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君が笑うなら 〈後〉


 リアネイラ自身は知らぬことだが、騎士や衛兵達の間で、リアネイラは「癒し姫」と呼ばれていた。
 見目美しい国王の愛娘は、屋敷の警護についている衛兵達に気軽に声をかけ、たまには長々と話し込むこともあった。セオドアスのことをきっかけに、日常の些細な出来事などを聞くのを楽しみにしているようだった。
 セオドアスから剣術の手ほどきを受けているリアネイラは、衛兵達を困らせることもあった。
「ね、軍務棟での訓練って、どんな具合? 剣術を競ったりもするの?」
 そう訊いてきたかと思うと、
「ちょっと手合わせしてくれないかな? 軽くでいいから」
 と剣を構えて言うのだ。もちろん、できるはずがない。慇懃に断ると、残念そうな顔はするが、
「セオに叱られちゃう? ごめんね」と、かえってすまなそうに謝るのだ。
 おそらく、警護にあたっている者全員に、リアネイラは声をかけている。朝の挨拶から始まって、とにかく見かけた衛兵達には気さくに声をかけていた。
 リアネイラの屋敷の警護についている衛兵の大半はまだ若く、独身者が多い。しかし、身の程知らずの望みを抱く者は少なく、高嶺の花を見上げているだけで由としている者がほとんどだった。
「お疲れ様! これ、よかったら食べて。いっぱいもらったから、おすそ分け」
 そう言って、林檎を放って笑う。
 リアネイラのその笑顔を見られるだけで、心が癒される思いだった。
 その姫の結婚が決まった。相手は、大将軍の信任も厚い、将来を嘱望されているセオドアスだ。
 国王陛下の勅命だと言うが、「癒し姫」の片恋の相手であることは彼らにとっては周知の事実だった。
 と、いうことで、
「とりあえず、一発殴らせろ」
 同僚の騎士達、そし近衛兵達が口をそろえて、そう言った。もちろん、祝いの言葉も忘れなかったが。
「お前ら全員にか? 無茶を言うな。俺にそんな趣味はない」
 殴らせろと言われて、理由はわかっているものの、素直に許諾するのもばからしい。セオドアスは軽くあしらって、さっさとリアネイラの待つ屋敷へ戻るつもりだった。
「おいおい、我らが「癒し姫」を奪っておいて、何食わぬ顔はなしだぜ」
「おまえさんなら「癒し姫」を任せられると認めてやるんだからな。一発二発は覚悟してただろ?」
 多勢に無勢だった。
 腰にさした剣が鞘から抜かれることはなかったが、屈強な男達に一時に襲いかかられては、さしものセオドアスも無傷でその場から離脱することは不可能だった。

 そうして、子供っぽい殴り合いが数分間続き、セオドアスは頃合を見計らって脱出をはかった。
「上手いことやりやがってこの野郎!」「命懸けで幸せにしろ!」「我らの「癒し姫」を泣かせやがったら承知しないぞ」「くそぅ、せいぜい幸せになれってんだ!」
 背に投げつけられる祝辞と悪態を、片手を振って流し、セオドアスはリアネイラの元に戻ったのである


 思いだし笑いをおさめると、セオドアスはめったに見られないドレス姿のリアネイラを改めて見やった。
「今日は、宮廷へ一緒に行けずに悪かった」
「ううん。急な呼び出しだったんだし。あ、でも父様が、セオによろしくって。今度は一緒に来てほしいって」
「ああ。……リィラ?」
「え?」
「何かあったのか?」
「え、……えと」
 リアネイラはすぐに感情を顔に出してしまう自分が、情けなかった。
 もうちょっと巧くごまかせたらいいのにと、さらに気分を下降させてしまう。
「……えと、その、なんでも……」
「なんでもない顔ではないな、それは」
 セオドアスは眉間を寄せ、リアネイラの手首を軽く掴んだ。
 放っておけば、リアネイラは憂鬱な気分を抱え込んでしまう。遠慮がちな気質は、今あるこの環境が作り上げてしまったものだ。
「う……と、ほんと、たいしたことじゃないの」
「それで?」
「……あのね」
 リアネイラはためらいがちに話し出した。ただし、婚姻の式のことではなく、フィスリーンの結婚のことだけに留めた。
 フィスリーンが屋敷からさがってしまうのは淋しかったが、リアネイラの気分を沈ませていたのは、大好きなフィスリーンに何もしてあげられないことだった。
「わたし、ほんと、みんなに何もしてあげられないなって。フィスリーンも、キィノも、いろいろわたしのためにしてくれたのに、何も返せないまま、離れちゃうの。せめて何か返せたらいいのにって思うのに」
 唇を噛み、リアネイラは俯いた。
「……リィラ」
 そんなことはない。そう言ったところで、リアネイラは納得しないだろう。
 何もできないと思い込んでいるが、リアネイラは多くの優しさを周囲の者に与えている。無自覚に、だ。
「癒し姫」の称号を与えられているなどとは思いもしないだろうリアネイラに、セオドアスは提言した。抽象的な言い回しになってしまうのは、セオドアスなりの気遣いだった。
「リィラがしたいと思うことを、すればいい。難しく考えずに」
「したいこと?」
 リアネイラはセオドアスの言葉に小首を傾げた。
「フィスリーンも、キィノも、無理をしてリィラに奉仕しているわけじゃない。自然と、己の思うまま、リィラに接しているだけだ」
「…………」
「だからリィラも無理をして何かを返そうとしなくてもいい。かえって重荷になる」
 リアネイラはまじろぎもせずにセオドアスを見つめる。
 セオドアスの言葉、一言一句を聞き逃さないように。
「リィラができることを、できる範囲でいい、リィラがしたいようにして返せばいい。それがどんなに些細なことでも、二人はきっと喜ん……」
「セオッ」
 唐突に、リアネイラはセオドアスに飛びつくようにして、抱きついた。
「リィラ?」
「セオ、ありがとう!」
 ぎゅっと抱きしめ、一言礼を言うと、腕を放した。が、セオドアスはリアネイラの腰に回していた手をそのままにしていた。いきなり駆け出して、自分から離れていってしまうのではという杞憂が、セオドアスの手をリアネイラの腰に留めさせた。
「ごめんね、心配かけて。でももう大丈夫」
 満面の笑みで、リアネイラは言う。
「わたしにできる方法で気持ちを伝えたらいいんだよね」
 リアネイラは曇りのない笑みをセオドアスに向けて言う。
「わたしにできることなんて本当に些細な事ばかりだけど、何もしないでいるよりずっといい!」
 雲間から射し込む日の光のように、琥珀色の瞳が輝いている。
「だからセオ、協力してほしいの!」
 ああ、俺でできることならば。そう答えた語尾に、セオドアスを呼ぶ声が重なった。
「邪魔して悪いんだけど」
 リアネイラの幼馴染みであり、侍従のキィノだった。
「セオさん、厩のじいやが呼んでます。急いで呼んできてほしいって、慌ててましたけど」
「ああ、わかった。すまないリィラ、また後で」
「うん」
「……リィラ」
 セオドアスは少し腰をかがめ、リアネイラにそっと耳打ちをした。
「その薔薇色のドレス、よく似合っている。……綺麗だ」
「!!」
 こともなげにセオドアスは言うが、もちろん「狙って」いた。
 顔を真っ赤にして照れているリアネイラを満足げに見やると、セオドアスは踵を返す。
 黒いマントの裾を翻し、セオドアスは颯爽とした足取りで立ち去っていった。
「も、もう、意地悪セオ」
 ほてった顔を両手で隠し、リアネイラはつぶやく。
 横でそれを見ていたキィノは、二人の熱にすっかりあてられ、やれやれと肩を軽く上げ、竦ませた。
「ところでさ、リィラ。セオさん、何かあったの? 怪我してるとこ初めて見たけど、まさかリィラじゃないよね?」
「そっ、そんなわけないでしょっ。そういえば、聞き漏らしちゃったよ。軍務棟で何かあったみたいだけど……そうだ! それより、キィノ!」
 やにわに、リアネイラはキィノの手を掴んだ。
「お願い! 頼まれてほしいことがあるの!」
 フィスリーンに、キィノに、そしてセオドアスに、自分ができる方法で、感謝の気持ちを伝えよう。
 そのためには、多少の準備が必要だった。

* * *


 そして――
 町外れの小神殿で、ささやかな婚姻式が執り行われていた。
 花嫁は、国王陛下の愛娘の屋敷に上がっていた娘、フィスリーンだ。
 フィスリーンは結婚を機に退職することになったが、仕えていた主人も春には同じく花嫁になる。
 リアネイラ姫の花嫁姿を見られなくなったのだけが、残念だった。
 フィスリーンの自慢の主人だった。
 さぞや美しい花嫁になることだろう。
 贅を凝らした花嫁衣裳に、姫様は辟易とした顔をするのだろうけど。
 フィスリーンが身にまとっている花嫁衣裳は、自分で縫ったものだ。
 綾絹のドレスなど手に入れられる身分ではない。だが幾日もかけて刺繍をほどこした真っ白な木綿のドレスは、曇天の空の下に、よく映えていた。
 簡素な婚姻式は、簡略して執り行われた。
 フィスリーンはふと、口元に笑みを浮かべた。
「いいなぁ、フィスリーン。わたしも簡潔にすませたいよ」
 きっと、姫様はそう言うだろう。
 フィスリーンと並んで歩く花婿は、「何を思い出し笑いなんかしてるんだ?」と訊きつつ、小神殿の扉を押し開いた。
「あのね……――」
 フィスリーンが答えかけた、その語尾に喝采が重なった。
 式が始まる前には誰もいなかった小神殿の前に、見知らぬ人だかりができていたのだ。
 荷馬車が三台連なっているその前に、色とりどりの衣装を身にまとった老若男女が、ある者は楽器を持って、ある者は花かごを持って、小神殿から出てきた花嫁と花婿を出迎えた。「結婚、おめでとう!」と、祝いの言葉が飛び交う。
 フィスリーンは唖然とし、目の前の光景を見つめている。
 どうやら集っているのは楽団員のようだ。しかし楽団員に知り合いなどいない。
 いったい、何がどうして? 何が起こったの?
 目を瞬かせていたフィスリーンだったが、やがて、楽器をかき鳴らし始めた楽団員の中に、見知った顔を見つけた。
「リアネイラ姫様っ?!」

 白いブラウスとこげ茶色のパンツ、腰帯にえんじ色の長い布を巻いて、髪は後頭部で一つにまとめている。一見少年のような「少女」は、まぎれもなくリアネイラ姫だった。
 リアネイラのすぐそばには騎士セオドアスが控えている。侍従のキィノも、その母のハンナもいる。
 フィスリーンが自分に気づいたことを確認すると、リアネイラは軽く手を振って、にこやかな笑みを向ける。そして、持っていた有棹撥弦楽器の弦を掻き鳴らした。
 それが、合図。
 リアネイラの合図で、演奏が始まった。
 陽気な楽曲に、踊り子達が花輪を持って舞う。
 リアネイラの巧みな指先がウードの弦を弾き、そしてよく通る澄んだ声音で朗々と歌い始める。
 それは聴きなじみのある祝いの歌だった。宮廷で歌われるような高尚な歌ではない。市井の娘達が好んで口ずさむ、陽気な恋歌だ。
 大勢の人の前で歌うのは初めてのリアネイラだが、「歌姫」と称された母に劣らぬ歌い手ぶりだった。
 愛すべきもの達の幸福を祈る歌に、リアネイラは己の心をのせ、高らか歌う。
 フィスリーンだけではない。この場にいる全員がリアネイラの歌声に聴き入っている。そして、歌にこめられた真心に、やがて訪れる春の陽だまりの暖かさを感じていた。
 やがて、拍手喝采が歌の終わりを告げた。
 リアネイラはウードをセオドアスに預けると、フィスリーンの元へ駆け寄った。
「結婚おめでとう、フィスリーン」
 そう言って、フィスリーンの両手を握った。
「姫様……」
「それから、ありがとう、フィスリーン。今までありがとうって、それを伝えたかったの」
 セオドアスにも、キィノにも、ハンナにも……そして、自分をいつも支えてくれる人達すべてに、「ありがとう」を伝えたい。
 歌姫だった母がそうしたように、リアネイラは歌を用いて自らの心を響かせた。
 それが自分にできる唯一のこと。
 キィノに頼んで街に興行に来ていた、かつて母がいた楽団に連絡をつけてもらったのだ。楽団の長にとってもリアネイラは可愛がっていた孫同然の娘だったから、快くリアネイラの依頼を引き受けてくれた。
 結局また他人の手を煩わせてしまったけどと、リアネイラは苦笑したが、だからこそ精一杯の気持ちを歌に込めた。
「本当にありがとう、フィスリーン。大好きよ」
「……姫様……、それは、わたしこそ、ですわ」
 涙ぐみ、フィスリーンはリアネイラの手を握り返した。
 自分が仕えていた王女は、なんと優しく、思いやりに満ちた主人だったのだろう。そんな王女に仕えていられた自分が誇らしく思えるほどだ。
「姫様と出逢えて、本当によかった。とても幸福ですわ」
「フィスリーン」
「だから姫様、どうかこれだけはお約束ください」
 何? とリアネイラは小首を傾げた。フィスリーンは涙を拭い、笑んだ。
「どうか、お幸せになってくださいね。姫様が幸福でいらっしゃることが、皆の望みであり、願いであるということを、お忘れにならないで」
「……うん」
 今度は、リアネイラの方が涙ぐんだ。
 フィスリーンは、ウードを抱え、じっと佇みリアネイラを見守り続けているセオドアスに視線を流した。
 口に出しては言わなかったが、「姫様をお願いいたしますわ」とその目が語り、セオドアスは軽く頷いて、応えた。
「ありがとうございます、姫様。本当に」
 フィスリーンはリアネイラを軽く抱き寄せ、頬に接吻した。花嫁から祝福のキスを受け、リアネイラの琥珀色の瞳がさらに潤んだ。
 ふと、二人は視線を上げた。
 空にかかっていた雲がきれ、幾筋もの白い光が地上に落ちる。
 美しい光景に、二人は胸を詰まらせた。
 新たな門出に相応しい、輝かしい情景だった。


 リアネイラは楽団の長や、楽団員達と抱擁しあい、名残惜しそうに別れた後、セオドアスにわがままを言った。
「屋敷まで、歩いて帰りたいな」
 もちろん、二人きりで。
 可愛らしいわがままをセオドアスが聞き入れないはずもなく、二人は肩を並べ、ゆったりとした足取りで街道を歩いた。
 暮れ始めていてる空が、眩しい。
 リアネイラは手をかざして、空を眺めやる。
 赤みをおびた金の髪が夕風になびき、リアネイラはわずかに身をすくめた。
「寒いか?」
 訊くより早く、セオドアスは自分の上着をリアネイラの肩にかけた。
 リアネイラは俯き、そしてそのままセオドアスの胸に倒れこむように寄りかかった。
「……っ」
 声も上げず、静かに、リアネイラは泣いている。悲しくて、ではない。
「リィラ」
 嬉しくて、淋しいのだろう。
 リアネイラの華奢な身体を抱きしめ、髪を撫でる。
 リアネイラは泣き止もうとしているのだろう。セオドアスの胸元でこぶしをつくり、ぎゅっと握り締めている。
 どうして泣くのかと、自分を責めているのかもしれない。
 泣くのをやめようとすればするほど、涙は零れ落ちてくる。
 セオを、また困らせてしまっている。でも、セオの腕の中が温かすぎるからいけないんだ。
 そんなことを思いながら、それでもやはりセオドアスから離れられないリアネイラだった。
 どれほど時が経ったろう。
 東の空には藍色の腕をひろげた女神が訪れ、夜風を吹かせていた。幾層にも重なる雲に姿を隠した日の残照が、わずかに地上に落ちている。
 ようやくリアネイラが顔を上げた時には、夜の女神が空を支配していた。
「……ごめん、セオ」
 泣きはらした目をしていたが、笑顔に曇りはない。
「ちょっと……感傷的になっちゃったみたい」
 セオドアスの腕は、まだリアネイラを抱いている。自分に向けられた照れまじりの笑顔が愛しくて、恋しい。心が、ざわめきたつほどに。
「今日はつきあってくれて、ありがと、セオ」
「……リィラ」
 セオドアスはそっと、リアネイラの頬に触れる。
 ふと、口をついて、その言葉が出た。
「愛している、リィラ」
 見開かれた琥珀色の瞳が、また潤む。
 激しく抱き寄せ、口づけたかった。それを寸前でとめたのは、街道という人の往来の多い場所にいるせいだった。自分はかまわなかったが、リアネイラは恥じらい、きっと拒むだろう。
「セッ、セオ、あのっ、わたっ、わたし……も……だからっ」
 真っ赤な顔をして、それでも逸らすことなくリアネイラはとび色の瞳を見つめ返している。
 愛していると、セオドアスに繰り返しささやかせるほどの威力がその瞳にあるなど、当人はまったく気づいていない。
 いったい、幾人もの人達がリアネイラの幸福を願っていることだろう。
 セオドアスは腕の中にいる少女を、改めて見つめた。
 幸福を分け与えることを自然に行っている少女は、自身の幸福には無頓着すぎる。だからこそ、誰もがリアネイラの幸福を心より願うのだ。
 自分に、リアネイラを幸福にするだけの力があるのだろうか。
 セオドアスはいつの頃からかそうした不安を抱くようになっていた。己の力の及ぶ限りで、それをつとめると誓ったのだが、正直、とまどいもある。
 しかし、そんなセオドアスの不安を知ってか知らずか、リアネイラは笑い、そして言うのだ。
「ありがと、セオ。セオが傍にいてくれて、本当に良かった。わたし、すっごく幸せだよ!」
「……リィラ」
 俺のほうこそだ。
 セオドアスはリアネイラの頬を指先で撫ぜた。
 この頬に涙がこぼれることが少しでも減るよう……そして、幸福に笑っていられるよう、いつも傍にいて、守っていく。
「さあ、帰ろう、リィラ。遅くなると、皆が心配する」
「うん!」
 二人は、歩みだす。
 吹きつける冷えた夜風も、二人を包む甘やかな殻を破れはしない。
 やがて訪れる春の香を思わせる、リアネイラとセオドアスのかわしあう笑み。
 互いにその笑みを愛しく思い、いつまでも傍にあることを願っている。

 君が、……どうかいつまでも幸福に、笑っていられるように……と。

* 了 *

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