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Make me sweet

 天高く、馬肥ゆる秋。
 青天が美しく、室内に引きこもっているのはもったいないからと、恋人をデートに誘ったのは数日前。三連休ということもあり、遠出をしようと誘いをかけた。ただ、都合がつかず日帰りの小旅行だが、それでもいいかと尋ねると、彼女…美鈴からは二つ返事でOKをもらった。しかし、その予定も崩れた。
 急な仕事が入り、三連休の初日に出掛けるはずの予定を繰り越さなければならなくなった。中日はもともと彼美鈴にも俺にも先約があったため、結局、最終日に会おうということで、お互い都合をつけた。
 日にちは変わったが、当初の予定はそのままに、ちょっとした観光地への、気楽なドライブを兼ねての小旅行に出た。
 他に、どこか行きたいところはないかと尋ねると、美鈴は小首を傾げてちょっと考え、
「新しくオープンしたショッピングセンターに行ってみたいんですけど、いいですか?」
 と、遠慮がちに言った。帰りにちょっと寄ってみる程度でいいですから、とも。
 新しくオープンしたといっても、もうオープンしてから半年以上が経っているらしい。地元からずいぶんと遠く離れた所にある店だというのに、よくそんな情報を知り得たものだ。女性ならではといっていい早耳だろう。
 ともあれ、美鈴の希望を叶えるべく、小旅行の帰り道にそのショッピングセンターに立ち寄ることにした。


 美鈴が来たがったショッピングセンターは、オープンして半年が経つとはいえ、なかなかに混雑していた。三連休の特別セールも開催されていたし、夕方という時間帯もあっただろう。真っすぐ歩けないほど、通路は雑然と賑わっていた。
 横を歩く美鈴を見やると、人いきれに当てられたのか、ほんのりと頬を紅潮させていた。
「外は風があってちょっと寒かったけど、店内はちょっと…暑く感じますね」
 美鈴は首に巻きつけていたスカーフをはずし、折りたたんでバッグの中にしまい込んだ。
 美鈴は普段からカジュアルテイストの格好を好んでいるが、今日はそのスタイルに可愛い系のテイストを取りこんでいる。ネイビーブルーが地色のボーダーのワンピースは短めの丈で、裾から白いレースがのぞいている。グレイのパンツ(レギンスというのだと教えてもらった)を履いているため、素肌は見えない。その上、ブーツだ。スウェード素材のロングブーツは履き口からファーがちらりと見えて、いかにも温かそうだが、この季節、屋内では少々暑そうにも見える。
美鈴は鏡に映る自分と俺とを見やって、「子供っぽすぎたかな」としょんぼり顔をした。声にこそ出さなかったが、もしかしたら美鈴は「不釣り合いだ」と思ったのかもしれない。
 俺もまた、美鈴と同じようにカジュアルな…黒のTシャツの上にフェイクスウェードのロングシャツにジーンズ…という格好だったから、見た目的にはそう「不釣り合いだ」とは思わなかった。だが、美鈴の杞憂も分かる。美鈴が不安なように、俺も年齢差に関しては多少なり気にしている。美鈴の周りには、当然のことだが、俺よりも彼女に近しい年齢の男が、幾人もいる。
 むろんそれは口にしない。言えば、美鈴は困り顔をするだろう。

 フロアガイドの冊子を眺めながら、美鈴は半ば呆れたように呟いた。
「専門店が百近くって、すごい数! 一日かけてこないと、全部見て回るなんて無理だ……」
 気になる店はいくつかあったらしいが、ウィンドウショッピングに徹して、結局美鈴は何も買わなかった。
「そろそろ出ましょうか。外、暗くなり始めてきちゃってますし」
 そう切り出したのは美鈴の方からだった。
 外食するつもりではいたが、ここでは落ち着かないということで、他所に行こうということになった。
 あちこちと楽しそうに見て回っていた美鈴だが、やはり少々疲労の色を見せ始めていた。
 実のところ、俺自身も人ごみに当てられ、若干疲れていた。美鈴は敏感にそれを見て取ったのだろう。
 しかしこのまま何も買わずに店を出るのはいささか勿体ないような気もした。それに、約束を急にキャンセルした詫びもしたかった。美鈴は「気にしないで」と言ってくれたが、キャンセルの連絡を入れた時、電話越しで聞いた美鈴のあの残念そうな声は、しばらく耳から離れなかった。
 食べ物で謝罪の意を示すのはあまりにも安易だが、何らかの形で償いはしたかった。
「美鈴は、デザートの中ではどれが一番好き?」
「え? デザート、ですか?」
「そう。まぁ、洋菓子に限定しなくてもいいけど」
「すっごく難しい質問ですね……」
 すっごく、の部分を強調して言い、美鈴は目の前の洋菓子店に視線を移した。
 生クリームとバニラと、あとは焼きあがった菓子の甘い香りが漂ってくる。隣にはベーカリーショップがあり、その横にはカフェがある。どの店も混んでいて、レジ前には列ができていた。
 普段から優柔不断のきらいのある美鈴は、長考したあげく、「やっぱりひとつになんて絞れませんよ」と、逆にこちらを責めるように返してくる。
「蒸しプリンも好きだし、ミルフィーユもワッフルもシュークリームもモンブランも好きだし、チョコレート系のお菓子ならなんでもいけるし、もちろんおはぎとかわらび餅とかの和菓子も好きなの多いし……」
 言っているうちに、食べたくなってきたらしい。美鈴は「むーん」と唸って、眉根を寄せた。
「それじゃぁ、今食べたいものでいいよ? 今夜の食後のデザート、買っていこう」
 訊くと、美鈴はさらに眉をしかめ、あまつさえ、恨めしげな視線を俺に向けてきた。
「維月さん、もしかしてわざと意地悪言ってます?」
「意地悪?」
「あんまり誘惑しないでください。今わたし、絶賛ダイエット中なんですから!」
「ダイエットって……いつから? というか、必要ないだろう?」
 美鈴は真剣な顔つきで、「昨日からダイエット始めることにしたんです」と、あまり自慢できないようなダイエット宣言をし、片手で腹のあたりをさすりながらきゅっと眉をしかめた。
 なんでも昨日、タイトストレートのジーンズを履こうとしたら、腰回りがきつくなって、履けはしたものの、苦しい思いをしたらしい。
「食欲の秋が覿面に効果を表したって感じで! なんかもうお腹っていうか背中っていうか、ちょっとマズいというかピンチというか! しばらくお酒も控えなきゃって思ってて……。だからこんな時にスイーツはタイヘンよろしくないです。ここ、危険ゾーンですから! そっ、そういえば維月さん、ランチ食べた後、いきなりほっぺをつまんできたりして……もしかして、ふ…太ったとか、思ってたんじゃないですか?」
 それは言いがかりだと苦笑しつつ否定すると、美鈴はまた文句をつけてきた。
「美味しそうに食べるねって笑って……それって、よく食べるって意味なんじゃないですか?」
「そんなつもりはなかったけど」
「けど……、なんです?」
「……いや、まぁ、美鈴らしいなと思って。いろいろと」
 美味しそうに食べる美鈴も、ネガティブな思考に走りがちになってしまう美鈴も、ムキになって詰め寄ってくる美鈴も、どれも可愛いと思う。会社では到底見られない表情ばかりだ。素のままの美鈴の表情は、暮れゆく空色よりも豊かな色彩を持っている。
 美鈴が俺に見せてくれる素直な表情が嬉しく、つい口元を綻ばせた。
「もうっ、笑うなんてひどいです。わたし、……一応、真剣なのに」
「一応?」
「や、えっとっ! じゃなくって、かなり本気です! 一応じゃないですっ」
「いや、やっぱり一応って程度がいいような……。我慢しすぎるのはかえって体に悪い」
「でも! 我慢しなくちゃならないこともあるんです! だから今回ばかりは、スイーツ絶ちしますから!」
 意気込んで宣言した美鈴は、この場にいては危険だとばかりに俺の腕を引っ張って、歩き出そうとした。
 そんな美鈴を、俺は半ば強引に引き止め、逆に美鈴が離れようとしていた店へと引っ張り込んだ。
「待って、やっぱり買っていこう。俺も食べたいから」
「えっ、えぇっ、でもっ、でもですね……」
「俺一人だけ食べるのは、さすがにちょっと切ないし。つきあってよ」
「でも……」
「ダイエットは明日から……いや、今夜寝る前から始めたらいい」
「うう…っ、丸めこまないでくださいよ……」
 美鈴はなんとか反論しようとしていたが、結局、あっさりと折れた。「維月さんがどうしても食べたいっていうなら」と言い訳がましいことを口にして。
 悩んだ末、レモンのムースとモンブラン、それからカシスとピスタチオのマカロンも各一つずつ買って、美鈴が言うところの「危険ゾーン」から脱出した。

 移動中の車内、美鈴はケーキの箱を見つつ、何度となくため息をついた。なんとなく嬉しそうにも感じられるため息ではある。
 そんな美鈴が可笑しくて堪らず、しかしなんとか笑いを抑えて、美鈴に声をかけた。
「ダイエットなら、俺も協力するから」
「え、協力って……?」
 驚いたように目を瞬かせ、美鈴は俺の横顔をまじまじと見つめてくる。しかし美鈴は俺の言葉の裏までは読めない。あるいは読もうとしないのか。俺の言うことを額面通りに受け取って、どんな風に協力してくれるのかと訊いてくる。
「食べた分だけ体を動かして消化すればいい。それなら、俺にも協力できる」
「ジョギングとかですか? あ、それとも、テニス?」
「いや」
 見え透いた下心が口元に浮かんで、不埒な笑みの形をとっているのだが、美鈴は気付かないようだ。
 ダイエットに効果的な運動についてなど詳しくもない。
 だが、体を動かして汗をかく方法なら、すぐに思い浮かぶ。
「もっと手軽な方法だ」
「……?」
「難しくもない。いつもしてることだ。……そう、今夜も」
「……っ」
 予想通り、美鈴は絶句した。それからすぐに初々しげな反応を示してくれる。
「…………それ、セクハラ発言っぽいんですけど」
 まぁ、こればかりは否定できないな。
 俺が開き直ったように言うと、美鈴は俯き、「勘弁して下さい」と小声を漏らした。
「ほんとにもう……維月さんは甘すぎなんです……」

* * *


 夜も更けた頃になると、美鈴は本音をようやく吐露してくれる。
 美鈴は俺の手に導かれるままにされ、体を任せ、心の縛りを解いて俺を見つめる。
「甘いものが好きなんです」
 美鈴ははにかんで微笑んだ。
 瞬きをし、ちょっと視線をはずして、また気恥ずかしげに俺を見つめ返してくる。長いまつげの下に陰が落ちている。そこにはなまめかしく匂う色香が潜んでいる。
 美鈴はもどかしげに小さく口を開く。こぼれ出る声はやわらかく、温かな湿り気がある。
「維月さん」
「うん?」
「維月さん」
 ただ、名を繰り返す。そうして背に回した手に力を込め、また俺の名を呼ぶ。
 彼女は時々こんな風に、俺を誘う。
 計算などしていないだろう。
 遠回しなようでいて、ひどく率直な、彼女らしい誘い方だ。
「甘いものが欲しくて、……我慢できないです」
 ――我慢できないのは、お互い様だ。
 腰を引き寄せられ、美鈴は窮屈そうに身を竦ませ、顎を上げた。
 同じ気持ちでいることを知ってくれたのだろう。
 濡れそぼった瞳を俺に向け、さらにうっすらと朱唇を開けて、ねだってくる。
「ほんとに、維月さんは甘いです」
 そして美鈴は、美味しそうに頬を緩ませ、優しく微笑んだ。

* 終 *

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