まねごとみたいな恋でも  scene.3


 
 わたしの脳内は「一足す一は?」と訊かれたら、「三」と答えそうなくらいのパニックぶりに陥っていた。
 生殖者についての説明もいまひとつ呑み込めていない体たらくなのに、ユエル様がその『生殖者』だなんて!
 そりゃぁ、今までの説明を聞くからにして、たしかにユエル様はわたしという『眷属』を持っていて、それはつまり『生殖者』ってことなんだけど・・・!
 イスラさんは呆れたようにユエル様を見る。
「なんだよ、おまえさん、それすら話してなかったのか?」
「・・・・・・・・・」
「なんだ、じゃぁ、ミズカちゃんは違うのか? 眷族にしておきながら?」
「・・・煩い、イスラ」
 凍りつくほどの冷ややかな声が、ユエル様の口から発せられた。けれどイスラさんはまったく動じない。
「酔狂でか? だとしたら、ずいぶんと悪辣な――」
「煩い、黙れ」
「イスラ。言いすぎよ。だいたいユエルが――って、ユエル?」
 ユエル様は堪りかねたように立ち上がると、居間から出て行ってしまった。
「ユッ、ユエル様っ!?」
「あーらら。怒らせちゃった。ああなると怖いわよぅ、ユエルは」
 アリアさんは肩をすくめる。
「知るか。自分が悪いんだろ?」
 イスラさんは突き放すように言う。別段気にするでもなく、「いつものこと」くらいに思っているみたいだ。
「父さんも悪いよ。神経を逆なでするようなことを言うから」
 自分の父親が原因で、初対面のユエル様が機嫌を損ねてしまったことに、イレクくんは少々困っているようだ。
 そしてわたしはというと――、
「あの、ちょっと様子、見てきますっ」
 やっぱりユエル様を放っておくことなどできなくて、慌てて後を追ったのだ。

 二階へ上がっていくその途中で、ユエル様をつかまえた。
 思いきり上着の裾を掴んでしまって、ユエル様の上体がぐらつく。
「すっ、すみませんっ」
 怒られるかと思った。「まったく、乱暴な。私を突き落とすつもりか?」って具合に。
 でもユエル様は一瞬険しい顔をしたものの、わたしを叱ったりはしなかった。
 それどころか――、
「ミズカ」
 わたしの首筋に手を当てた。
 ユエル様の手は、冷たい。思わず身を竦ませてしまった。
「さっきは、大丈夫だったか?」
「え?」
 目を細め、ユエル様はわたしをじっと見つめる。
 気のせいか、瞳の緑が、濃い。
「・・・イスラに、何もされなかったか? 生気を飲まれてはいまいね?」
「は、はい。大丈夫です。すみません、お騒がせしてしまって、わたし」
「騒ぎを起こしたのはイスラだ。ミズカが謝ることではないよ」
「・・・・・・あの、ユエル様」
 手が、離れた。ユエル様の手の冷たさだけが、残った。
「大丈夫ならいい。・・・私は少し休む。しばらく一人に」
「ユエル様」
 わたしはユエル様の上着を掴んだまま、放さない。
「ユエル様、眷族っていったい、何なんですか? 教えてください」
「・・・・・・」
 ユエル様の秀麗な目元が、曇る。
「・・・アリアにでも、聞けばいい」
「嫌です。ユエル様の口から聞きたいんです」
「ミズカ」
「だって、わたしはユエル様の眷族なのでしょう? それなら、ユエル様の口から教えてもらいたいんです」
 わがままを言っているって、自分でもわかってる。
 でも、どうしてもユエル様の口から聞きたい。だって、とても重要な事だと思うから。
「たぶん・・・ですけど、ユエル様から聞かなかったら、きっと、後悔すると思うんです」
「ミズカ・・・」
「ユエル様だって、さっきはご自分から話そうとしてらしたじゃないですか。だからきっとユエル様も後悔します。自分が話すべきだったって」
 ユエル様はわたしの手を取った。その手は、やっぱりまだ冷たい。
「ミズカらしい論法だね」
 そして、苦笑した。
「・・・ご納得いただけたと、とっていいんですか、それは?」
 さらにため息までついて、ユエル様は肩の力を抜いて頷いた。表情はまだ暗いけれど、険しさはない。
「眷族というのはね、ミズカ」
 わたしの手を離し、ユエル様は階段をのぼり始める。わたしは慌てて後を追った。
 ユエル様は歩きながら、語る。いつになく、淡々とした口調で。
「端的に言うと、生殖者の子を宿すための存在なんだよ」
「!」
「人間は、そのままの状態では我々の子は成せない。最悪の場合、死んでしまう。姿形は似ていても、やはり私達は人間ではないからね。異種間の婚姻というものは、それなりのリスクを負うものだよ」
「・・・・・・」
「だが、近い存在ではあるからね、私達が子孫を残すためにはやはり人間が必要らしい。そのため、人間に私達の生気を与えて、より近い存在にする。・・・それが、『眷族』だ」
 つまり、『眷族』って・・・―――
 ユエル様が寝室の前で立ち止まるより前に、わたしは歩みを止めていた。
 ユエル様は振り返り、
「・・・必ずしも、そうしなければならない、というわけではないんだよ、ミズカ」
 そう言った。
 わたしの狼狽っぷりを予想していたみたいだった。
 わたしとユエル様の間には、わたしの歩数で計るなら三歩分くらいの距離がある。狭いような、それでいて、ひどく遠く感じるその距離。
 たった一歩を踏み出せずにいて、ゆえに、距離は縮まらない。
 ユエル様は笑んでいる。けれど、無理に作ったみたいな笑みだ。
「あまり・・・深く考えなくていい」
「でっ、でもですねっ」
 声が上擦ってしまう。平静ではいられないわたしの態度が、ユエル様を困らせている。
 一瞬、ユエル様は何か言いかけたように、唇を動かした。けど、そこからこぼれたのは、小さな吐息だけだった。
「しばらく休む。・・・話は、また後に」
「ユエル様!」
 わたしが止めるのもきかず、ユエル様は寝室に入ってしまった。
「ユエル様・・・」
 鍵などないから入ろうと思えば、たやすく扉は開けられる。
 けど、できなかった。
 ユエル様の無言の拒絶は、わたしにはあまりに重い枷だった。

* * *

 ――あの日。
 季節は憶えていない。少し、寒かった。
 満月が空に昇っていた。月明かりの美しい夜だった。
 バルコニーに佇んで、夜空を眺めている人を見つけた。
 銀の髪が夜風に揺れていた。月光を受けて光るそれは、まるで天使の羽のようだった。
 息を呑んで見惚れてしまう。鮮麗な、その人。
 わたしに気がつき、ユエル様は髪を梳きあげながら、ゆっくりと振り返った。
 薄氷のような微笑をわたしに向ける。
「ミズカ」
 切なげな甘い声がわたしを促す。差し伸べられた手を、どうしてか、取ってしまった。
 わたしのような身分の者が触れていい手ではないというのに。
 ユエル様はまじろぎもせず、その深い緑の瞳でわたしを見つめている。
「ミズカ、聞いてほしい」
「・・・はい」
 ユエル様の指先の冷たさが、皮膚を破って浸透してくるようだった。
 怖い・・・のではない。でも何か・・・異質な何かを、ユエル様に感じた。
 目を逸らせない。鼓動が早まる。
「なんでしょう、ユエル様?」
 なんとか平静を装って、尋ねた。
 ユエル様はわずかに眉をひそめ、一瞬ためらった後に、告げた。
「これからも、ずっと、傍にいてもらいたい。・・・遥かな道程を、私と共に」
 漠然とした、その言葉。
「ミズカに・・・・・・ついて来てもらいたい」
 返答に詰まり、わたしはまばたきを繰り返し、ユエル様を見つめていた。
 それは、どういう意味なんですか・・・?
 うっかり抱いた愚かな「期待」をユエル様に否定されたくなくて、訊き返せなかった。
 僅かに残っていた冷静さを取り出して、胸に咲いた「期待」をさっさと打ち消したわたしは、言葉の上っ面だけをそのままなぞり、「出かけるので、随従せよ」と言っているのだと、的外れな解釈で自分を納得させた。
 だからもちろん二つ返事。「はい、お供いたします」と。
 ユエル様は、わたしが深く考えずそう応えたことに、きっと気づいていた。
 少し、困ったような顔をしていたから。
 でも、ユエル様はわたしの手を離さなかった。
「・・・『目醒め』たら、話そう。私のことも」
「え?」
「・・・ミズカ」
「・・・っ!」
 ユエル様の冷たい指先が、顎に触れた。
 そして、ユエル様の顔が近づいてきて――
 ユエル様の・・・この時、奇妙に紅かった端正な唇が・・・わたしの首に当てられた。
 吸血鬼が牙をむき、そこから血を吸うように。
「・・・ユ・・・・・・さ・・・」
 意識が、遠のく。
 その、刹那だった。
「・・・すまない、ミズカ・・・・・・・・・」
 ユエル様の声が聞こえた、気がした。
 淋しげな影を落とす緑の瞳が、人間だったわたしが最後に視た色だった。

* * *

 雨が降りそうなほどの空模様ではないけど、昨日とうってかわっての曇天は、わたしの心を反映しているようで、ちょっと腹立たしいような気分だ。
 さらには、昨日とうってかわった態度のユエル様にも、少しばかり腹を立てている。
「君が朝寝坊なんて、珍しいね、ミズカ?」
 嫌味なほど、にこやかだ。昨日の、あの重々しく冷たい態度はいったい何? と思わせるほど。
 だいたい、誰のせいで寝過ごしたと思っているんですか。
「イレクがコーヒーを淹れてくれたから、飲んでおいで。今日はちゃんと開店するから、それまでに支度も済ませておかなくてはね」
 ユエル様のことが気にかかってなかなか寝つけなかったというのに(といっても、気づいたら寝てて、朝だったんだけど)、まるで何事もなかったかのような暢気顔は、どういうこと?
「ユエル様、起こしてくださって、ありがとうございます。・・・けど」
「けど、なんだい?」
「寝室に忍び込んでくるのは心臓に悪いからできればやめてほしいと、以前から申し上げていたと思うのですけど」
「ああ、そうだったかな? しかしそうすると、君はきっと昼過ぎまで寝こけてしまうに違いないだろう?」
「ユエル様じゃあるまいし、そんなことはありません。寝起きはユエル様よりはいいつもりです」
 わたしはまだ寝台から出られずにいる。夜着のままということもあるし、ユエル様が寝台に腰をおろしているからだ。
 どうやらわたしが起きるまで、そうしていたらしい。
 とうに着替えを済ませているユエル様の本日のお召し物は、内衿に黒サテンがちらりと見えるボタンダウンの白シャツに、ヴィンテージのジーンズ、グリフィンらしき模様の入った銀のバックルが派手なベルトをアクセントにし、全体的にカジュアルなスタイルだ。ちなみにペンダントも指輪も、すべて銀。
 吸血鬼って、狼男しかり、銀が苦手だという設定なはずだけど。
「銀の弾丸なら、たしかに苦手だね」
 ユエル様は悪戯っぽく笑う。そりゃぁ、弾丸は苦手でしょうとも。
 痩身で上背もあるから、どんな洋装もモデル並に似合うのだけど、「占い師」としては、ちょっとカジュアルすぎないかしら?
 全身黒ずくめで、仮面をつけたり妙な形の帽子を被ったりするよりはいいのかもしれないけど。
 や、そんなことよりっ!
 目覚めて、わたしがどれほど驚いたか。
 容姿端麗な銀髪の貴公子が、寝ぼけ眼の顔を、じっと覗き込んでたんですよっ。
 悲鳴こそ上げなかったけど、血圧はあがったろうし(血圧がはたして測れるかどうかは謎だけど)、口から心臓が飛び出そうなくらいに驚いて、眩暈がした。
「親切に起こしにきたというのに文句を言われてしまうとは、やるせないね」
「いかにも嘘っぽくしょんぼりしないでください。もう、いいです、着替えますから」
 語尾に、寝室の扉を叩く音が重なった。わたしに代わってユエル様が応えた。
「お邪魔します」
 入ってきたのは、イレクくんだった。
「お早うございます、ミズカさん。なかなか降りてこられないので、こちらにコーヒーをお持ちしました」
 昨日はよそゆきの格好をしていたイレクくんだったけれど、今日はもう少しラフな格好だ。水色の半袖パーカーと半ズボン、そして白いスニーカー。子供らしく、似合っている。けど、「子供」ではないのよね。
「ありがとう・・・ございます、え、と、イレク・・・さ」
「くんでいいと、昨日も申し上げたでしょう? 見た目十歳児の僕に「さん」付けは不釣合いですよ」
 つまり、イレクくんはわたしよりもうんと年上なのだ。
「え・・・と、それじゃ、イレクくん。お早う。コーヒー、ありがとう」
 イレクくんは懐こく笑い、わたしは差し出されたカップを受け取った。コーヒーの甘くて苦いよい香りが、鼻先をくすぐる。
「私のときとずいぶん態度が違うね、ミズカ? なるほどイレク、子供の姿というのは、女性相手に使えるね」
 ようやく寝台から離れてくれたユエル様だったけれど、部屋から出て行く気配はない。
「否定はしませんが、ユエル様ほどではないと思いますよ?」
「私ほどの美貌の持ち主は、そうはいないだろうからね」
「父・・・イスラから聞いていた通りの方ですね、ユエル様は。イスラと、よく似ています、そういうところが。類は友を呼ぶということでしょうか」
「心外だね。イスラと似ているなど、侮辱以外の何ものでもないな」
「同じようなことを言っていましたよ。俺はアレほど酷くない、と」
 二人の会話を、わたしはコーヒーを飲みながら聞いていた。
 こうして聞いていると、ユエル様とイスラさんの関係が手にとって見えるようだ。
 やっぱり友達なのかなって、思った。絶対否定するだろうけど。
「それはそうと、ユエル様。実はお願いがあるのですが。ミズカさんにも」
 イレクくんは、店の手伝いをしたいのだという。店・・・つまり占いの、なのだけど、「占い」はできないから、せめて受付や客の接待などを手伝わせてくれ、と。
 断る理由もなかったし、わたしもユエル様も快く承諾した。
 イレクくんも生気を吸わなくてはならない、その理由もあってのことだ。
 父親であるイスラさんはどうしたのかと訊くと、とうに出かけたと返ってきた。避暑地はかっこうの「ナンパ」場所だから、生気を得るには困らないだろう。呆れたように、イレクくんは言う。
 アリアさんもとっくに出かけたと、ユエル様が付け加えた。さっそく乗馬クラブにもぐりこむべく、行動を開始したらしい。
 人間の生気は、体内に溜めておけるから毎日飲む必要はないのだけど、できれば「飲めるときには飲んでおきたい」のだという。
「とくにユエル様は。今は渇きやすいでしょう?」
 にこりと笑って、イレクくんはさりげなく言った。ユエル様は笑みを崩さないけれど、僅かに表情が硬くなった・・・気がした。でも、昨日のように剣呑な雰囲気にはならなくて、ほっとした。
「長距離の移動で、さすがに僕も渇き気味なので、お店を手伝わせていただければ、助かります。ミズカさん、宜しくお願いしますね」
 イレクくんは軽くお辞儀をする。
 わたしは「こちらこそ」と応えてから、
「わたし、そろそろ着替えたいのですけど。・・・お二人とも、出て行ってもらえませんか?」
 ようやくその一言を、口にした。

* 続 *