維月さんは、わたしが急ごしらえで作った簡易すぎる夕飯……冷やし中華と鶏肉の酒蒸しも、美味しいと言って完食してくれた。その後も、浴衣姿のわたしを気遣って、維月さんは後片付けを手伝ってくれた。
こんな時、食洗機がしみじみと欲しくなる。だけど洗い物をするのってけっこう自分的にストレス解消になってるところがあって、面倒ではあるのだけど、洗い物全般は、わりと好きだったりする。
どうやら維月さんは、わたしのそういう「片づけ好き」なところにも気がついているらしかった。
「美鈴は、こまごまとした整理整頓が好きだね? 会社でもマメにデスク周りを片づけて、他の子のところまで手を伸ばして」
「え、それは、その……」
少し気まずいような、気恥ずかしいような気分になって、もごもごと小声で言い訳じみたことを言った。
「あんまり散らかってると、つい気になっちゃって……。一応手をつけてもいい所といけない所はわきまえて片づけてるつもりなんですけど」
「散らかりやすいところでもあるから、こまめに整頓してくれるのは助かるよ。浅田さんもありがたがってたし。うちに来て掃除してもらいたいとか言ってたな」
「そういえば浅田さんに言われました、きれい好きなんだねぇって。そりゃぁ、掃除自体は嫌いじゃないんですけど、きれい好きって程じゃぁ……」
「浅田さんは散らかし好きらしいよ? 仕事を片づけるのは上手いんだけどね」
「そうですね。浅田さんって仕事早いですし、きっちりしてて頼りになるんですよね!」
「そう、それでデスク周りはわりときれいにしてるんだけど、引き出しの中はとんでもないことになってた。美鈴は、見たことある?」
「あ、ありますあります! ものっすごくいろんなものが入っててごちゃごちゃしてて……。あれ、一度全部取り出して、掃除してみたいなぁ……」
「ぜひやってほしいところだけど、たぶん全部の引き出しがあんな状態っぽいから、時間かかると思うよ?」
わたしと維月さんは顔を見合わせて笑った。
「浅田さんのデスクで宝探ししてみるのも楽しそうですね」
「たしかに、何か面白そうな宝が眠ってそうだ」
勤労主婦の先輩浅田さんとわたしと、そして維月さんは、かつての飲み仲間だった。維月さんは、しっかり者でさばさばとした性格の浅田さんに一目置いている。同じ頃に入社したこともあって、よき相談者でもあり協力者でもあったと、語ってくれたことがある。その浅田さんに声をかけられ、「高倉主任」と三人で飲みに行くようになったのは、もう二年近くも前のことなんだ。そう思うと、月日が経つのって、本当に早い。
誘われたあの頃は、まさか「高倉主任」とこんな関係になるとは、ちっとも思わなかった。……ううん、今となっては「ちっとも」とは言えないかもしれないけれど。
その浅田さんにも、まだわたし達のことは話していない。いずれ折を見て、「実は」と告白するつもりではいるけれど、なかなかタイミングが計れない。維月さんは「俺から話そうか?」と言ってくれたけど、わたしは首を横に振った。
維月さんが言っても別段問題はないと思うし、維月さんの方がきっとうまく話してくれるだろう。だから、これはわたしのわがまま。
それに、わたしから話すべきことのような気がする。女同士だからこそ、そういうところはきっちりとけじめをつけたい。
そういったことを、しどろもどろに話すと、「美鈴に任せるよ」と言って、維月さんはあっさり了承してくれた。それから優しげに目を細めて、微笑んだ。
維月さんの瞳は、濃く淹れたコーヒーのような深みがある。コーヒーの香りのように吸引力があって、目を逸らせない。
「美鈴は少しだけ、潔癖なところがあるね。一人であれこれと気を回しすぎてストレスを溜めこみやすそうな子だなって、
「…………」
「俺も、美鈴に頼ってもらうのを心待ちにしてるくらいだし」
維月さんはちょっとおどけた口調でそう言い、小首を傾げて、俯いてるわたしの顔を覗き込んできた。
「そ、んな……。わたし、維月さんには頼って、甘えてばかりで」
「人を信じて頼るのには、たしかに勇気が要る。だから今すぐどうこうとは言わないし、無理をすることもない。だけど、たまには勇気を出して、思いきり寄りかかってほしい。……そう、これも俺の我儘だ。美鈴に頼られて格好つけたいっていう、ね」
維月さんはこともなげに、さらりと自分の心情を話してくれる。そうして自分の弱い部分をわざと晒して、なおかつわたしをその胸の内に包んでくれるのだ。時に強引に、時にさりげなく。
わたしは維月さんに対して、まだ、どこかで踏みとどまってるところがある。信じきれない思いが心の底に沈んでいる。それに、維月さんは気付いているんだと思う。
信じきれないのは、維月さんのわたしに対する思いでもあるし、わたし自身の思いだ。
維月さんの思いを疑っているのとは、違う。だけど信じきって、その思いにこの身をすべて委ねてしまうのは、やっぱりまだ怖かった。
「美鈴が怖がりなのは分かってるつもりだから、焦らせる気はないよ。だから今夜みたいに、美鈴が負担にならない程度で甘えて頼ってくれたらいい」
「今夜みたいに?」
おうむ返しに訊くと、維月さんは「うん」と少し子供っぽいような表情で頷いた。
「会いに来てって言ってもらえるのは嬉しいよ。浴衣姿を見せてくれたのも、嬉しかった」
「…………」
こうまで言われて、維月さんの思いを拒めるだろうか。
信じたいと思い気持ちが凌駕して、それが心をときめかせる熱い思いにさらに燃え立たせる。
わたしは「それじゃぁ」と切り返した。
「それじゃぁもう一つ、わがまま言ってもいいですか?」
維月さんは、小さく笑って頷いた。
「少し行ったところに、小さな公園があるんです。そこで、花火しませんか?」
そう言って、周到に用意した花火のセットを取り出した。すべて手で持つタイプの花火。いかにも子供用っぽくイラストが入った花火セットで、それを二つ買ってきておいたのだ。
「打ち上げ花火もいいけど、こういう花火も好きで、やりたかったんです」
維月さんは「いいね」と、破顔一笑した。
* * *
一言に手持ち花火といっても、種類はたくさんある。
火が勢いよく一直線に伸びて色の変化を楽しめるススキ花火や、火花が横に散ってパチパチと光と音を爆ぜさせるスパーク花火、そしてなんといっても手持ち花火の定番、線香花火、これは欠かせない。
「けっこうあっという間に終わっちゃうのが多いですね」
維月さんに手渡され、わたしは両手に花火を持っている。シューッと音を立てながら、オレンジ色の火が手元や足元を明るくしてくれている。
公園内には外灯もあったし、家々の門灯や窓から零れる灯りが届いて、それほど暗くはなかった。月明かりも手伝って、ふと見上げたそこにある維月さんの笑い顔も見てとれた。
「俺は、地味なんだけどへび玉が好きだったな。あのなんともいえない不気味な感じが面白くて」
「へび玉?」
「知らない? たしかに花火っていうには微妙だけど、火をつけると何倍にも膨らんで蛇みたいに長くなる地味なやつなんだけど」
「ああ! わかりました! 売ってましたよ、それ。でも写真で見た限りなんだか蛇の具合がリアルで、買うのためらっちゃったんですよ」
「それは残念。見てみたかったな」
「……維月さん、けっこうヘンなの好きなんですね」
わたしがちょっと呆れたように笑うと、維月さんは「まぁ、そうかな」と苦笑した。少し照れているような、けれど悪戯っぽいような、どこか少年ぽい笑い方だった。
維月さんはわたしの手に握られてる花火の火が落ちる前に、別の花火に火を移した。それがまたパチパチと小気味のいい音をたてて、火の粉を散らす。
「へび玉も面白いけど、やっぱりこういう明るい火が散る花火が、見ててもやってても楽しいよ。それに、花火なんてずいぶんやってなかったしね。……ありがとう、美鈴」
維月さんはわたしの横に並んで立ち、花火を持っていない方の手をわたしの後ろに回した。
「維月さ……」
維月さんの手が、わたしの肩を掴んだ。維月さんは花火を両手に持ったままのわたしを少しだけ引き寄せて、唇の先をかすめ取るようなキスをした。
二人きりの花火大会は、あっという間に終わってしまった。ラストは線香花火でしめて、ちょっとしんみりとした気分に浸らせる。
公園には、わたしと維月さん以外誰もいない。狭い敷地の公園は、来た時からわたし達以外に人はいなくて、ただ時々犬の散歩をする人が通り過ぎていったくらいだ。
夜風が伸び放題になっている雑草をさやさやと揺らし、その中で虫がリーリーと鳴いている。
夜はすっかり更けきって、安らいだ静寂がわたし達を包んでいた。
火薬のにおいの混じるしっとりと安らいだ空気がちょっぴり淋しいような気分にさせる。だけどそれは楽しいひと時があったからこそだ。淋しいのだけど、心は潤っている。
花火の後片付けのほとんどをすませてくれた維月さんに、わたしは「ありがとう」を伝えた。
「今日、花火つきあってくれて、嬉しかったです。こうやってゆっくり会えたのも嬉しかったし……」
とても楽しかった。そう言うと、維月さんも嬉しげに笑ってくれた。
「さあ、じゃぁもう帰ろうか」
維月さんはバケツとゴミの入ったビニール袋を持ち、わたしを促した。わたしは「はい」と答えてすぐに維月さんの後について歩き出したのだけど、ふと、維月さんを呼び止めた。振り返り、わたしを見つめる維月さんに、わたしは今日何度目かの我儘を言った。
「あ、あの……、手、……手を繋いでもいいですか?」
わたしの申し出に、維月さんは一瞬驚いた顔をしたけれどすぐに口元を綻ばせて、空いている方の手を差し出してくれた。
その手を、おそるおそる握った。
どんな風に握ったらいいのかな、なんて考えてる間に、維月さんの方からきゅっと握り返してくれた。――大きくて熱い、維月さんの手。握られていると、どきどきするのに、安心感がある。
「行こうか」
「……はい」
わたし達は再び夜道を歩きだした。維月さんはわたしに歩幅に合わせてゆっくりと歩いてくれている。わたしは時々維月さんの端正な横顔を見たり、握り合った手を見たりしながら、慣れない浴衣と下駄のせいで躓かないよう小股になって歩いている。
「維月さん」
歩みを止めず、維月さんに声をかけた。
繋ぎ合った手と手。そこから伝わる維月さんの熱のおかげで、わたしはいつもより少し大胆になれた。
思いきって―……かなり恥ずかしいのだけど、それを言った。
「……か、帰ったら、また“火遊び”しませんか? えっと、その……遊びじゃなくて、本気です、けど……」
「ベッドの上で?」
わたしの意中を察した維月さんはそれを露骨に口にし、悪戯っぽく笑った。
「……っ」
恥ずかしさで頭が沸騰し、蒸発して消えてしまいそう。だけど、消えるのを許さないとでもいった風に、維月さんの手に力がこもった。
「…………そ、そ、です……」
俯き、虫の音よりも小さい声で応えた。
落ちかかってくる沈黙に、わたしは今さらながら、何言っちゃったんだろうと、動揺しまくった。だけどこの期に及んで訂正するのはもっと情けなくて、恥ずかしい。
「あの、いっ、維月さん……?」
心なしか、さっきより歩調が速くなってる気がするのだけど……。
ちょっと焦って顔を上げ維月さんを見る。維月さんはわたしの視線に気がついたようで、けれど足は止めずに、振り返った。
「もともとそのつもりでいたけど、美鈴の方から言ってもらえるとはね。急ごうか、美鈴の気が変わらないうちに」
「……かっ、変わりませんっ」
維月さんの甘やかなまなざしとぶつかって、動悸はさっきよりも激しくなった。
「わたしの方は、もうとっくに火が点いてますからっ。だから、そのっ」
「それなら俺も同じだ」
わたしの手を掴んで離さない手も、蕩けそうに優しいまなざしも、維月さんが抱えている熱を伝えてくれた。
「は、はい……」
だから、わたしもちゃんと伝えよう。素直に甘えて、寄りかかってしまおう。
維月さんがいつもそうしてくれるように、内に秘めているだけではいられなくなった想いを、……――今宵、存分に。
* * *
抱擁の激しさは、一瞬一瞬、その限りで過ぎてしまう。
それはまるで、花火の激しさ。
きらめきを散らし夜空を彩る火の花は、たったの一瞬で消えてしまう。だけどその鮮やかな火の花は心の内で咲き続け、幸せな気分を思いださせてくれる。
――花火のような、維月さんの“火”。
維月さんが焦らしながら肌に刻んでいく熱情は心の奥深くにまで浸透し、冷たく凝り固まっている怖れやわだかまりを融かしてくれる。
そうして、熱い夜にまたたく
* 終 *