を話しているかはわからない。露骨に近づくのも無作法な気がしたが、それでもどうしても気になってしまい、つい聞き耳をたててしまう。
よく聞き取れないが、なんとなく、セオドアスが彼女の求愛を退けているらしいことは、彼女の表情から窺い知れた。
眉をあげ、目もつりあげ、口元を歪ませる。信じられないとでもいった顔だ。
「俺に婚約者がいることは、もうご存知でしょう」
セオドアスの、その声が聞こえた。
だから、諦めてください。そういう意味あいでの、言葉だった。
むろん、そんなことでむざむざひきさがる相手ではない。奮然と、彼女は言葉を返す。
そのうちに、彼女は離れた場所で耳をそばだてていたリアネイラの存在に気がついた。セオドアスも、ほぼ同時に気がつき、少し困ったような顔を向ける。
「そちらが貴方の婚約者の、国王陛下の「愛娘」というわけですわね?」
彼女は上体をそらせ、鼻を鳴らす。小ばかにし、毒気の強い嫌味を、皮肉な笑みとともに、吐いた。
リアネイラを「身分の卑しい女の娘」と見下しているのがあまりにもあからさまだ。
しかしリアネイラにとってそれは事実だったから、反論はしない。それに、その類の皮肉や嫌味には耐性がついていた。わずかに眉目を曇らせはしたが、涙ぐんで走り去るような無様なまねはしなかった。
「俺の婚約者を侮蔑するのは、やめていただきたい」
気分を害したのは、セオドアスのほうだった。
氷の刃ように冷たい口調に驚いたのは、彼女だけではない。
肩を抱き寄せられたリアネイラは、とまどい、動揺した。
「たとえ誰であろうと、彼女を傷つける者を赦す気は、俺にはありません」
冷厳な声と、眼。その迫力に、リアネイラも、身を竦ませるほどに気圧された。
「セッ、セオッ!」
慌てふためいて、リアネイラは口を挟んだ。
「怒らないで、セオ、わたし、別に気にしてないから!」
「しかし姫」
「いいから! ね、もう行こ。外! 外行きたい、わたし!」
「・・・・・・」
セオドアスの腕を掴み、強引に、リアネイラは踵を返し、歩き出した。
唖然、あるいは茫然と立ち尽くす美女を、その場に置き去りにして。
小宮殿の前庭は、それぞれ何箇所かに簡易なあずまやが設けられている。
その一郭に、リアネイラとセオドアスは入った。屋根があるだけで、風は容赦なく吹きつける。
月明かりが、二人の足元に黒い影を作っていた。
「すみません、姫。お気を悪くされたのなら、謝ります」
「・・・別に、気を悪くなんか、してないよ」
リアネイラは背を向けたまま、応えた。両腕で自身の身体を抱きしめているのは、寒さのせいだろうか。
セオドアスは上着を脱ぎ、それをリアネイラの肩にかけた。
「・・・ごめんね、セオ」
小声で謝ってから、リアネイラは振り返った。そしてかけられた上着を、ぎゅっと掴んだ。
「ごめんね。立ち聞きなんかして」
「姫」
「やっぱり、ちょっと、気になって。でも、セオ」
ようやく、リアネイラは笑った。きごちなく、硬い笑みだった。
「もうずっとあの女性から口説かれてるね? 綺麗な人なのに、セオは、ああいう人は嫌いなの?」
「嫌いというか、苦手、という感じで・・・」
「そっか。・・・そういうのって、あるよね」
ほっとしていいものやらわからず、リアネイラは自嘲した。
「そういえば、婚約者って肩書きが役に立って、良かった。良いことも、ひとつくらいはあったっていうことになるよね?」
「姫、何を?」
「あのね!」
リアネイラはセオドアスの声を遮った。
「あのね、セオ。言おうと思ってたの!」
語尾に力がこもり、震える。
「わたしね!」
言いさして、声が詰まった。けれど、ここで挫けてはいられなかった。
リアネイラは顔を背けた。
「婚約のことは、父様に言って、取り消してもらうから。ごめんね、セオ。わがままで、こんなことになって。今夜も、つきあってもらっちゃって。でも、ちゃんと父様に言うから」
「姫、待ってください」
「わたしね、セオが好きだから。一等、セオが好きだから、セオを縛りたくないの。こんな形で、セオを縛りつけたくないの」
全身の震えが、もう、止められない。せめて泣いている顔だけは、見られたくない。
リアネイラは耐えきれず、再びセオドアスに背を向けた。
「だから、もうセオは自由になって。そうしたら、もう無理にわたしの傍にいることもないよ」
「・・・・・・」
「今までありがとう。セオのおかげで剣技も少しは上達したし、もう、一人で、大丈夫。護衛なんて、必要ないよ」
「嘘はやめてください」
「嘘・・・じゃ、ない」
全部が、嘘ではない。
一人で平気なわけはないが、護衛は、もう要らない。
「母様の、遺言なの。後悔するような生き方はするなって。望むままに、生きなさいって。わたしが望むのは・・・」
もう、それはずっと変わらない。
セオが好きだから、セオが幸せであることを望んでいた。その幸せの中に、自分も一緒にいられれば嬉しいけれど、無理に縛りつけることを、望んではいない。
「このままでいたら、きっと後悔する。セオを、逆らいようのない命令で縛って、それで幸せになんかなれないもの」
リアネイラの足元に、幾粒も、涙が落ちる。それをセオドアスに気付かせないよう、声の震えを必死で、堪える。けれど、息遣いの荒さを隠すことはできなかった。
「だから、婚約は、破棄するよう、ちゃんと父様に言うから。すぐにでも、取り消すよう、言ってくるからっ」
リアネイラは、勢いづけて歩き出した。宴の会場へ戻り、父である国王に面会するためだ。
だが不慣れなドレスと踵の高い靴が、それを邪魔した。
「――ッ!」
つんのめって、足首を捻り、転んでしまったのだ。
「あ、たたたた・・・」
無様なこと、この上ない。その場にへたばり、立ち上がることさえままならない。
泣き面に、泥団子でも投げつけられた気分だ。
もう、ヤだ。格好悪い。だからドレスは嫌だって言ったのに。
泣き言が、頭の中でぐるぐると回っていた。
そんなリアネイラを我に戻したのは、セオドアスのたった一言だった。
「リィラ」
短く、セオドアスはリアネイラの名を呼んだ。
リアネイラは反射的に振り返った。次の瞬間に、セオドアスは片膝をつき、リアネイラの腕を掴んで、そして抱き寄せたのだ。
「リィラ」
いつ以来だろう。セオドアスがリアネイラを愛称で呼ぶのは。
リアネイラの鼓動が、さっき以上に速まる。
「・・・約束を、反故にするつもりか、リィラ」
口調も、いつもと違う。懐かしいセオドアスのその口調に、さらに心拍数があがる。
「いつかの約束を、忘れたとは言わせない」
「約束・・・」
「・・・・・・」
セオドアスは、首からさげていたそれをはずすと、リアネイラの手に握らせた。
留め金の直った首飾りの、その先に下がっているのは、琥珀を嵌め込んだ銀の指輪だ。
「・・・これ」
渡された指輪が、月光の下でわずかに光を弾かせる。
「この指輪、は・・・」
母からもらった「お守り」だ。父王が、リアネイラを出産した時に贈ったという、琥珀の指輪。
生まれた娘の瞳と同じ色の貴石を嵌め込んだ指輪は、母と娘を祝福した証だった。
「いつか返してくれと。その時は、俺の妻になるのではなかったか」
「・・・セオ、でも」
「俺の望みを、叶えてくれないか」
「セオ、でもわたし」
嬉しいはずの瞬間だった。それなのに、まだどこか疑っている。
リアネイラは困窮し、泣き顔を隠すこともせず、迷い、揺れる琥珀色の瞳をセオドアスに向ける。
「リィラの傍に、いさせてくれ」
「でも、でもセオ」
「でも、は、なしだ。答えて」
「・・・・・・」
言葉では、答えられなかった。
リアネイラはセオドアスの胸元をぎゅぅっと握りしめ、抱きつくしかできなかった。
「・・・セオ・・・」
涙が、とまらない。
冴える月光の下、もう不安も、寒さも、感じない。
リアネイラは、抱きしめてくれるセオドアスの温もりで、ゆっくりと、静かに満たされていった。
忙しなく鳴きかわす鳥達が、覚醒を促した。
リアネイラはベッドの上で横たわったまま大きく伸びをした。
その一瞬は、自分がどうして私室のベッドにいるのかを不思議には思わなかったが、小窓から見えるまぶしいほどの青空を見てようやく、「あれ、どうして。いつの間に」と首を傾げた。
ほぼ、それと同時に、扉を叩く音が聞こえた。返事をすると、入ってきたのはキィノだった。
「起きてたんだ、ちょうどよかった」
そろそろ起こそうかと思ってきてみたんだよ、と言うキィノに、自分が今どうしてここにいるのかを尋ねてみた。想像はつくのだが、やはり確認はしたかった。
「気が張ってたんだね。疲れて、寝入っちゃったらしいよ」
「・・・そっか。それで、わたし」
「うん、セオさんが運んでくれたんだよ、ここまで」
「・・・・・・」
上体を起こしたリアネイラだったが、もう一度布団の中にもぐりこんでしまいたかった。
思い返すと、恥ずかしいことばかりだ。
「リィラ、その指輪」
キィノは、リアネイラの首にさがっている首飾りに目をやった。革紐の先にあるそれは、琥珀の指輪だ。
「セオさんからもらったんだね?」
「え? あ、うん」
どうして、知ってるの? リアネイラは目をぱちくりとさせた。
「もとはわたしの母様からもらった、わたしのお守りだったの。それで、えっと、昨日」
説明をしだすと長くなってしまいそうだ。リアネイラは簡略に話そうとするのだが、どうもまだ頭がぼんやりとしていて、上手く言葉が続かない。
「へえ、そうか。ふぅん、そういうことなんだ」
キィノはというと、何やら相槌をうって、一人得心している。
セオさんが肌身離さず持っていた大事な物は、リィラの物だったからか。セオさんが期待に副えない、あるいはその逆かもしれないと言ったのは、そういう意味合いだったのか。・・・なるほどねぇ。
「で、リィラ。昨夜、帰ってきた時にも思ったんだけど、セオさんと、うまくいったんだ?」
こういう時のキィノの鋭さには、本当にびっくりだし、戸惑ってしまう。返答に困ったが、赤くなった頬で、十分に答えになっているだろう。
「よかったじゃない。これは是非ともじっくりとその経過を聞きたいものだけど」
絶妙の頃合を見計らって、再び扉を叩く音がした。おかげでキィノは追求を遮られたが、さほど残念ではなかった。扉の向こう側にいる人が誰なのか、知っているからだ。
リアネイラが応え、そしてキィノが扉を開けた。
そこにいたのは、セオドアスだった。
用意周到なキィノは、リアネイラの私室へ赴く前に、セオドアスに声をかけていた。
リアネイラの護衛ではあるが、騎士職に就いている彼に、「温かい飲み物を持ってきてください、リィラのために」とあらかじめ頼んでおいたのだ。
これくらいの意地悪はさせてもらわないとね。キィノにも言い分はある。
だから、幼馴染みの姫の朝一番の寝起きの顔は、まずは自分が拝ませてもらう。もちろん、リアネイラの夢うつつであろう頭を少しでもすっきりさせることも目的の一つだが。
「ありがとうございます、セオさん」
部屋に招きいれ、そして自分はそのまま部屋から出る。
「じゃ、セオさん、後はお願いしますね。リィラ、今日はゆっくり休んでなね?」
「キィノ」
行っちゃうの、とつい縋るような目を向けてしまうリアネイラだ。
キィノはにこやかに手を振り、それからセオドアスにもう一度念を押すように「お願いします」と繰り返した。
セオドアスは、苦笑で応えた。
「キィノには、何やら申し訳ない気分だな」
閉められた扉に向かって、セオドアスは呟く。
キィノの、リアネイラに対する感情がどの程度のものか、推し量ることはできない。また、すべきではないのだろう。だが、大事な人を、セオドアスはキィノから奪ったのだろう。もともと、こちらに差し出されていたとはいえ。
向き直って、セオドアスはベッドの上でじっと自分を見つめて顔を赤くしている少女のもとへ、近寄った。
セオドアスは持ってきたお茶をベッド脇のテーブルに置いた。
「気分は、どうだ?」
もう、二人きりの時に、他人行儀な口調をつくる必要はない。
「うん、大丈夫みたい。ごめんね、キィノから聞いたけど、ここまで運んでくれて」
「足は痛まないか?」
「ん」
セオドアスは腰を屈ませた。リアネイラの頬に、触れたかったのだ。
赤い頬は、やはり熱い。セオドアスが触れた途端、さらに耳まで赤くなった。
「その指輪、指にはめないのか?」
リアネイラの首にさがる指輪を見、セオドアスが問うた。
「・・・うん。わたしには少し小さいから、どの指にも合わないと思う。剣の稽古のおかげで、ちょっとごつくなっちゃったかも」
ごつくなったと言っても、自分と比べたらか細い、華奢な少女の手だ。
セオドアスは笑いかけ、もう一度リアネイラの頬に触れ、そして髪を梳く。
見慣れているはずのセオドアスの顔が、普段より近くにあって、さらには甘やかなとび色の瞳で見つめられて、リアネイラは落ち着かないことこのうえなかった。
「気分が落ち着いているようなら、こちらに朝食を運ばせようか」
スミマセン、気分は全然落ち着いていません、と応えそうになったリアネイラだ。
「まだ、お腹はあまり空いてないから、後でいいよ。・・・それより」
リアネイラは、ふと、窓の外を眺めやった。外の空気を吸いたい。そう、セオドアスに言おうとした時だった。
「わかった」
「え、って、セオッ!」
セオドアスは掛け布団ごと、リアネイラを抱き上げた。
「セオ、や、ちょっ」
「大人しくしていろ。落ちる」
「って・・・でもっ」
セオドアスが意外にも強引なのは知っていたが、しかし、これはあまりに突然すぎた。
リアネイラを横抱きに抱えたまま、セオドアスは部屋を出る。
すれ違う使用人達の目も、まったく意に介さない。
「セオ、ねぇ、おろしてよ。わたし、歩けるから」
「だめだ」
優しいセオドアスの口調だ。耳元でささやかれ、くすぐったさのあまり、顔をセオドアスの胸に押し当てる。
「すぐに着く」
廊下を進み、階段を降り、そしてつきあたりの扉を押し開けた。
晴れ渡った秋空の下、まだぎこちない恋人同士は、光満ちる庭園に優しく迎えられた。
リアネイラは感激に胸をつまらせて、セオドアスを見つめた。
「どうしてわかったの?」
嬉しさに、思わずセオドアスの首に両腕を回した後、リアネイラは訊く。
どうして庭園に行きたいと思ったのが、わかったのだろう。ほんのちょっと、窓の外を見ただけなのに。
「さあ、なんとなく、だ」
セオドアスは笑んで、応えた。
「ただ、俺も来たかった。ここが、リィラは好きだろう?」
「うん。あ、セオ、もう、おろしていいよ。あそこに長椅子あるし」
「いい。このままで」
「でも重いでしょ? 腕、疲れちゃうよ」
「重くない。・・・もうしばらく、このままで」
「・・・・・・」
セオドアスの、リアネイラを抱く腕に、力がこもる。
抱き寄せられて、さらに密着する形になった。早まる鼓動が、しかし心地好くすら感じる。
リアネイラはもう一度セオドアスの首に腕を回して、頬をくっつけた。そして顔を離し、笑みを見せる。
「ありがとう、セオ。嬉しい、本当に」
「リィラ」
リィラと呼んで。そういつも言っていたリアネイラだったが、やはりまだ照れくさい。
「この庭園と離れるのは、やはり辛いか?」
「え?」
いささか唐突な、セオドアスの質問だった。
「すぐにとはいかないが、俺の屋敷に来てほしい。・・・先ず、陛下の許可をもらわねばならないが」
「・・・・・・」
「どうしてもある程度の侍女や従者はつけることになるが、ここより窮屈な思いはさせない。・・・だから」
「セオ」
ぎゅっと、リアネイラは抱きついた。感激のあまり、声がつまる。
「セオ・・・セオ・・・」
どうしよう。嬉しくて、セオが好きすぎて、苦しいくらいだ。
涙があふれて、とまらない。
「ご、ごめん、セオ。泣いてばっかりだ、わたし」
「・・・かまわない。もう、我慢をする必要はない。泣き顔も、俺には見せてくれ」
リアネイラは、おそらく無自覚に、泣くことを我慢していた。セオドアスに心配をかけまいとする気持ちがそうさせていたのだろう。セオドアスに気付かれぬよう、涙を拭い、そして振り返ったときには、もう笑みを見せていた。笑って、気持ちを偽っていることすら、あった。その姿こそが痛ましく、セオドアスを悩ませていたのだと、知りもせず。
「大好き、セオ」
他の言葉は浮かばない。心に思い浮かぶのは、たったその一言だ。
出逢って、十年。その十年の間、一途にセオドアスだけを見つめ、想いを募らせてきた。
「これからも、ずっとずっと傍にいてね。セオが、想ってくれるまでで・・・いいから」
こんな時まで、リアネイラはわがままになりきれない。
「傍にいさせてくれと、言ったはずだ。だからリィラ、俺にもっと望んでくれていい」
・・・俺の方が、よほどわがままだ。
セオドアスは、甘くささやいた。少しでもリアネイラの心を和らげるためだったが、果たして、その効果はあったと言うべきか、否か。
抱き上げられていて正解だった。きっと、その言葉を聞いた瞬間に腰が砕けて、立っていられなかったろうから。
「これからもずっと、俺だけを見つめ、俺だけを想っていてくれ。・・・俺の、リアネイラ」
いとも容易くリアネイラを蕩けさせたセオドアスは、優しく、リアネイラの頬に接吻した。
月夜見の宴から数日経ってからだった。
セオドアスからの申し出を受け、当然のごとく了承した国王は、晴れ晴れと笑った。
「余計な手出しをした甲斐があったというものだな」
娘リアネイラの幸福のために、自分ができることは、多くはない。それを悟っているからこその「ちょっとした悪戯」だったが、功を奏したようだ。
早世したリアネイラの母の代わり・・・というだけではない。だがやはり、あまりに早く天に召された美しい歌姫の分も、その娘には幸福になってもらいたかった。
嫁ぐ娘のために、最後にもう一つくらい何かしてやりたいものだが。
悩んだあげくに採った選択は、再び娘を困らせるものだった。
国王陛下からの贈り物をひろげ、リアネイラはうんざりし、がっくりとうな垂れた。といっても、さほど嫌なわけでもない。一応、がっかりした風を気取ってみたかったのだ。
「これはまた、ずいぶんと豪華な衣装だねぇ」
感嘆の声をあげたのは、キィノだ。笑いを堪えての、一言だった。
贈り物の内容は、豪華絢爛なドレスだ。首飾り、髪飾りなどもむろん同梱されていた。
月夜見の宴でのドレス姿を甚く気に入ったらしい内容の手紙も、添えられていた。
おそらくは、「花嫁衣裳」なのだろう。しかし一着だけでないのは、いかにも豪胆な父らしい。
リアネイラは少しばかり意地を張って、所帯じみたことを口にした。
「国庫から出した財で買い揃えたのかと思うと、胃が・・・胃が痛い〜」
「それはまっとうな意見だと思うけど、無駄にしたくないのなら、ちゃんと着るべきだね。と、セオさんも思いますよね?」
「そうだな。どれも、きっと似合うだろう。陛下は趣味が良いな」
セオドアスも笑いを堪えている。だが、正直な感想だ。
いつもの闊達な少年のような格好が、リアネイラには似合っているし、セオドアスも好きなのだが、やはり着飾った美しいリアネイラを見てみたいとも、思っている。
「せっかくなのですから、これをお召しになって宮廷へ出向かれたらいかがですか? 陛下も、姫様のお顔をご覧になりたいとお思いでしょうから」
さらに、ハンナまで口を挟んでくる。
「早速宮廷に使いを出しましょう」
「って、ちょっと、ハンナ!」
言うが早いか、ハンナはすばやく身を翻し、リアネイラの部屋から出て行く。
ハンナは、リアネイラがセオドアスの許に嫁ぐことを心から喜んでいる。母親の心境に、それは近いのだろう。
「じゃ、準備しなくちゃだね。オレもこうしちゃいられないか」
キィノまで忙しなく部屋を出て行った。それはたぶん、リアネイラとセオドアスに気を遣ってのことだ。それに気付いたのは、セオドアスだけだが。
「どっ、どうしよう〜。そんなこと急に言われたって、心の準備が〜っ」
セオドアスは嘆息し、つぶやいた。
「緊張しているのは、俺の方なのだが」
「え? って、セオが? え? どうして」
嫁ぐ娘の、その父に会いに行く。それがどんなに緊張するものなのか、どうやらリアネイラは本当に気がついていないようだ。
「・・・いや。それよりリィラ、言い忘れていたことがあった」
「え、何?」
「月夜見の宴でのあのドレス、よく似合っていた。とても綺麗だったと」
「〜・・・っ!」
色づいた庭園の楓の葉よりももっと赤く、リアネイラの頬が鮮やかに染まる。
「では、また後で、リィラ」
リアネイラを照れさせるだけ照れさせておいて、そのまま、セオドアスは部屋を出て行こうとする。
「ちょっ、待って、セオ」
「ん?」
子供のように、セオドアスの上着の裾を掴んで引き止めた。
「・・・セオも、一緒に行ってくれるんだよね?」
「はじめからそのつもりだが」
「なら、いい・・・けど。あの、ね。また転ぶかもしれないから、ちゃんと、守っててね」
本人は真剣なのかもしれないが、セオドアスはつい笑ってしまう。
「大丈夫だ。しっかり見守っている」
「よ、よろしく・・・デス」
リアネイラは、あどけない笑みを恋人に向ける。
少しずつ、二人の距離はこうして縮まってゆく。
「・・・約束だったな。ずっと傍にいると」
それは、幼い日の他愛のない約束。
いつしか重なり合ったその約束を、再び、セオドアスは誓う。
そっと、リアネイラの唇に。