――ふと、白い花が目についた。
白い花と緑の葉。
・・・白銀の髪と深緑の瞳。
それだけが共通点だったのに。
わたしはその白い花を手に取っていた。
仕えている主人の寝室に飾ろうと思って花を買ってきたのだけど。
生けた花を改めて見、肩を落とした。
もっと華やかで美しい花が相応しい主人だというのに。
よりにもよって、こんな地味な花を選んでしまうなんて。
迂闊にも程がある。わたしはうなだれ、深々とため息をついた。
わたしが仕えている主人は、麗しい容貌の青年。付け加えるなら、人間ではなく、俗に言う「吸血鬼」という人外の存在だ。
銀の絹糸のような長髪と、森の緑を湖面に映したかのような双眸がことに目を惹くわたしの主人・・・ユエル様は、深紅のバラこそが似合うだろう。
第一、「吸血鬼」といえば「バラ」は欠かせないアイテム。飾るべきは、バラの花なのに!
・・・どうして、マーガレット?
たまたま行った花屋に深紅のバラがなかったというのも、原因だけど。
他の色のバラでもよかったのに、何故かしら目に付いたマーガレットを選んでしまった。
白くて細い花弁のマーガレット。甘い蜜の香りはなくて、重なり合っている葉っぱの匂いの方が、きついくらい。
可愛らしい花には違いないけれど、吸血鬼のイメージからは程遠い。
「どうしたの、ミズカ? しょぼくれた顔をして?」
優艶に笑ってわたしの顔を覗き込んでくるユエル様には、やっぱり深紅のバラが似合う。
わたしは大きく息を吐き出した。
ユエル様はわたしの「失敗」を聞いた後、複雑そうな笑みを浮かべた。
正直、意外だった。
ユエル様なら絶対、「その通りだね。深紅のバラこそが私に相応しい花だろう」と言うものだと思っていたから。
「吸血鬼には深紅のバラ、か。ミズカも存外即物的なイメージを持っているんだね」
「・・・・・・」
バカにされたのかなとも思ったけれど、ユエル様の表情は決してからかうようなものではなく、ましてや小ばかにしたようなものでは全然なかった。
「そうした文芸作品が多いのだから、一般的なイメージとも言えるけどね」
言ってから、ユエル様は軽く息をついた。
そして花瓶から一本、マーガレットの花を抜き取った。枝分かれしている先に、二輪、花が咲いている。
「・・・ユエル様、バラに例えられるのは、お好きじゃないんですか?」
率直に、尋ねてみた。
だって、目が笑ってないもの。穏やかに笑んでいるのに、温みを感じない。
「いや? 別に嫌いなわけではないよ。美しいと称えられるそれ自体は。まあ、それは単に事実を表した言葉にすぎないけれどね」
ユエル様は苦笑まじりにそう答えた。
実にユエル様らしい返答なんだけど、どこか自嘲気味で、いつもとは少し様子が違う。
「ただ、花を美しいと思うその感覚が、・・・少し、不思議でね」
ユエル様のその言葉に、わたしは目を瞬かせた。
驚き顔をするわたしを、ユエル様は見つめる。緑の瞳が、深みをましていた。
「花がどのように、そしてどれほどに美しいか、なぜ花を必要としない者達が、その美しさを誉めそやすのだろうね? 花は私達にとって、むろん「人間」もだが、観賞するだけのモノでしかないだろう?」
・・・必要と・・・しない?
その言葉に、胸がちくりと痛んだ。
・・・どうして? どうしてそんなことを言うの、ユエル様?
思いもかけないユエル様の冷ややかな微笑に、わたしはつい、言葉を返してしまった。
「必要ないなんてこと・・・ないと思います」
「そう?」
ユエル様は手の中のマーガレットをくるくると回し、もてあそんでいる。
「観賞するだけのものかもしれないけど・・・必要ないなんてことは、きっと、ありません」
哀切な色を浮かべる緑の瞳が、胸を締めつけてくる。
「必要なのかそうじゃないかより、大事なのは、・・・花を美しいって思えるその心なんだと思います」
言ってから、なんだか気障な台詞を吐いてしまった気がして、途端、頬が熱くなった。
「あのっ、たぶん・・・ですけどっ。だから、その・・・やっぱり必要なんだと思います」
もごもごと、不明瞭に言葉を繋げる。断定できない自分が情けなくて、気分はさらに下降していった。
「ミズカ」
ふんわりと、わたしの頭にユエル様の手が置かれた。そして二度軽く叩いてその手をはなした。
「今、ミズカは花を美しいと思えるんだね? 花は・・・必要なモノなんだね?」
「え? あ、はい」
ユエル様は一度軽く瞼を落とし、それから再びわたしを見つめるために瞼を上げた。曇りのない甘やかな緑色の瞳が、わたしをまっすぐにとらえる。
「そして、私をバラの花のようだと思ってくれているわけだ。バラのごとく美しい、と」
「・・・う」
もしかして、それが言いたかったんですか、ユエル様?
頬が、熱くなった。
ユエル様は笑っている。からかうような色もあったけれど、やはりどこか寂しげにも見える微笑だった。
なんだろう。ユエル様は時々そんな顔をする。
困惑の答を、わたしに求めているみたいに。
「私も、まだ大丈夫・・・かな?」
「は・・・?」
ユエル様は本当につかみどころがない。何が「大丈夫」なのかわからなくて、頷きようがなかった。
「私にもまだ、花を美しいと思える心があるようだ」
ユエル様は優艶に微笑んで、持っていたマーガレットの花びらに軽く口づけた。
ほんとにもうっ、今日のユエル様は、悩ましすぎる。何度わたしを眩ませたら気が済むんだろう! 目の前がチカチカして、まともにユエル様の顔が見られない。
「それにどうやら私にも、花は必要らしい」
呟くようにそう言ってから、ユエル様はわたしにマーガレットの花を差し出した。
「マーガレットはミズカに似合うね。・・・これは、ミズカに」
「・・・え、と。それは、庶民的って意味で、似合うってことですか?」
ユエル様みたいに軽く受け流すなんてできなくって、つい、屈折したことを言ってしまった。
ユエル様はため息をついて、そして「まあ、そうとも言えるね」と笑う。
わたしは軽い自己嫌悪に陥りかけていたのだけど、ユエル様が笑いかけてくれたせいで、落ち込む暇もなかった。
もうっ、美麗すぎなんです、ユエル様は!!
ここぞとばかりに艶めいた微笑を向けてくるのは、本当にっ、勘弁してほしい。
心が揺らいで、抑えられなくなってしまう。
わたしはぎゅっと目を瞑り、俯いた。もちろんずっとそうしてはいられず、呼吸を整えて顔を上げ、そしてようやくユエル様からマーガレットの花を受け取った。
「それにね、ミズカ」
「は、はいっ?」
「バラの花も良いけれど、私はこの花も好きだよ。平凡だが存在感があって、そしてとても・・・優しい」
「・・・そ、そうですか」
ああ、そうだ・・・。
案外ユエル様には華美な花よりも、こうした花が似合うのかもしれない。
だって、優しいのは・・・ユエル様だから。
顔の火照りは一向におさまらないけど、わたしはしゃんと背筋を伸ばした。
「お好きな花なら、よかったです」
安堵のため息をついてから、「お茶、淹れてきますねっ」と付け足した。
ユエル様はやれやれと肩を落とし、「頼むよ」と笑う。
なんだか期待はずれって顔をしてるのは、・・・気のせいかな?
「とっときのアッサムティーも買ってきたんです。午後のティータイムといきましょう、ユエル様!」
「それはいいね。・・・花を愛でながら、ね」
吸血鬼には、血の色した深紅のバラ―――
だけどユエル様には、匂いたつ華やかさも、身を護る鋭い棘もない、ありふれた白い花を捧げよう。
きっと、ユエル様が望むのはそうした「なにげない日常」だから。
今はまだ、わたしには花を贈ることしかできないけれど・・・・・・。