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あまい桃色

 風呂上がりに、彼女が桃を向いてくれた。
「食べやすいように小さく切り分けますね」
 彼女―木崎美鈴は、手間を惜しまない性格のようだ。本人は、「そんなことないです。けっこうずぼらなんですよ?」と笑うが、仕事でもプライベートでも、細かなことによく気が回り、一手間をかけてくれる。
 彼女が持ってきた桃は、「あかつき」という品種名らしい。
「桃の有名な品種の、白桃と白鳳を交配させた品種なんだそうです。一度食べてみたかったんですよねぇ」
 そう言って美鈴はいそいそと桃の皮を剥く。桃の皮はやわらかくて剥きにくいだろうに、包丁さばきはなかなか手慣れたもので、話をしているうちに一口サイズに切り分け、皿に盛る。
 部屋中に、桃の甘い香りが漂う。
「甘くておいしーい」
 美鈴は、実に美味そうに食べる。スイーツ系はとくにそうだが、好きなものを食べる時の美鈴の表情は、嬉しげで楽しそうだ。
「お腹いっぱいのときでも、美味しいものは別腹にちゃんと入ってくんだから、不思議ですよね」
 と、屈託なく笑う美鈴だ。
「それに、美味しいものを食べてる時って幸せだなぁって思いません?」
「そうだな、たしかに」
 俺が笑って応えると、美鈴はちょっと拗ねたような顔をした。「どうせいやしんぼですよ」とでも言いたげだ。
 今日の美鈴は、機嫌がいい。
 食べてみたかった桃を手に入れたからかもしれないし、他に何か良いことがあったのかもしれない。
 嬉しげに笑っている美鈴を見るのは、淋しさを隠そうとして不自然に笑っているのを見るより、ずっといい。切なげに瞳を潤ませている美鈴も、堪らなくいとおしいのだが。

 美鈴は風呂上がりということもあって、ロングTシャツに短パンというラフな格好をしている。パジャマ代わりなのは、俺と同様だ。
 美鈴が着ているTシャツは先ごろ俺が贈ったもの。以前「ドエス」のロゴが入ったTシャツをもらった返礼だ。
 白の生地にピンク色の文字で「LOVE ME!」と胸元にプリントされたものを選び、贈った。「ドエム」のTシャツも見つけ、そちらにしようかと迷ったのだが、着てもらえなさそうな気がしたので(少なくとも俺の前では)、やめにした。「LOVE ME!」の方は抵抗なく着てくれている。俺の下心など素知らぬ風だ。
 いっそ、「小悪魔」とプリントされた黒いTシャツを贈るべきだった……かもしれない。
 その「小悪魔」な美鈴は、生乾きの髪を後頭部でゆるくまとめあげているために、白いうなじが露わになっている。おくれ毛が少し湿った素肌にはりついていて、ひどく艶めかしい。
 桃もたしかに美味いが、それよりも美鈴の方が美味そうだと言ったら、なんと言うだろうか。……まぁ、想像に易いが。
「……なんですか、維月さん?」
 俺のヨコシマなまなざしに気が付き、美鈴はちょっと怪訝そうな顔をする。
「何か言いたそうですけど」
 美鈴は自ら墓穴を掘るようなことを、さらりと言う。自覚があるとも思えないが、少々迂闊なところがある点は、自認しているようだ。
 会社での木崎さんは、わりあいガードが固く、隙もあまり見せない。が、気を許した相手には、彼女はひどく素直で脆く、甘い。
 俺は目を細めて、改めて美鈴を見る。
 ――やっと手に入れた。
 曖昧な微笑で心意を隠され、やわやわとかわされ続けていたが、こうしてようやく、手元に引き寄せることができた。
 こうして無防備な彼女を見るたび、それを実感する。そして、もっとという欲も出る。
「維月さん?」
「……いや、甘いなと思って」
 桃を一口口に放りいれる。水蜜とはよくいったもので、みずみずしく、甘い。
「それに、桃の香りはなんだか美鈴みたいだ。そっちの桃もいただきたいものだが、いいかな?」
「……なっ」
 案の定、美鈴は頬を赤くし、声を詰まらせた。
 いいかな? と、問いかけておきながら、しかしそれはもう決定事項だ。美鈴の許諾を待つことはしない。
「桃、もういっぱい食べてるじゃないですかっ! お腹いっぱいですよね、ねっ?」
 美鈴は俺を拒まない。口では拒むようなことを言うが、それすら俺を誘っている。
「美味しいものは別腹なんだろう、美鈴?」
「……いっ、維月さん、ちょっ、まっ……」
「いくらでも入りそうだ」
 いずれにせよ、皿に盛られた桃を完食してからだが。

 さっき食べたばかりの桃と、今、舐るようにして食らいついている桃風味の美鈴。
 どちらが美味く甘いかなど、比するのも愚かなことだ。

 美鈴は恍惚と乱れ、その肢体を桃の花のごとく鮮やかに咲き開かせてゆく。
 そして、あまい桃色の息を吐きながら俺の名を繰り返す。
 ――切なげに狂おしく、抱き合う幸せを告げるように。

* 終 *

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