―空の鳥籠―
青空をすっぽりと覆うような、薄い薄い、紗のような透ける雲を指差して、彼女が言った。
「見て。まるでかすみ網みたいな雲ね」
彼はただ笑って応える。
「鳥のように自由になりたいってよく言うけど、きっと鳥だって自由なんかじゃないわ」
少し淋しそうな口調になった彼女は、群れになって飛ぶ鳥を、目を細めて見やる。哀れんでいるかのようで、でもきっと、言葉とは裏腹に、羨んでいるのだろう。
「まるで大きな鳥籠ね。その中で生きて、そして死んでいくんだわ」
「それでも鳥は鳥なりに、自由さ」
彼女があんまり真剣な顔をするものだから、横で寝そべっていた彼は、ちゃちゃを入れたくなった。
空や鳥だけじゃなく、隣にいる俺を見ろよ。それを素直に言えるほど、初心でもないし、気障でもない。
―ゆるやかな昼下がり―
さわやかな秋晴れの午後。見晴らしのいい丘の、大きな木下で何をするでもなく座り込んでいる、彼女と彼。
たぶん、これはデートの一環。ドライブに誘われたのは、彼のほうだった。
運転も彼女がして、連れてこられたのが、この場所だった。
土曜の午後だから、家族連れもいたし、自分達のような恋人同士らしき男女もいる。
賑やかというほどでもないが、楽しげな笑い声が爽やかな風に乗って聞こえてきて、居心地がいい。
「あ、そーだ。おにぎり作ってきたんだった」
とうに正午を回ってから、彼女ははたと思いだして、停めてあった車から藤カゴと水筒を持ってきた。
「要る?」と訊かれて、「要らない」わけはない。腹も、ちょうどいい具合に減っている。
「はい、おしぼり。はい、お茶。はい、これ海苔巻いてね。おかずはこっち」
「おう」
恋人同士というより、長年連れ添った夫婦のようだ。
おにぎりと、ほんの少しのおかずは玉子焼きと里芋の煮っ転がしと佃煮だ。
食べ慣れている彼女の手料理だから、改めて「美味い」と言うこともしない彼に、彼女もやはり、文句を言ったりはしない。食べてくれるだけで嬉しいと思っているのかもしれない。
―てのひら―
一つだけ彼女の手料理に不満らしきものがあるとすれば、おにぎりのサイズだ。
「相変わらず、ちっせーおにぎりだなぁ」
その分数があるのだから、量としては満足できるのだが、二口サイズの大きさは、どうしても物足りなく感じてしまう。
「そんなこと言ったって」
彼女は手のひらを、彼の手のひらと比べてみる。
「お子様サイズだな」
彼は改めて彼女の手の小ささを実感した。一回りは、ゆうに小さい。
「お前、子供用の手袋、入るだろ?」
「む。入らない・・・と思う・・・けど」
こんな小さな手では、おにぎりも小さくなってしまうわけだ。
「握力も全然ないもんなぁ」
「って、いたたたたたっ。ちょっ、痛いって!」
「わりわり」
軽く握っただけなのに、彼女は大仰に痛がってみせる。握り返してみろよ、と言われて彼女は思いきり力を込めて彼の手を握ったのだが、かえって自分の手や腕が痛くなったくらいだ。
口惜しがる彼女が可愛くて、彼の口元は自然と緩んでしまう。
これは、ノロケてるってことなんだろうな。つまり、自分自身が可笑しくて、笑えてしまうのだ。
―この広いところに、立って―
食事を終えた後、彼女は立ち上がって大きく身体を伸ばした。
小柄な身体を精一杯伸ばして、深呼吸をする。Tシャツの隙間から、白い素肌がのぞく。
「今度はあの池に行ってみようか。釣りできるみたいだし」
おでこに手をあてて、遠くに見える池を眺めやる。そして振り返って、次のデートの約束をとりつける。
「おまえ、釣りなんかできるの?」
「したことないから、してみたいと思って。前に友達と行って来たんでしょ? 川釣り、だった?」
「海釣り。友達っていうか、会社の人達とだ。年配の人ばっかだったぞ」
「わたし海苦手だから、パス。川か池にしよ? 餌はつけてね」
「ミミズくらい自分でつけろって。海釣りの時は別にミミズとかじゃなかったぞ。ダミーがほとんどだ。あとは、なんか小エビとかだ」
「ミミズなんて見るのもヤだ」
「なんだ、それ。で、なんで釣りだよ?」
「だって、何もなくぼーっとできるし」
「意味ねーの」
「あるの」
向き直って、彼女は再び彼方に目を向ける。何か言いたそうだったが、「まあ、いいや」と一人ごちて、また彼に背を向けた。
「う〜んっ」
彼女は大きく息を吸い込むために、両腕を横に伸ばした。風に乗る鳥のように。
心身ともに、彼女はリラックスしきっているようだ。
彼は、今日初めてこの丘に来たのだが、彼女は幾度か訪れたことがあったのだろう。お気に入りの場所、というヤツなのかもしれない。
この小高い丘の上、見晴らしのいい場所に立って、遥を眺める。
きっと今、彼女は、空行く鳥より、自由だ。
―何度でも君に恋しよう―
甲高く響く鳥の鳴き声が、すぐ近くで聞こえた。
すぐ後ろの大きな木にとまっているのかもしれない。
彼は、最初そうしていたように、寝転がった。風は少し冷たいが、木漏れ日が、暖かい。
「食べてすぐ寝ると、牛になっちゃうよ」
顔を覗き込んで、彼女はからかう。
「おまえも、空ばっか見てると、鳥になっちまうぞ」
「あ、いいな、それ」
「あほ」
おまえが鳥で、俺が牛じゃ、困るだろ。そう彼が言うと、彼女は満面の笑みを浮かべた。
「よし。じゃ、わたしも牛になるってことで」
ころんと、彼の横に寝転がる。
天真爛漫な彼女に、彼はいつも敵わない。
ちぇっ、と舌打ちしつつも、笑みがこぼれる。
照れくさいから、それは、言わない。
会うたびに、恋に落ちている、などとは。
- 了 -