ユエル様の言いつけ通りにお茶を淹れ、居間へ戻ると、もう話は済んでいたようだった。
少しばかり疲れた様子のアリアさんは、ソファーに背を預け、何やら考え込む風に人差し指を唇に当てていた。わたしに気付いて、すぐ笑顔を見せてくれたのだけど、気難しげな表情のアリアさんを見たのは、もしかしたら初めてかもしれない。
イレクくんはというと、わたしが居間に入るや否や立ち上がり、「お手伝いしましょう」と言って、お茶のセットの乗ったお盆を奪っていってしまった。
「ミズカ」
ユエル様が、わたしを呼んだ。
「はい」と応えて、わたしは思わず背筋を伸ばしてしまった。
「今、アリアとイレクにも話したのだが」
ユエル様は一人がけのソファーに座り、長い足をゆったりとした姿勢で組んでいる。
「明日の夜は出かけるからね、ミズカ」
そう言って、白銀の髪を梳き上げ、物憂げにため息をついた。そして白い封筒をひらひらと振って、わたしに見せる。
それは、二日前アヤコさんに渡された「招待状」だ。晩餐だか宴会だかのお誘いを、ワインを貰ったのと同時に手渡されたんだっけ。・・・すっかり忘れていたけど。
「面倒だが、今回は仕方がない。・・・行くことにしたから」
イレクくんに仕事をとられてしまったわたしは、所在なげに、居間の入り口で突っ立っている。
空になってしまった手を組んだり揉んだり軽く抓ってみたり、我ながら落ち着きがない。
「・・・そうですか。あ、じゃぁ、アリアさんとイレクくんもご一緒に?」
「いえ」
お茶を配り終え、元の場所に戻って座りなおしたイレクくんは、品の良い微笑をわたしに向けて答えた。
「僕はやることがあるので」
イレクくんは言葉の先をぼかし、代わりにユエル様の方を見ると何やら確認をとるような顔をした。
ユエル様は何も応えない。ただ、軽く息をついた。
「あたしは行くわ。「また」って言われちゃったことだし。行かなくちゃ、かえって失礼よね?」
好戦的な、といってもいいアリアさんの笑みだった。けど、それも無理はないかな。
去り際、アヤコさんにあんな挑戦的な態度をとられて、やはり少なからず腹が立ったみたい。
「それに、護衛も兼ねてよ、ね?」
そしてアリアさんも、ユエル様に顔を向けた。
「・・・・・・そうだな」
ユエル様は足を組み替えてから、またわたしの名を口にした。――「ミズカ」。呼ばれる度に、心が縮むような気持ちがする。
「それで、ミズカ。ミズカにも」
言いかけて、ユエル様は唐突に口を噤んで眉をしかめた。そしてほぼそれと同時に、背後から、わたしの両肩に「何か」が乗った。
「――っ?!」
いきなりのことでびっくりして、反射的に鋭く振り返ったわたしは、肩に乗ったそれを払い除けようとした。
・・・それはもう、思いっきり。力いっぱいに。
そしてほぼ同時に脳裏をよぎった既視感に、わたしははっと我に返る。
左肘が何かにめり込む感触と、「ぐげっ」というくぐもった声が、状況を把握させた。
「イ、イスラさんっ」
振り返ったそこにわたしが見たのは、前のめりになって腹を抱えているイスラさんの姿だった。
「おいててて」
わたしの肘をまともに腹にくらったイスラさんは、痛そうな顔をしながらも、なんだか笑っていた。
「これで三度目か〜」
「かっ、重ね重ね、すみませんっ!」
平手打ちを二度も食らわせたあげく、今度は肘鉄っ!!
わたしは顔を真っ赤にし、ひたすら低頭した。
「すみません、すみません」
と、繰り返し謝罪するわたしに、イスラさんは前回、前々回同様、笑って応える。
「いいっていいって。驚かせた俺が悪いんだしさ。いや〜、今回はちょっといいトコはいっちゃって、さすがに堪えたけど」
イスラさんは腹を軽く撫でながら、ようやく体勢を直した。
「しっかしなんか俺、目覚めちゃいそうだなぁ。そっちの方に。相手はミズカちゃん限定で」
「・・・はい?」
何に「目覚め」てしまいそうなのか、それを問おうとしたわたしの傍に、いつの間にかユエル様がやってきていて、腕を掴まれた。
「目覚めるのは勝手だが、ミズカを巻き込むな、イスラ」
不愉快極まりないといった表情で、ユエル様はイスラさんを睨みつける。
わたしはユエル様とイスラさんとを見やって、小首を傾げた。
何に「目覚め」るのか、ユエル様はわかってるみたいだ。けど、訊かない方がいいの・・・かな?
「ミズカ、腕は大丈夫か?」
「いえ、あの、わたしよりイスラさんの方が大丈夫じゃないと思います、けど」
「イスラのことなど心配しなくていい。ミズカ、こちらへ来なさい」
半ば強引に、ユエル様はわたしの肩を掴んで歩き出した。そして、さっきまで自分が座っていたソファーにわたしを座らせた。反射的に立ち上がろうとしたのだけど、ユエル様に「そこにいなさい」と窘められてしまった。
わたしは身を縮こまらせ、「はい」と応える。
もう、なんだか色々居たたまれないんですけど、ユエル様・・・。
「そーいや、何の話してたわけ?」
場の空気を読んでいるのかいないのか、イスラさんは陽気な口調で尋ねる。
ユエル様にではなく、アリアさんに尋ねるあたりは、やはり多少なりとも気を遣っているのかもしれない。単に、ユエル様に訊いたところで返答は得られないだろうという理由からかもしれないけれど。
アリアさんから話を聞きだしたイスラさんは、当然といった顔で、「俺も行くぜ」と言った後に、わたしに訊いてきた。
「ミズカちゃんも、もちろん行くんだろ」
返答に困って、わたしはユエル様にその答えを求めた。
「そう、ミズカにも一緒に行ってもらう。・・・いいね、ミズカ?」
ユエル様の手は、わたしの肩に置かれたままだ。軽く乗せられているだけで痛くはないのだけど、無言の圧力・・・みたいなものを感じる。
「あの」
わたしは戸惑いつつ、確認した。
「お供をすれば、いいんですね?」
「・・・いや。供ではなく、同伴者としてだ」
ユエル様は少し困ったような笑みを浮かべ、けれど、さりげない口調でさらりと言った。
だけど、聞き流せない単語が耳に止まり、わたしは思わず声を上げてしまった。
「えっ、ええっ? いや、待ってください、ユエル様っ! どっ、どっ、同伴者ってっ!」
動揺しまくって、声がつっかかってしまう。
「無理です、駄目です! そっ、そんなパーティーなんか、わたし、行った事ないですし!!」
おそらく、わたしがそう言うのをユエル様は予測していたのだろう。「大袈裟だね」と、笑う。
「パーティーといっても、大層なものではないよ、ミズカ。社交界にデビューするわけでもなければ、ワルツを披露する舞踏会でもないのだから」
「でもっ」
「察するに、立食形式のパーティーだろう。飲み食いしながら、自慢話をしたり世辞を言ったりする、そんな程度の集まりだ。畏まった場ではないよ」
さり気に毒舌のユエル様に、イスラさんが続けた。
「そーそー。余興をお願いします、とかは招待状に書かれてないんだろ? だったら気楽に招待されちゃえばいいんだよ。タダで酒を飲めるってさ!」
アリアさんもイレクくんも、頷いている。イスラさんに対し、「それはちょっとお気軽すぎない?」と呆れ顔を向けてはいたけど。
「・・・だけど、わたし・・・・・・」
わたしを躊躇わせているのは、パーティーに行く、そのことだけじゃない。ユエル様の「同伴者」としてパーティーに行く、そのことに戸惑っている。
・・・だって、「同伴者」なんて、そんな・・・そんなの、わたしなんかがなっていいものじゃない。
俯き、下唇を噛んだ。胸の痛みを、そこにすりかえるようにして。
「あ、もしなんなら、ユエルじゃなくて俺と一緒に行く、ミズカちゃん?」
「え?」
突然のイスラさんの申し出に、わたしは驚き顔を上げた。
イスラさんはいたずらっぽく笑いながら、その一方で挑むような眼光をユエル様に向けた。ユエル様は表情を変えず、何の反応も示さない。
だけど、わたしの肩に置かれた手に、僅かだったけど力が入って、少し、重みが増した。
「ユエルのパートナーが不服ってことなら、俺が立候補しようかなーって」
「ふ、不服なんて、そんなことはっ」
やだっ、イスラさん! なんて事を言い出すんだろう!
わたしは慌てて否定した。
そしてイスラさんはというと、やはりにこにこと笑っている。わたしとユエル様とを見比べて。
「いやだって、行きたくない理由はそっちかなと」
「ち、違いますっ!」
「じゃ、行くよね。・・・俺と?」
「や、あのっ、わたしは・・・っ」
いくらわたしだって、誘導されてるって、わかった。わかるけれど、すんなりとは言葉を返せない。
いったいどうすればいいのか。どう応えたらいいのか、頭の中は混乱しまくっている。
「はい、もう、意地悪はそこまでよ、イスラ」
パンパンと手を鳴らし、イスラさんを諌めたのはアリアさんだった。
「いいかげんになさいよ、イスラ? ミズカちゃんをいじめたら、ユエルだけじゃなく、あたしも赦さないわよ?」
「そうですよ、父さん。悪ふざけがすぎます。ミズカさん、すみません、不肖の父がくだらないことを言って」
アリアさんに厳しく窘められ、息子であるイレクくんにまで叱られて、さすがにイスラさんはすまなそうに肩を竦めた。少しばかりおどけた様子だったのは、きっと、イスラさんなりの気遣いだろうと思う。
「ミズカちゃんはユエルと。で、イスラ、あんたはあたしと行くの。それで決定」
場を取り仕切るように、アリアさんはそう結論付けた。イスラさんは「へーへー」と投げやりに応える。だけど異論はないようだった。
ユエル様は小さく嘆息した。どうやら話が収束するのを待っていたようだ。
「と、いうことだよ、ミズカ? アリアの言うとおりでいいね?」
ユエル様に改めて確認され、わたしはもう、頷くしかなかった。
「は、はい、わかりました」
「面倒だが、やむをえない。・・・カタをつけなければね」
白銀の髪を払いのけるようにして指先を額にあて、ユエル様は独語した。
一瞬、冷たい微笑が緑色の双眸と端正な口元に浮かんだ。それは、ぞくりとするほど冷淡な表情。
わたしは思わず膝の上で両手を組んで、強く握り締めていた。
・・・なんだか、怖くて。こんな言い方は今さら妙だし、嫌なのだけど、本当に「吸血鬼」みたいな微笑だった。
「ともあれ」
ようやくわたしの肩から手を離したユエル様は、
「明日は少々忙しくなりそうだ」
そう言って、大きくため息をついた。
それからユエル様は、昼までは店を開くこと、わたしの支度はアリアさんに任せること等を取り決めてくれた。
「俺もなんか手伝おっか?」
と申し出たイスラさんを冷たく無視して、ユエル様は息子のイレクくんに顔を向けた。何やら暗黙の了解が二人の間にあるみたいだ。イレクくんは頷いたかと思うと、立ち上がった。
「では、僕はそろそろ失礼して。早速取り掛かります」
「手を煩わせるね、イレク。頼むよ」
「いえ、これも僕の趣味ですから」
何を頼んだのだろう、ユエル様。
それを訊こうとし、けれど躊躇していたわたしを越して、イスラさんが声を上げた。
「って、おまえまさか、またやんの? おいおい勘弁してくれよ〜」
イスラさんは大げさに身体を仰け反らせた。
「こんな静かなリゾート地で爆発騒ぎはごめんだぜ」
ばっ、爆発騒ぎって!?
わたしとアリアさんはびっくりして思わずイレクくんを凝視した。ユエル様ですら、やや驚いた顔をして眉をしかめた。
「人聞きの悪いことを言わないでくださいよ、父さん」
イレクくんは珍しく不機嫌顔になった。でも、ちょっと決まりの悪そうな顔でもある。
え、何、爆発って? いったいイレクくん、何をするつもりだったの?
目を白黒させているわたしに気付いて、イスラさんが代わって説明してくれた。
なんでも、イレクくんは「化学実験」が趣味なのだという。そして、
「俺が知る限りで、爆発事故を起して家屋全壊が三件、半壊が十件。実験中にね」
と付け足した。
「人死には、出してませんよ。人里はなれた場所でしたから、他に被害が及ぶようなことはありませんでしたし」
イレクくんはバツの悪そうな顔をして言った。
けど、否定しないってことは、イスラさんの言ってることは「言い過ぎ」とか「虚偽」じゃないってこと?
「それに今回はそれほど危険な薬品は使用しませんから、大丈夫です」
「おまえの大丈夫は全然当てにならねーと思うけど」
「その点、父さんに似たようですね。不本意ながら」
わざとらしく大きなため息をついたイレクくんは、微苦笑を浮かべているユエル様に視線を流した。
「ユエル様がもしご不安なようでしたら、別の場所で精製しますけど」
「その必要はないよ、イレク。家屋が全壊しようが半壊しようが、それ自体は別段構わないからね。だがまあ、騒ぎになっては面倒だ。できる限り慎重に行ってくれ」
ユエル様はあっさり許可を出した。
でもですね、ユエル様! 家屋全壊は「構わないこと」じゃないと思うんですけどっ!
「心配性だね、ミズカは」
「もう、ユエル様! 考え読まないでくださいっ」
「いやそんな、いかにもあ然としたびっくり眼を向けられて、読むなと言われてもね」
ユエル様は失笑を堪えてる風な顔を、わたしに向ける。
「大丈夫だと言っているイレクを信じてあげられないかな、ミズカ?」
「・・・う。そ、それは」
ふとイレクくんを見ると、懇願するような顔をしている。
ユエル様はというと、優艶に小首をかしげ、微笑んでいる。
ひっ、卑怯ですっ!! ずるいですっ!!
そんな顔を二人にされて、「だめです、いやです」なんて言えるわけないじゃないですか!
「・・・防火用水だけは、ちゃんと側に用意しておいてね、イレクくん」
結局許諾するしかなく、わたしは力なく応えた。
イレクくんは「もちろんです」と笑い、アリアさんは「ほんとに大丈夫かしら?」と不安げに柳眉をしかめ、イスラさんは「無事を祈るしかないね、こりゃ」と悪態をつく。
そして、ユエル様の顔から微笑は消えていた。何か考え込む風に腕を組み、暗い窓の外を眺めている。
憮然とした不機嫌顔、凍てつくような冷笑、物憂げな仕種をともなう優麗な笑顔。
ユエル様の一挙一動に、わたしは過敏すぎるほどの反応を示してしまう。それは、今までもそうだった。
――今までどおりでいなくては、いけない。
わたしはユエル様の横顔を見つめ、自身を戒めた。
「大丈夫ですよね」
わたしは訊き返した。問われ、ユエル様はわたしに顔を向けなおし、にこりと笑む。
「大丈夫だよ、たぶんね」
ぎゅっとこぶしを握り、わたしは繰り返す。
大丈夫。きっと、大丈夫。
今までどおりでいられる。
不相応な望みなど抱かなければ。立場を弁えていれば。
それで心が、押しつぶされてしまっても。
今までどおりでいられるのなら、わたしはそれで構わない。
何度も何度も、呪文のように繰り返した。・・・・・・「だから大丈夫」、と。