まねごとみたいな恋でも  scene.5


 
 高原地の夏は、日本とは思えないほど涼しく、今日のような曇天の日は、木陰に入ると少し肌寒いくらいだ。
 ユエル様は人気の少ない森の小路を選び、ゆったりと歩く。
 散歩に付き合えということだったのかしら。
 このところ屋敷に引きこもっていることが多かったから、気分転換がしたかったのかもしれない。
 わたしはユエル様の後ろをついて歩く。ユエル様が黙っているから、わたしも口を閉じている。
 さやさやと、梢が風に揺れ、擦れ合う音を響かせている。
 コンクリート舗装のされていない路だけど、車両が通れるくらいの道幅はあり、路にもタイヤの跡が深々と残っている。タイヤに踏みしだかれても、根をはり、葉を伸ばし、花をつける。雑草の強さには見習うものがある。
 園芸種の花みたいな華やかさはないけれど、めげずに生きている雑草に、わたしはなにやら共感めいたものを感じてる。
 ユエル様は、そんなわたしを笑うのだけど。

 ユエル様は孤独を愛する人なのかも。
 そんなことを、ふと感じる時がある。・・・孤独というより、静謐さ、かな?
 今みたいな時に。
 不機嫌に黙り込んでしまうのではなく、ただ静かに、こうして澄んだ景色や空気を堪能してゆったりと歩く。
 ユエル様は歩調を緩めてくれている。時折空を仰いだり、梢を渡る緑風に耳を傾けたりし、そしてわたしがちゃんとついてきているか確かめるように、振り返る。目が合っても、何も言わない。微笑みかけてくれるわけでもない。だけど、わたしの存在を確認してくれるそのことが、わたしを安堵させる。
 話しかけていいものやら戸惑ったけれど、わたしは遠慮がちに口を開いた。
「ユエル様、実はお願いがあるんですけど」
「ん?」
 足を止めず、ユエル様はわたしに目を向けた。
「・・・その、外国語を、よければ教えていただけないかな、と思いまして」
「外国語?」
「はい。英語でも、他の言語でも」
「それはまた、どうして?」
「えっと、ですね。さっきイレクくんとも話していたことなんですけど」
 海外に行きたいと思っているわけではないけれど、もしや海外に行くようなことがあった時、やはり日本語だけしか話せないのは、不便だろう。ユエル様の負担を少しでも軽くしたい。
 そう告げると、ユエル様は足を止め、全身でこちらに振り返った。
「ミズカらしいね」
 そして、優しく笑む。
「向学心があるのは良いことだ。ミズカは勉強家だね」
「ありがとうございます。でも、それはきっと、今まで勉強することがなかったからだと思います。必要に迫られているということもありますから」
 ユエル様に仕える前、わたしは「読み書き」ができる程度で、まったく無学だった。
 だから知識が増えるということが、嬉しかった。
 勉強が苦痛にならないのは、きっと、「進学」とか「受験」とかが関わってこないからなんだろうな。
 純粋に自分のために学べるのは、贅沢なことかもしれない。
 なかなか身につかないのは、我ながらもどかしいし、情けないのだけど。
「ユエル様には、お手間をかけてしまいますけど」
 それは、毎度のことだ。
 とくに、学校などにもぐりこむ時など、一般教養はせめて身につけていなければならず、さらに「現代人」としての一般常識もある程度は頭に入れておかねばならなかった。
 それを教えてくれるのは、いつも、ユエル様だ。
 ユエル様だって、移り変わっていく時代に応じた「一般常識」は、その時になって初めて体感することが多かろうに、その順応性の早さときたら、もう一種の魔術としか思えないほどだ。
 様々な魔術を使いこなせるユエル様だから、そうした魔術もあるのかと、いつか訊いたこともあるくらいだ。
 もちろん、それはNOだったのだけど。
「私ほど頭脳明晰な者になれば、即座に時代に対応できるのだよ。思考が柔軟ということだね」
 と、本人曰くだ。
 まあ、あえて否定はしませんケド。
「ミズカも、頑張っているではないか。君なりにね」
「・・・・・・」
 照れくささに、頬が赤くなる。
 ユエル様は、自分のことだけじゃなく、時折はわたしのことも褒めてくれる。
 それがとても嬉しい。
 いつだったかな。
 高校にもぐりこんだ時を思い出す。
 あれは・・・わたしが「高校」という学校に初めて通うことになった時――

* * *

 セーラー服という制服、革製の学生鞄、何種類もある教科書、そしてクラスメイト。
 たぶん、わたしはかなり浮き足立っていたんだろうな。
 学校に通うなんてできない身分だったから。
 ユエル様にある程度の一般教養は習っていたものの、高校生活は未知との遭遇ばかりだった。
 最初は正体がバレやしないかとひやひやしていたけれど、ユエル様が後方でサポートしてくれていたから、なんとかごまかしきって、たったの三ヶ月だったけれど、わたしは高校生らしい日々を過ごすことができた。
 ユエル様は大抵、英語の担当教諭としてもぐりこむ。もちろん臨時の講師だから、クラスを受け持つことはなかった。
 わたしとは「赤の他人」という設定を通していたにも関わらず、気にかけて、いつも様子を見に来てくれていた。
「テストを受けたい?」
「はい、せっかくですしっ」
「・・・変わっているね、ミズカは」
「? なんで変わっている、なんですか?」
「テストなんて、普通は受けたがらないものだよ?」
 くすっと、ユエル様は笑う。からかうようにではなく、とても優しい顔をして。
「でも、どれくらい身についたか知るのにはちょうどよいですよね?」
 冬のテスト期間前に、また姿をくらまそうと言ったユエル様に、無心したのだ。
 テストを受けてから、学校を去りたいと。
「きっと、点数は惨憺たる結果になるんでしょうけど、それでも受けてみたいんです」
「・・・わかった。ミズカのしたいようにするといい」
「はいっ、ユエル様、ありがとうございますっ!」
 ユエル様は、口には決してしなかったけれど、あの時、もしかしたらわたしのことを案じてくれていたのかもしれない。
 とんでもなくサイアクな点数の解答用紙が戻ってくるのは目に見えていたから。
 まともな教育を受けたことのないわたしが、いきなり高校生クラスのテストを受けるなんて、無謀の一言だもの。
 テスト前の一週間は、そりゃぁもう、必死になって勉強した。わからないところはユエル様にアドバイスやヒントをもらったりしたのだけど、おおむね、一人で頑張ってみた。
 その成果は、少しだけあった。
 どの教科も、平均点はとることができたのだ。
「よくやったね、ミズカ」
 ユエル様も、褒めてくれた。よしよしって、頭を撫でてくれて。子ども扱いされているみたいで気恥ずかしかったけれど、でも、すごく嬉しかった。本当に、舞い上がるくらいに。

* * *

 ひんやりとした緑風が、吹きつけた。
 ユエル様の銀の絹糸のような髪が風に乱された。
 銀の髪をしなやかな指で梳きあげると、ユエル様はわたしをじっと見つめ、意外そうに訊いてきた。
「日本を出たいの、ミズカ?」
「え? いえ、わたしではなくて。ユエル様は一つの国に留まるのはお好きじゃないって、イレクくんから聞いたのですけど」
 わたしはためらいつつも、訊きかえしてみた。
「わたしを連れて海外へ出るとなると、面倒ですよね? だから日本から出られないのかなと思って」
「・・・・・・なるほど」
「は? なるほど? なるほどって、何ですか?」
「いや。そうか、ミズカはそう思っていたのだね」
「違いましたか?」
「違うような、違わなくないような。・・・まあ、いいよ。教えてほしいというのなら、やぶさかではない」
「は、はぁ・・・」
 なにやら微妙で曖昧で意味深な返答ですけど、ユエル様?
「西欧圏の言語を覚えようとするのなら、ラテン語から始めるのが手っ取り早いのだが」
 ユエル様は腕を組み、そしてちょっとからかうみたいな顔をして、わたしを見る。・・・みたい、じゃなくて、からかってる、決定。
「どっ、どこが手っ取り早いんですかっ?! いきなりラテン語なんて!」
「大元の言語なのだから、基礎を知っていれば、他の言語を習得する際に、楽ができるのだけど?」
「いや、もーっ、それはすっ飛ばしすぎです!」
「そう?」
「そうです! とりあえず、英語とかからで十分ですっ!」
「・・・ミズカがそういうのなら、いたしかたないね。アメリカとイギリス、どちらがご希望かな?」
「もう、ユエル様っ! わかりましたっ、教えてくださる気、ないんですねっ」
 わたしは踵を返した。
 難癖つけてくるってことは、面倒だから、教えたくないってことなんだ。
 がっかりもしたし、からかわれてちょっと腹も立ったわたしは、勢いづけて歩き出した。
 後を、ユエル様が追ってくる。
 わたしは大股で、ほとんど競歩の勢いで歩いているというのに、ユエル様は普通の歩幅で歩いている。
「ごめんごめん、ミズカ。待って」
 笑いながら「ごめん」と言われたって、説得力ないですっ。
「知りませんっ」
 ヤダ。
 ・・・痛い。喉、痛い。胸も痛い。
 ヤダ。どうしよう。なんで、こんなことくらいで。
 泣きそうになってることを悟られたくなくて、さらに速度を速めた。
「ミズカ」
「・・・っ」
 ヤダ。
 どうかしてるんだ、わたし。
 ユエル様の顔、見られない。
「ミズカ、待ちなさい」
「・・・っ、やっ」
 たまらず、駆け出そうとした。
 ところが、気持ちと同様にもつれた足がそれを邪魔した。
 舗装のされていない道に転がっている石を踏んづけ、それに足をとられてしまった。
「・・・った!」
 ぐきっ、という擬音が聞こえてきそうだった。右の足首が不自然に曲がって、わたしは声をあげたのと同時に、その場に倒れこんでしまった。
「ミズカ!」
「〜〜ッ」
 踏んだり蹴ったり、という語彙が目の前で点灯している。
 足首を捻ったらしく、釘でも打ち付けられたみたいな痛みが走った。
 へたりこんだまま、わたしはうな垂れた。
「ミズカ、だい・・・」
「大丈夫です!」
 すぐにわたしに追いついたユエル様の差し出された手を取りもせず、顔を背け、立ち上がろうとした。
 けど、痛みに負けてしまった。
 口惜しいやら情けないやら、わたしは俯いて、唇を噛んだ。
「ミズカ」
 ユエル様はわたしの前に片膝つき、そして捻った足首にそっと手を置いた。思わず、身を竦めた。
「足首を、捻ったみたいだね?」
「・・・・・・すみません」
 顔を上げず、とりあえず、謝った。
 ・・・仕える主人に対して、礼を失した態度をとってしまったのだから。
「悪かったよ、ミズカ」
 ところが、その主人がわたしに頭を下げたのだ。
 本当にすまなそうな顔をして。
 わたしは大いに戸惑った。狼狽して、言葉が出ないくらいに。
「からかったりして、悪かった。ミズカが望むのなら、英語でもスペイン語でも、きちんと教えるから、それで赦してくれ」
「・・・・・・ユ、ユエ・・・」
 迂闊にも、わたしは泣き顔をユエル様に見せてしまった。
 涙が頬を伝った感触に気がついて慌てて拭ったのだけど、手遅れだ。
「わっ、わたしの」
「ミズカ、・・・じっとして」
「は、え?」
 次の瞬間に起きたことは、わたしを驚愕させるのには十分だった。
「なっ、なんっ」
「じっとしていなさい、落ちる」
 抱き上げられていたのだ、ユエル様に。いとも軽々と。
「ちょっ、ユッ、ユッ」
 あまりのことに言葉がまともに続かない。
 わたしを横抱きにし、ユエル様は歩き出した。
「あるっ、歩けます、わたしっ。だから、おろしてくだい、ユエル様」
「そうは思えないけど」
「でっ、でもっ」
「嫌だというのなら、おろすが」
 ユエル様は目を細め、笑む。数センチしか離れていないところに美しすぎる微笑があって、目がチカチカする。
「嫌とかじゃなくて、ですねっ」
「嫌ではないのなら、じっとしていなさい」
「・・・・・・」
 結局、大人しく運ばれることにした。拒み続けてユエル様の機嫌を損ねたくなかった。
 おかけで涙はひっこんだからよかったけれど、別の感情が湧き上がってきて、それを抑え、そしてユエル様に悟られないよう、必死にならざるをえなくなってしまったわたしだった。

 帰宅したわたしとユエル様を出迎えてくれたのは、アリアさんだった。
「あらあら、お姫様だっこでご帰還とは」
 なにやら嬉しげに、アリアさんは言う。
「おかえりなさい、ミズカちゃん」
「・・・ただいま、です。あの、お姫様だっこって・・・なんのことですか?」
 たぶん、それは間の抜けた質問だったんだろう。
 アリアさんは一瞬目を丸くしたかと思うと、またころころと笑い出した。
「今の、ミズカちゃんの状況のことよ? お姫様みたいな扱いでしょ、それって?」
「・・・・・・そんなの・・・」
 自分でもわかるくらい、顔が赤くなった。
「お姫様だなんて、わたしはそんな身分じゃ、全然・・・」
「ふふ。ミズカちゃんって、ホント、可愛い」
 婉然と、あるいは悪戯な女神のごとく、アリアさんは艶やかに笑む。
「退屈だったから早く帰ってきたんだけど」
 アリアさんはユエル様をちらりと見やると、意味深に笑った。
「手伝えること、ありそうね?」
「・・・ああ、助かる」
 それを受け、ユエル様はわずかに肩をすくめて応えた。

 ユエル様はわたしを寝室まで運んでくれ、そこでようやくおろしてくれた。
「まだ痛むかい、ミズカ?」
「もう、だいぶいいみたいです」
「そう」
 気恥ずかしくて、まともにユエル様の顔を見れないんですけど、わたし。
 かといって顔を背けてはいられず、平静な表情を保って、平静な受け答えをした。
「すみません、お手間かけちゃって」
「ミズカ」
 何か、ユエル様は言いかけた。
「お邪魔するわよぅ〜」
 けど、お水と湿布を持ってアリアさんが現れたため、言葉は続かなかった。
「ああ、すまない、アリア」
「すみません、アリアさん」
「いいのよ。それより、痛まない? 大丈夫?」
 水差しをベッド脇のテーブルに置き、アリアさんはわたしの顔を覗き込んでくる。
「・・・ミズカちゃん、目が赤いわね? 何かあったの?」
 心配そうな顔をし、わたしの頬に触れる。
「・・・・・・いえ、その、ですね。これはちょっと、ゴミが入って」
「両目に?」
「えー・・・っと、そ、です」
 わたしはアリアさんから目を逸らしてしまった。
 ううっ、嘘って苦手なのよ。
「ミズカちゃん」
「――んっ!」
 またしてもいきなり、アリアさんはわたしを抱き寄せた。そして、よしよしと、頭を撫でる。
 胸の谷間に顔を埋める形となって、ドキマギしてしまう。
 アリアさんは、甘くてとってもいい香りがする。どこか・・・懐かしいような。気持ちよくて、また、涙が出そうになった。
「いい子ね、ミズカちゃん」
 アリアさんの口調があまりに優しくて・・・・・・だめだ、また泣き出してしまいそう。
「ミズカ」
 アリアさんの後方に控えていたユエル様は、この時ばかりはアリアさんをわたしから引き離そうとはしなかった。
「ミズカ、少し、休んでいなさい。昨夜は、あまり眠れなかったのだろう?」
「そうね。それがいいわ」
 アリアさんはわたしを離すと、前髪をくしゃくしゃと撫でた。わたしの顔を見ないように気遣ってくれたのかもしれない。
「休めば気も落ち着くわ。ね、そうなさい?」
「・・・はい」
 わたしは素直に頷いた。
 余計な心配を、もう、かけたくない。
 だから、ここは素直に言葉に従うべきだ。
「じゃ、あたし達、行くわね?」
 アリアさんに促され、ユエル様も部屋を出て行く。
 ユエル様はドアの向こうで一度足をとめ、わたしのことを振り返って見たようだったけれど、わたしはそれに気づかぬふりをして、布団にもぐりこんだ。
 ・・・ごめんなさい、ユエル様。
 目頭がまた、熱くなった。

* * *

 生気の飲み方を教えられ、初めてユエル様の生気を飲んだ時。
「私のことを、恨んでいるだろうね?」
 そう、ユエル様に訊かれた。
 微笑っていたけれど、とても哀しげだった。
 わたしは首を傾げ、「どうして」と、訊き返した。
 ユエル様はおうむ返しに、「どうして」と訊き返してきた。「こんなことになってしまってとは、思わないのかい?」
 人外の生き物になってしまった、そのことに。
 たしかに、とまどってはいたし、不安はあった。
 予想外の人生展開には違いなかったから。けれど・・・・・・
「恨むなんて、考えつきもしなかったです。ちょっと、驚いてはいますけど。・・・まだ慣れないだけで、大丈夫です」
 わたしの返答に、ユエル様は微笑ってくれた。でも、哀しそうな顔は、そのままだった。
 髪をそっと撫でてくれ、「ミズカ」とわたしの名を呟いて、それきり黙ってしまった。
 あの頃、わたしは自分の置かれた状況に慣れるのに精一杯だった。
 だからユエル様の心情を診てとる余裕なんて、なかった。
 でも。
 人外の存在になってしまった自分と、主人であるユエル様との距離感を保つことにばかり気をとられて、訊けなかったことが、わたしにもあったのだ。
 ユエル様に、訊きたくて、未だに訊けずにいる。
「どうして、わたしだったのですか」
 と。

* 続 *