―いつかまたどこかで―
君が、僕に背を向けた。
潤んだ美しい瞳を伏せ、艶やかな紅色の唇が、「さようなら」を告げた。
でもそれは、真実じゃない。君がついた、優しい嘘。
僕は、笑いかけた。君の、淋しげな背中に。
きっと、いつかまた、会えるよ。
僕はいつでも君を想ってるから。だから、また、会えるよ。
君は、応えない。
そして、君は立ち去った。僕を、置き去りにして。
でも――
「会えるよ、きっと、また」
―ふれた指先から―
初めて触れた、君の指先。五月雨に濡れて、冷えきっていた。
抱きしめて、温めてあげたのに、君は心を溶かしてくれない。僕を見つめながら、僕をその瞳から消し去ろうとしていた。
髪も頬も、唇も・・・僕だけが触れて、僕だけが愛していればいい。
僕に愛されていることを知って、君は震えるほどに怯え、戦慄いている。
「あなたなんか、好きじゃない」
目を背けて、愛らしい嘘をつく。
君に目隠しをして、どこかに閉じ込めてしまいたい。
誰の目にも触れさせず、僕の声だけを聞かせて、僕の指先の感触だけを肌に刻みたい。
けれど、閉じ込めてしまったら、君はきっと色あせてしまう。
僕を拒むことすらしなくなったら、それはきっと、冷えた指先よりもっと冷たく、痛いに違いない。
―存在理由―
僕という炎が、君という風に出逢った。
僕は自分の炎で焦がれて死んでも、かまわなかった。
愛していると、何度繰り返したろう。
僕は君を愛している。
そのことだけが、世界の全て。
事実なんて、何も知らなくていい。それを知ったからといって、僕の想いに変わりはない。
君が事実を知っても、僕がそれを打ち消した。
何故、君は泣くのだろう。
知らされた事実よりも、今この一瞬の、激しい想いに身を委ねてしまえばいいのに。
「君は君。それ以外の何者でもないよ。だから、僕だけを見つめて。他は、何も知らなくていい」
―微笑んでいて下さい―
君が、壊れた。
僕と会えないでいた、その空白のせいで。
「さようなら」を告げた君が、たった一年・・・僕には永遠のような一年・・・で、僕の許に戻って、縋った。「もう、あなただけ」と。
赦されない恋に身を委ねたことが、きっと、君の周囲を惑わせた。
誰もが僕と君を、呪わしい、汚らしいと罵った。
可哀想な、君。
涙すら流さず別れを告げた、強く美しかった君は、もう粉々に砕けてしまった。
脆い淡雪のような君を見ているのは、とても辛い。
海が見たいと言った君を、抱き寄せた。
いつかのように冷えきった君の指先に、僕はそっと口づけた。
「微笑んでいて。君に涙は似合わないよ」
君の凛とした美しい微笑を、もう一度僕に見せて。
・・・君は、微笑った。
―もう、死んでもいい―
君と出逢ったのは、春。・・・そして今も、春。
荒波が打ち寄せる断崖の上では、花の香りなどしない。吹きすさぶ風は、冷たい潮の香。
せめて、花があればよかったね。
僕がそう呟くと、君は首を傾げた。
僕の体に身を寄せて、見たかったという海を眺めている。
荒れ狂う海は、ごうごうとうねりをあげる。激しく互いを求め合った僕たちの激情に、どこか似ている。
波は岩に砕けて、高く飛沫をあげる。
「僕を、愛している?」
「ええ。あなただけよ。もう、他には何も要らない」
「・・・うん」
君は、微笑む。
美しい微笑。
僕の求めた、微笑。
僕にだけ向けられる、微笑。
「・・・もう、――いいよ」
「え?」
僕は、君の肩から手を離し、そして、強く・・・強くその背を押した。
君が、断崖の下の、荒波に呑まれるように。
君の悲鳴は、風と波の音に消されて、僕には届かない。
僕は、立ち尽くす。
そして、君を呑み込んだ暗い青色の海を眺めた。
「もう、いいよ」
僕の望みは、叶ったから。
「美しかった、僕の・・・僕だけの、姉さん」
僕を愛して、微笑んで欲しかったから。
「もう、死んでもいいよ」
僕は、微笑った。
- 了 -