「師匠は占いってやらないんですか?」
押しかけ弟子の娘が、唐突にのたまった。
持参した陶器のマグカップになみなみとカフェオレを注ぎ、ついでに「師匠もコーヒー飲みますか?」と訊く。
弟子たるもの、まずは師匠に御伺いをたててから、自分の分を淹れるのが普通ではないのか。そう頭の隅でちらりと思わないでもなかったが、娘に師匠呼ばわりされている青年は無言のまま、いるともいらないとも応えなかった。
青年の意を汲んでなのか勝手に憶測してなのか、青年の分のコーヒーも淹れてから、娘は当たり前のように青年の向かい側に腰を下ろした。
魔法使いになりたいからと、無理やり弟子入りしてきた娘は、すっかり我が物顔で魔術師の隠れ家に長時間居座るようになった。自宅から通ってきているから、寝泊まりはしない。女子高校生の弟子は、学校から帰ってすぐ異空間の扉を開け、師匠に会いに来る。娘曰く、部活動みたいなものだから! らしい。
部活動といっても、その活動は非常に地味だ。しかも娘ひとりしか“部員”はおらず、指導者であるはずの青年もほとんど協力をしない。娘は一人で早口言葉を練習したり、本の朗読をしたりしている。気が向くと、師匠が間違った言葉を静かに訂正してくれるから、娘としてはそれでやや満足だった。もうちょっと積極的に協力してくれたり指南してくれたりしてもいいのになぁと思い、それを要求してはみるのだが、大抵は無視されてしまう。
娘が師事している魔術師の青年は、言葉を操る魔術師であるというのに、極端に口数が少ない。
「一番長く喋って、うるさいとか静かにしろとかですもんねぇ。まだ一度も呪文聞かせてもらえてないし。喋らないままだと舌の動きが悪くなっていざって時に困るんじゃないですか?」
「……」
娘はというと、青年の何倍もお喋りであるから、もとは閑寂だった隠れ家も以前とはどことなく様相が変わり、沈黙の帳が降りにくくなっている。たった一人の娘の存在が、魔術師の静かな日常をいとも容易く変えてしまった。
青年の腰かけている椅子の背もたれの端に止まっているカラスもまた、時折呆れたように「カァ」と鳴き声をあげるようになっていた。魔術師の使い魔は、普段は主に似て物静かだ。
「たまには喋る練習、師匠もした方がいいですよ。ほら、一緒にこの早口言葉言いましょうよ。あかまきまききまきまきの!」
「……」
赤巻き紙黄巻き紙だと訂正するのも馬鹿らしく、青年は灰青色の瞳を軽く伏せて嘆息した。
押しかけ弟子は、現れ方がそうであったように、なにを言いだすのか予想もつかない突飛さがある。
いきなり占いはしないのかと問われて、魔術師の青年は、僅かに眉をあげた。
「魔法使いなんだし、占いくらいできるんじゃないんですかって思って。手相とか人相とか」
「……」
魔法使いではなく、言の葉を操る“魔術師”だと、初対面の時にも言ったはずだが。そう目で訴えるも、娘は意に介さない。それどころか、
「あ、言葉の魔法使いなんだから、こっくりさんとかやったりするんですか?」
などと、的外れなことを平気で言ってのけるのだから性質が悪い。冗談を言っている顔でもないのがまた青年のため息を誘うのだ。
沈痛な面持ちで、若干わざとらしげに嘆息してみても、押しかけ弟子にはなんの効果もない。
しかたなしに、青年は尋ねてみることにした。
「いきなり占いとは、なんだ。なにが聞きたい」
今日一番の……いや、ここ数日間で一番の長台詞喋った! と、大仰に驚いて見せてから、娘は次の句を継いだ。
「いや、あのですね。師匠、恋占いしてくださいよーってことで」
「恋?」
「ううっ」
いきなり娘はテーブルにつっぷした。
「…………なんだ」
青年は眉をしかめ、またしてもしかたなく訊いてやった。どうしたのかと聞いてほしそうなオーラが、娘の背中からありありと浮かびあがっている。
「失恋したんですぅぅっ」
「…………」
娘はウワァァンと、本当なのか嘘なのか、大袈裟な泣き声をあげた。傍にいた黒カラスは翼をバサリとひろげ、窓辺へ逃げた。娘の黒くて長い髪が、羽ばたきの風で少し乱れてテーブルに広がった。
「失恋したら髪の毛切るのが昔っからの定番だけど、まほーつかい目指してる身としては切れないし!」
娘はむくりと上半身を起した。
嘘泣きではなかったらしく、涙目だ。
「っていうか、今日失恋ホヤホヤだから髪切りに行く時間的余裕もなかったんですけど」
「…………」
娘は髪の毛には魔力があると信じていて、それゆえに伸ばし中らしい。
別段、髪が長かろうが短ろうが魔力に影響はないはずだがと、青年はそう思っていたがあえて口にせずにいた。青年自身、長髪だった。髪に魔力があると思いこんだ根拠がどうやら青年にもあるらしい。魔力を蓄えるために髪を伸ばしているわけではないのだが、いちいちそれを言うのが面倒で、黙っていた。どうとでも解釈すればいいと、投げやりに思っているのも否めない。
髪のことはさておきと、娘は早口に語りだす。
「ずーっと片想いしてた先輩なんですよー。で、思いきって告白したけど彼女いるからってすぱっと断ってくれちゃって! 勿体ぶりもしない先輩かっこいいよ、もぉぉ、やっぱ好きだよぅ」
それから数分、青年は娘の恋話をうんざりするほど聞かされる羽目となった。
何しろ出逢い編から告白編までの長い話だ。適当な相槌も打たず、ただひたすらに口を噤んで、真摯に耳を傾けているふりをしていた。
あっさり玉砕の失恋してしまったので、占いがどうとか言うよりも、単に話を聞いてほしかったのだろう。
「師匠!」
一通り話し終えてから、娘はバンッと両手でテーブルを叩いた。
「可愛い弟子が失恋したんですよ! なんかこう言うことないんですか!? たとえば、えぇっと……、いい男は他にもいるとか、この先いい相手がなかったら私が責任とってもらってやるとか!」
「…………」
「まぁ、師匠に責任とってもらうんなら、ちゃんと魔法使いにしてもらえる的な責任が嬉しいんだけど」
「…………」
「ちょっとくらい気の毒がっても罰はあたりませんよ、師匠!」
「気の毒がられたいのか」
「…………」
今度は娘の方が口を噤む番だった。むっつりと顔をしかめ、唇を尖らせた。
青年の声音はいつも通りに低くて静かだ。表情も、森の奥にひっそりと水を湛えている湖のように凪いでいる。
娘は拗ねた顔をぷいっと横向けた。
「気の毒がられたくは……ないけど」
――慰めてほしい、というのが本心だ。
失恋して心が弱りきっているのだから、少しくらい甘えたっていいじゃないか。――いつも甘えきっている気がしないでもないけれど。
目と頬を赤くし、ふくれっ面でそっぽを向く弟子に、青年は不意に手を伸ばした。
「占術も様々に種類がある」
言ってから、青年はつまむようにして弟子の丸い顎を掴んだ。そして自分の方に、卵型をした弟子の顔を向かせ、灰青色のまなざしを注いだ。
「……っ!?」
青年の唐突な行動に娘はぎょっと驚き、眼前にある端正な面貌を凝視した。
「呪術と違い、占術はさほど得意ではないが」
「……どこがどう違うんですか?」
「…………」
相変わらず「呪術」の発音が苦手らしい弟子に、「呪術」と「占術」、二つの違いを詳細に語ってやる気は起きず、青年は無視して次の行為に移った。
弟子の顔を引き寄せ、青年は額と額を合わせた。じっと弟子の瞳を見据える。娘もまた目を閉じず、青年の灰青色の双眸に吸い込まれそうになりながらも、眉間に力を入れて見つめ返していた。
「未来視の術だ。――今宵、知りたい未来を夢で視るだろう」
その言葉そのものが、術だった。
青年の声がいつもと微妙に違うことに、魔力を身の内に宿している娘は気がついた。心の中に浸透していく、さざ波のようにやわらかな声音だった。それでいて、重量感がある。
――言の葉を用いた「占術」だ。
術を施し終えてからすぐに、青年は指を離した。弟子はぼうっとしたままだ。術のせいというよりも、師匠の思いがけない行為に驚きすぎたようだ。ぼう然として目を丸くしている。涙は引っ込んだが、頬の赤みは消えない。それどころかさらに熱っぽくなり、熟れた林檎のようになっていた。
師匠の顔が離れても、娘は硬直したようにその場に固まり、ぽかんと間の抜けた顔を晒している。
そして数秒後。
娘は脱力しきったため息をつき、感慨深げに呟いた。
「師匠って……なにげにスケコマシだったんですね……」
娘の言葉に青年は眉間の皺を一層深く刻んだ。
「破門にされたいのならいつでも言え」
はたして、声を大にして「破門とか横暴っ!」と反論した娘は気づいたろうか。
破門の一言で、言の葉を操る魔術師の正式な弟子になったということに。
- 了 -