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Trick or Treat!?

「悪戯か、お菓子、か」
 喉の奥、維月さんは笑いを潜めている。
 維月さんの微笑は、とっても危険極まりないものだ。幽鬼も尻尾をまいて逃げ出すほど、と、わたしは思ってる。
 危険には違いないんだけど、怖いもの見たさって言葉があるように、わたしはついつい見つめてしまうのだ。
 悪戯を仕掛けてくる気満々の、維月さんの微笑を。

 街のショーウィンドウはハロウィンカラーに染まっている。クリスマスほど大々的ではないけれど、お菓子売り場は躍起になってハロウィンを宣伝している。もはやもともとのハロウィンの意味なんて、忘れ去られているどころか、起源を知らない人の方が多いと思う。
 キリスト教の祭典、万聖節の前夜が十月三十一日。万聖節とはすべての聖人を祭る日で、すなわち十一月一日が「All Hallows day」。それが省略されて「Halloween」となったみたい。
 キリスト教のお祭と思われがちだけど、古代ケルトの収獲感謝祭(古代宗教のサウィン祭)がキリスト教に取り入れられたものだから、純然たるキリスト教のお祭とは言いきれない。
 けど、無節操でお祭好きな日本人は、これ幸いにとばかり、ハロウィンを「商売道具」として利用している。そして、やっぱり無節操でお祭好きなわたしも、うっかりと雰囲気にのせられ、ハロウィンを楽しんでいる。
 かぼちゃのランタンや幽霊や魔女のオーナメントを見ると、なんだかわくわくした気持ちになる。童心にかえる、というのが近いかもしれない。クリスマスより気軽に楽しめるのは、何が何でもお祝いしなくちゃならないイベントだからじゃないからかもしれない。
 自分の心の中でだけ、「ハッピーハロウィン」と盛り上がっていられる。ハロウィン当日に近所の家々を回ってお菓子をねだったりはしないし(というかできないし)、せいぜいかぼちゃ味のお菓子を買ってきて、一人で自己満足するくらい。
 だからハロウィン当日の今夜も、わたしは誰かに「Trick or Treat!」なんて言うはずもなく、冷蔵庫にしまっておいたかぼちゃ味のプリンを、食後のデザートにするだけだった。……予定では。
 けれど、その予定は変更されることになった。
 予告のない来客は、めったにない。
 けど、それがいきなりあったのは、夜も九時を回った頃。
 玄関チャイムが鳴るほんの数分前、ケータイ電話が鳴った。着信音は、指定されたメロディーだ。
 わたしは慌ててケータイを握った。
 液晶の画面を見るまでもない。鳴ったメロディーは、特定の人に設定した着メロだから。
「いっ、維月さん?」
 思わず声が上擦ってしまった。
『うん。今、いい?』
 維月さんの声には、少しばかり笑みがこもっているようだった。わたしがすぐ電話に出たのを可笑しがっているようでもあり、でも何か違うことで笑っているようでもあった。
「いいですけど……」
 なんですか、なんて問わない。維月さんに会いたいなと思っていたことも、口にしなかった。
 だってなんとなく……維月さんはわたしの気持ちに気づいてくれているようで。
 維月さんって絶妙のタイミングを計ってくる。以心伝心……? と、つい自惚れてしまうくらいに。
『今、アパートの前なんだけど、行っていい?』
「ア、アパートって、うちのですか?」
『うん、そう』
「え、やっ、いいっていうか、いやちょっと待って……っ、わたし今もう寝る体勢に入ってて。や、まだ寝てはいないんですけどもっ」
 慌てふためいてるせいで、わたしはもう何を言っているやら、自分でも分からなくなっている。
 そんなわたしを、維月さんはまた笑うのだ。
『それは好都合』
 なんて、さらりと言って。
 やっ、ちょっと待って! 好都合って、どういう意味ですかっ?
『じゃ、行くから』
「い、維月さ……」
 そして通話が断たれ、一分もしないうちに、玄関チャイムが鳴った、という次第だ。

 わたしは今日、残業もなく定時に上がったのだけど、「高倉主任」は多少の残業があり、退勤したのは八時半だったそうだ。
 高倉主任は会社から直で、わたしの元にやってきた。高倉主任から、維月さんに成り代わって。成り代わって、というより戻って、なのかもしれない。どちらも高倉維月さんには違いないのだけど、高倉主任でいる時の維月さんは、予定外の行動を突発的に起こしたりはしない。時々わたしに対し悪戯心を起すこともあるけれど、そんな時は維月さんの表情になっている。
 維月さんって、器用な人だと思う。またそれが、嫌味に感じないという、さり気なさだ。
 すごいなと感心してしまう。
 わたしの感動を、維月さんは嬉しげに受け取ってくれる。そしてさらに感動させてくれるわけだけど、……その感動にはいろいろと種類がある。
 とまどうのも、焦るのも、一種の「感動」だから。
「Trick or Treat」
 と、いきなり手を差し出され、わたしは面食らった。目を瞬かせ、間の抜けた顔を晒してしまった。
「はい?」
「今日、ハロウィンなんだよね?」
「…………」
 どうやら維月さんは、今日職場でわたしが浅田さんと話しているのを聞いていたようだ。
 たわいないお喋りだった。「今日はハロウィンですよね」と浅田さんに語り、「わたし、なんだかハロウィンって好きなんですよ」的なことを言っていたのを、ちゃっかり聞いていたのだろう。
「と、いうわけで。Trick or Treat」
 いやもう、何が「と、いうわけで」なのかが全然わかりませんが!
 維月さんは維月さんなりに、もしかしてわたしの機嫌をとろうとしてるの……かな?
 そう思うと、ちょっと嬉しくなった。
「だめです。だって維月さん、仮装してませんよ? Trick or Treatと言うからには、ちゃんとオバケの扮装してくれなきゃぁ」
 ちょっと文句をつけてみた。
 すると維月さんは慌てるでもなく、わたしの腕を強引に掴んで、体を引き寄せた。
「扮装なんてする必要はないと思うけど」
 維月さんは顔を近づけて、にっと不敵に笑った。七歳年上で、わたしなんかよりずっと大人のはずの維月さんだけど、時々こんな風に、子供っぽい所作をしてみせる。そのギャップが、たまらない。というか、ズルイと思う。
 維月さんのさらさらとした前髪がわたしの鼻先にかかって、くすぐったい。ちなみにいえば、吐息もかかるほど顔が近づいてる。
 さっきお風呂に入ったばかりのわたしの体は、まだほこほこと温まっているのだけど、維月さんが体を寄せて……というか抱きつけてくるものだから、さらに体内温度はあがり、頬まで熱ってきた。
「俺は今、狼男だから」
「……っ」
 なっ、何言って……っ?! 今、さらりと気障なこと言った、この人っ!!
 思わず体をのけぞらせたわたしを、維月さんは小さく笑って見つめている。狼男にしては、ずいぶんと優しいまなざしで。けれど、蜂蜜も負けるくらいの甘さ成分たっぷりで、頭の芯がくらくらとする。
「好きなんだよね、美鈴は、こういうの」
「や、それっ、曲解ですから! わたしはハロウィンの雰囲気が好きってだけで……っ」
 もがけども、維月さんはわたしの体を離してはくれない。いつの間にか腰に手が回ってるんですけども!
 というかこれってもしかして、すでに「悪戯」なんじゃぁ……
「あぅぅっ、そ、そだっ、お菓子っ! お菓子ありますからっ! それ、一緒に食べましょう!」
 わたしは空しく抵抗をしてみせる。維月さんの胸元に両手を押し付けて、なんとか体を離そうと力を入れる。
「お菓子?」
 維月さんの腕の力が、ちょっとだけ緩んだ。
「かぼちゃのプリンです。ふたつありますから、一緒に食べましょう。ね、ってことで、Treatです、Treat!」
「…………」
 くすっと、維月さんはまた笑った。それから片手で、ネクタイを緩める。その仕草がなんとも艶かしくて、つい目線をそらしてしまった。頭が沸騰しそう……。顔が熱い。心臓が早鐘のように鳴り続けてる。苦しくて、体に力が入らない。
 それを察してか、維月さんはわたしの腰を掴んでいる手にぐっと力を入れ、さらに体を引き寄せた。
「じゃぁ、言い直そう」
「……え?」
 維月さんは低くささやいた。その声につられて、わたしは顔をあげた。
「Trick and Treat」
「え、えぇぇっ?」
「どっちも、もらうから」
「……っ、ちょっ……」
 待って、と言う前に、唇をふさがれてしまった。
「かぼちゃのプリンは、また後で」
 まずはTrickの方から、と言った後で、維月さんはさらりと訂正した。
「甘いお菓子の方が先かな。甘いのは、美鈴だし、ね?」
「ねって、維月さ……っ、ちょっ、わぁ……っ」
 わたしはもう言葉もでない。
 だって、甘い言葉に蕩かされて、わたし自身が甘くなり、まんまと維月さんに食べられてしまったのだから。それはもう……余すところなく、ぺろりと。


 だけど、もしかしたらお互いさまなのかもしれない。
 わたしは維月さんの腕の中、こっそりと呟いた。きっと聞かれてると思うけど、聞かれていないつもりで。
「ごちそうさまでした」
 とってもとっても甘かった、「狼男」の維月さんに。

* 終 *

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