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好きな人、いるの? 〈前〉

 タイミングを見計らうというのは、存外難しい。
 うかうかとタイミングを逃し続けてきた結果が、今のこの状態だ。
 不均衡な、彼女と俺の「微妙な関係」。
 しかし「微妙な関係」というのも、俺が一方的にそう思っているだけだ。
 その点がやっぱりどうにも「微妙」で、情けない俺だった。

* * *

 タイミングを逃しまくって訪れた二年目の十二月。
 師走というだけあって、何やら忙しない気分に追い立てられる時節だ。
 どうやら彼女、なっき――伊藤南月――も、むやみやたらに焦っていたらしい。
「お、いたいた、捜したぞ」
 大学構内の北端にある古びた校舎の一階、年じゅう日当たりが悪いせいで薄暗くじめじめした、通称マッドサイエンティスト養成所、薬化学科の阿坂ゼミ室に彼女はいた。
 隙間風の忍び込むゼミ室の窓辺、なっきは明かりも点さず茫漠とした様子で頬杖をついていた。
「おいおい暗いな。電気くらいつけろって」
 暖房はついていたが、利きが悪いせいで足元から冷えてくる。ともあれ俺は電気をつけ、独り窓辺で物思いに耽っているらしいなっきを確認した。
 明かりをつけられたのが嫌だったのか、なっきはため息をつきつつ、こちらにいかにも不機嫌そうな面を向けた。
「うっわ、何それなっき? ヒデーな、その顔?」
「ヒデーとは、ひどいね。・・・そりゃ、実際酷いけどさ」
 むすぅっと、なっきは口を尖らせた。
 なっきの顔は、フォローのしようがないほどにひどかった。
 二重まぶたの大きな目は腫れ上がり、顔全体的が浮腫んでいる。頬は赤いが、表情は暗く沈んで普段の朗らかさなど微塵もない。ねこっ毛の短い髪は、いつもならピンでとめたりワックスでかためたりして小奇麗にまとめているのだが、寝起きですかとツッコミたくなるほどボサボサで、あちこち跳ね上がっている。
「ほんとヒデーな。何があったわけ?」
「・・・ほっといて」
 突き放すように言うと、なっきは机に顔を落とした。ゴチンと音がし、「いた」と呟く。
 俺は腕を組み、暫時頭を捻ったが、おおよその見当はついていた。
「・・・・・・ああ、あれか。苑田に告白、で、玉砕?」
「ちょっ!!」
 机に突っ伏していた顔を素早く上げ、なっきは心底びっくりしたように俺を見やる。
「なっ、なんで知ってんのっ? もしかして現場覗き見っ?」
 恥じらいというより、怒りの形相だ。
 俺はやれやれと、わざとらしく肩を竦めて見せる。
「あいにく覗き趣味はないんで。現場は見てないけど予想つくって。この一週間、なんか妙なテンションで気合入れたただろ? クリスマス近いし! とかなんとか」
 なっきはたじろぎ、声を詰まらせた。迂闊すぎた自分を改めて思い返し、赤面している。
 思い込んだらそれにしか意識が向かないなっきは、それで後悔する事もしばしばだった。
「けど、苑田のことなんて、口にしてない・・・と思ったけど」
「なっきが苑田に惚れてたってのは、前から知ってたし」
「げ」
 なっきは顔を歪ませる。
 嘘が下手なくせ、内緒にしていた。同性の友人には、あるいは話していたのかもしれないが、見ていればわかる程度に、なっきの視線は常に苑田に向けられていた。
「で? 苑田、なんて?」
「・・・・・・・・・気持ちは嬉しいけど、俺、彼女いるからって」
「即答?」
「即答」
 苑田に彼女がいることも、俺は知っていた。なっきが苑田に片想いをしているとわかったその時点で、とうに。だからといってそれをなっきに知らせるほど俺は親切でもなければ、愚かでもなかった。
 俺は腕組をしたまま、ため息をついた。
 苑田は同学年で同学科、ゼミは違うが受講する課目が重なり、顔を合わせる機会が多かった。俺も含めてだが、皆と一緒に遊びに行ったり飲みに行ったりと、自然と「友達」的な関係になっていった。
 陽気で社交的な苑田は、ノリが軽すぎるところもあるが、総体的に見て「好青年」の類に入るだろう。
 しかし、なっきが苑田に惚れるのも無理はない・・・とは思えなかったし、なんでだよと舌打ちもした。
 あいにく自惚れが強い性格じゃなかったため、「俺の方が・・・」とは言えなかった。
 臆病風に吹かれたと言われれば、それまでなのだが。
 タイミングを逃した、それが最初の機だったのかもしれない。
「しょーがねーな。・・・ほれ」
 なっきの傍に寄り、俺は両腕を横にひろげ、胸を開けた。
「・・・は、何?」
「こういう時は男の腕の中で泣く方が、絵になるだろ? ほれ、遠慮はいらん。大いに泣きタマエ?」
「ア、アホかっ!?」
「・・・ぐげっ」
 泣き場所を提供してやろうと胸を開けてやったというのに、そこに飛び込んできたのは、手加減なしの拳だった。
「フラレ女の鉄拳、きっつ〜っ」
「フラれ女言うなっ」
「いや事実だし」
「あのねぇっ、ちょっとこうっ、デリカシーってもんはないのっ?」
「なんだよ、慰めてやろうってのに。同名コンビの俺達のよしみでさ」
「同名コンビ、関係ないし!」
「つれないなぁ、ナツキさんよ? 同名だけじゃなくて、同姓コンビでもあるのに」
「いやだから! もうちょっと慰めようがあるでしょ、同姓同名とか言う以前にっ」
 なっきは声を荒立て喚く。
 どうやら、少しは元気を取り戻したようだ。
「はいはい、すみませんね」
「誠意がない」
「そりゃごもっとも」
 誠意などこめられるわけがないだろう。
 慰めてやりたい気持ちは本当だが、同情してやれるほど俺は寛容じゃない。
 同姓で同名だからといって、以心伝心というわけにもいかない「微妙な関係」に、俺は歯噛みをするばかりだった。


 彼女の名は、伊藤南月。
 俺の名は、伊藤夏樹。
 漢字は違うが、「イトウナツキ」という同姓同名の俺達だ。
 彼女は「なんちゃん」「なっき」等のあだ名で呼ばれることが多く、俺は後者を採った。そして彼女は俺を「ナツ」と呼ぶ。
 お互い、自分の名を呼ぶのに少々の抵抗を感じた結果だった。

 なっきは人懐こく活動的な性格だ。外見もそれに合い、化学実験室にこもっているような印象は持たれにくい。
 しかしながら、なっきは「薬品にまみれた白衣な人生を送る」のが夢らしい。化学的探究に没頭するインドア生活が将来の希望とは、マッドサイエンティスト養成所へ浮かれ勇んで入所するだけのことはある。
 元素の周期表をうっとり眺め、元素番号を陽気に口ずさむなっきは、
「ナツは白衣が似合ってていいよね。眼鏡さ、ずっとかけてたら? いかにも胡散臭い化学者って雰囲気出て、三倍くらいは賢そうに見えるし」
 などと、屈託のない笑顔で俺に言う。
 素直に喜んでいいものか微妙な気分にさせられたが、なっき流の最上級の褒め言葉らしいことはわかったので、期待に副うべく、眼鏡は常に持参することにした。我ながらいじらしいね。涙が出るほどだ。
 そんな健気な俺の気持ちを、なっきはまったく察せず、汲んでもくれない。
 だが、煮えきらない俺も悪いのだ。なっきばかりを責められず、そうして「微妙な関係」が保たれてしまった。

「それはさておいて」
「おいとかないでよ」
 強引に話を転じようとする俺を、なっきは速攻でつっこんでくる。
 俺は大きく息を吐き、皮肉げに笑った。
「なるほど。話を、苑田のことに戻したいわけだ?」
「・・・・・・」
 腫れぼったく潤んだ目で睨まれ、いささか憐憫の情がわいた。しかし殊勝に謝るほど、俺はお人好しじゃない。
「はいはい、スミマセン。話を穿り返すような真似はいたしませんよ、ナツキ様」
「・・・・・・」
 なっきは不機嫌顔だが、俺だとて顔に出さないだけで、いい気分じゃない。
 少しくらい子供っぽい意地悪言ったっていいと思うね。
「――さて。なっきのこと捜していたわけだが」
 一息ついてから、今度こそ話を転じた。
「しょんぼり落ち込むなっきに、さらにしょんぼりなお報せがあります」
 わざとおどけた口調を作って、俺は言う。
「薬学有機のレポート、提出してないだろ? 提出期限、昨日だったんだけど?」
「――っ!!」
 なっきは仰天し、目と口をぱっかり大きく開ける。
「橋本センセーから伝言。提出の遅れは今回に限って大目に見るから、明日には必ず提出しろってさ」
 普段真面目に授業に出ていた甲斐があったな、と笑って付け足した。
「うっそ、どっ、どう・・・っ」
 なっきはすっかりパニック状態だ。両手で頭をかかえ、ぶんぶんと振っている。
 どうやら素で忘れていたらしい。苑田に気を取られていたせい、つまり「自業自得」だとは口が裂けても言えない。
「ちょっ、やっ、もう何これ? 不幸連鎖菌に感染でもした、わたし?」
「さあ、それはどうだか」
 そんな菌種はついぞ聞いたことがない。新種の菌ですか、などと訊けばもう一発鉄拳を食らうのは火を見るより明らかだ。しかし、うっかりすると空気感染しそうな菌ではあるな。
 肩を竦める俺に、なっきは「どうしよう」を連発してくる。
「どうしようって言われてもなぁ。もしかしてまるっきり書いてない?」
「八割がた書けてはいるけど、まだまとめてないっていうか、清書途中っていうかっ」
「八割ねぇ・・・」
 と呟いた俺に、なっきは哀願のまなざしを向けてきた。
「ナツ! お願いしますっ!」
「・・・・・・」
 予想はしていたが、すんなりとは頷けない。
 なっきは俺の手を両手で包み込むようにして握り、「手伝ってくれ」と頼み込んできた。むろん、タダでとは言わなかった。
「学食のAランチ奢る!」
「Aランチねぇ」
 俺は意地悪く、そっぽを向いた。だがなっきの手を振り払うまではしなかった。
「コーヒー付きで!」
「コーヒーかぁ」
「そ、それじゃデザートもつける! 甘いもの、ナツ好きだったよね? ねっ?」
 ・・・・・・結局は、それで手を打つことになった。
 もしかしたらこれは、棚からぼたもち的な好機を得るチャンスかもしれない。
 その誘惑に、俺は負けた。
 それに、ここでまたタイミングを逃してしまえば、もう次はないかもしれない焦りも、やはりあったのだ・・・・・・。

- 続 -

 

お題配布元 / 「梅飴。」様 「始まりの予感の台詞」より
(C) るうあ「真夜中の箱庭」

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