ついてない日っていうのは、何をしても一日、ついてないことが多い。
逆もまた、しかり、だ。ついてる日っていうのは、何から何までついている気がする。
そして、そういう時は、大抵何がしかの「予兆」めいたものがあるのだ。
朝。目覚まし時計のアラームより五分早く、目が覚めた。それが彼女、なづなの「ラッキー開始」の合図だったようだ。
空は青色の絵の具をぶちまけたみたいに晴れ渡っている。
「なんか今日はついてる気がするよ〜」
大きく伸びをし、深呼吸をする。
朝食を摂り、身支度を整えてもまだ出勤時間までに余裕があるなどということは、希少なことだった。自分でもそれが嬉しかったのか、浮かれて、なづなは恋人の悠介におはようの目覚ましメールを送った。ついでに、唐突だが、「今夜食事に行かないか」というお誘いもかけてみた。
「うっそ、マジ?」
速攻で返ってきた彼からの返信は「OK」で、心底驚いた。
自分で誘っておいてなんだけど・・・断られる確率のほうが高いと思っていた。
仕事の忙しい彼への「突然のお誘い」は断られることのほうが多かったから、「ダメでもともと」だった。
それがあんまり嬉しくて、やっぱり、
「今日は絶対ついてる!」
そう断言して、なづなは浮かれ足で、家を出た。
そしてやっぱり。
「つきまくり〜」
なづなは一日、にやついていた。はっきりいって、周りの人間が思わずひくほど。つられて笑ってくれる付き合いのいい友人もいたけれど。
残業もなく、定時に退社したなづなは待ち合わせ場所で恋人を待った。
待ち合わせ時間は悠介が指定した。六時半。そして今は、二十分。
悠介が待ち合わせ時間に現れたことは、初めてのデートの時以来、たしか、一度もない。
駅の改札口の近く、柱にもたれかかって、悠介を待っている。いつものことだ。
待っている間、友人にメールを打っていたのだが、送信前に、中断するはめになった。
「お待たせ」
「・・・っ!!」
危うく、ケータイを落とすところだった。
のけぞるほど、驚いた。
ケータイのデジタル時計、時刻は六時半、五分前だ。二十五分!
「うっわ、これ時刻狂ってるよ」
「おい」
「って、あれあれ。そんなばかな」
なづなは改札口の上の時計を見やる。
「おかしい。なんで。二十五分だよ」
「おい。なんだ、それ。遠まわしな嫌味はやめろ」
「いやいや、待って。待ち合わせ、六時だった? 悠介?」
「六時半だ」
「うーそー」
「いいかげんにしろ、なづな。帰るぞ」
「すっ、すいません、冗談ですっ。ほんの他愛のない嫌味です」
「やっぱ嫌味かよ」
「違います、すいません。ぽろっと口が滑りました」
立ち去ろうとする悠介の上着を、なづなは慌てて掴んで引き留める。
「あのな」
自分のちょうど肩くらいの場所にある彼女の頭を、悠介は軽く小突いた。なづなはまだ悠介のジャケットを掴んだままだ。
「帰らねーから、はなせ」
「うん。・・・けど、時間前に悠介がくるなんて」
奇跡? もしかして今夜は時間が早回しになってる? 空からキャンディーが降ってくるかも。
「おい。思ったことをうっかり口からもらす癖、なんとかしろ」
「あ、あれ? 声に出てた?」
「全部」
なづなは笑ってごまかしたが、そんなことで悠介は不機嫌になったりしないと知っている。いつものことだと呆れるだけだ。愛想をつかされたらどうしよう、と思わないでもないが。
「でも、今日はホントすごいや。朝からツきっぱなしって感じだ〜」
二人は並んで歩き出した。駅を出、夜の街へと繰り出す。大都会・・・ではなく、小さな「都会」は、帰宅ラッシュの時間ということもあって、人も車も多い。
クリスマスまであと一ヶ月以上はあるが、どの店のディスプレイもほとんどがクリスマス色に彩られている。流れてくる音楽も、クリスマス仕様だ。否応なしに、気分を「クリスマス」に向けられ、高揚させられる。
もちろん、楽しいには違いない。
「悠介も、今日はありがとね。一発OKなんて、珍しいね」
「・・・まーな」
悠介に突然誘いをかけた場合、大抵は保留され、昼過ぎになってようやく返事がくるのが通常なだけに、今朝は本当に驚いたし、嬉しかった。それをなづなが語ると、悠介は髪を掻き、何か言いたそうにちらりとなづなを見たが、当人はそれに気がつかず、話を続けている。
「今日はね、すっごくいい日だったんだ。聞いて、それがね!」
まずは朝、五分前に目覚めたことから始まり、次は会社での「ラッキーな出来事」を、順をおって話していく。それはどれも些細なことで、悠介の微笑を誘った。
たとえば、淹れた茶に茶柱が立ったとか、パートのおばちゃんから大好きな銘菓をもらったとか、書類の整頓をしていたら課長に礼を言われたとかだ。
そしてなづなにとって会社で起きた最大のラッキーは、当たりつき自動販売機で「当たり」が出たことだ。
「今まで何度買ってもあのウザい点滅ルーレットが当たりで止まったことなんてなかったのに、今日はね、止まったんだよ。で、コーヒー無料〜っ」
「・・・・・・」
盆と正月が一緒に来たような顔。その見本のようだ。
「おまえのことだから、返ってきた金に気づかず置いてきたっぽいな」
「いやいやいや。それがね、わたしの後ろにいた人が気がついて、渡してくれたの。でもさ、こういう時って、やっぱ幸運はおすそ分けしなくちゃでしょ?」
「奢ってやったのか?」
「うん。別の課の人で知らない人だったんだけど。お礼言われちゃって、気分良しです」
「そら、ま、殊勝なことだな」
「うん。でね、今日のディナーは、わたしがご馳走するね。予約もいれといたし」
なづなはそう言ってから、ふと、何かを思い出したかのように、小首を傾げた。
「そういえば、なにやら浮かれたような口調だったな、電話対応に出てくれた人」
「へえ? で、そこ、何の飯屋?」
「創作料理だって。雑誌で見て一度行ってみたかったんだ。カクテルの種類も多かったし」
「つまり、それが目的か」
「やかましいデスよ、悠介サン」
上着ごしだったが、腕をつねってやった。もちろん痛くなどあるはずがない。
悠介は笑って、なづなの頭を撫でつけた。
「な、何?」
「なづなは面白いな、やっぱ」
「そういう時は可愛いって言うもんでしょ」
「あー、はいはい」
甘い雰囲気をかもし出しているなど、きっと本人達は意識していないのだろう。
夜の街のイルミネーションが、甘味をさらにあげ、二人を包む。吹きつける夜風を、寄せつけないほどに。
ラッキーは、まだ続いていた。なづなは、あまりのことに愕然となった。
「おめでとうございます! お客様は当店ご予約、オープンからちょうど千人目の方でいらっしゃいました!」
ぽかん、となづなは口を開けている。
なんとまあ、と隣で悠介が笑っている。
店員や来客から拍手喝采を受け、小さなブーケまでもらって、あまつさえ、
「と、いうことで。お客様へスペシャルメニューをご用意いたしております」
しかも、無料だというのだ。
開いた口を塞がないまま、店員に案内され、テーブルについた。
「すっ、スペシャルラッキーだ・・・」
「これは、まあ、たしかにすごいな」
食前酒で乾杯をした後、ようやく一息ついたなづなは、ほわんと頬を赤らめて、夢見心地な瞳を上向ける。
「はっ、しまった! 今日きっと、ううん、絶対、ホームランバー買えば当たりが出たし、チョコボールなら一発で金のエンゼルが出たよ! 買っとけばよかった」
「って、ホームランバーかよ」
悠介は大笑いしそうになったが、なんとか堪えた。こんな時、妙にしみったれた・・・というか安価な恋人が可笑しくてしかたがない。
しかし、悠介は「絶好のチャンス」を与えられたようだ。
オリジナルカクテルと料理を存分に堪能し、店を出たのは、夜が更け始める頃だ。帰ってしまうには、少し早い。
「今日はわたしが奢るつもりだったけど、次回持ち越しだね。また美味しそうな店、見つけとくね」
「ああ」
「? 悠介? どしたの? 食べ過ぎた? それとも酔った?」
悠介は、心配そうに顔を覗き込んでくるなづなの足を止めさせた。
「・・・・・・」
「悠介?」
なづなは悠介の腕を掴んだ。雄介は一息ついて、口火を切った。なるべくあっさりと軽く、意気込んだりはせずに。
「俺たちさ、一緒に暮らさね?」
「え」
「そしたら、待ち合わせることも、ちょっとは減るし」
「・・・もしかして、待たせてるの、気にしてた?」
「・・・・・・」
なづなはにっこりと笑う。珍しく、大人びた笑みで。
「待ってるの、別に苦じゃないよ。・・・わりと、好きかも。待ってるのも、楽しい時あるよ」
「そうなのか?」
「うん。そりゃ、ちょっとは怒ったりもするけど。気分次第なのは、認めマス」
逸れてしまいそうになった話を、悠介はやや強引に戻した。
「で、返事は? イヤなら」
「そんなわけないでしょ! もう。ヤダ、顔がにやつくんですけどっ」
「ほんとだ」
悠介に頬をつねられ、なづなは悔し紛れに悠介の前髪を引っ張った。
「もうっ、びっくりしたんだからね」
嬉しい類の驚きだからいいけれど。なづなは赤面している自分が、少し、恥ずかしかった。
「はぁーっ、もう、酔いがまわりそう」
「そりゃ、あんだけ飲んでりゃ」
「あんな程度で酔わないもん」
あんな程度が、カクテル六杯だ。たしかに、量は少ないかもしれないが、アルコール度数はさほど低くないはずだ。
とはいえ、酔っ払われて困るのは、悠介だ。とくに、今夜は。
「今度の日曜に、部屋探しにいかねーか、と思って」
「・・・うん。あ」
「なんだ?」
「今日、もしかしてこのこと話すつもりだった?」
「・・・ああ。こっちから誘いかけるつもりだったからな」
「タイミング、よかったんだ」
「そうだな」
いろいろと。悠介には都合の良い日だった。話を切り出しやかったという点で。
「・・・・・・悠介、もしかして」
「?」
「ちょっと、ドキドキしたり、してた?」
「・・・・・・」
悠介は押し黙った。沈黙で、肯定した。
赤面したのは、なづなの方だった。そして、なづなは上目遣いで、悠介を見やる。
「・・・悠介サン、悠介サン」
顔の前で、なづなは小さく手招きをした。
「ちょいちょい、屈んでみて」
「? なんだ?」
ちゅっ。
言われた通り腰を屈めた悠介に、なづなはキスをした。そして首に両腕を回し、抱きついた。
「ありがと、悠介。すっごく嬉しい」
「・・・・・・」
たぶん、悠介は少しだけ、口惜しがっている。先に自分がしようと思っていたことを、先になづなにされてしまって。
「これからも頑張ろうね、わたし達!」
「ああ」
短く答えて、悠介はなづなを抱き寄せた。そして頬に口づける。
「今日の一番のラッキーを、ありがとね、悠介」
もう一度、・・・何度でも、なづなは「ありがとう」を悠介に告げる。本当に、嬉しくて、幸せだ。
だから。
赦してあげるね。
今度の休み、待ち合わせの時間に遅れてくること。