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ひとさじの甘さ

 彼女はいつも唐突だ。
「ねえ、地球ってほんとに丸いんだね」
 そうのたまったのは、遊山にでかけたその帰り。
 快適なドライブを、転寝もせずに堪能しているらしいと思ったのは当たったようだが、移りゆく景色を眺めながら彼女が考えていたことは、俺の予想をはるかに超えていた。
「空の下の雲をね、ずっとなぞってると、こう、円を描くの。四方を見ようとすると首を回さなくちゃなないし。それって、やっぱり地球が丸いってことの一つの証拠だよね?」
「はぁ?」
 ちょうど赤信号にあたってくれて、助かった。
 彼女はこちらを向くと、隠してあった宝物を見つけた子供みたいに笑う。
「太陽と月はね、目に見えるから丸いって知ってたけど、地球って、見てないからわかんないじゃない?」
「・・・」
「地面見たって平だし。いくらサイズが大きいって言ったって、丸いなんて思いにくいよね」
「いや、わけわかんねー」
 彼女の言うことは、大抵意味不明で、突拍子もない。
 いきなり何を言い出すやら。
 ため息をついて、再び車を走らせた。
 信号が赤になっても、青になっても、彼女は変わらない。
「だいたい、地球が丸いってことくらい、小学生でも知ってるぞ?」
「そんなの教科書に書いてあるからってだけでしょ」
 まあ、たしかに。と頷きかけて、とどまった。
「けど、物理学者だとかが研究したり観測したり、あと実際宇宙にいって観てきたりしたヤツが丸いって言ってんだから、丸いんだろ」
「そんなの人づてじゃない。わたしは見てないもん」
 だだっこですか、キミは。
 呆れるよりはむしろ、笑えてしまう。
 ふくれっ面の彼女は、ムキになって言う。
「自分の目で見てもいないものを正しい情報だと信じるなんて、安易すぎだと思わない?」
 それは、屁理屈というものだ。
 と思っても、口にはしなかった。彼女の機嫌をわざわざ損ねるつもりはない。
「そうだな。それに、目に見えるそれすべてが正しくて真実だとは限らないしな?」
「うんうん」
 満足げに彼女は頷く。
 俺が理屈っぽく反論してくるかと思っていたようだが、賛同を受けて素直に喜ぶあたりに可愛げがある。
「こうやってね、円を描く風景を見てると、やっぱり丸かったんだなぁって、実感できるよね。本当にそうなんだって」
「ああ、そういうことあるな。知ってるのと実感するのって、違うよな」
「うん。そうだよね!」


 彼女は疑り深い性格というわけではない。
 ただ、くだらないことでも、些細なことでも「なぜだろう」という疑問を投げかけたがる、つまり好奇心の強い性格なのだ。
 長い付き合いの間に、そうした「どうでもいいけど、気になる」疑問を、俺は何度投げつけられてきたことか。
 彼女の投げる疑問は、直球であれば俺も返せることもある。
 けれど、投げる疑問のほとんどは変化球・・・しかもかなりの暴投・・・で、俺は返すどころか、見過ごしてしまうことが大半で、その度に彼女に怒られたり、残念がられたりしてしまう。
 といっても、彼女は翌日どころか数時間後にはすっぱり忘れてしまっていることが常で、彼女が先にふってきた話題を蒸し返すと、あっけらかんとして、
「そんな昔の話、憶えてないなぁ〜」
 というのだ。
 そして俺は、がっくりと肩を落とす。


 能天気で気まぐれで、マイペース。
 それが彼女だ。
「キミはまったく、コドモですか?」
 年上ぶって(実際彼女より年上なのだが)そう言うと、彼女は悪びれもせず言い返してくる。
「うん、コドモ。いけない?」
 学校を出て、社会人になって、いったい何年目ですか・・・・・・
 学生時代から、良くも悪くも変わらない彼女に、俺は安心したり、気をもんだり、・・・そして少し焦ったりしている。


 彼女が子供っぽいせいか、それとも俺が理屈っぽいからなのか、喧嘩はしょっちゅうだった。
 その日の内か次の日には何事もなかったように仲を戻せる時もあったし、関係を修正できるのか真剣に悩んだ時もあった。
 先に折れるのは、だいたい俺だ。
 釈然とせず折れたこともあれば、素直に非を認めて謝ったこともある。
 そのあと、彼女もすぐに謝り返してくる。
 本当は自分のほうが悪かったのだと解かっていても、ついタイミングを逃して謝りそびれてしまうのが、彼女だった。


 だが一度だけ、彼女が先に謝ってきたことがある。
 喧嘩のきっかけは、些細なことだった。
 口論になり、俺はつい、感情的になって吐き捨てた。
「おまえ、俺のこと本当に好きなのかよ?」


 彼女は押し黙ってしまった。


 それから一週間、彼女とはまったく連絡がつかなくなってしまった。
 ケータイに電話をしても当然、不在。メールも一向に返信してこない。
 これはマズい展開になってないか?
 そう焦りだしたのは、彼女に連絡がつかなくなって四日目のことだ。
 彼女のアパートに行くことも考えたが、はっきり拒絶されることを想像して、逃げ腰になっていた。
 そして、一週間後。
 俺のアパートに、彼女は現れた。


 今だから話すけど、と彼女に告白したのはその事件があって半年後のことだ。
「あの時は、別れ話を切り出されるかと思った」
「あ、やっぱり?」
「やっぱりって、なんだよ、おまえ、ヒデーな」
「実はね」
 今だから話すけど、と彼女は笑った。
「別れるつもりでした、前日まで」
「うわ、ひでっ」
「けど、できなくて今に至ってるわけだし」
「できなくてってなー」
「本当に、できなかったの。あの時も言ったけど」

 あの時。
 彼女は今にも泣きそうな顔をして、けれど挑むような口ぶりで俺に言ったのだ。
「わたしのこと、好きなんだよねっ?」
「・・・・・・」
「こういう風に追い詰めるのって、良くないと思わない?」
 つまり、俺が言ったあの言葉を責めているのだ。
 そう受け取って、俺は少なからずムッとし、顔つきを厳しくした。
「・・・ごめん、違う」
 彼女が俺の袖を掴んだ。
 俺が立ち去ると思ったのだろう。
 必死に引きとめようとしているのが、解かりすぎるくらいに、解かった。
「ごめん、違うの。え・・・と、ああ言われたって、答えって、決まってるし、知ってるはずだしって」
「決まってる?」
「だからね、ああ言われたら、好きに決まってるじゃないって、答えるしかないし」
「・・・・・・」
「でもね、でも、だからちょっと会わずにいて、考えてみたかったの。そうしたら、「本当に好き」かわかるかもって」
「・・・・・・」
「勝手なことして、ごめん。連絡も、全部無視して」
「で?」
「え?」
「で、答え、は?」
「・・・・・・」
 今度は彼女が口を噤んだ。
 目には、落ちそうになっている涙があって、でも泣くのを必死で堪えている。
 ため息をついて、俺は彼女の頭を撫でつけた。


 結局、俺と彼女は、元の鞘に納まった。
 どうやら「本当に好き」と自覚したらしい彼女は、だからといって露骨に態度を変えることはなく、ただ時々俺を見つめては、なにやら納得したように、一人頷いたり、気難しい顔をしたりしている。


「知ってるのと実感するのって、ほんと、違うね」
 暮れなずむ空を眺めていたかと思うとまたこちらに向き直り、彼女は嘆息し、しみじみと言った。
「は? 何?」
「うん。だからね、時々ちゃんと確認しなくちゃ、だよね」
「いや、意味わかんねーし」
「肝心なことだもんね」
 本当に彼女は唐突で、その言動は不可解なことが多い。
 こうやって俺は、彼女の後を追いかけていくことになるんだろう。
 その実感は、一つの未来予想図を俺にもたらした。


 俺も、たまには彼女の意表をつくことを言ってやろう。
 意気込んでいたつもりはなかったのだが、その機会を計っていたことは否めない。
 だからなるべく、
「な、俺達、結婚しようか?」
 明日ドライブにでも行くか、と言うくらいの軽い口調で、告げた。
 言われた彼女の反応はというと、思わずこちらの顔がほころんでしまうくらい、予想通りだった。
「鳩が豆鉄砲をくらった」を絵に描いたような素っ頓狂な顔して、まじまじと俺を見る。
 世間でいう、これはプロポーズというヤツなんだけどね。
 内心で苦笑する俺に、彼女はいかにも不思議そうな、それでいて神妙な顔をして言い返してきた。
「結婚て・・・・・・後悔しても、知らないよ?」
 ようするに、諾、と言っているのだ。
 ひねくれた返事は、いかにも彼女らしい。
 俺は不敵に笑う。
「それは俺の台詞だ。覚悟しとけよ?」

 砂糖、入れすぎ。
 そんな顔をしている彼女が可笑しくて、愛しかった。

- 了 -

 

(C) るうあ「真夜中の箱庭」

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